第61話:面影なき剣鬼と、最強女子会の洗礼
東の島国アマテラス、その最大の港町である海府の道場。
木刀が打ち合う激しい音が響く中、俺は丸々と太ったかつての『凜とした女剣鬼』、櫻師範に向かってゆっくりと歩み寄った。
かつての厳しい稽古を思い出し、俺の口からは自然と、アマテラスに滞在していた当時の『狂犬』モードの煽りが飛び出していた。
「すっかり肥えちゃって。そんなんじゃもう、俺には勝てませんよ、デブ師範」
ピタリ、と。道場の中の空気が凍りついた。
門下生たちが一斉に顔面を蒼白にして、俺と櫻師範を交互に見比べる。
櫻師範はピクッと眉をひきつらせ、木刀を握る手にギリッと音を立てて力を込めた。そして、ゆっくりとこちらを振り返る。
「…………いや、誰だよ?」
地を這うような、凄まじく低いドス黒い声。
無理もない。彼女の知る俺の姿は、生意気な黒髪の少年だ。右半身を漆黒の仮面と機械の義肢で覆い隠した現在の俺を見て、ケントだと一目で気づくはずがなかった。
「ってか、誰がデブだっつった? あァ? 死ぬか? オイ」
ゴゴゴゴ……と、目に見えるようなドス黒いオーラと殺気を放ちながら、櫻師範が床板を軋ませて凄まじい質量の踏み込みを見せた。
その怒りの矛先が完全に俺に向いた、まさにその瞬間。
――ヒュンッ!
俺の横をすり抜けるようにして、一陣の風が巻き起こった。
ザラだ。彼女は櫻師範の尋常ではない踏み込みと剣気に戦女神としての本能を刺激され、横から強烈な蹴りを放ったのだ。
「おっと!」
櫻師範は咄嗟に木刀の柄でその蹴りを受け止める。
ドゴォッ! という鈍い衝撃音が道場に響き渡り、互いの尋常ではない膂力がぶつかり合って火花を散らした。
「へー。少しは出来るんだね。いい蹴りだ」
「そっちこそ。見かけによらず、いい反応じゃないか」
櫻師範が好戦的な笑みを浮かべ、ザラもまた肉食獣のように目を細めて笑い返す。
さらにそこへ、入り口にあった立て掛け用の木刀を勝手に拝借してきたセリーナさんが、楽しそうな笑みを浮かべてスッと横に並んだ。元A級冒険者パーティーのリーダーとしての血が騒いだのだろう。
「面白そうね。私も少し、体を動かしてもいいかしら?」
「上等だ。こっちへ入んな!!」
櫻師範の叫びと共に、ザラとセリーナさんが道場の板間へと躍り出た。
三十路の美魔女(鬼人族)、三十路の美魔女(火魔法10の天才)、そして歴戦の戦女神(大剣使い)。
三人の凄まじいオーラと殺気が交錯し、道場の空気が物理的にビリビリと震え始める。
「…………」
俺は、無言のままスッと表情を消し、完全に無関係な『スンッ……』とした顔を作った。
煽るだけ煽っておきながら「あ、これ近寄ったら死ぬやつですわ」と野生の勘で察知し、同じくメイドとして傍観を決め込んでいたレナと共に、音もなく道場の隅の安全地帯へと避難した。それが生き残るための処世術である。
そのまま、道場は阿鼻叫喚の嵐に包まれた。
ドゴォォン! バキィッ! という、およそ木刀同士の稽古とは思えない破壊音が響き渡り、門下生たちが悲鳴を上げて壁際に張り付く中、女たちの激しい組手は一時間近くも続いたのだった。
「いやー、アンタら本当に強いね! アタシも久々に本気を出させてもらったよ!」
「ふふっ、櫻師範のインナーバフと剣技、本当に見事だったわ。参考になったわ」
「アタシもだよ。こんなに歯ごたえのある相手は久しぶりだ!」
一時間後。
すっかり汗を流し終えた三人は、まるで十年来の親友のように肩を叩き合い、道場の縁側で爽やかに笑い合って完全に打ち解けていた。
俺とレナが恐る恐る近づいていくと、汗を拭いていた櫻師範が、俺の義眼と仮面をまじまじと見つめて、ポンと手を打った。
「あんた……もしかして、あのクソ生意気だったケントかい!?」
「ええ、ご無沙汰してます、櫻師範。遅くなりましたが、帰ってきましたよ」
「おー! お前が国の為に体張ったって噂はきいたが……あのチビが、いい男になったじゃないか!」
櫻師範は豪快に笑い、俺の背中をバンバンと叩いた。
義肢と仮面の姿を見ても、彼女は少しも哀れむような目をしなかった。ただ純粋に、戦士としての成長と生還を祝ってくれる。
「それにしても櫻師範。どうしてそんなに……ふくよかになられたんですか?」
俺が言葉を選びながら尋ねると、櫻師範は突然「うぐっ……」と顔を真っ赤にして視線を泳がせた。
話を聞けば、なんとも乙女な理由だった。シャルが帰国して離れ離れになった後、彼女は『年上の女』としてイイ女ぶってシャルを見送ったが、本当は別れたくなくて寂しくてたまらなかったのだという。
なんとなく美味しいものを食べて気を紛らわせているうちに、いつの間にかこんな体型になってしまったらしい。道場生たちも、師範に「デブになりましたね」とは恐ろしくて言えず、全員で見て見ぬふりをして困り果てていたそうだ。
「まあ、そういうわけだ。笑いたきゃ笑いな!」
「笑いませんよ。……実は今日、櫻師範に折り入って頼みがあるんです」
俺は姿勢を正し、本題を切り出した。
「俺と一緒に、王国の軍事顧問としてノキアに来ませんか? 希望する道場生も連れて行って構いません。シャルの進める新しい軍の教練に、櫻さんのインナーバフと剣術の技術がどうしても必要なんです」
俺の提案に、櫻師範はモジモジと道着の裾を弄り始めた。
彼女の脳裏には、当然シャルの姿が浮かんでいるのだろう。
「ノキア、ねぇ……。でも、シャルはもう立派な王様になったんだろ? アタシなんかが行っても、その……」
乙女モード全開で躊躇う櫻師範を見て、俺は背中を押してやらなきゃなと口を開いた。
「大丈夫ですよ! シャルはもう卒業と同時に、正妃と第二正妃の嫁さん二人を貰うことが決まってるし、側室だって多くなるでしょうから。だから、デブで年増の櫻さんがノキアに行ったって、変な勘違いは――」
バチィィィンッ!!!!
俺の言葉が終わるより早く、ザラの強烈な平手打ちが俺の後頭部に炸裂した。
さらに横から、セリーナさんの容赦のないつねり攻撃が脇腹に突き刺さる。
「いっ、でぇぇっ!?」
「あんたって奴は、頭は良いのにどうしてそう、女心が絶望的に分かってないんだい!!」
「ケント君! いくらなんでも言い方というものがあるでしょう!」
鬼の形相で怒る二人。
櫻師範は「デブで年増……」とつぶやきながら、真っ白に燃え尽きた灰のようになってプルプルと震えていた。完全に地雷を踏み抜いたことを悟った俺は、慌てて咳払いをしてフォローを入れた。
「あー……なんかすまんかった。でも、聞いてくれ。シャルや王国が今回求めてるのは、女性としての櫻さんじゃない。『アマテラスで道場を開く、誰もが認める凄腕の師範』としての技術なんだ。だから、色恋を絡めて悩む必要はない。『自分の剣術の腕が、異国に高く買われて請われるんだ』って、武人として誇りを持って思えばいいんじゃないか? シャルも一国の王子として、そこらへんの公私はきっちりわきまえるさ」
俺が真剣な声でそう告げると、櫻師範はハッとして顔を上げた。
女としての未練や引け目ではなく、一人の剣士として、自分の技が国境を越えて求められている。その事実が、彼女の武人としてのプライドを強く刺激し、曇っていた顔に再び誇り高い光を取り戻させた。
「……なるほどね。アタシの剣が、ノキアに買われる、か」
櫻師範は、少しだけ口角を吊り上げて笑った。
「悪くないね。……でも、道場のこともあるし、少し考えさせておくれ」
「わかりました。焦る必要はありません。俺はこれから、他の道場や、鉄砲鍛冶、刀匠のスカウトにも回るので、しばらくゆっくり考えておいてください」
櫻師範に考える時間を与え、俺たちは海府の街を後にした。
次なる目的地は、朧の姐さんから情報を得ていた、良質な鉄が産出し、名だたる鍛冶師たちが集まるという鉄と炎の街――『クニトモ』だ。




