第65話:すれ違う忠義と、憂国の刺客たち
皮を削ぎ落とされる痛みに屈した賊の口から飛び出した黒幕の名前は、この大名行列の護衛を務めるアマテラスの武士たちを、絶望のどん底へと叩き落とした。
「……ウチガシマ家の、ツキヒメ様だと……?」
護衛の責任者である初老の武将が、信じられないものを見るような目で呟く。
ウチガシマ家。それはこの東の島国『アマテラス』を統べる、王家そのものの名前だ。
「まさか、姫様がここまで愚かであらせられたとは……」
武将はギリッと歯を食いしばり、悔しそうに地面に両手をついた。
自国の、それも王族の姫が、国交を結ぶために訪れた他国の全権大使に野盗紛いの刺客を放ったのだ。外交問題などという生易しいものではない。下手によその大国にやれば、即座に戦争の火種になる大不祥事だ。
「……もはや、弁解の余地もござらん。ヴォルガン伯爵閣下。我が命をもって、せめてもの謝罪とさせていただくっ!」
武将が悲痛な顔で腰の小太刀を引き抜き、己の腹へ向けて逆手に構えた、その瞬間。
――バチィィンッ!!
ザラが躊躇なく武将の顔面を平手で張り飛ばし、その手から小太刀を弾き飛ばした。
「なっ……!?」
「馬鹿言ってんじゃないよ、おっさん」
呆然とする武将の胸ぐらを、ザラが乱暴に掴んで引き上げる。
その隣では、冷たく武将を見下ろしていた。
「腹を切って責任をとる? 自分の命一つで、この不祥事が帳消しになるとでも思っているの? 甘えないで頂戴」
「責任ってのはねぇ、生きて取るもんだ。まずはアタシらを王都『トキ』まで無事に送り届けるのが、アンタらの仕事だろうが。……それに、舐めた真似をしたその姫から『ケジメ』をとるのは、アタシらの役目だ。アンタが腹切ったからって無かったことにされちゃたまんないんだよ」
元A級冒険者のリーダーと、歴戦の傭兵であるザラ。修羅場を潜り抜けてきた二人のドスの効いた説教に、武将だけでなく周囲の武士たちも完全に気圧され、黙り込んでしまった。
「でも、どうして姫様がそんなことをしたのかしら?」
レナが不思議そうに首を傾げる。
俺もそれに同意し、武将に向かって顎をしゃくった。
「俺もそれが聞きたい。国交交渉を潰して、アマテラス側に何のメリットがある? 今のあんたたちの国の内情を、詳しく話してくれ」
俺に促され、武将は苦渋の顔で、ゆっくりと語り始めた。
「……現在、我がアマテラスは、当主であるヨシハル様が重い病に倒れられ、深刻なお家騒動の渦中にあります」
話によれば、こうだ。
次期当主である嫡男の『トキマル』は、まだ十歳。普通に家督を継がせるには幼すぎる。
そこで、実際に政務を回している『家老』を中心とした一派は、側室腹である当主の弟『ヨシモリ』を後見人として立てて、国を安定させようとしている。
しかし、それに猛反発したのが、嫡男トキマルの実の姉である『ツキヒメ』を中心とした一派だ。「後見人など不要、嫡男であるトキマルがすぐに当主になるべきだ」と主張し、家老たちと激しく対立しているらしい。
「今回のノキア王国との国交は、家老が主導して進めているもの。姫様たちは、この外交で家老が実績を作ることを疎み、ノキアの大使を亡き者にして交渉を潰し、その責任をすべて家老に負わせるつもりだったのでしょう」
「……なるほどな。でも、ノキアの大使を殺せば、ノキア本国から報復されるとは思わなかったのか?」
俺の疑問に、武将は情けなさそうに首を振った。
「姫様たちは……ノキアの恐ろしさをご存知ないのです。帝国とは交易がありましたが、ノキアとはこれまで関わりがなく、名前もほとんど知られていません。姫様は、ノキアを『帝国より小さな弱小国』だと完全に甘く見ておられるのです」
なるほど、無知ゆえの暴挙というわけだ。
だが家老は違った。普段から『紅屋』の朧の姐さんをはじめとする商人たちと懇意にしており、独自のパイプで外の情報を集めていた。「ノキアはあの帝国を退けた新興の大国である」という正確な情報を得ていたからこそ、国交樹立に前のめりだったのだ。
「家老殿には、ウチガシマ家から当主の座を奪うつもりなど毛頭ありません。ただ、このままでは海を隔てた仮想敵国である『シン』の侵略から、アマテラスを守れないという強い危機感があるのです」
姫や彼女を支持する武断派は、新型銃の量産も始まっているのに「銃など軟弱者の得物。我らには無敵の侍がいるから問題ない」などと本気で言っているらしい。典型的な、時代に取り残された軍上層部の思考だ。
「しかも、姫の一派は、以前から『シン』の工作員と接触を繰り返しておりました。これ以上姫の暴走を許せば、国が滅びる。……だから家老殿は、姫がシンの工作員と密会するために海府へ向かった際、やむなく……刺客を放ったのです」
武将の言葉に、俺の心臓がドクン、と嫌な音を立てた。
シンの工作員。海府。刺客。
……そのキーワードの組み合わせには、酷く聞き覚えがあったからだ。
「我々も、お仕えする姫様を殺したくなどなかった。しかし、アマテラスの未来のため、泣いて馬謖を斬る覚悟で、皆、腹を切る覚悟で刺客の任に就いたのです。……しかし」
武将の目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「まさか、あの姫様が、あれほどの腕の立つ護衛を隠し持っていたとは……。国を救うために向かった同胞たちは、海府への道中で返り討ちに遭い、見事なまでに吹き飛ばされ、犬死にしてしまったのです……っ!」
「…………」
「…………」
「…………」
武将が涙ながらに語る「悲劇の同胞たちの最期」。
その瞬間、俺の背中を、滝のような冷や汗が流れ落ちた。
ザラ、セリーナさん、そしてレナの三人の視線が一斉に俺に向き、無言で顔に刺さっているのが痛いほど分かった。
(……いや、だってあれ、急に山賊みたいに襲ってきたし、吹き飛ばしたのシャルなんだよ……俺はむしろ御者や護衛半殺しにしたんだけどなあ)
あの時、俺とシャルが「どうでもいいけどめんどくさいわ」と軽い気持ちで叩きのめした連中。
それが、国を救うために決死の覚悟で姫を暗殺しようとした、家老派の憂国の士たちだったのだ。
気まずすぎる。俺がその張本人だなんて、この涙を流している武将の親父には口が裂けても言えない。俺は吹き出す汗を必死に抑えながら、明後日の方向を見た。
「今回の件、アマテラスの総意ではござらん! どうか、ノキアへの報復はご容赦を。何卒、トキにて家老殿にお会いしてはいただけまいか!?」
土下座をして頼み込む武将に、俺は努めて平静な声を出し、鷹揚に頷いた。
「……謝罪は受け取りました。今回の件を不問とはいきませんが、国交交渉とは切り離して考えましょう。予定通り、トキの家老殿の元へ案内してください」
「おお……っ! 寛大なご処置、痛み入りまする!」
数日後。
賊の襲撃を退け、俺たちの使節団はついにアマテラスの王都『トキ』へと到着した。
木造の巨大な建築物が立ち並ぶ、活気ある和の王都。その中心に位置する政庁の玄関口では、立派な羽織袴を着た、初老の厳しい顔つきの男が出迎えてくれていた。
彼が、アマテラスの実質的なトップである家老だ。
「遠路はるばるのご到着、歓迎いたします、ヴォルガン伯爵閣下」
「出迎え感謝します、家老殿」
俺たちが握手を交わし、正式な挨拶を始めようとした、まさにその時だった。
「どきなさい!!」
バンッ! と乱暴な足音と共に、横から一団の武士たちが割り込んできた。
抜刀こそしなかったものの、他国の全権大使である俺と、国のトップである家老の間に割って入るという、あり得ないほど無礼な振る舞いだ。
「何用か。今はノキアの大使閣下との重要な――」
家老が厳しい声でたしなめようとしたが、武士たちが左右に道を開けると、そこから一人の豪奢な着物を纏った女が進み出てきた。
吊り上がった気の強そうな目。そして、自分がこの世の中心であると信じて疑わないような傲慢な態度。
俺が海府で遭遇し、シャルと共に刺客から助けた――この国を混乱に陥れている張本人、ツキヒメだった。




