第88話:理不尽なる厄災の降臨と、王女を救う土下座
生温かい風が血の臭いを運んでくる。足元には、つい先ほど真っ二つに分断されたばかりの指揮官だった肉塊が転がり、赤黒い液体が乾いた大地に染み込んでいく。
静寂に包まれた防衛線の前で、俺は大王の娘であるルダに向かって、指揮官の顎を握り潰したその血まみれの右手を差し出していた。
「よし。誤解も解けたことだし、取引といこうか」
良い笑顔を作って歩み寄る俺に対し、ルダの反応は軍を率いる将家のそれとは程遠かった。
彼女は差し出された俺の手を見るなり、まるで猛毒の蛇でも突きつけられたかのように顔面を蒼白にし、全身をガタガタと震わせて一歩、二歩と後ずさる。豪奢な鎧の金属音が、彼女の震えに合わせてカチャカチャと情けない音を立てていた。手を取るどころか、恐怖のあまり声すら出せない状態だ。
数秒が経過した。
俺の差し出した手は空を切ったままだ。
次第に、俺の顔から愛想笑いが消え去っていく。
俺たちがわざわざ敵を排除し、手土産まで持参して取引を持ちかけているというのに、この小娘はそれを無視する気らしい。だとしたら、もう大王軍との交渉窓口はこいつである必要はない。別の話が通じる奴の首を据え替えるだけだ。
俺が右手に爆鳴気の圧縮を始め、ルダの頭部を吹き飛ばそうと視線を固定した、その瞬間だった。
「ぜひお願いいたします! 我らの王も、さぞお喜びになるでしょう!」
横から猛烈な勢いで土煙を上げて駆け込んできた男が、俺の血まみれの右手を両手でガッチリと握りしめた。
見れば、先ほど地面に額を擦りつけて俺たちに命乞いをしてきた、防衛線部隊の百人長のオッサンだった。額には土下座の際についた泥と血がこびりつき、額には滝のような冷や汗を流しながらも、その目は必死の形相で俺を真っ直ぐに見つめている。
「き、貴様……っ、一介の百人長が王族を差し置いて勝手なことを……!」
呆然としていたルダが我に返り、自身の権威を侵されたことに気づいて甲高い声で百人長を咎めようとした。
だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「黙ってろ! 今俺が、お前らの命を助けてるくらい分かれバカァッ!!」
百人長のオッサンが、大王の娘であるはずのルダに向かって、顔を真っ赤にして唾を飛ばしながらマジギレしたのだ。
周囲を取り囲んでいた近衛兵や、援軍を率いてきた将軍らしき連中が「王女殿下に向かって何たる暴言を」「貴様、その首刎ねてくれるわ」と色めき立ち、一斉に武器を構え始める。
だが、スーの同時通訳を通してそのやり取りを聞いていた俺とザラは、毒気を抜かれたように顔を見合わせた。
「ククッ……アハハハハッ! なんだいあのオッサン、最高じゃないか!」
ザラが大剣を杖代わりにしながら、腹を抱えて笑い出した。
俺も思わず口の端を吊り上げる。この軍の中で誰よりも状況が見えていて、誰よりも生存に貪欲な男だ。王女の面子よりも自分の命を最優先にするその姿勢は、非常に好感が持てる。
「なあ、アンタ名前は?」
俺が手の魔力を散らして尋ねると、オッサンは何度か深呼吸をしてから、震える声で答えた。
「デ、デックスです……」
「うん、いい判断だデックス。じゃあ、大王の所への道案内はアンタに頼むわ」
俺はデックスの肩を軽く叩き、そのまま彼が率いていた部隊の陣列へと足を踏み入れようとした。
これで面倒は終わりだ。あとは大王のいる王都とやらに案内させ、元の世界に帰るための『鍵』の情報を引き出すだけ。
そう思って歩き出した俺たちの前に、分厚い人垣が立ち塞がった。
「待て。誰が通って良いと言った」
ルダの周囲に控えていた近衛兵たちと、援軍の指揮を執っていた将軍の部隊だ。
彼らは武器を構え、明確な敵意を持って俺たちを睨みつけている。デックスが顔面を蒼白にして「将軍、おやめください! 彼らには手を出してはなりません!」と叫ぶが、将軍は鼻で笑った。
「たかが二人組の無法者にそこまで怯えるとは、防衛隊の連中はすっかり腰抜けになったようだな。我々大王の精鋭が、このような素性の知れぬ輩を王都『大いなる都』へ通すわけがなかろう」
将軍の背後では、数百人の兵士たちが弓を引き絞り、槍を突き出して包囲陣を形成し始めていた。
「……ザラ」
「うん、わかってるよ。話の通じない馬鹿ばかりで嫌になるね」
俺はため息をつき、ザラは大剣を肩に担ぎ直した。
警告はもう済ませた。敵対するなら肉片にするという宣言もした。これ以上、こいつらと下らない問答を続ける意味など一ミリも存在しない。
俺は無言のまま、インナーバフの魔力を練り上げた。
同時に、自分たちから離れた位置にある、増援部隊の後方集団の空中に魔力座標を指定する。俺達やデックスたちに余波が及ばないギリギリのラインを正確に計算し、指向性を持たせた巨大な『爆鳴気』を生成した。
交渉の言葉などいらんよな。
――ドゴォォォォォォォォォォォッ!!!
空を裂くような轟音が盆地に響き渡り、将軍の背後に展開していた増援部隊の後ろ半分が、巨大な爆炎と共に跡形もなく消し飛んだ。
断末魔すら上がらない。密集していた1000人以上の兵士が、文字通り一瞬にして赤い霧と化し、熱風と共に防衛線へと降り注いだ。
先ほどまで強気だった将軍や近衛兵たちが、背後で起きた物理法則を無視した殲滅劇に理解が追いつかず、完全に思考を停止させる。
「さあて…と、死ねよ」
その硬直の隙を、俺たちが見逃すはずがなかった。
爆風が吹き荒れる中、ザラが弾かれたように敵陣へと踊り込んだ。
「ハハハハッ! 邪魔だ、退きな!」
肩から振り下ろされた大剣が、将軍の護衛として立っていた重装兵三人を鎧ごとまとめて両断する。さらにザラは、がら空きになった左手を前にかざした。腕に装着された『風魔法の魔導具』が魔力を吸い上げ、不可視の真空の刃を乱れ撃つ。
ヤスリのような細かな風の刃が前衛の兵士たちの肉を削り飛ばし、悲鳴を上げる間もなくその場に血だまりを作っていく。そこへ彼女自身の火魔法が叩き込まれ、吹き飛んだ人体が黒焦げになって転がった。
「遅い」
俺もまた、風魔法で地面をホバー移動しながら近衛兵の集団に突っ込んだ。
右手で拾った剣を乱暴に振り回して敵の槍を弾き飛ばし、そのまま左手で相手の胸板や顔面に触れる。触れた瞬間にゼロ距離で小規模な爆鳴気を起爆させ、人体の一部を無造作に吹き飛ばしていく。
パンッ、パンッという乾いた破裂音が連続して鳴るたびに、頭部や胴体に風穴を開けられた兵士たちが次々と倒れていく。
数分後。
将軍が率いていた増援部隊と近衛兵の大半は、すでに原型をとどめない肉の絨毯へと変わっていた。
俺とザラは、死体の山を踏み越え、残されたルダと将軍の元へと歩み寄った。
「ひっ、あ、あぁ……」
将軍は顔中の穴という穴から汗や体液を流し、恐怖で腰を抜かして地面を後ずさっていた。自分の背後にいたはずの部隊が、たった二人の暴力によってほんのわずかな時間で全滅させられたのだ。その心はすでに完全に折れている。
だが、それでも彼は生き延びるために、自らの地位という薄っぺらな盾を持ち出した。
「ま、待て! 私は将軍だぞ! 私を殺せば、大いなる王が絶対に黙ってはいない! この大陸全土の軍勢が貴様らを追うことに……」
俺は無表情のまま足を止め、隣を歩くザラへ視線を向けた。
ザラは俺の意図を汲み取り、「いいのかい?」というように小首を傾げる。俺は笑いながら、右手を軽く前へ差し出して「どうぞ」と合図を送った。
権力による脅しなど、俺たちの前では便所の落書きほどの価値もない。
「じゃあ、遠慮なく」
ザラが楽し気に嗤い、大剣を横薙ぎに一閃した。
ズッ、という鈍い音と共に、将軍の胴体が胸の下あたりで綺麗に上下に分断される。
「が、ぁ……?」
激痛と混乱で将軍が意味不明な声を漏らした瞬間、ザラは休むことなく大剣を頭上から振り下ろした。
今度は縦の一撃。将軍の頭頂部から股にかけて真っ直ぐに刃が入り、彼の体は完璧な十字を描いて四分割の肉塊へと変わった。
「おー、ザラ流石だねぇ。綺麗な十字だ」
俺は感心したように拍手をしながら、ゆっくりとルダの方へ向き直った。
「じゃあ、俺は八分割に挑戦してみるかな」
俺は極上の笑顔を浮かべながら、ルダに一歩近づいた。
ルダの顔からは完全に表情が抜け落ち、目は焦点を結ばず、口からはヒィヒィという引きつった呼吸音だけが漏れている。彼女の足元には水たまりができ始めており、恐怖のあまり失禁しているのは明らかだった。俺が剣に魔力を込め、彼女の体を八等分にするための計算を始めた、その時だった。
「お、お待ちくださいィィィィィッ!!」
ドサァァァッ!!
またしても、横から猛烈な勢いで飛び込んできた男が、ルダと俺の間に割って入り、地面に激突するほどの勢いで土下座を炸裂させた。
デックスだ。
「こんなのでも王女なんです! 本当に、ただ世間知らずの馬鹿なだけなんです! 今回の無礼はすべて我々が大王様に報告し、必ずや相応の処罰と賠償をお約束いたします! ですから、どうか、何卒お許しください!!」
デックスはルダを「こんなの」呼ばわりしながらも、必死で額を地面に擦りつけて命乞いをした。彼の背中は汗でぐっしょりと濡れ、極度の緊張から全身が小刻みに痙攣している。
スーからの通訳を聞き、俺は少しだけ思案した。
王女という人質を殺してしまえば、大王のいる王都に乗り込んだ際の交渉が少しだけ面倒になるかもしれない。それに、このデックスという男の命がけの立ち回りには、不思議と感心させられるものがあった。
「……まあ、デックスがそこまで言うなら勘弁してやるか」
俺が手に集めていた魔力を散らし、剣を収めると、デックスは「あ、ありがとうございます……っ!」と泣き崩れた。
ザラも肩をすくめ、大剣の血糊を払って背中に収める。
「ほら、さっさと案内しろ。大王のいる大いなる都とやらにな」
俺が顎で促すと、デックスは慌てて立ち上がり、腰を抜かして動けないルダを半ば引きずるようにして部隊の先頭に立った。
残された防衛線の兵士たちは、誰一人として文句を言う者はいなかった。ただ無言で道を開け、俺たちという理不尽な災厄が通り過ぎるのを震えながら見守るだけだ。
こうして俺たちは、デックス隊の護衛という名の案内のもと、大王の治める王都へと向かうことになった。
この日を境に、大王軍の中でデックスの株が天元突破することになる。
1000人のヤーマンの軍勢を一瞬で消し飛ばし、大王の近衛兵2000人を赤子のようにすり潰す「歩く災厄と理不尽」。その二人の暴走を唯一言葉で止めることができる男として、彼は後に大王から直々に破格の恩賞と地位を与えられることになるのだが……それはまた、少し先の話である。
【おしらせ:唐突に新連載始めました!】
いつも本作を応援いただき、本当にありがとうございます!
このたび、箸休めな新作を立ち上げてしまいました!
『おっさん、異世界で魔法を覚える。そして嫁連れて帰ってきちゃった。昭和に…』
https://ncode.syosetu.com/n5921mi/
100年分の魔法と最愛の嫁を抱えたおっさんが、1980年代の日本や世界をのんびり(時に過激に)謳歌する、気ままな逆転帰還ファンタジーです!
本作の更新の合間に、ぜひこちらの夫婦漫才も覗きに来てやってください!




