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世界構築編纂局 〜元・勇者の、血と涙のキャラクター査定録〜  作者: 星乃ふみ


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3/11

Record: 03 「天才秘書のトンデモ神話再解釈」

「しかし……今まで、魔王を討伐する『動かされる側』の目線でしか生きてこなかったからな。世界をイチから創る作者の立場で物語を書けと言われても、何から手をつけていいかサッパリだ……」


 真っ白な原稿用紙を前に、セシルは早くも頭を抱えていた。


 勇者として剣を振るうのであれば、迷うことなどほとんどない。

 だが今、自分に求められているのは、その「王道」を演じることではなく、何も存在しない白紙の上へ、世界も、歴史も、神も、人間も、彼らが泣く理由も戦う理由も含めて、全てをイチから組み立てる作業である。


 セシルはしばらく原稿用紙と睨み合った末、どうにも勝ち筋が見えないと悟り、対面に座るカノンをちらりと盗み見た。


 銀縁眼鏡の奥には、サファイアのように澄み切った深い青色の瞳がある。だが、その美しさとは裏腹に、そこには一切の妥協も慈悲も存在せず、数千年の寒波にも動じない氷河期の岩盤を思わせる冷徹さだけが静かに沈んでいた。


「……なぁ、カノン。ぶっちゃけ、君が書いた方が早いんじゃないか?」


 早くも戦線離脱宣言と言わんばかりに、セシルは羽根ペンを彼女へ差し出した。


「はい。華やかな主人公という栄光の座から転落し、現在はおじさま方の妄想設定をシュレッダーへ流すことを生業《なりわい》としている窓際事務員のセシル様が、未経験の執筆で一文字ずつモタモタと生命を浪費するより、私が作成した方が約百億倍は効率的です」

「……あのさぁ! いちいち俺の繊細なガラスハートを粉砕する特級呪術を使うの、やめてくれない!? もう割れる破片すら残ってないんだけど!?」


 涙目で抗議するセシルを、カノンは完全に無視した。

 だが、そこまで効率差を断言したくせに、差し出された羽根ペンを受け取ろうとはしない。


「ですが、私が書くことは推奨いたしません」

「……なんでだよ」

「私のような機械的かつ合理的な人間が出力した設計図《プロット》には、決定的な『温度』が不足します」


 思いがけず真面目な返答が飛んできたことで、セシルはわずかに目を瞬かせた。

 カノンは相変わらず表情一つ変えないまま、書類でも読み上げるような静かな口調で続ける。


「物語とは、データを論理的に並べれば完成するものではありません。作者の執念、怨念、願望、性癖、過去のトラウマ、深夜二時の謎テンションなど、ありとあらゆる人間的ノイズが混入してこそ、初めて読者の心を無駄に掻き乱す作品になります」

「途中からだいぶ嫌なもの混ざってるぞ」

「その点、現在進行形で薄給、胃痛、サービス残業という三重苦に晒されているセシル様は、今まさに最高品質の人間的ノイズを生成中です」

「俺の苦痛を創作資源扱いするな!!」


 カノンは銀縁眼鏡をクイッと押し上げ、セシルの悲鳴など単なる環境音として処理するように淡々と告げた。


「つまり、今のセシル様は非常に美味しい状態です」

「その表現やめろ。なんか俺が熟成肉みたいになってる」


 とはいえ、悪意ある言い方を除けば、カノンの主張そのものには妙な説得力があった。

 少なくとも、ただ正解らしい情報を順番に並べるだけでは、誰かの胸を熱くする英雄譚にはならないのだろう。


 セシルが少しだけ羽根ペンを握り直したところで、カノンが静かに続ける。


「そこで、参考資料をご用意しました」

「参考資料?」

「はい。今のセシル様と非常によく似た境遇で、上から無茶振りを食らいながら神々の歴史をまとめ上げた、遠い異国の文化人たちによる超大作神話です」


 その説明を聞いた瞬間、死にかけていたセシルの瞳へ、ごくかすかな光が戻った。


「……歴史の彼方にも、俺みたいに上司の理不尽へ耐えながら働いた伝説の社畜戦士がいたのか」


 まだ見ぬ同志へ想いを馳《は》せ、セシルは遠い目をする。


「そいつとは一晩中、互いの胃痛を称え合いながら美味い酒が飲めそうだな……」

「では、現代人にも理解しやすいよう、私なりに極限まで分かりやすく意訳して出力いたします」

「待て。その『私なりに』が猛烈に怖い」


 だが、嫌な予感を覚えた時にはもう遅かった。


 カノンは軽く眼鏡の位置を直すと、世界でも有数の古い神話を、まるで新人職員向けの業務マニュアルでも読み上げるような口調で出力し始めた。


「まず男女の神イザナギとイザナミが、巨大な矛《ほこ》でドロドロの海をグルグルかき混ぜます」

「待て。創世神話の第一手が泥遊びなのか!?」


 セシルは早くも不安を覚えつつ、それでも「ここからだ」と自分へ言い聞かせ、羽根ペンを構え直した。


「その後、二柱《ふたはしら》は猛烈な勢いで国や神々を産みまくります」

「言い方はアレだけど……まあ、創世神話だしな」

「しかし火の神を産んだ際、イザナミは大火傷を負って死亡します」


 そこまで聞いたところで、セシルの表情がわずかに曇った。


 悲劇ではある。

 だが、愛する妻を失った神が、その悲しみを乗り越えながら残された世界を完成させていくのであれば、それはそれで充分に王道の物語へ昇華できる。むしろ序盤に大きな喪失を置くことで、主人公の覚悟や使命感を強く印象づけることさえ可能だろう。


 そう考えた矢先だった。


「怒ったイザナギは、生まれたばかりの火の神を十拳剣《とつかのつるぎ》で首チョンパしました」

「家庭環境が地獄すぎるだろォ!!」


 開始数分で、セシルの中に芽生えた高潔な英雄譚への希望が粉々に砕け散った。


「さらに妻を諦めきれないイザナギは、死者の国である黄泉《よみ》まで迎えに行きます」

「……おっ」


 砕けた希望が、ほんの少しだけ蘇った。


 愛する妻を取り戻すため、決して戻れない死の世界へ足を踏み入れる。

 これはいい。

 危険を承知で冥府へ向かう夫という構図だけなら、王道ファンタジーど真ん中の愛と冒険の物語へ持っていける。


「イザナミから『私の姿を絶対に見ないで』と言われます」

「なるほど。禁忌を課されるわけだな」

「しかし普通に見ます」

「なんでだよ!!」

「その結果、腐り果てた妻の姿を目撃してガチビビり。その場から全速力で逃走しました」

「最低だなこの旦那!!」


 セシルの羽根ペンが、耐え切れず机へ叩きつけられた。


「愛する妻を追って死者の国まで来た男が、見た目がちょっとホラーになっただけで全力逃走って、お前の愛はその程度だったのかよ!!」

「死体ですので、『ちょっとホラー』というレベルではなかった可能性が高いです」

「冷静に補足するな!」

「なお、置き去りにされた妻はブチ切れました」

「そりゃそうだろうな!」


 事情を考えれば、怒らない方が不自然だった。

 カノンはそこで、何かを整理するようにわずかに顎へ指を添える。


「怒り狂ったイザナミは、黄泉醜女《ヨモツシコメ》や雷神たちを差し向け、逃げる旦那を地獄の果てまで追い回します。現代風に要約しますと、バイオハザード要素を盛り込んだ泥沼離婚調停ですね」

「そんな要約いらねぇよ!!」


 創世。

 神。

 死者の国。


 本来なら荘厳で、壮大で、耳にするだけでも神聖な響きを帯びていそうな単語が、カノンの口を通るだけで片っ端から安っぽいB級パニック映画へ変換されていく。


 セシルは額を押さえながら、どうにか原稿用紙へ視線を戻した。


「火傷で死亡、我が子を首チョンパ、ゾンビ妻とのガチ追いかけっこ……どこが高潔な王道ファンタジーの参考資料なんだよ!!」


 ここまで聞いた時点で、普通なら参考資料を閉じ、別の神話へ切り替えるところだろう。


 だが、セシルは違った。


 あまりにも酷い。

 あまりにも王道から遠い。


 だからこそ、その悲惨な原型を前にしているうちに、彼の中で別の感情がふつふつと湧き上がり始めていた。


 直したい。

 この泥と血と夫婦喧嘩にまみれた話を、何としてでも自分の知る「美しい王道」へ叩き直してやりたい。


 それはもはや創作意欲というより、元勇者としての意地に近かった。


「……くっ、やってやる」


 セシルは再び羽根ペンを握り直した。


「この泥沼ホラー愛憎劇を、俺の力で誰もが涙する一大スペクタクル王道ファンタジーに美化(リライト)してやる……!!」


 かつて魔王へ向けていたはずの闘志を原稿用紙へ叩きつけ、セシルは猛烈な勢いで羽根ペンを走らせ始めた。



 ***



「ふぅ……ふぅ……! よし、第一章『創世の愛』、完成だ!」


 しばらく後、疲労で顔を青くしながらも、セシルは誇らしげに原稿用紙を掲げていた。


「どうだカノン! これなら誰もが涙する王道プロローグだろ!」


 カノンは差し出された原稿を受け取ると、数秒で内容を読み終えた。


「素晴らしい捏造能力です、セシル様。事実という名の泥水を極上のハチミツへ加工するその手腕。シュレッダー係として腐らせておくには惜しい才能です」

「褒め言葉の中に必ずナイフを仕込むのをやめろ。……まあいい。この調子ならいける。そのイザナギとかいう神は、黄泉から帰ったあとどうしたんだ?」


 なんとか第一章は完成した。

 しかも、思った以上に悪くない。


 セシルは少しだけ自信を取り戻しながら、新しい原稿用紙を引き寄せた。


「はい。恐怖の鬼ごっこを終えた夫の神は、ゾンビの汚れを落とすために川で禊《みそぎ》をしました。すると、彼の『左目』『右目』『鼻』から、それぞれ新しい神がポロンと爆誕しました」

「……はい?」


 セシルの羽根ペンが、紙へ触れる直前でピタリと止まった。


「太陽の女神・アマテラス、月の神・ツクヨミ、海の暴れん坊・スサノオ──これがこの神話の最高神たちです」

「待て待て待て待て!!! 目と鼻から最高神がポロンと生まれるか!? どんな繁殖システムだ! 鼻水と一緒に神が射出されたってことか!? 汚ねぇよ!! ファンタジーの神はもっとこう、聖なる大樹の実から神々しい光と共に生まれるもんだろ!?」

「いいえ、データ上、鼻水クライマックスです」

「なんだよ鼻水クライマックスってぇぇぇ!!」


 セシルの絶叫が、深夜の事務室を震わせた。


 どういう感性をしていれば、最高神誕生という神聖極まりない瞬間を、そんな最終回の煽り文句みたいな名称で総括できるのか。

 だがカノンは、自分が何かおかしなことを言ったという自覚すらないらしい。


「神の生まれ方のクセが強すぎる!! ああ畜生、書き直しだ!」

「セシル様。それはただの主観です」

「うるさい! 書き直す!」


 半ば自棄《やけ》になりながら、セシルは原稿用紙へ羽根ペンを走らせる。


「『父なる神の涙が三つの輝く宝石となり、それぞれが神々の器となった』……よし! これでいい!」


 セシルは出来上がった一文を眺め、満足げに腕を組んだ。


「で、その三柱《みはしら》の神々が力を合わせて世界を統治するんだな? ようやく王道っぽくなってきたじゃないか」


 しかし、その淡い期待を受け止めたカノンは、これまでと何一つ変わらない無表情のまま答えた。


「いいえ」

「その『いいえ』、もう嫌いになってきた」


 セシルの嫌な予感を裏切ることなく、カノンは次なる神話データを淡々と出力する。


「末っ子のスサノオは、髭が胸元まで伸びる年齢になっても『お母さんに会いたいよぉぉぉ!』と毎日ギャン泣きしました。その泣き声の影響で山の木々が枯れ、海が荒れ、世界規模の環境破壊へ発展します」

「泣くだけで災害起こすなよ!!」

「見かねた父親に追放されたスサノオは、姉であるアマテラスのもとへ向かいます」


 セシルはそこで、一度だけ気持ちを立て直した。


 問題児の末弟が、立派な姉のもとへ身を寄せる。

 ここで姉が弟を諭し、家族の愛によって荒んだ心が救われ、やがてスサノオが偉大な英雄として成長していく。


 そういう話ならば、まだ王道へ戻せる。


「……まあいい。ここで姉が諭して、スサノオが改心するんだろ?」

「いいえ。姉の治める田畑を破壊し、神聖な場所を汚し、最終的には生皮《なまかわ》を剥いだ馬を機織《はたお》り小屋へ投げ込みます」

「嫌がらせのレベルが一気に猟奇犯罪になったぞ!?」


 セシルは完全に頭を抱えた。

 親に叱られ、姉のもとへ転がり込み、そこで更生するどころか、むしろ迷惑行為の規模が拡大している。


「結果、アマテラスは精神的ダメージを受け、天岩戸《あまのいわと》へ引きこもります」


 カノンはそこで、事務報告でも読み上げるような口調で続けた。


「太陽神が職務放棄したため世界は暗闇に包まれ、悪しき存在が活性化。八百万《やおよろず》の神々が緊急対策会議を開く事態となりました」

「完全に家族トラブルで世界が滅びかけてるじゃねぇか!!」


 セシルはついに机へ突っ伏した。


 最初は壮大な創世神話だと思っていた。

 だが蓋を開けてみれば、世界創造どころか、一家総出で世界へ迷惑をかけている。


「……これ、本当に最高神たちの話なんだよな?」

「はい。非常に由緒正しい皆様です」

「由緒正しい問題一家だな!!」


 カノンはセシルの絶望など気にも留めず、懐中時計へ目を落とした。

 秒針は規則正しく進み続けている。


「セシル様。納期は刻一刻と迫っております。サイコヤンキー・スサノオによる家庭内暴力を、誰もが涙する王道エピソードへ美化(リライト)してください。万が一納期を落とした場合、明日の朝からセシル様は例の『無双おじさん』の後ろを歩き、第一話三ページ目でゴブリンに頭を殴られて死亡する『噛ませ犬の青年その一』へ配属されます」


 セシルは黙った。


 ただ目の前の真っ白な原稿用紙と、懐中時計と、無表情の天才秘書を順番に見つめながら、自分の人生がどこでここまで狂ったのかを考える。


 世界を救う予定だった。

 それが今では、何千年も昔の異国の神々が起こした家庭問題を、明日の朝までに感動的な王道ファンタジーへ修正しなければ、太った無双おじさんの後ろでゴブリンに撲殺される運命である。


 考えれば考えるほど、目の奥が熱くなってきた。


「うわああああん!! スサノオ!! お前さえ大人しくしてれば、俺がこんな苦労する必要なかったのにぃぃぃ!!」


 深夜の事務室へ悲痛な叫びを響かせながら、セシルは再び羽根ペンを握り直した。


 相手にするのは魔王ではなく、数千年前に好き放題やらかした神々の原典。


 それでも、生き残るためには戦うしかない。


 こうして、王道勇者として生まれた男による、人生でもっとも地味で、もっとも胃に悪い最終決戦(ラグナロク)は、まだ始まったばかりだった。

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