第15話「三枝陽菜の一歩」
※今回は、 三枝陽菜の視点でお届けします。
第15話「三枝陽菜の一歩」
わ、私は昔から、「嫌だ」と言えない子どもでした。
給食の苦手なおかずも、「いらない」と言えなくて、
泣きながら全部食べました。
学級委員を押しつけられたときも、「無理です」と言えなくて、
一年間、胃が痛いのを我慢しました。
大学に入ってからも、サークルの飲み会に誘われると、断れなくて、
行きたくもないのに行って、隅っこでずっと笑っていました。
断ると嫌われる気がするんです。
嫌われたら、一人になる気がするんです。
一人になるのが何よりも怖かったんです。
だから、志賀くんに「一緒に来いよ」と言われたとき。
本当は、城に残りたかったのに。
白峰くんや、柚木さんや、大河内くんと一緒にいたかったのに。
私は、「は、はい」とうなずいてしまいました。
ご、ごめんなさい。
これはそんな私の話です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
王都の宿屋『黒鹿亭』の一番大きな部屋に、私たち十人は集まっていました。
いえ、九人です。
桐生くんは、三日前から、宿に戻ってきていませんでした。
「で、王様はなんだって?」
寝台の上にあぐらをかいた志賀くんが、不機嫌そうに言いました。
「論理的に言って、予想どおりの内容だったよ」
宇佐美くんが、眼鏡を押し上げました。
今朝、王城から使いが来て、宇佐美くんと吉岡くんが、
話を聞きに行ったのです。
「魔王軍が王都に迫っている。
異界の者たちにも、王都の防衛に力を貸してほしい。
騎士団の指揮下に入ってくれれば、相応の報酬を出す。
……要約するとそういうことだね」
「騎士団の指揮下ぁ?」
志賀くんが鼻で笑いました。
「なんで俺が、
あのガルドとかいうおっさんの命令を聞かなきゃなんねえんだよ。
決闘で俺の剣を止めやがった奴だぞ」
「まあまあ、志賀。それなんだけどさ」
吉岡くんが、愛想笑いを浮かべながら、身を乗り出しました。
「ギルド経由でも参加できるらしいぜ。
冒険者の遊撃隊ってのを作るんだと。
騎士団の指揮は受けずに、城の外で好きに魔物を狩っていいって。
報酬は、討ち取った魔物の数次第」
「……へえ」
志賀くんの目が、すっと細くなりました。
「好きに狩っていいか」
「それに魔王軍の大将は、なんか、でっかいオーガの親玉らしいぜ。
その首を取った奴には、王様から特別な褒賞が出るって」
志賀くんは、しばらく黙っていました。
それから、ゆっくりと、口の端を吊り上げました。
「……決まりだな」
「志賀さん?」
「遊撃隊で行く。で、魔王軍の大将首を俺が取る」
志賀くんは、寝台から立ち上がりました。
「ハルン村だのギルドの問責だの全部チャラにしてやる。
一万の魔王軍の大将を討ち取った奴が、
本物の勇者じゃなくて、何だってんだよ。
なあ?」
「ウッス! さすが志賀さんっす!」
堂島くんが拳を突き上げました。
「狂化、全開で行くっすよ! 一万匹、全部ぶっ潰してやるっす!」
「莉愛はー戦うのはちょっと……」
花菱さんが爪をいじりながら、唇を尖らせました。
「ルーカス様がね、戦の間は、侯爵家のお屋敷に避難しておいでって。
王都の一番安全なところにあるんだってー」
「あたしもパス」
姫野さんが、ひらひらと手を振りました。
「ポーション作るほうが儲かるし。
戦争になったら、ポーション、めっちゃ売れるじゃん?
今のうちに、いっぱい作っとかないと」
「論理的に言って、俺も前線向きじゃないね」
宇佐美くんが肩をすくめました。
「俺は、王城の宰相府に、防衛策の提案書を持っていく。
現代の築城術と兵站学を応用すれば、
この城の防御力は三倍にはなるはずだ」
みんながそれぞれ、自分の道を決めていきます。
私は部屋の隅で膝を抱えて、それを聞いていました。
「三枝」
志賀くんが私を見ました。
「お前は、いつもどおり、荷物持ちな。遊撃隊の補給品、全部持てよ」
「……は、はい」
私はまたうなずいていました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その日の午後。
宇佐美くんは、王城の宰相府から、ひどく青ざめた顔で戻ってきました。
「……どうだった?」
古賀くんが尋ねると、宇佐美くんは、しばらく黙っていました。
それから、握りしめていた羊皮紙の束を、卓の上に放り出しました。
徹夜で書いた、防衛策の提案書でした。
「……全部、やってた」
「え?」
「城壁の前に空堀を掘って杭を並べる。
城門の内側に二重の門を作る。
食料の備蓄を日付順に管理する。
避難民を区画ごとに分けて、名簿で管理する。
……全部、もう、とっくにやってたんだよ」
宇佐美くんの声が震えていました。
「避難民の名簿は、白峰が、城下を一軒一軒回って作ったんだってさ。
食料の管理は芹沢が。
治療院の拡張は柚木が。
宰相のじいさんが、俺の提案書を、最後まで読んだ後でこう言ったんだ。
『よくお調べになりましたな。
ですがすでに白峰様たちが』って」
宇佐美くんは、眼鏡を外して、両手で顔を覆いました。
「……論理的におかしいだろ。
なんで、俺の知識が何一つ、役に立たないんだよ」
部屋の中が、しんと静まり返りました。
「……宇佐美」
古賀くんが小さく言いました。
「白峰氏たちは、知識でそれをやったわけじゃないと思うよ。
城下の人たちと毎日、話をして。
困ってることを聞いて。
それで必要なことを一つずつ」
「うるさい」
宇佐美くんが、古賀くんの言葉を鋭く遮りました。
「お前最近、白峰の話ばっかりだな。
解説役のくせに、鞍替えでもするつもりか」
古賀くんは、何も言い返しませんでした。
ただ、眼鏡の奥で少しだけ、悲しそうな目をしていました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
夕方。
宿の裏の井戸で、遊撃隊の補給品を詰めた袋を、
荷車に積み込んでいたときでした。
「あんたが三枝陽菜って子かい」
しわがれた声に振り返ると、
杖をついた小柄なおばあさんが立っていました。
皺だらけの顔。
深い紫色の魔術師のローブ。
召喚の日に大聖堂で、鑑定の儀を取り仕切っていた人でした。
「ヴぇ、ヴェルダ、様……!」
私は、慌てて頭を下げました。
「ご、ごめんなさいな何か、私、粗相を……」
「なんで謝るんだい。あたしは、まだ何も言っちゃいないよ」
ヴェルダ様は、ふぇっふぇっと喉の奥で笑いました。
それから、私の手をじっと見ました。
澪さんにもらった包帯の下で、まだ少しだけ赤く腫れている手。
「……結界師だそうだね、あんた」
「は、はい……」
「荷物持ちにはもったいない手だ」
ヴェルダ様は、杖の先で地面に円を描きました。
「戦が始まったら、魔王軍は、魔物だけじゃなく、魔法も使ってくる。
火の玉だの毒の霧だの呪いの矢だのをね。
それを防ぐために、城壁の上に結界を張る。
宮廷魔術師団の中から、結界の得意な者を集めて、結界師団を作るのさ」
ヴェルダ様は私をまっすぐに見上げました。
「だが、足りない。
結界師ってのは珍しい職業でね。
この国じゅう探しても、片手で数えるほどしかいないのさ」
「……」
「あんたの力が要るんだよ、三枝陽菜」
私は言葉を失いました。
要る。
私の力が。
荷物持ちじゃなく。
結界師として。
「で、でも……わ、私……」
声が震えました。
「わ、私なんかの結界、弱いです……。さ、小さな矢を弾くくらいしか……」
「ヴェルンで、毒の霧を防いだそうじゃないか」
「え……」
「不意打ちの矢を弾いたのも、魔物の爪から仲間を守ったのも、
あんたの結界だったと聞いたよ。
鑑定士の坊やからね」
古賀くんが。
古賀くんがそんなことを。
「それに、白峰の坊やも言ってた。『守れる人は、強い人だ』ってね」
ヴェルダ様は、杖をついて、くるりと背を向けました。
「明日の朝、西の塔においで。
来るか来ないかはあんたが決めな。
……ただ、一つだけ言っておくよ」
肩越しに振り返ります。
「誰かに決めてもらった道を歩くのは、楽さ。
間違えても、その誰かのせいにできるからね。
でも、自分で決めた道を歩いた者にしか、
見えない景色ってのもあるんだよ」
ヴェルダ様はそれだけ言い残して、
夕暮れの路地の向こうへ去っていきました。
私はその場にしばらく立ち尽くしていました。
手の中の補給品の袋がやけに重く感じられました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その夜。
私は、宿の自分の部屋で、一睡もできませんでした。
窓の外で月が、ゆっくりと動いていきます。
包帯を巻いた両手を何度も、何度も握ったり開いたりしました。
断ったら、志賀くんは怒るでしょう。
「使えねえ」と言われるでしょう。
一人になるかもしれません。
でも。
合宿所で床が光ったとき。
私の腕を引いてくれた手。
決闘の日に何度倒れても立ち上がった背中。
治療院の夜、「三枝さんはもう、十分、強い」と言ってくれた声。
――そういう人になりたいです。
――せめて、嫌なことを嫌だって、自分で言えるように。
あの夜、白峰くんにそう言ったのは私です。
誰かに言わされたんじゃなく。
私が私の口で言ったんです。
窓の外が白み始めていました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
翌朝。
宿の食堂に、みんなが集まっていました。
遊撃隊の出陣準備のために、ギルドへ向かう前の朝食でした。
私は、食堂の入り口に立っていました。
補給品の袋は、持っていませんでした。
「三枝、遅えよ。荷物、荷車に積んだか?」
志賀くんが、パンをかじりながら、振り返りもせずに言いました。
心臓が喉から飛び出しそうでした。
膝が、がくがくと震えていました。
両手をぎゅっと握りしめました。
包帯の下で、まだ治りきっていない傷が、ずきりと痛みました。
その痛みが、背中を押してくれた気がしました。
「……し、志賀くん」
「あ?」
「わ、私……」
声がかすれました。
食堂じゅうの視線が私に集まりました。
怖い。
怖い。
怖い。
それでも。
「わ、私……ゆ、遊撃隊には行きません……!」
食堂が凍りつきました。
「……は?」
志賀くんがゆっくりと振り返りました。
その目が信じられないものを見るように、見開かれていました。
「何言ってんだお前」
「わ、私……け、結界師団に行きます……!
ヴぇ、ヴェルダ様に、誘っていただいたんです……!
じょ、城壁の上で、結界を張って……みんなを、守るって……!」
「お前が? 結界師団?」
志賀くんが鼻で笑いました。
「お前の結界なんか、誰も当てにしてねえよ。
荷物持ちが何、偉そうなこと言って――」
「……っ」
言われると思っていました。
覚悟していたはずでした。
それでも、胸の奥がぎゅっと縮こまりました。
でも。
「わ、私は荷物持ちじゃ、ありません」
自分の声とは思えませんでした。
震えていたけれど。
かすれていたけれど。
それでも、食堂の端から端まで確かに届いたと思います。
「わ、私は結界師です」
志賀くんの顔から笑みが消えました。
「……ご、ごめんなさい。
で、でも、これは私が自分で決めたことです……!」
私は深く頭を下げました。
それから、くるりと背を向けて、食堂を飛び出しました。
宿の扉を開け、朝の大通りへ。
走りました。
王城の西の塔に向かって走りました。
背後で、志賀くんの怒鳴り声が聞こえた気がしました。
でも、私は振り返りませんでした。
膝がまだ震えていました。
涙が勝手にあふれていました。
怖かった。
本当に怖かった。
なのに。
朝の空がこれまで見たどんな空よりも、青く広く見えました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
食堂に残された者たちの中で、古賀悠は一人、小さく息を吐いていた。
「……やるじゃん、三枝さん」
誰にも聞こえないほど小さな声で、そうつぶやく。
それから、眼鏡を押し上げて、卓の上のパンに目を落とした。
自分にはまだ、あんなことはできない。
そう思った。
けれど、その胸の奥で何かが小さく疼いていた。
「ふざけんなよ」
志賀が卓を蹴り倒した。
皿が割れ、パンが床に転がった。
「どいつもこいつも……! なんで、みんな、あっちに行くんだよ……!」
誰も答えなかった。
食堂の隅で小田切健吾が膝を抱えていた。
三枝陽菜が出ていった扉を、じっと見つめていた。
その手が腰に下げた鎖を、白くなるほど、強く握りしめていた。
鎖の先は、ギルドの厩舎のあの魔狼の首輪へと繋がっていた。




