理不尽なる厄災の降臨と、血まみれの取引
血の臭いが風に乗って鼻を突く。
無数の死骸が転がる荒野を背に、俺たちは大王軍が構築した急造の防衛線へとゆっくり歩を進めていた。
俺の右手には、ヤーマン族の総大将だった男の首が刺さった長槍が握られている。首からはまだ血が滴り、乾いた土に黒い染みを作っている。
隣を歩くザラは、大剣を肩に担いだまま上機嫌だった。表向きは歴戦の傭兵のような落ち着いた歩みだが、長年連れ添った俺にはわかる。彼女は今、この制限のない暴力と無法の旅路が楽しくて仕方がないのだ。
防衛線の柵の向こうでは、大王軍の兵士たちが武器を構えたまま完全に硬直していた。
無理もない。つい先ほどまで自分たちを蹂躙していた一〇〇〇の軍勢が、たった二人の乱入者によって一方的にすり潰される光景を特等席で見せられたのだ。歓声を上げるどころか、次なる厄災が自分たちに向かってきていると錯覚し、後ずさりしている者さえいる。
「おい、ちょっと大王に会いたいんだが」
柵の十メートルほど手前で立ち止まり、俺は声を張り上げた。
言葉が通じないのは承知の上だ。鞍の上に座らせていたスーに合図を送ると、彼女が妖精の力を使って俺の言葉を現地の言葉へと翻訳し、兵士たちに伝えた。
「あ、これ手土産な。こっちの首は敵の大将で、こっちの腕輪は大王の部下だっていう『コセ族』の族長の証だ」
俺は槍ごと総大将の首を地面に突き刺し、空間収納の腕輪から取り出したコセ族の装飾品を、柵の向こうへと放り投げた。
土煙を上げて転がったその腕輪を見て、部隊の指揮官らしき男が恐る恐る前に出てきた。男の顔は青ざめ、手にした剣の切っ先は小刻みに震えている。
「お前たちのような、正体も知れぬ怪しい奴らを……」
指揮官が震える声でそう言ったのをスーに聞いた瞬間、俺は不快感に眉をひそめた。
「あ?」
喉の奥で威嚇するような音を鳴らすと、指揮官がビクッと肩を跳ねさせる。手土産まで持参してやったというのに、第一声が「怪しい奴ら」とはずいぶんな挨拶だ。
俺が騎獣から降りて、爆鳴気で足元を吹き飛ばしてやろうとしたその時、横からザラが一歩前に出た。
「まあまあ、アンタらの気味悪がる気持ちもわかるけどさ」
ザラは年の功で俺を窘めるようなふりをしながら、口元には好戦的な笑みを浮かべて指揮官を煽る。
「あれだけの戦いと死体を見といて、まだアタシらと喧嘩したいのかい?」
ザラの言葉は明確な脅迫だった。彼女は俺を止める気など毛頭ない。むしろ、俺がこのままキレて防衛線を吹き飛ばし始めたら、「え? やっちゃう?」とワクワクが止まらないらしい。
通訳してるスーも何故かノリノリのようだ。
「めんどくせえな……。こんな末端と話してても埒が明かん。大王の所に勝手に行っちゃうか」
俺は地面に突き刺した槍から総大将の生首を引き抜くと、それを指揮官の顔面めがけて思い切り投げつけた。
「ぐわっ!?」
血まみれの生首が顔に直撃し、指揮官が悲鳴を上げて尻餅をつく。その隙を見逃さず、俺は風魔法によるホバー移動で一瞬にして柵を飛び越え、尻餅をついた指揮官の胸倉を掴み上げて引き寄せた。
「おい。今の生首は、手土産を持ってきた客を怪しいと呼んだ罰だ。さっさと大王がどこにいるか言えよ」
至近距離で静かに凄むと、スーの通訳聞くまでもなく、指揮官の歯の根が合わなくなる音が聞こえた。
背後では、ザラが肩に担いだ大剣を弄りながら、いつでも周囲の兵士を両断できるように嗤いながら構えている。
俺たちと大王軍との間で、完全に一触即発の空気が出来上がった。
――その時だった。
地響きのような行軍の足音が、盆地の奥から近づいてくるのが聞こえた。
土煙を上げて現れたのは、大王軍の旗印を掲げた大規模な援軍だった。ざっと見積もっても二〇〇〇人は下らない。完全武装の兵士たちが整然と隊列を組み、中央にはひときわ豪奢な鎧を纏った一団がいる。
その圧倒的な数の暴力を見た瞬間、俺の手に胸倉を掴まれていた指揮官の態度が劇的に変わった。
恐怖で青ざめていた顔に卑屈な安堵が浮かび、次いで、背盾を得たことによる傲慢さが宿る。俺が拘束を緩めた隙を突き、指揮官は這うようにして後退し、到着したばかりの援軍の先頭に立つ人物の元へと駆け寄った。
援軍を率いていたのは、凛とした顔立ちの若い女だった。豪奢な鎧を着こなし、腰には名剣らしき長剣を帯びている。周囲の兵士たちの敬意の払い方からして、ただの将軍ではない。大王の血縁か何かだろう。
指揮官はその女の足元に跪き、俺たちを指差しながらまくしたて始めた。
スーの通訳によれば
『あの二人はヤーマン族の残党の所持品を狩ってた無法者です! コセ族の証を盾に我々を脅し、不当な要求を突きつけてきました! コセ族の証を没収し、さらに我々への非礼の詫びとして、あの生意気な女を差し出させましょう!』
と言ってるらしい。
指揮官の報告を聞き、援軍の兵士たちが俺たちを侮蔑の目で見下ろしてくる。
二〇〇〇という圧倒的な数に守られ、完全に気が大きくなっているのだろう。
俺は小さく息を吐いた。
「……死ね」
交渉決裂の合図すら出さなかった。
俺はインナーバフを極限まで引き上げ、風魔法で地面を蹴った。
視界が圧縮され、景色が流れる。指揮官の周囲を取り囲んでいた副官や護衛の兵士たち十人が、俺の接近に反応するよりも早く、俺は彼らの死角に潜り込んだ。
すれ違いざまに喉笛を叩き割り、心臓に掌底からの爆鳴気を叩き込む。抜剣しようとした者の腕を掴んで関節を逆方向にへし折り、そのまま別の兵士の頭部へと投げつける。
時間にしてわずか数秒。
援軍の先頭集団に突如として血の華が咲き乱れ、指揮官以外の十人近い兵士が一瞬で物言わぬ肉塊へと変わって地面に崩れ落ちた。
血の雨が降る中、俺はただ一人残された指揮官の顎を右手でガッチリと掴み、宙に吊り上げた。
「ハハッ、やっぱりうちの旦那は最高だね!」
直後、ザラが歓喜の声を上げながら防衛線を飛び越えてきた。
彼女は俺に続くように援軍の側面に突っ込むと、大剣の一振りで慌てて槍を構えようとした兵士数人をまとめて両断した。内臓と鮮血がぶちまけられ、二〇〇〇の軍勢の最前列が瞬く間にパニックに陥る。
「な、何をしている貴様ら!?」
事態の急転に、援軍を率いていた女が剣を抜き放ち、声を荒げた。
俺は右手で指揮官の顎を掴み上げたまま、スーを左肩に乗せ、ひどく面倒くさそうに首を傾げた。
「ああ? 誰だお前」
「私は『大いなる王』の近衛兵であり、王の娘だ! 貴様たち、何故我が軍の兵を斬った! 返答によっては……」
「うるせえんだよ」
俺は王の娘の言葉を冷たく遮った。
「てめえらの軍がヤーマンとやらにすり潰されそうになってたから助けてやったのに、取り返したコセ族の証はタダで寄越せ、挙句の果てに詫びとして俺の女を差し出せだと? それはつまり、俺たちと敵対するっていう明確な意思表示だろ?」
顎を掴まれた指揮官が「ひゅ、ひぃっ」と情けない音を立てて身悶えする。
俺は王の娘を、ただの肉の壁を見るような冷たい目で見据えた。
「お前らもこいつの意見に賛同して敵に回るっていうなら、別に構わんぞ?」
俺の隣では、大剣を血で濡らしたザラが、楽し気に喉を鳴らして嗤っている。いつでも殺し合いを再開できるという、純粋な殺意の表明だった。
だが、二〇〇〇の軍勢を背負っている王の娘は、俺たちの狂気を正確に測り切れていなかった。彼女は軽蔑と哀れみが混じった目で俺を見た。
「正気か? たった二人で、この大軍に勝てるつもりでいるのか……」
「逆に聞くが、お前ら本当にそれで良いんだな?」
俺は王の娘から視線を外し、その後方にいる、防衛線で最初から立ちすくんでいた部隊の連中を見渡した。
「お前らも、さっきのヤーマンみたいに肉片にしてやるから覚悟しとけよ」
その宣告を聞いた瞬間、最初からいた部隊の兵士たちの顔色から、一気に血の気が引いた。彼らの目には、俺たちが八〇〇人を一瞬で蒸発させたあの地獄の光景が焼き付いているのだ。
王の娘が剣を振り下ろすよう命令を出す寸前、防衛線部隊の百人長の一人が、半狂乱になって王の娘の前に飛び出した。
「お、お待ちください姫様!! なりません、絶対に手を出してはなりません!!」
「退け! 何を恐れている!」
「違います、こいつらは人間の姿をした化け物です! 一〇〇〇人いたヤーマンの軍勢を、たった二人の、数分間の戯れで壊滅させたのです!! 敵対すれば、我々二〇〇〇など一刻も持たずに全滅させられます!!」
百人長は泣き叫びながら王の娘を押し留めると、そのまま地面に額を擦りつけるほどの勢いで俺に向かって土下座した。
「も、申し訳ありません! どうか、どうか怒りをお納めください! コセ族の証を取り戻していただいた恩に報いるためにも、必ずや大王様の元へ丁重にご案内いたします!! だからどうか、皆殺しにするのだけはご勘弁を……!」
泥に顔を擦りつけて懇願する百人長の姿に、援軍の兵士たちも、王の娘も息を呑んで硬直した。
俺はザラと目を合わせる。ザラは少し物足りなさそうに肩をすくめたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「まあ、目的の鍵さえ見つかるなら、別に皆殺しにする必要はないか」
俺が矛を収める言葉を口にした瞬間、大王軍の全体から安堵の吐息が漏れた。
だが、俺は右手の中にいる存在を思い出し、ふと視線を落とした。
顎を掴まれ、宙吊りにされている元凶の指揮官。
彼は助かったと思い込み、引きつった笑いを浮かべていた。
「よかった……これで、誤解は解け――」
メキィッ!
俺は一切の表情を変えることなく、握り込んでいた右手に魔力を込め、指揮官の顎の骨と下半分を無造作に握り潰した。
「あ゛っ!? ぎ、が……っ」
意味不明な音を漏らして白目を剥く指揮官の体を、俺はそのまま「ほい」と放物線を描くように上空へと放り投げた。
空に浮かんだその体を、ザラの下段から振り上げられた大剣が迎え撃つ。
ズパァァァンッ!!
凄まじい風圧と共に、指揮官の体は股下から頭頂部にかけて、完璧に真っ二つに分断された。
左右に分かれた肉塊が、ドサリと音を立てて王の娘の足元に落ちる。大量の血と内臓が周囲にぶちまけられ、さっきまで安堵の空気に包まれていた大王軍は、再び極寒の恐怖に凍り付いた。
降り注ぐ血しぶきを意に介することもなく、俺は真っ青になって震え上がっている王の娘に向かって、にっこりと良い笑顔を作った。
そして、まだ生温かい血に濡れた右手を差し出す。
「よし。誤解も解けたことだし、取引といこうか」
【おしらせ:唐突に新連載始めました!】
いつも本作を応援いただき、本当にありがとうございます!
このたび、箸休めな新作を立ち上げてしまいました!
『おっさん、異世界で魔法を覚える。そして嫁連れて帰ってきちゃった。昭和に…』
https://ncode.syosetu.com/n5921mi/
100年分の魔法と最愛の嫁を抱えたおっさんが、1980年代の日本や世界をのんびり(時に過激に)謳歌する、気ままな逆転帰還ファンタジーです!
本作の更新の合間に、ぜひこちらの夫婦漫才も覗きに来てやってください!




