第69話:王都ブラブラ道中と、ストライクゾーンの代償
アマテラスとの国交樹立、そして同盟の締結。
大きな山場を越えた王都『トキ』の政庁では、翌日からの本格的な実務協議に向けて、両国の文官たちが慌ただしく走り回っていた。
そんな喧騒の中、政庁の奥にある静かな中庭の縁側で、一人でポツンと座っている小さな影があった。
次期当主、トキマルだ。
十歳の子供だというのに、その眉間にはくっきりと深い皺が刻まれ、膝の上に置かれた小さな拳はギュッと固く握りしめられている。明日にはノキア王国へ『留学』という名目で旅立つ身。国を救うためとはいえ、実質的な人質として見知らぬ異国へ送られるのだ。その重圧と悲壮感が、小さな背中から痛いほどに滲み出していた。
「おい、そんな難しい顔してると、シワが定着してモテなくなるぞ」
俺は背後から歩み寄り、ポンとトキマルの頭に手を乗せた。
ビクッと肩を跳ねさせたトキマルが、慌てて立ち上がり、居住まいを正そうとする。
「た、大使殿っ。これはお見苦しいところを……」
「いいよ、そんな堅苦しいのは。お前、これからノキアに行くまでずっとその顔でいるつもりか?」
「それは……拙者はアマテラスの次期当主として、覚悟を固めねばなりませぬゆえ」
悲痛な決意を語るトキマルを見て、俺は小さくため息をついた。
十歳なんて、前世で言えば小学四年生だ。休みの日は友達とゲームをして、公園で泥だらけになって遊んでいるのが普通の年齢である。いくらお家騒動の渦中にいたとはいえ、このままじゃノキアに着く前に胃に穴が空いちまう。
「よし。覚悟なんて後でいい。ちょっと付き合え」
「えっ? 大使殿、どこへ……わっ!?」
俺はトキマルの首根っこをひょいと掴み、縁側から庭へと飛び降りた。
門の近くにいたアマテラスの護衛の武士たちが「はっ!? トキマル様!? 大使閣下!?」と慌てふためくのを尻目に、俺はそのままひらりと政庁の塀を飛び越えた。
そしてトキマルを小脇に抱え、走って人混みへと紛れ込む。
「た、大使殿! 何を……我らはどこへ行くのですか!?」
「いいから。ちょっと街をブラブラするぞ。お前、ずっと政庁に缶詰だったろ」
パニックになっているトキマルを引っ張り、俺は王都『トキ』の賑やかな大通りへと足を踏み入れた。
木造の巨大な建築物が立ち並ぶ王都のメインストリートは、活気に満ち溢れていた。
荷車を引く商人、威勢の良い声を上げる客引き、美味そうな匂いを漂わせる屋台。
「ほら、食え」
「えっ、あ、これ、は……」
俺は屋台で買ったタレの焦げた匂いがたまらない焼き鳥と、甘辛いみたらし団子をトキマルの両手に押し付けた。
「行儀とか身分とか今は忘れろ。熱いうちに食うのが一番美味いんだよ」
「し、しかし、立ち食いなど、武士の……」
「俺はノキアの伯爵で全権大使だけど食ってるぞ」
「むぅ……っ」
俺が隣で美味そうに串を齧るのを見て、トキマルは恐る恐るみたらし団子に口をつけた。
甘いタレが口の中に広がった瞬間、その強張っていた顔がフッと緩む。
結局、串焼きも団子もあっという間に平らげた彼は、口の周りにタレをつけたまま、どこか年相応の顔で周囲の店をキョロキョロと珍しそうに眺め始めた。
「……美味かっただろ?」
「は、はい。とても……」
そんな感じで街を練り歩いていると、前から大きな荷物を小脇に抱えた見覚えのある少女が歩いてきた。
以前、トキで泊った宿の看板娘、ちょっと生意気でちゃっかりした少女、凜だ。
「あれ? あんた、あの時のお兄さんじゃないさ!今日はお武家様連れてどこか行くのかい?」
俺とトキマルを見るなり、凜は物怖じするどころか、ポンポンと小気味よく話しかけてきた。
隣のトキマルが「な、無礼な……」と小声で言っているが、凜は全く意に介していない。
「よお、凜。相変わらず元気そうだな。その荷物は?」
「へへーん! 聞いて驚きな! あたしね、宿の跡は親族の人間を無事に迎えられたからさ、念願だった『紅屋』での奉公が決まったんだよ!」
凜はえっへんと胸を張り、荷物を抱え直して見せた。
紅屋の奉公人。なるほど、朧の姐さんのところで下働きをするというわけか。
「そりゃあ良かったな。紅屋なら食いっぱぐれることはないだろ」
「それだけじゃないよ! 紅屋の下働きで、もうすぐ海の向こう……ノキアって国にも行けるんだから! あたしもいよいよ世界に羽ばたく商人ってわけさ!」
どうだ凄いだろう、とドヤ顔を決める凜。
俺は苦笑しながら、ひらひらと手を振った。
「はいはい、そりゃあ凄い。大商人になれるよう頑張れよ。じゃあな」
「あっ、ちょっと! もう少しあたしの自慢話を聞いてきなよー!」
文句を言う凜を背中に残し、俺はトキマルの背中を押してそそくさとその場を離れた。
色々な通りを抜け、やがて俺たちは王都を一望できる少し小高い丘へとやってきた。
眼下には、瓦屋根が波のように連なり、遠くには海府へと続く街道が見える。どこからか職人の打つ小気味よい金槌の音や、子供たちの笑い声が風に乗って聞こえてきた。
「……アマテラスの連中は、みんないい顔して生きてるよな」
俺が眼下の街を見下ろしながら言うと、トキマルも真剣な顔で街並みを見つめた。
「お前は、いつかこの景色を守る当主にならなきゃいけない。……でもな、お前はまだまだ十歳のガキなんだ。ガキなんて、さっきの凜くらい生意気で騒がしいのが丁度いいんだよ。だから、お前はもっと肩の力を抜け」
「肩の力、ですか」
「そうだ。今までも街に出ることはあっただろうけど、それは常に『アマテラスの次期当主』としての視点からしか見てなかったろ。もちろんそれは正解だ。でも、今日みたいに肩の力を抜いて、ただの子供として歩いたからこそ見える景色もあったはずだ」
さっきの串焼きの味。すれ違った職人の汗の匂い。凜のドヤ顔。
それらは、政庁の縁側で眉間に皺を寄せていては絶対に得られない実感だ。
「ノキアに行っても、たまには今日みたいに力を抜いて、色んなものを見て学べばいい。俺も前世じゃ、肩に力入れて仕事し過ぎて死んだしなあ……」
「前世……?」
「こっちの話だ。……とにかく、ノキアでも今日のこの街の景色を忘れるな。お前は人質として縮こまるために海を渡るんじゃない。いつかこの人たちのために、この国を豊かにするために学びに行くんだからな」
俺の言葉に、トキマルはハッとして顔を上げた。
その瞳から、さっきまでの悲壮感は消え去り、代わりに確かな光が宿っていた。
「……はいっ! 拙者、必ずやノキアで多くのことを学び、このアマテラスに持ち帰ってみせまする!」
「よし、その意気だ。じゃ、腹も減ってきたし、そろそろ帰るか」
すっかり日が落ちて、薄暗くなった王都の道を戻る。
……つもりだったのだが。
「あれ? ケント殿、なんだか周囲の様子が……」
「ん? ああ……」
気がつけば、通りの両側には怪しげな赤い提灯がズラリと並び、おしろいと甘い香炉の匂いが漂っていた。
格子張りの窓の向こうからは、三味線のような弦楽器の音と、女たちの艶っぽい笑い声が聞こえてくる。
(やべ。暗くなって適当に歩いてたら、遊郭街に入っちまったか)
ノキアで言うところの娼館通りだ。
俺が足を止めようとした時、格子の向こうから着崩した艶やかな着物姿の遊女たちが声をかけてきた。
「あらあら、可愛い坊や。こんな所で迷子かい? ちょっと寄っていきなよぉ」
「うふふ、顔が真っ赤だよ? お姉さんたちが優しく教えてあげようかぁ?」
「ひ、ひえっ!? 拙者は、そのような……っ!」
十歳のトキマルには刺激が強すぎたらしい。耳の先まで茹でダコのように真っ赤にして、わたわたと慌てふためいている。
その初々しい反応を見て、俺の中に悪戯心が湧き上がった。俺は悪い顔をして、トキマルの肩をバシッと叩いた。
「おいおいトキマル。お前はアマテラスの男なんだから、ノキアの女の胸で遊ぶ前に、まずは地元の女の腕の中で男になっておけよ」
「ななな、何を仰いますかっ! 大使殿っ!」
俺がからかって笑っていると、少し奥にいた別の遊女が声をかけてきた。
「お兄さんは遊んでいかないのぉ? アタシじゃ年増だろうけど、ウチにはもっと若くていい娘がいっぱいいるよ!」
声の方を見ると、そこに立っていたのは三十手前くらいの、しっとりとした色気を漂わせるお姉さんだった。
若い娘にはない、酸いも甘いも噛み分けたような婀娜っぽい雰囲気。
俺の『ストライクゾーン』に、ど真ん中の剛速球が突き刺さった。
「いやあ! 姉さんみたいな婀娜っぽい女は大好きだから、俺は断然、姉さんがいいなあ!」
俺はデレデレに鼻の下を伸ばし、お姉さんに手を伸ばした。
その、直後だった。
「へー。こう言う所でも、やっぱり『年増』を選ぶんだねぇ」
背後から、氷のように冷たく、それでいて酷く楽しそうな声が聞こえた。
「っ!?」
俺の背筋に、尋常ではない量の冷や汗が吹き出す。
首の関節が軋むような速度で振り向くと。
「そもそも年増って言葉がダメなんだよ。俺がいた所では『美魔女』なんて言われててさ……」
俺の言い訳は、空しく虚空に消えた。
そこには、額に青筋を浮かべながら極上の笑顔を作っているザラとセリーナ。そして、「あらー、ケント様やっちゃいましたねぇ」と言わんばかりに呆れ顔でため息をつくレナが立っていた。
「……あ、あの」
「ふふっ。全権大使様と次期当主様が行方不明になれば、当然探すに決まってるじゃない、ケント君?」
「そうさ。まさかこんな『教育に悪い場所』で、鼻の下伸ばしてるとは思わなかったけどねぇ!」
ガシィッ! と、左右からザラとセリーナに両腕をホールドされる。
インナーバフと戦女神の凄まじい膂力により、俺の腕は完全にロックされ、一ミリも動かせなくなった。
「痛い痛い痛い! 腕もげるって! ジョーク! アマテラスの文化視察という名のジョークだから!」
「さあ、宿でたっぷりと『視察』をしてあげるわね」
「レナ、この坊やを迎えの籠に乗せておやり」
ズルズルと引きずられていく俺。
その光景を見ていたトキマルは、ホッとしたような、それでいてどこか残念そうな、なんとも言えない微妙な表情で、レナが呼んできたアマテラスの迎えの籠に乗り込んでいった。
「ケ、ケントどのーっ! 本日は、まことにありがとうございましたーっ!」
「あああーっ! トキマルー! 助けてくれーっ!」
こうして、アマテラスでの最後の夜は、俺の自業自得による悲鳴と共に、賑やかに更けていくのだった。




