第59話:仕組まれた聖人伝説と、波乱の船出
「……誰だよ、このお伽話の聖人は」
王城の一室。
怪我の治療と称して引きこもっていた俺は、手渡された王国公式の声明文の写しを読み、思わず頭を抱えた。
『――瀕死の重傷を負いながらも、ヴォルガン男爵は病床でこう語った。「一部の過激な派閥によって、両国の未来と平和が閉ざされることを私は望まない。皇女殿下との婚姻が結ばれ、真の和平が訪れることを心より祈っている」と』
「これ、俺が意識不明で寝てる間に勝手に出しましたよね、侯爵?」
「人聞きの悪いことを言うな。お前が心の中でそう思っていたことを、私が代弁してやったまでだ」
目の前のソファで優雅に紅茶を啜るルミナス侯爵は、悪びれる様子もなくニヤリと笑った。
あのテロ事件の直後、帝国への怒りで暴動寸前だった王国民たちは、この声明文によって『あんな酷い目に遭わされたのに、報復ではなく未来の平和を願うなんて!』と大号泣し、反帝国感情は一気に「英雄の願いに応えよう」という感動の嵐へとすり替わった。
一方の帝国側も、「被害者である英雄に許された」という形になったため、皇女を人質として差し出す圧倒的不利な講和条約を呑まざるを得なくなったのだ。
「おかげで、帝国の皇女を次期王妃として迎える準備は万端だ。……お前が今更『実は義肢でピンピンしてて、そんなこと一言も言ってません』などと表に出れば、せっかくの講和がひっくり返る。だから論功行賞の場にも、お前は『重体で欠席』ということにさせてもらった」
「ええ、それは助かりましたけど……」
俺が面倒な式典を欠席してオリヴィア先生と義肢の開発で遊んでいる間に、俺の爵位は男爵から『伯爵』へと跳ね上がっていた。
さらに、反逆罪で取り潰された王弟派の侯爵の広大な領地をそのまま下賜されたのだが、そこには王室から直接『代官』が送り込まれており、俺自身が領地経営をする必要は当面の間いっさい無いという、至れり尽くせりの VIP 待遇だった。
「で? 恩賞も受け取り、体もすっかり(魔法と科学のゴリ押しで)動くようになったお前は、これからどうするつもりだ?」
「俺、学園を『留年』します」
「……は?」
侯爵が紅茶を吹き出しそうになるのを尻目に、隣に座っていたシャルが苦笑いした。
「王子を守った特例措置で進級も卒業もできるのに、お前らしいよな」
「前せ……いや、俺の倫理観として、ろくに授業にも出てないのに卒業なんて気持ち悪くてできない。留年扱いにしてもらって、ちゃんと時間ができた時に単位を取って、飛び級で卒業するさ。シャルの方はどうなんだ?」
「僕は予定通り、3年後の卒業と同時に即位して、二人の妃を迎えるよ。……だから、それまでに、お前の言う『王国の常識に囚われない魔法とインナーバフ』の軍事教練を本格的に進めたいんだ」
シャルのその言葉に、俺はニヤリと笑った。
「その件なんだけどな。実は、御用商人としての交易認可も下りたし、帝国からふんだくった船を使って、朧が『アマテラス』に一度帰還することになったんだ。俺もそれに同行しようと思う」
「アマテラスに?」
「ああ。シャルの計画には、強力なインナーバフの指導者が要る。アマテラスの『櫻さん』みたいな道場主や、そこの門下生たちを王国の軍事顧問としてスカウトしてきたいんだ」
伯爵になったとはいえ、代官任せの今しか自由に動ける時間はない。それに、俺もあの和風の国にもう一度行きたかったのだ。
「なるほど、それは助かる。実践できてるの見たら違うからな」
「お前の結婚式までには、必ず戻ってくるさ」
俺とシャルが固い握手を交わし、侯爵も呆れながらも許可を出したことで、俺のアマテラス行きは正式に決定した。
数日後。王都の港町。
帝国の技術で作られた大型の帆船が、出航の時を待っていた。
潮風が吹き抜ける桟橋には、見送りのために駆けつけたシーナとクロエの姿があった。彼女たちは学業と、王都の防衛力維持の観点から今回はお留守番である。
「ケント……」
シーナが、寂しさを堪えるように俺の胸に飛び込んできた。
俺は魔力で動く義手で、彼女の背中を優しく抱きしめる。シーナは背伸びをして、俺の右顔面を覆う漆黒の仮面にそっと触れた後、俺の唇に甘く、柔らかなキスを落とした。
「必ず、無事に帰ってきてね。……私、ずっと待ってるから」
「ああ、約束する」
涙ぐむシーナの頭を撫でてやると、その後ろから、目を真っ赤にしたクロエが進み出てきた。
彼女はギュッと目を瞑り、背伸びをして俺の唇にチュッと可愛らしいキスをした後、顔を真っ赤にしてパッと距離を取った。
「あ、あんたのことなんか、べ、別に待ってないんだからねっ! 勝手に無事に帰ってきなさいよ!」
見事なツンデレムーブをかまし、照れ隠しでくるりと背を向けたクロエ。
――が。
「きゃっ!?」
もつれた足がステップを踏み外し、クロエが派手にバランスを崩した。
「おっと!」
俺は咄嗟に身を乗り出し、倒れそうになった彼女の細い腰をガシッと抱きとめた。クロエの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
無事に助けられたと安堵した、その直後。
ズルッ。
「……は? なんでこんな所にバナナの皮が!?」
俺の踏み込んだ義足の先に、なぜか絵に描いたようなバナナの皮が落ちていた。
摩擦係数を完全に無視した凶悪な滑りに、俺の体は支えを失い、クロエを抱きかかえたまま後方へとすっ転んだ。
「きゃあああっ!?」
「んぐっ!?」
ドサッ! という音と共に仰向けに倒れた俺の顔面に、凄まじい勢いでクロエのお尻がクリーンヒットした。
いつものお約束すぎる展開に、むにゅっとした極上の柔らかさと女の子の良い匂いが俺の顔面を覆い尽くす。
「ふぁっ!? ご、ごめんなさ――ひゃんっ!?」
顔面騎乗状態から慌てて飛び退こうとしたクロエだったが、完全にパニックを起こしていた彼女は、立ち上がった瞬間に自分の足に躓いて自爆。
そのまま一人で前方にすっ転び、綺麗なでんぐり返し(前転)をキメて、仰向けの俺の目の前で大股を開いて着地してしまった。
「…………」
めくれたスカートの奥。俺の目の前には、純白の可愛らしいおぱんつが神々しいまでに丸出しになっていた。
「ふにゃあああああっ!? 見ないでえええぇぇっ!!」
涙目でスカートを押さえ、茹でダコのように赤くなってしゃがみ込むクロエ。
相変わらずの『不憫エロ可愛い属性』を遺憾なく発揮する彼女に、俺はそっと親指を立てた。
ひとしきりドタバタした出航前の挨拶を終え、俺は同行するメンバーと共に甲板へと上がった。
今回の旅の同行者は、護衛のザラ、メイドのレナ、そして同じく護衛のセリーナさんだ。
桟橋から見上げるシーナは、少しだけ安堵したような表情でザラたちに声をかけた。
「ザラさん、レナさん。ケントがアマテラスで変な虫につかまらないように、しっかり見張っていてくださいね」
「任せな! アタシらがきっちり毒を抜いて……じゃなかった、守ってやるからさ!」
「ええ、シーナ様。ケント様の身の回りのお世話は、私たちが夜も昼も、隅々まで完璧にこなしてみせますわ」
肉食獣のような笑みを浮かべる二人に、シーナとクロエは「頼もしいストッパーだ」とばかりに頷いている。すでにこの二人が俺と『そういう関係』であることを知っている彼女たちからすれば、得体の知れない外国の女に手を出されるよりは遥かにマシ、という算段なのだろう。
そしてシーナは、隣に立つ母親に向かって言葉を紡いだ。
「お母さん。長旅で、ザラさんと二人だけで護衛のローテーションを回すのは凄く大変だと思うけど、ケントのこと、よろしくお願いしますね」
「だ、大丈夫よシーナ! ケント君が異国で浮気なんかしないように、お母さんが責任を持って、ちゃんと『管理』しておくから!」
娘からの純粋な労いの言葉に、セリーナさんはビクッと肩を震わせ、顔を真っ赤にして視線を泳がせながら答えた。
だが、シーナはその意味深すぎる言葉の不自然さにハッと顔を上げた。
「えっ? ……ん? 今『監視』じゃなくて『管理』って言わなかった!?」
「あ……っ!」
「ちょっと! お母さーん!? どういうこと!?」
ブォォォォォォン……!
シーナが叫んだ瞬間、間の良い出航のドラが鳴り響き、船はゆっくりと桟橋から離れ始めた。
甲板の上では、ザラとレナが「よく言った!」とばかりにセリーナさんの肩をバンバン叩いて爆笑しており、セリーナさんは両手で真っ赤な顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「お母さあああああんっ!! 帰ってきたら絶対にお話聞くからねーーっ!!」
港に響き渡るシーナの悲痛な叫び声と、潮風に乗って遠ざかる王都の景色。
完全復活を果たした俺は、大人の女性三人のギラギラとした熱視線からそっと目を逸らしながら、これから始まる長い船旅に一抹の不安を覚えるのだった。




