第54話:狂気の自爆と、起死回生の偽証
王城の地下深くに位置する特別牢。
松明の薄暗い炎が石造りの壁を照らし、湿ったカビと鉄錆の匂いが鼻を突く。俺はルミナス侯爵、そして義父であるギデオンと共に、冷たい石段をどこまでも下っていった。
最下層。他の囚人からは完全に隔離された一室の鉄格子の向こうに、その男はいた。
右腕を失い、汚物にまみれたボロ布のような囚人服を纏った男――ガルド。
かつて王都で有数の商会を率い、母のニナやセリーナさんを支配していた面影はどこにもない。だが、その落ち窪んだ双眸だけは、尋常ではない暗い熱を帯びてギラギラと輝いていた。
俺たちの足音に気づいたガルドは、鉄格子にすり寄るように顔を近づけ、黄色く濁った歯を剥き出しにして嗤った。
「くくっ……ひははははっ。どうだ、ケント。自分の大事な女たちが死刑台に上るのを待つだけの、全て奪われた気分は」
その顔を見て、俺の心は不思議なほど冷え切っていた。
こいつのせいで王都の民が死に、母さんたちが死刑の危機にある。だが、怒りで我を忘れるような感情は湧かなかった。
前世で、会社の金を横領して開き直っていたクソ上司を見た時と同じだ。「ああ、こいつはもう同じ人間の言葉が通じる生き物じゃないんだな」という、圧倒的な呆れと徒労感しかなかった。
「いいから早く良い事とやらを言え。暇じゃないんだ」
「……相変わらず可愛げのないガキだが、お前の苦しむ姿は滑稽なんだろうなあ」
俺の冷ややかな態度が気に入らなかったのか、ガルドの顔が醜く歪む。
「で? 言わないなら帰るぞ」
「……ああ、待てよ。ちょっと耳を貸せ」
ガルドが、鉄格子の隙間から残った左手を招くように動かした。
俺は体内での魔力循環『インナーバフ』を起動したまま、ほんの一歩だけ鉄格子へとにじり寄った。
「……なんだ」
「爆弾なんだがな。王都にまだ持ってる奴がいるの知ってるか?」
その言葉に、背後にいた侯爵とギデオンが息を呑む気配がした。
「どういう事だ?」
「こういう事だ」
ガルドが嗤った。
その瞬間、奴の左手が自身の胃の辺りを強く押し込んだ。同時に、奴の体内から膨大な熱量と、魔道具が強制起動する不気味な魔力の脈動が膨れ上がるのを感じた。
こいつ、自分自身を起爆スイッチにした人間爆弾か!
「伏せろ!!」
俺が叫ぶより早く、背後でギデオンが動く気配がした。「閣下!」という短い声と共に、義父が侯爵を強引に床へ押し倒し、そのまま自身の魔力を展開させて『土、水、風』の三重障壁を限界まで展開し始める。
俺はインナーバフで強化した身体能力で床を蹴り、鉄格子の隙間から両腕をねじ込み、ガルドの胸倉を掴んで強引に手前へと引き寄せた。
奴の体内から爆炎が吹き出そうとするコンマ一秒の隙間。俺はそのまま鉄格子に右足の裏を押し当て、ガルドの腹部に真っ直ぐに向けた。
右足の裏からありったけの魔力を放出し、前方へ指向性を持たせた特大の『爆鳴気』を生成、即座に断熱圧縮で起爆させる。
カッ――――!!!
俺の右足から放たれた指向性の爆発が、ガルドの体内から膨れ上がろうとしていた自爆のエネルギーと真っ向から激突した。
俺の爆鳴気が、まるで爆発反応装甲のようにガルドの自爆の威力を相殺し、食い破り、奴の肉体ごと前方(奥の石壁側)へと強引に吹き飛ばす。
だが、ゼロ距離で特大の爆発を二つも重ね合わせたのだ。
前方に威力の大部分を逃したとはいえ、その強烈な反作用と、相殺しきれなかった熱波と衝撃が、鉄格子越しに俺の右半身を容赦なく襲った。
「ぐ、がァァッ……!!」
鼓膜が破れ、視界が白に染まる。
右足の骨が爆発の反動に耐えきれずに砕け、ねじ曲がる凄まじい激痛。
強烈な爆風が俺の体を吹き飛ばし、後方で展開されていたギデオンの三重障壁に叩きつけられた。
どれほどの時間が経ったのか。
朦朧とする意識の中で、パラパラと石の破片が崩れ落ちる音が聞こえた。
粉塵が晴れた地下牢の奥には、ガルドの姿はどこにもなかった。爆鳴気の超高熱と衝撃波によって、文字通り原型を留めずに吹き飛んでいた。
「……だ、大丈夫か……」
背後から、ギデオンの苦痛に満ちた掠れ声が聞こえた。
俺が相殺して威力を減衰させたとはいえ、あの至近距離だ。ギデオンは侯爵を庇い、俺が吹き飛ばされてきた衝撃もあって無理な体勢で障壁を維持したのだろう。どうやら腕や肋骨をやられたらしく、荒い息を吐いている。
だが、俺が盾になったおかげで、二人とも致命傷には至っていないようだった。
「ケント! 大丈夫か!」
無事だった侯爵が、ギデオンの下から這い出るようにして俺の元へと駆け寄ってくる。
俺は瓦礫の中に仰向けに倒れていた。
痛覚はすでに麻痺している。右足は完全に捻じれ、右側の顔面は爆発の熱をモロに受けて吹き飛んでいるのが自分でもわかった。
肺が潰れているのか、うまく呼吸ができない。
「くそっ、死ぬなケント! 目を開けろ!」
侯爵が俺の胸ぐらを掴み、必死に心臓マッサージを開始した。
冷酷な政治家であるはずの侯爵の顔が、汗と泥にまみれて歪んでいる。
遠のく意識の中で、俺の脳細胞だけが異常な速度で回転していた。
(……このままじゃ、死ぬ。が、ただじゃ死なねえ)
ガルドの肉体は消滅した。
残っているのは、爆心地であるこの地下牢と、俺たち三人だけ。
(証拠がない……。なら、俺が『真実』を作る)
俺は残された僅かな魔力を、潰れかけた心臓と肺に強引に流し込んだ。
インナーバフによる、命を削る強制起動。
「ガハッ……!」
口から大量の黒い血の塊を吐き出し、俺はカッと左目を見開いた。
「ケント! 息を吹き返したか!」
「……こ、これで……良かった……」
俺は、ごぼごぼと血を溢れさせながら、侯爵の服の袖を弱々しく掴んだ。
「じ、自爆した……ガルドは……『偽物』でしたから……」
侯爵が、ハッと息を呑んだ。
「本物は……事前に、帝国の工作員に……殺されてたんでしょう……。帝国の方も……モウデック公爵に、裏付けを調べてもらって……下…さい……」
途切れ途切れの、しかし確かな意志を持った言葉。
俺の言葉の意図――その『政治的捏造』に、侯爵は数秒の沈黙の後、震える手で俺の肩を強く握りしめた。
「……ああ。そうだな。テロの首謀者は帝国の工作員で、ガルドはすでに死んでいた。……そうに決まっている。モウデック公爵にも、すぐに確たる証拠を提出させよう」
侯爵の力強い同意を聞き届けた瞬間。
張り詰めていた俺の意識の糸が、プツンと切れた。
死体が消滅したという物理的状況。
瀕死の重傷を負った英雄の最期の言葉という、絶対に覆せない心理的証拠。
そして、敵国の宰相から提出される裏付け。
この三つが揃えば、反対派閥がどれほど怪しもうが、法的には「ガルドはすでに死亡しており、テロは帝国の工作員の仕業」という事実が完璧に成立する。
母のニナと、セリーナを縛り付けていた連座の鎖は、こうして物理的にも法的にも、完全に粉砕されたのだ。
「よくやった……ケント。お前の家族は、私が命に代えても守り抜く」
侯爵のその言葉を遠くの闇の中で聞きながら、俺は深い、深い泥のような眠りへと落ちていった。




