第86話:狂犬と戦女神の蹂躙劇、そして大王軍との遭遇
赤茶けた渓谷に、ヤーマン族の副官の絶叫が木霊した。
「ギィ、ギャアァァァァァァッ!!」
俺は指先で極細の『水魔法』を操り、男の右足の太ももの皮膚と筋肉をごく薄く削いでいた。完全に切り落とさずに丸まらせて残すという精密な作業だ。血の海の中で、男の足には削がれた肉のヒダが幾重にも重なり、焚き火の焚き付けに使う『フェザースティック』のような無惨な有様になっている。
「あー、ちょっと血が出すぎたな。スー、頼む」
「う、うん……」
引きつった顔のスーが小さな両手をかざすと、淡い緑色の光が男の足を包み込んだ。妖精の超高位の治癒魔法は、削がれた肉を瞬く間に元の滑らかな足へと再生させていく。
痛みが引き、自分の足が元通りになったのを見て、男は安堵するどころか絶望に顔を歪ませた。
「よし、綺麗に治ったな。じゃあ、もう一回だ」
俺が無表情のまま、再び水魔法の極薄の刃を形成した瞬間、男の精神は完全に崩壊した。
男は涙と鼻水を撒き散らしながら、知っている情報をすべて吐き出した。
スーの通訳によれば、ここはヤーマン族と『大いなる王(大王)』の勢力圏がぶつかる境界付近。少し北上すれば、両軍が睨み合っている前線に出るという。そして、ヴェレツケール(ノキア)へ帰るための『鍵』らしき古代の遺物は、大王の勢力が管理する場所にあるらしい。
さらに俺が、部隊の隊長が持っていた装飾付きの腕輪について尋問すると、男は震えながら答えた。
「……それは、隊長が略奪品を私的に横領して隠しておくための、空間魔法の魔導具だ……。俺が、無理やり持たされていた……」
「なるほどな」
すべてを吐き出させた俺は、男の顔の前に右手をかざした。
風魔法を精密に操作し、男の頭部周辺の空間から酸素だけを完全に抽出する。男は数秒だけ目を白黒させた後、ふっと糸が切れたように脱力し、動かなくなった。
戦利品の確認に移る。
ザラは、先ほど自分を苦しめたヤスリのような見えない攻撃を放つ『風属性の魔導具』を死体から見つけ出し、自分の腕に装着した。
「アタシはこれをもらおう。魔力を流すだけで発動するなら、剣の合間に組み込みやすい」
「俺はこっちだな」
先ほど副官が吐いた、隊長の腕輪だ。
スーの話によれば、これは絶滅した『ポポット』という魔獣の魔石がはまった空間魔法の魔導具らしい。ただし、荷馬車一つ分の容量を維持するだけで、一日に約一〇〇の魔力が削られる。普通の一流戦士の総魔力は三〇〇から五〇〇程度だから、こんなものを装備すれば戦うための魔力が枯渇する。
だが、俺の総魔力は約五〇〇〇だ。維持コストなど無に等しい。
俺が腕輪に魔力を流して空間を開くと、中からは隊長がコッソリとガメていた大量の金銀財宝や保存食が姿を現した。
「おっ、酒があるじゃないか!」
ザラは上等そうな酒瓶を取り出すと、機嫌良さそうに口の端を上げた。
そんな中、荷物を漁っていたスーが、別の装飾が施された腕輪とナイフを見つけ出した。
「これ、大王様の部下である『コセ族』の族長の証よ! たぶん、このヤーマンの連中がコセ族を襲って奪ったのね」
「大王側の族長の証、か」
俺とザラは顔を見合わせた。これを「ヤーマン族から奪い返した」という手土産にすれば、大王の勢力と交渉する強力なカードになる。
俺たちは物資を空間魔法の腕輪に放り込み、騎獣に跨がった。飛べないスーは、俺の前にちょこんと座らせる。
岩が剥き出しになった荒野を北へと進むこと数時間。
高台に差し掛かった時、眼下に広がる盆地のような地形で、凄まじい土煙が上がっているのが見えた。
「……やってるねえ」
俺とザラは騎獣を止め、眼下を見下ろした。
盆地では、大規模な軍勢同士が激突していた。一方の旗印は、先ほど俺たちが皆殺しにしたヤーマン族のもの。ざっと見積もって一〇〇〇人はいる。それに対し、防衛側に回って苦戦を強いられているのが、おそらく大王側の軍勢だろう。
「ザラ、どうする?」
「そうだねえ……。本当は乱戦になってから突っ込みたいところだけど、アタシ達を高く売るなら、あのヤーマンとやらに突っ込んで大将首が欲しいよねえ。……もう敵対してる以上、アイツラがどんな事情有っても叩くよ?」
ザラがニヤリと笑う。
その言葉に、俺は首を鳴らした。
「ああ。俺はお前とノキアに帰れりゃ、後はどうでも良いんだよ。もう迷わないさ」
俺の居場所を脅かすなら、万単位で肉片に変えてもどうでもいい。
「行くぞ」
俺たちは騎獣の腹を蹴り、高台から一気に盆地へと駆け下りた。
ヤーマン族の軍勢の最後尾。彼らが背後からの奇襲に気づくよりも早く、俺は空中の座標を指定した。
敵陣の後方、その上空に多数の魔力ポイントを展開し、指向性を持たせた『爆鳴気』を散弾のように生成する。狙いは後方の部隊のみ。総大将や、大王軍を巻き込まないような配置だ。
「挨拶代わりだ」
そして、一斉に点火。
――ドゴォォォォォォォォォォォッ!!!
上空から降り注ぐ不可視の爆撃が、敵陣の後方半分を容赦なくすり潰した。
悲鳴を上げる間すらない。密集していた数百人のヤーマン族の兵士たちが、一瞬にして血の雨と肉片に変わって吹き飛んだ。たった一撃で、一〇〇〇人いた軍勢の約半分が文字通り『蒸発』したのだ。
「アハハハハッ!」
爆風が吹き荒れる中、ザラが騎獣から飛び降りた。
楽し気に嗤いながら、彼女は凄まじい速度で混乱する敵陣へと斬り込んでいく。大剣の重い一撃が数人の胴体をまとめて両断し、空いた手からは火魔法が放たれる。さらに、先ほど手に入れた『風魔法の魔導具』の不可視の刃が、近づく者すべてを細切れに変えていった。
完全にバーサクモードだ。瞬く間に百人以上の死体が彼女の周囲に積み上がっていく。
「……いやー、うちの姉御、マジでこえーな」
俺はそう零しながら、自身は風魔法を使って地面を滑るようにホバー移動を開始した。
目立つ立ち回りはザラに任せ、俺はこそこそと部隊を立て直そうとしている指揮官クラスの男たちの背後に回り、首の骨を折り、あるいは掌底からの小さな爆鳴気で頭を吹き飛ばしていく。
二十人ほどの指揮官を狩り尽くした頃、俺は混乱の極みにある本陣へと到達した。
護衛のエリート兵たちが群がってくるが、ただの作業だ。風魔法で滑りながらすれ違いざまに喉を掻き切り、近接距離からの指向性爆破で次々と処理していく。
本陣の百人近い兵士たちを処理し終えると、俺は最後に残った総大将の前に立った。
「バ、バケモノめ……!」
男が大剣を振り下ろしてくるが、俺はそれをあっさりと躱し、そのまま男の首を素手で鷲掴みにした。
「手土産になれ」
ドムッ、というくぐもった破裂音。
俺の手は総大将の首をしっかりと掴んだまま、下に向かって放った爆鳴気で、彼の首から下の胴体だけを綺麗に吹き飛ばした。
俺は残った生首を、近くに落ちていた長槍の先端に突き刺した。騎獣の鞍に飛び乗り、その血塗られた槍を高く掲げる。
「テメエらの負けだァァァァッ!!」
魔力を乗せた咆哮が、戦場全域に響き渡る。
言葉は通じなくても、その意味は嫌というほど伝わった。一〇〇〇人いた軍勢が、たった二人の乱入者によって一瞬で八〇〇人も屠られ、自分たちの総大将の首が掲げられている。
残された二〇〇人ほどの兵士たちの心は完全にへし折れ、武器を放り出して蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
静寂が戻った盆地には、ひび割れた大地と、見渡す限りの血の海だけが残された。
「いやー、久々に物考えないでドカーンとやったら、メチャクチャすっきりしたわ!」
俺が伸びをしながらそう言うと、血まみれになったザラが大剣の血糊を振り払い、満足げな笑顔で歩み寄ってきた。
「この魔法具凄く良いよ! 火魔法より発動も早いし、他の属性とか予備も手に入れなきゃね!セリーナのも!」
「ああ、俺の空間魔法にいくらでも入るからな」
俺たちは死体の山など全く気にする様子もなく、キャッキャと笑い合いながら歩き出した。俺の手には総大将の生首が刺さった槍が握られ、鞍の上ではスーが物珍しそうに首を見ている。
俺たちが向かう先には、大王側の軍勢が防衛線の柵の向こうで固まっていた。彼らは、自分たちを救ってくれたはずの俺たちを見て、歓声を上げるどころか、後ずさりしている。
無理もない。彼らの目から見れば、敵軍よりも遥かに恐ろしい厄災が、血に塗れて笑いながら自分たちの方へ歩いてきているのだから。




