第53話:王子の凱旋と、突きつけられた絶望の鎖
協定を一方的に破棄し、帝国軍を領内に引き入れたマセック国。
義父であるギデオンと共に国境に留まり、マセックからの正式な釈明と返答を待ったが、期日を過ぎても使者が現れることはなかった。
事ここに至り、容赦する必要はどこにもない。
俺たちは二万の軍にギデオンが率いていた無傷のノキア軍一万計三万をもって、マセックの首都へと進軍した。帝国の主力十万を壊滅させたという情報がすでに大陸中に響き渡っていたこともあり、マセック軍にまともな抗戦の意志はなく、首都はあっけなく陥落した。
突きつけた講和条件は、苛烈を極めた。
帝国軍の通過を許した地域のノキアへの割譲に加え、その割譲地に隣接するマセック最大の港町を『九百九十九年間租借する』という条約だ。
海への強力な足がかりを得たことで、マセックは事実上の植民地となり、ノキア王国は大陸において他を寄せ付けない確固たる大国としての地位を盤石なものとした。
だが、その歴史的な凱旋の足取りは、決して軽いものではなかった。
王都に入った俺の目に飛び込んできたのは、勝利に沸く歓喜のパレードではなく、爆弾テロによって無惨に崩れ落ちた建物と、煤けた街並み、そして瓦礫の前で泣き崩れる市民たちの姿だった。
前線で命を懸けて敵を退けたというのに、守るべきはずの足元で、無辜の民が内部から殺された。その現実に、俺はただ重く冷たい徒労感と、行き場のない怒りを噛み締めるしかなかった。
凱旋の翌日。
俺はルミナス侯爵から密かに呼び出しを受け、侯爵邸の奥深く、厳重な警備が敷かれた一室へと通された。
重厚な扉を開けると、そこには思いがけない顔ぶれが揃っていた。
「……セリーナさん、シーナ。それに、母さんまで……?」
部屋のソファに座っていたのは、酷く憔悴しきった様子のセリーナと、彼女の手を必死に握りしめて励ましているシーナ。そして、安全なはずのバルガス領から極秘に連れてこられた母・ニナだった。
三人の周囲には侯爵家の私兵が配置され、どう見ても客人の扱いではない。事実上の『軟禁状態』だった。
「来てくれたか、ケント」
窓際に立っていたルミナス侯爵が、深く重い声で口を開いた。その顔には、これまで見たこともないような濃い疲労の色が張り付いている。
「単刀直入に言おう。今回の帝国の侵攻に際し、内部から帝国の工作員を手引きし、魔道具を密輸し、あまつさえ王都の一般市民に薬を飲ませて自爆テロを起こさせた首謀者のが捕まった。……ガルドだ」
「…………は?」
一瞬、思考が停止した。
ガルド。母さんを犯し、セリーナを政略の道具にし、シーナを出来損ない扱いしたあのクズ男。
「奴の動機は、国への不満でも思想でもない。ただの個人的な逆恨みだ。自分からすべてを奪い、英雄としてもてはやされているお前やセリーナたちへの『嫉妬』。自分だけが惨めに落ちていくのが許せず、お前たちの守る国ごとすべてを道連れにしてやろうという、あまりにも身勝手で浅ましい理由だった」
怒りすら湧かなかった。
そんな底なしの小悪党の、安いプライドと嫉妬のせいで、王都の民があれほど死んだのか。あまりのくだらなさに、俺はただ呆然と立ち尽くした。
「そんなくだらない理由で……。なら、さっさと奴の首を広場に晒せばいいじゃないですか。なんで、セリーナさんたちが軟禁されてるんですか」
「……これが現実の、王国の法だからだ」
侯爵は苦々しく顔を歪め、重い事実を突きつけた。
「国家への反逆、それも外患誘致と大量虐殺。王国法における最高クラスの大罪だ。首謀者は当然死刑だが、問題は『親族も三親等まで連座となる』という点にある」
「連座……ッ」
「当然、妻も連座の対象だ。セリーナ殿はすでに教会で離縁が成立しているが、法的には『離縁から十年以内』は適用範囲となる。お前の場合は教会で明確に親子関係が否定されたため連座からは外れるが……ニナ殿は、形式上であっても側室として奴の籍に入っていた過去がある。適用範囲内だ」
背筋に、氷をねじ込まれたような悪寒が走った。
あのクズのせいで、セリーナと母さんが死刑になる。そんな理不尽が通ってたまるか。
「揉み消せないんですか!? 奴が帝国と繋がっていた証拠だけ残して、ガルド個人の名前は伏せるとか……!」
「できればそうしたかった。だが、奴は王宮の衛兵に捕縛される際、大通りで『俺は戦女神の父親だ! 英雄ケントの父親だ! 俺を殺せばあいつらも道連れだぞ!』と大声で喚き散らしたのだ」
侯爵がギリッと奥歯を鳴らす。
その場には、王家やルミナス派閥を快く思っていない対立派閥の貴族の耳目も多数あった。すでに「テロの首謀者はガルド」という事実は水面下で広まっており、今から秘匿して秘密裏に処分することは不可能な状況に陥っていた。
「……現在、ガルドは王の命により王城の地下牢に繋がれている。王も私も、お前やセリーナ殿、シーナの此度の歴史的な戦功をもって、法を曲げてでも『特例の恩赦』とするための根回しに奔走しているところだ。本来ならば問答無用で地下牢へ連行されるこの三人が、こうして私の屋敷での軟禁で済んでいるのは、王の最大の恩情なのだよ」
重苦しい沈黙が部屋に落ちた。
セリーナが、震える両手で顔を覆い、ポロポロと涙をこぼした。
「……ごめんなさい、ケント君、シーナ……。私のせいで……私が昔、あの男の要求を突っぱねきれなかったばかりに、あなたたちの輝かしい未来を、こんな形で閉ざしてしまうなんて……っ」
「セリーナさんのせいじゃありません! 悪いのは全部あの男です!」
シーナが必死に慰めるが、隣に座るニナもまた、青ざめた顔で力なく俯いていた。
「ケント……ごめんなさいね。私が、あの家からもっと早く逃げ出していれば……」
自分の命が危ういというのに、この人たちは自分のことではなく、俺とシーナの将来に傷がつくことだけを悔やんで泣いているのだ。
俺は小さく息を吐き出し、わざと肩をすくめて、いつものような軽い調子で口を開いた。
「何言ってるんですか、二人とも。あんな小悪党の呪いごときで、俺たちの未来が閉ざされるわけないじゃないですか」
俺はセリーナの前に歩み寄り、膝をついてその目を見た。
「郊外のボロ家で母さんと二人で暮らしてた時、セリーナさんが嫌われ役を買って出て、美味しいお肉や小麦粉をこっそり持ってきてくれたこと、俺は一生忘れませんよ。……それに、ずっと黙ってましたけど、俺の初恋、実はセリーナさんだったんですから。初恋の人に、そんな顔で泣かれたら困っちゃいます」
「……えっ?」
涙で濡れたセリーナが、驚いたように目を丸くする。
すかさず、シーナも隣でパッと明るい声を上げた。
「そうですよ、お母様、ニナおば様! 私なんて、昔お兄様と裏庭で秘密の特訓して、毎日泥んこになってニナおば様を困らせてばかりでしたし! それに……」
シーナは俺の腕にギュッと抱きつき、満面の笑みを浮かべた。
「たとえ貴族の身分がなくなったって、ケントお兄様がいれば、私はそれでいいんです。どこでだって、絶対に幸せになれますから!」
「……ふふっ、シーナちゃんったら……」
ニナが涙を拭いながら、小さく吹き出した。セリーナもまた、呆れたように、けれど確かな温もりを宿した目で微笑んだ。
そうだ。俺たちは血の繋がりや法なんかに縛られない。理不尽の中で寄り添い、支え合ってきた本当の『家族』だ。
部屋の空気が少しだけ和らいだのを見計らい、ルミナス侯爵が静かに口を開いた。
「……ケント。地下牢にいるガルドだが、『ケントが来たら話をさせろ。そうすれば、いい事を教えてやる』と喚いているそうだ」
「いい事、ですか」
「ああ。罠の可能性も高い。どうする?」
俺はゆっくりと立ち上がり、冷たく、感情の抜け落ちた声で答えた。
「行きますよ。……あの害虫の最期の言葉くらい、聞いてやります」




