第89話:理不尽の共犯者と、棄てられた王子
盆地に立ち込めていた硝煙と血の臭いは、乾いた風によって少しずつ薄れつつあった。
足元には、先ほどザラの大剣によって完璧な十字に分断された将軍の肉塊が転がっている。溢れ出た赤黒い液体は、日干しにされた粘土のような大地に容赦なく吸い込まれ、不気味な斑点模様を作っていた。
静寂が戻った戦場で、俺は左肩に無造作に剣を乗せたまま、大王の娘であるルダの前に立っていた。
彼女は地面にへたり込んだまま、未だにガタガタと小刻みに震え続けている。その視線は俺の顔ではなく、俺の足元にある将軍だったものの残骸に固定されていた。心は完全にへし折られている。
「……あの、ケント様、ザラ様」
背後から、ひどく遠慮がちな声が掛けられた。
振り返ると、先ほど見事なまでの命がけの土下座を披露した百人長、デックスが立っていた。彼の額には、地面に擦りつけた際についた泥と、乾きかけた血が痛々しくこびりついている。
「なんだ、デックス。まだ何か用か?」
「は、はい。大変恐縮ながら、非礼を働いたとはいえ、死んだ将軍や兵たちの遺体をこのまま野晒しにしておくのは、軍の規律としても忍びなく……。せめて遺体を一箇所に集め、この地の作法に則って弔うお許しをいただけないでしょうか。それと、彼らの遺品の回収も……」
デックスは俺の機嫌を窺うように、上目遣いで言葉を紡ぐ。周囲に残された数少ない防衛線の兵士たちも、息を殺して俺の返答を待っていた。
俺はふんと鼻を鳴らし、肩の剣の位置を微調整した。
「別に構わんよ。死体をどう処理しようがお前たちの勝手だ。ただ……」
俺は一歩前に出て、デックスの目を覗き込んだ。
「兵たちが持っていた武器や魔導具、その他使えそうな戦利品はすべて俺たちがもらう。文句はないな?」
「もちろんです! 異存などあろうはずがありません!」
デックスは弾かれたように何度も頭を下げ、すぐに生き残った兵たちに指示を出して遺体の回収作業を始めさせた。
兵たちは俺とザラの視線から逃れるように、腫れ物に触るような手つきで、迅速に、かつ極めて静かに死体から物品を剥ぎ取っていく。
俺とザラがその様子を暇つぶしに眺めていると、俺の前にちょこんと座っていたスーが、兵たちの集めてきた装飾品の山を見て、不意に羽をパタパタと羽ばたかせた。
「あれ? ケント、ちょっとそれ見せて」
スーが指差したのは、死んだ指揮官たちの懐から出てきた、細かな細工の施されたいくつかの指輪や腕輪だった。
「どうしたんだ、スー」
「これね、ただの飾りじゃないわ。大昔にヴェレツケールからこの大陸に来た人たちがね、現地の部族と言葉を交わすために作った翻訳の魔導具なのよ」
スーの話によれば、古代の移住者たちが現地の言語を完全に習得し、翻訳の必要がなくなった後は、その真の価値も忘れ去られ、ただの「術式が刻まれた珍しい古代の装飾品」として売買されていたらしい。
「翻訳!そりゃいいな!」
俺は呟き、ザラを見た。ザラも興味深そうに片目を細めている。現地人と会話するたびに、スーの通訳をいちいち挟むのは効率が悪かった。会話のテンポも著しく落ちる。
すると、スーがさらにルダを指差した。
「あの女の子が耳につけてるピアスも、同じ術式が刻まれてるわ。そっちの方が保存状態が良くて、魔力の伝達もスムーズみたい」
「なるほど」
俺は迷うことなく、地面に座り込んだままのルダの元へと歩み寄った。
俺が影を落とすと、ルダはビクッと肩を跳ね上げ、悲鳴すら上げられずに身を縮めた。俺は彼女の意思など完全に無視し、その細い耳たぶから、大粒の宝石があしらわれた一対の豪奢なピアスを無造作に引き抜いた。
「あ……っ」
小さな拒絶の音が聞こえた気がしたが、気に留める必要もない。
引き抜いたピアスには、わずかに血と泥がついていた。俺は右手の指先から極小の『水魔法』を放ち、高圧の霧でピアスの汚れを瞬時に洗い流した。簡易的なクリーンだ。手のひらで転がすと、古代の術式が刻まれた金属が、鈍い光を放っている。
「ザラ、これ付けてみようぜ」
ザラはクスクスと喉を鳴らしながら歩み寄ってきた。
「あら、ピアスを贈ってくれるのかい?フフン、 随分とと生臭くて、アタシとアンタにはお似合いの品じゃないか」
「お揃いだぞ。ほら、動くなよ」
俺はザラの前に立ち、彼女の顔に手を添えた。
歴戦の傷跡が残る彼女の横顔、その左の耳たぶに、慎重にピアスの針を通していく。至近距離から、ザラの身体が放つ鉄錆の気配と、微かな甘い香りが鼻腔をくすぐる。ザラは身動きもせず、ただ愛おしそうな、どこか狂気を孕んだ隻眼で俺の顔をじっと見つめていた。
「はい、終わり。次は俺の番な」
「はいはい、じっとしてなよ」
ザラの細い指先が俺の左耳に触れ、冷たい金属の感触が皮膚を貫いた。
お互いの左耳に並ぶ、同じ意匠の略奪品のピアス。それを見せ合うように顔を近づけ、俺たちは誰も入り込めない二人だけの世界で、キャッキャと他愛のない言葉を交わして笑い合った。周囲の血の海など、最初から存在しないかのように。
「……あの、お二方、大変恐縮ながら、よろしいでしょうか」
背後から、遠慮がちな声が掛けられた。
振り返ると、遺品の整理を終えたデックスが、申し訳なさそうに、しかしどこか整った佇まいで立っていた。
驚いたのは、その声だった。
今までの、スーの拙い同時通訳を通した平坦な声ではない。耳に直接届いたその響きは、驚くほど深みと艶のある、渋い『イケオジボイス』だった。
「おや……」
ザラが意外そうな声を上げ、隻眼を面白そうに輝かせた。
「なんだい、デックス。アンタ、随分といい声をしてるじゃないか。アタシは好きだよ、そういう声」
「は、はあ、恐れ入ります……?」
ザラが僅かでも他の男の声に好感を示したので、俺は眉間をに深く皺を作って、デックスを睨みつけた。
「……おい、デックス」
「は、はいっ!?」
「お前、イケボイスだからって良い気になるなよ!俺だってなあ、お前位の歳になれば出せるんだからな!」
「えええっ!? あ、あ、は、はい……! 申し訳ありません…」
俺の理不尽極まりない八つ当たりに、デックスは再び滝のような冷や汗を流し、大の大人がこれ以上ないほど小さく縮こまった。
ザラはその様子を見て、「まぁ、可愛いねぇ」と楽し気に肩を揺らして笑っている。
何はともあれ、スーを介さない直接的な対話手段を手に入れた俺たちは、移動の効率を劇的に向上させた。
ヤーマンから奪った騎獣に跨がり、俺たちは大王軍の防衛隊を従えて、荒野を北上し始めた。ルダは完全に精神の軸を失ったのか、デックスの騎獣の後ろに荷物のように縛り付けられ、焦点の合わない目で虚空を見つめ続けている。
岩肌が剥き出しになった荒涼たる風景の中を進む道すがら、俺は騎獣を並べたデックスに、この大陸の、そして彼らが仕える『大いなる王』の現状について聞いてみた。
ピアスを通じて届くデックスの声は、低く、くぐもったものになっていた。
「大いなる王、などと周囲は崇めていますが……実態はただの欲深い愚王です」
デックスは周囲の兵たちに聞かれぬよう、苦渋に満ちた表情で語り始めた。
大王は民に対して過酷な重税を課し、自らの贅沢と宮廷の虚飾を満たすことしか考えていないという。そして、この干上がった荒野だけでは満足できず、更なる富と領土を貪るため、古の遺跡から発掘された『渡りの鍵』という遺物を用い、神話に謳われる豊穣の地『ヴェレツケール』への侵攻を本格的に計画していた。
「ヴェレツケール……つまり、ノキアか」
俺の口から漏れた声は、自分でも驚くほど冷えていた。
あのバカどもは、俺がようやく手に入れた平穏な家を、愛する女たちが待つ国を、ただの略奪の対象として踏みにじる計画を立てていたわけだ。俺の殺気が無意識に漏れ出たらしく、周囲の騎獣たちが一斉に怯えて足取りを乱した。
「待て。じゃあ、ヤーマン族はその侵攻を止めるために反乱を起こしたのか?」
俺の問いに対し、デックスは絶望的な首の横振りを返した。
「いいえ。ヤーマン族の目的もまた、大王と何ら変わりない欲に塗れたものです。彼らは、国内最大の戦力を持つ自分たちこそが、ヴェレツケール侵攻後の利権の過半数を得るべきだと主張したのです。現在のヤーマン族長は大王の従弟であり、この機に乗じて大王の首を挿げ替え、自らが侵略の手綱を握るつもりでした」
結局のところ、どちらが勝ってもノキアへの侵略は行われる予定だったのだ。
正義も大義もない、誰が一番多く美味そうな肉を漁ろうと言う、害虫どもの内ゲバ。
俺の横で話を聞いていたザラの顔から、徐々に笑みが消えていく。彼女の大剣を握る右手に、青筋が浮かんでいた。
「デックス。アンタたち現場の兵は、その侵攻についてどう思ってたんだい?」
ザラの低い問いに、デックスは深い悲哀の混じったため息を漏らした。
「我々現場の者は、日々の不満を抑えるだけで精一杯でした。地の利も情報もない異界の地へ攻め入ったところで、上手くいくはずがない。我々はこの干上がった土地で、泥をすすってでもここで生きるべきだ、と。そう考える真っ当な兵は冷遇され、宮廷の貴族や、略奪の財で一攫千金を夢見る大将首どもが多数派を占めていました。止める術を持たない己が、歯がゆくてならんのです……」
その時だった。
デックスの騎獣の後ろで、荷物のように縛られていたルダが、消え入るような声で言葉を挟んできた。
「た、民のためなのだ……。我が父、大王は、この不毛な土地から民を救うために、豊かな地を求めて……」
ザラの動きが、完全に止まった。
次の瞬間、景色の連続性を無視した速度でザラが騎獣から跳ね、ルダの胸倉を掴み上げていた。ザラの隻眼に宿ったのは、濁りのない、純粋な殺意の奔流だった。
「民のため、ねえ。そのためにアタシたちの国を血の海にするってかい? 面白い冗談だねえ」
ザラの低い声が、荒野の空気を凍らせる。
「今すぐその汚い首をへし折って、砂漠の肥やしにしてやるよ」
ザラの指がルダの細い首に容赦なく食い込み、ミシミシと骨の轧む音が響いた。ルダは恐怖と窒息で白目を剥きかけ、手足を痙攣させる。
「……待て、ザラ。そこまでにしとけ」
俺は自身の騎獣を寄せ、ザラの肩にそっと手を置いた。
「……旦那、止めるの? アタシたちの家を狙う害虫だよ?」
ザラが不満げに俺を睨む。だが、俺は首を横に振り、極めて平然としたトーンで言葉を続けた。
「ここでこいつ一人を殺しても、王都にいるバカどもには何も伝わらないだろ。どうせ殺すなら、その大王やヤーマンの残党、侵略を企む上層部のバカ全員をまとめて、王都の門に一列に吊るしてやろうぜ。その方が見栄えがいいし、この大陸にも他の国あるだろう?ノキアへ手を出したらどうなるかの見せしめにもなる」
俺が提案にザラは一瞬目を丸くした。だが、すぐにその表情は歓喜へと変わり、狂気的な笑みを浮かべて俺の肩を叩いた。
「いいねえ! 流石アタシの旦那だ、やることが徹底してる! 気が利くじゃないか!」
ザラはゴミのようにルダを地面に放り出した。ルダは激しく咳き込みながら、砂に顔を埋めてガタガタと震え続ける。もはや彼女に、王女としての尊厳など一欠片も残っていなかった。
その一部始終を見ていたデックスは、王女を庇う素振りすら見せなかった。彼はただ、俺たちの顔を交互に見つめ、己の命、ひいては国の運命を賭けた一世一代の覚悟を決めたように、深く息を吸い込んだ。
「……ケント様、ザラ様。不躾ながら、一命を賭して聞いていただきたいお願いがございます」
「なんだ」
「我が王家には、ただお一人だけ、民を本当の意味で憂い、この狂った侵攻を裏から止めようと奔走していらっしゃるマトモな方がおいでになります。どうか……王都へ入る前に、その方に会っていただけないでしょうか」
俺はデックスの必死な目を見つめ、少しだけ口元を緩めた。
「マトモな奴、か。この狂った国にそんなものが本当に残っているなら、一度拝んでみたいもんだな」
「ありがとうございます……っ!」
それから二日後。
俺たちは王都の目と鼻の先にある、活気のない陰気な宿場町へと到着した。
デックスは宿に入るなり、自身の最も信頼できる部下に密令を預け、夜陰に乗じて王都へと走らせた。
その伝令が向かった先は、遠方の小国から人質同然に差し出された側室の産んだ、第4王子ガゼブ。
宮廷内では『棄てられた王子』と蔑まれ、何の権力も与えられず、実質的に孤立している存在だという。しかし、彼こそがデックスがこの国の最後の希望として、命を懸けて繋ごうとした男だった。
宿の一室で、俺とザラは現地の手の焼けるような強い酒を酌み交わしながら、その時を待った。
二日後の夜。静まり返った宿の通路に、微かな、しかし迷いのない足音が近づいてくる。
部屋のドアが静かに開かれ、手燭を持ったデックスに連れられて、一人の青年が姿を現した。
華美な装飾のない、だが手入れの行き届いた衣服を纏ったその青年は、国の支配者層に共通していた傲慢さや奢りを一切持っていなかった。代わりにその瞳には、確固たる知性と、すべてを受け入れるような静かな覚悟が宿っている。
「初めまして、理不尽なる暴君。そして災厄の女帝。第4王子、ガゼブと申します」
青年は、俺とザラから放たれる無形の重圧を真っ正面から受け止めながら、静かに、深く頭を下げた。
【おしらせ:唐突に新連載始めました!】
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『おっさん、異世界で魔法を覚える。そして嫁連れて帰ってきちゃった。昭和に…』
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100年分の魔法と最愛の嫁を抱えたおっさんが、1980年代の日本や世界をのんびり(時に過激に)謳歌する、気ままな逆転帰還ファンタジーです!
本作の更新の合間に、ぜひこちらの夫婦漫才も覗きに来てやってください!




