第71話:寿限無エルフと、仕上がりすぎた剣鬼
港町『海府』。
ノキアへと向かうための大型船が手配された港には、続々と人が集まってきていた。
朧の姐さんが手配した、陶芸、漆塗り、味噌、醤油、酒の職人に遊女まで含めた総勢五百人に及ぶルミナス領への移住組。彼らは別の船でルミナスを目指すことになっている。日本人街ならぬ『アマテラス特区』を作るための巨大な人的資源だ。
それとは別に、俺たちと王都へ向かう組がいる。
「ケ、ケント様! 荷物の準備、終わりましたっ!」
小柄な体に見合わぬ大きな荷物を背負い、二代目の『鬼重』であるゴブリン族の少女、椿が元気よく駆け寄ってきた。新しい国で自分の名で勝負するという希望に燃え、その瞳はキラキラと輝いている。
「おう、ご苦労さん。無理して全部持たなくていいぞ、俺の『収納』に入れるからな」
「ああっ、そうでした! ケント様の魔法、本当に便利でびっくりしちゃいます!」
「だろ? で、豊和の親方はどこにいるんだ?」
俺が尋ねると、人混みを縫うようにして、金髪で長耳のエルフの鉄砲鍛冶が飄々とした足取りで歩いてきた。
「おや、お呼びで? 荷物は私の弟子たちが運んでおりますよ。……いやはや、まさかこの歳になって、海を渡って新天地に工房を構えることになるとは。エルフの長い寿命でも、なかなか得難い経験ですな」
豊和はどこか楽しそうに笑う。
ふと、俺は前々から気になっていた疑問を口にした。
「そういえばさ、親方。鬼重ってのは工房の銘だって聞いてたけど、親方の『豊和』ってのも工房の名前なんだろ? 本名はなんていうんだ?」
俺の問いに、豊和は少し困ったように頬を掻いた。
「ああ、本名ですか。実は私、人間の方々には発音が難しくて、しかも少々長い名前でしてね。二百年ほど前にこの街に流れ着いた時、適当に『ホーワ』と名乗ったら、いつの間にか『豊和』という漢字を当てられて、それがそのまま工房の銘になってしまったのですよ」
「へえ、そうなのか。発音が難しいって、どれくらい長いんだ?」
「聞きますか?」
「おう、教えてくれよ」
豊和は小さく咳払いをして、すうっと息を吸い込んだ。
「私の本名は、❓}*+Wer#hHIu64#%&’HCB伊74FV.イfb❓mj…………」
「ストォォォォップ!!」
俺は思わず両手でバツ印を作って豊和の言葉を遮った。
何を言っているのか全く理解できなかった。というより、人間の言語の周波数を超越した謎のノイズと、文字化けした文字列をそのまま音声ファイルで再生したような、脳が理解を拒む呪文のような響きだったのだ。
「なんだ呪文は! 耳がキーンとしたわ!」
「ですから、発音が難しいと申し上げたでしょう? エルフの故郷の言葉で『森の奥深き清らかな泉に映る朝星の瞬き』といった意味なのですがね」
「意味は綺麗なのに音の破壊力がヤバすぎるだろ。……うん、やっぱり親方はこれからも一生『豊和さん』でいこう。な?」
「ええ、私もその方が楽で助かります」
エルフの文化に驚きつつ、俺たちは王都移住組との合流を無事に果たしたのだった。
職人たちの手配を終えた俺たちは、海府の街外れに向かった。そう、櫻師範の道場だ。
「さて、櫻さんはどうするかな。ノキアの教導部隊の要として、絶対に来てほしいんだが……」
「大丈夫よ、ケント君。あんな分かりやすい恋する乙女、シャルム殿下がいる国に行かないわけがないわ」
セリーナさんがクスリと笑う。俺たち一行が道場の門をくぐると、中からはいつも以上に気合の入った稽古の音が響いていた。
「たのもう!」
俺が声をかけると、道場生たちがパッと道を空け、奥から一人の人物が進み出てきた。
「おう、来たかケント。返事を聞きに来たんだろう?」
「…………えっ?」
そこに立っていたのは、確かに櫻師範だった。
だが、その姿は、俺が最後に見た『激太りしてパンパンになった剣鬼』とはまるで別物だった。
いや、それどころか、以前のスラリとした豊満なプロポーションとも違う。
道着の間から覗くのは、極限まで絞り込まれ、無駄な脂肪が一切削ぎ落とされた、鋼のようにバキバキの筋肉だった。腕も、腹筋も、太ももも、すべてが尋常ではない仕上がりを見せている。
「……だ、誰ですか、その仕上がりすぎた女性は」
俺が思わず後ずさると、櫻師範は額に青筋を浮かべてギロリと睨んできた。
「誰が仕上がりすぎだ! あんたが前に『デブで年増』なんて失礼なこと言うから、一念発起してダイエットしたんじゃないか! ……ちょっと気合を入れすぎて、体を絞りすぎちまっただけさ」
「いや、絞りすぎの次元を超えてるだろ! なんかの大会にでも出る気かよ!」
どうやら彼女は、シャルに再会するかもしれないという乙女心から猛烈なダイエットに励んだ結果、鬼人族特有の戦闘本能が暴走してしまい、痩せるのを通り越して『若干ムキムキ』のボディメイキングなボディへと仕上がってしまったらしい。
「ふんっ。まあいいさ」
櫻師範は腕を組み、豊満な胸(大胸筋でさらに底上げされている)を張ってフイッとそっぽを向いた。
「ノキアの軍事顧問の件、引き受けてやるよ。……べ、別にシャルに会いたいからじゃないからね! ただの弟子のシャルが、軍の教練で困ってるって言うなら、師匠として仕方なく行ってやるってだけさ! 勘違いするんじゃないよ!」
「……絵に描いたような見事なツンデレ、ありがとうございます」
顔を真っ赤にしながら言い訳を並べるムキムキの鬼人族。視覚情報と属性の大渋滞に俺の胃が悲鳴を上げそうになったが、とにもかくにも、最強の軍事顧問のスカウトは成功した。
「道場の方はどうするんですか?」
「ここはこのまま残る弟子たちに譲るさ。アタシは、半分くらいの弟子と家族を連れて王都に移住して、ノキアで新しく道場を開く予定だよ」
「なるほど。それなら受け入れの準備は万全にしておきます」
櫻師範が「ノキアに行くなら新しい道着を新調しなきゃね!」とウキウキで奥へ引っ込んだ後。
道場に残された古参の師範代たちが、コソコソと俺の周りに集まってきた。
「あの、ケント様。実は、折り入ってお願いの儀がございまして……」
屈強な師範代の男たちが、周囲を気にしながら頭を下げてきた。
「お願い?」
「はい。……師範はああ言っておられますが、ケント様たちが帰られた後、毎日ダイエットと称して木刀を振りながら、シャルム様のことを思い出してはニヤニヤしておられたのです」
「……想像したらちょっと怖いな、それ」
「我らとしても、武術一筋に生きてきた師範が、女としての幸せを掴めるのであれば、これほど嬉しいことはありません」
「しかし、武に身を捧げてきたあの方は、それを捨てて女として幸せをつかむことを躊躇しておられる」
師範代の男は、真剣な眼差しで俺を見た。
「そこで、ケント殿にお願いの義がございます。あの方は、正妻や側室などという立場を望んではおりません。ですが、何卒……シャルム殿下の『護衛兼愛妾』として、傍に置いていただけるよう、お取り計らいいただけないでしょうか?」
その言葉に、俺は少し驚いた。
師範代はさらに言葉を続ける。
「それならば、武を捨てるどころか、思い人の為に武を振るい、思い人と寄り添えるならあの方にとって幸せなのではと」
「我らは師範のおかげで、十分に強くなり申した。今ならば、師範が憂いなく旅立てるだけの腕があるという自負がございます。……だからこそ、あの方には、好きな男のそばで幸せを掴んでほしいのです」
不器用で、熱い弟子たちの親心。
単なる色恋沙汰のお願いではない。彼らは彼らなりに、師範の未来と幸せを本気で案じているのだ。
俺は腕を組み、脳内で素早く政治的な計算を弾き出した。
王室の『後宮』。今後、シャルが二人の妃を迎えれば、当然ながら女性だけの空間が形成される。そこには男性の近衛兵は立ち入れず、女官や侍女だけで警護を行わなければならない。
だが、暗殺や陰謀が渦巻く後宮において、普通の女官だけでは防護力が圧倒的に足りないのだ。
(……櫻さんクラスの超一級の腕を持つ『女性の護衛』。しかもインナーバフの使い手で、シャルへの絶対的な忠誠心と愛情を持っている。……ノキア王室からすれば、喉から手が出るほど欲しい最高の人材だろ。しかもシャルは喜ぶし、後は妃とさえ言い関係ができれば最高じゃないか?)
おまけに、『愛妾』という立場を与えれば、彼女が後宮の寝室の中にはいって護衛する大義名分も立つ。
これは、情に流されたおねだりではない。ノキア王国にとっても、極めて実務的で理にかなった人事配置だ。
俺は口角を吊り上げ、師範代たちに向かって力強く頷いた。
「……承知した。その件、俺から王家に直接打診する。いや、打診するまでもない。どちらにせよ、シャルの奥さんたちを護るための後宮の護衛は欲しかったからな。それにシャル自身も、櫻さんが傍にいてくれるならこれ以上喜ぶことはないだろうさ」
俺の言葉に、師範代たちは「おおおっ……!」と歓喜の声を上げ、その場に崩れ落ちるようにして土下座をした。
「ありがたき幸せ……! これで我らも、安心して師範を送り出せまする!」
「おう。お前らもノキアで道場を開くんだろ? 頼りにしてるぜ」
櫻の幸せとノキアの利益が合致した瞬間だった。
「なーに男同士でコソコソ話してんだい?」
そんな俺たちの企みなど露知らず、新しい道着の寸法を測り終えた櫻師範が、上機嫌で戻ってきた。
その瞬間、横で控えていたザラとセリーナさんが、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて櫻師範の両脇を固めた。
「いやぁねぇ、櫻。あんた、ノキアに行ったら『あの坊や』に会えるのが楽しみで仕方ないんだろ?」
「ふふっ。あんなに気合を入れて体を絞ったんだもの。シャルム殿下も、きっと櫻師範の美しいお姿に目を奪われるわよ」
大人女子たちからの容赦のない弄り。
「なっ、ななな、何を言ってるんだい! アタシはただの軍事顧問で……っ!」
ムキムキに仕上がった三十路の鬼師範が、顔を耳の先まで真っ赤にして両手で頬を覆い、モジモジと身をよじらせている。
「いいじゃないか、照れんなって! アタシらが向こうでの上手いやり方を色々教えてやるからさ!」
「そうよ。あの方はとても純情だから、櫻師範の方から少し強引にリードしてあげないとダメよ?」
「ひゃあああっ! もうやめとくれよぉぉっ!」
裏で男たちが、自分の『愛妾ポジション』を国家権力レベルでガッチリと外堀を埋めて固めていることなど、彼女は知る由もない。
キャーキャーと騒ぐ大人女子会トリオを眺めながら、俺はやれやれと肩をすくめた。
これで本当に、アマテラスでのすべてのミッションが完了した。
五百人の特区移住組、天才職人たち、そして最強の軍事顧問兼愛妾。
規格外の土産を山ほど船に積み込み、俺たちはついに、故郷ノキア王国へ向けて出航の錨を上げるのだった。




