第50話:獣の連鎖を断つ王と、暗躍する復讐の亡霊
王都防衛線の右翼。
地響きが、ノキア王国軍の兵士たちの足元から這い上がってくる。
押し寄せる帝国軍の最前列には、分厚い鋼鉄の装甲板で覆われた巨大な車輪付きの攻城兵器が何台も並んでいた。魔道具による結界と、物理的な鉄の塊。
放たれた火魔法が装甲に当たって虚しく散る。兵士たちの顔に、じわじわと絶望の色が濃くなっていく。
「下がって。巻き込まれますよ」
その最前線で、金髪の少女――シーナが静かに剣を抜いた。
彼女の視線は、迫りくる鋼鉄の巨塊ではなく、その足元の『地面』に固定されている。魔道具の結界が干渉できない地中。彼女はすでに、攻城兵器の進行ルート上の地層に、極限まで圧縮した『爆鳴気』のガスだまりを仕込み終えていた。
「そこ」
剣の切っ先を地面に向け、極小の断熱圧縮で火種を送る。
――ズドゴォォォォォォォォンッ!!!
鼓膜を破るような轟音と共に、大地の底から強烈な衝撃波が突き上げた。
分厚い正面装甲など意味をなさない。最も無防備な車体の底面から、凄まじい爆発のエネルギーをモロに食らった鋼鉄の攻城兵器は、重力から解き放たれたように数十メートルの上空へと跳ね上がった。
空中でバラバラに砕け散り、歪んだ鉄の塊や車輪が、悲鳴を上げる帝国兵たちの頭上に雨のように降り注ぐ。
「……おおっ! 女神だ! 『戦乙女』が来てくれたぞ!!」
歓声を上げる兵士たちを背に、シーナは振り返り、高く剣を掲げた。
「今だ! 前進して残敵を討て!」
「おおおおおっ!!」
一気に士気を取り戻したノキア軍が反撃に転じる中、義父であるギデオンが血相を変えて馬を寄せてきた。
「まて、シーナ! 左翼には王の本陣があるのだ! 敵の主力三万に完全に包囲されている、すぐに救援に向かわなければ……!」
だが、シーナは焦る様子もなく、ふっと息を吐いて首を横に振った。
「大丈夫です、お義父様。あっちには『鬼』が行きましたから」
首を傾げるギデオンをよそに、シーナは遠く離れた左翼の戦場を見つめ、誰にも聞こえないような小声でポツリと呟いた。
「……お兄様、やりすぎなきゃいいけど」
むせ返るような、土と血と、茹で上がった肉の匂い。
俺は、熱を帯びた水蒸気が立ち込める巨大なクレーターの縁に立っていた。
地平線の彼方まで続いていたはずの三万の敵軍は、もうどこにもいない。
俺が地中から連鎖爆発させた超高熱の水蒸気が、人間が着ている鋼の鎧ごと、すべてをドロドロに溶かして沸騰させてしまったからだ。ブクブクと音を立てる広大な『泥の池』だけが、そこにあった。
背後で、重く、震える息を吐き出す音が聞こえた。
振り返ると、王とルミナス侯爵が、眼前に広がる泥の池を食い入るように見つめていた。
王の顔色は蒼白で、握りしめた拳は微かに震えている。だが、その足は一歩も後ろへ下がることはなく、最前線に立つ君主としての威厳を辛うじて保ち、大地を強く踏みしめていた。ルミナス侯爵もまた、沈痛な面持ちで凄惨な光景を見据え、やがて長く息を吐き出した。
「終わりました、国王陛下、侯爵閣下」
俺が剣を鞘に収めて事務的に告げると、王はゆっくりとこちらに向き直った。
「……三万の命が、一瞬にして消え去ったか。ケントよ、お前のその力……恐ろしくはあるが、間違いなく我が国を救った。ノキアの王として、心より礼を言う」
王は俺の異常性を直視した上で、真っ直ぐに俺の目を見て深く頷いた。侯爵もまた、無言で剣を胸に当てて敬意を示している。
そこへ、右翼の敵を粗方片付けたギデオンとシーナが、馬を飛ばして合流してきた。
ギデオンは馬から飛び降りるなり、眼前に広がる異常な熱気の泥池と、俺を交互に見比べ、大きく顔を引きつらせた。
「ケント……お前、本当にやりすぎだぞ。これでは帝国兵の死体すら残らんではないか」
「俺は最小限の手間で最大限の仕事をしただけです。……死体が腐らなくて衛生的でしょう?」
俺が肩をすくめると、シーナが「お兄様……」と泣きそうな顔で見てきた。
……ああ、シーナは沢山の敵兵を殺した俺の心を心配してくれるんだな。俺はその頭をポンポンと撫でてやった。
泥の匂いが鼻にこびりついたまま、俺たちは王都へと帰還した。
十万を数えた帝国の侵攻軍は、七万の死傷者と三万の捕虜を出し、完全に瓦解した。王は毅然とした態度で、民衆に向けて「防衛戦の歴史的勝利」を宣言した。
だが、歓喜に沸く王都の空気を切り裂くように、血まみれの伝令が王宮に駆け込んできた。
――マセック国境付近で、帝国軍の残党が略奪と虐殺を繰り返している。
「一刻の猶予もない。民を保護し、禍根を断つために『帝国への逆侵攻』を決行する」
王は顔色を休ませる間もなく、早急に反攻軍の編成を命じた。
三万の反攻軍総指揮官にはシャル。副官にはギデオン。俺とザラはシャルに同行する。
王都の防衛には、最強の盾であるセリーナとシーナの母娘が残ることになった。
「ケント君。どうかシャルム殿下を……国を、よろしくお願いしますね」
「セリーナさん。王都の留守は任せましたよ。シーナもしっかりサポートするんだぞ」
「はい、お兄様! いってらっしゃいませ!」
俺たちは休息もそこそこに、再び血の匂いのする国境へと馬を進めた。
行軍は、重く、陰惨なものだった。
国境が近づくにつれ、道端には焼かれた家屋の残骸と、ハエが群がる領民たちの死体が転がっていた。
腹を割かれた男。衣服を剥ぎ取られ、無惨に捨てられた女。
風に乗って運ばれてくる腐臭に、ノキアの兵士たちの顔が次第にドス黒い怒りに染まっていく。
「帝国の豚どもめ……! 絶対に許さねえ!」
「帝国の領土に入ったら、奴らの村も同じ目に遭わせてやる! 女子供も皆殺しだ!!」
兵士たちの間で、復讐の連鎖が伝播していく。軍全体が、血に飢えた野獣の群れに変わりかけようとしていた。
俺が舌打ちをして手綱を引こうとした、その時。
全軍の先頭に立っていたシャルが、不意に馬首を返し、兵士たちに向けて声を張り上げた。
「全軍、止まれ!!」
第一王子の怒号に、怒りに燃えていた兵士たちがハッとして足を止める。
シャルは、馬上で静かに、だが腹の底に響く声で全軍を見渡した。
「皆の怒りは痛いほどわかる。私の民がこのような非道な目に遭い、私の心も張り裂けそうだ」
シャルは腰の剣を抜き、高く天へと掲げた。
「敵の兵を討つのは構わない。国境を越え、帝国の軍と戦うのは我らの義務だ。だが! 私たちは、獣に荒らされたのを見たからといって、同じ獣にはならない!!」
兵士たちが、息を呑む。
「敵国に入った際、食糧の徴発は必要最低限に留め、略奪は許さない! 無抵抗な民や女子供に刃を向ける者は、この私が軍律にかけて自ら処断する! 私たちは『報復する野盗』ではない、ノキア王国の『誇り高き正規軍』であることを、決して忘れるな!!」
その言葉は、冷水を浴びせるように兵士たちの頭を冷やし、ドス黒かった殺意を、澄み切った戦意へと研ぎ澄ませた。
俺は隣で馬を進めながら、フッと口角を上げた。
「……大したもんだ。本当に、立派な王太子になりやがった」
獣の連鎖を断ち切ったシャル率いるノキア軍は、決意も新たに、ついに帝国の領土へと逆侵攻の足を踏み入れた。
また、ここでギデオン率いる一万の別動隊は、協定を破り帝国軍の通行を許可したマセック国へと侵攻していく。マセック国は特使を送ったが、ギデオンはノキアとして、今回帝国軍が通過したマセック領をノキアに割譲するか、戦争にするかの二択であると告げる。ギデオンはそのままマセック領に留まり返事を待つ。
――しかし。
俺たちが国境を越えた頃。平和を取り戻したはずの王都の中心部で、凄惨な悲鳴が上がっていた。
ドゴォォォォォォンッ!!!
王立治療院の建物が、突如として巨大な爆発に包まれ、吹き飛んだ。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
「いや、違う! 爆発したのは……ノキアの市民だ! 男が、突然人混みの中で自爆したんだ!!」
パニックに陥る王都。爆発は一箇所ではなかった。
大聖堂、市場、政庁の周辺。次々と、虚ろな目をした『ノキアの一般市民』たちが、帝国から密輸された火薬兵器を抱え、無差別に自爆テロを起こしていたのだ。
「早く、治癒魔法を! 負傷者を助けて!」
治療院の魔導士たちが慌てて魔力を練ろうとするが、何も起きない。
「だ、ダメです! この周辺一帯に、『魔法封じの魔道具』が隠されています! 防壁も、治癒魔法も使えません!」
自らの手で同胞を肉片に変えさせる悪逆非道な自爆テロと、魔道具による完全な封殺。
瞬く間に、王都は阿鼻叫喚の地獄へと叩き落とされた。
燃え上がる王都の裏側。
長く閉ざされていた、薄暗い旧商館の跡地。
「ひはっ……ひひひひっ……」
片腕を失い、汚れた外套を深く被った男が、窓の隙間から立ち上る黒煙を見下ろして嗤っていた。
ガルド。
かつて栄華を極め、そしてすべてを失った復讐の亡霊。
「あははははっ! 燃えろ、燃えろォ! お前たちが誇る魔法なんて、俺が運んできた薬と魔道具の前じゃ何の役にも立たねえんだよ!!」
彼がノキアの市民に飲ませたのは、自我を破壊し、命令のままに動く自爆兵へと変える帝国の秘薬。
「俺からすべてを奪ったケント……シーナ……。お前たちが守ろうとしたものは、俺が全部、国ごと灰にしてやるよ……ッ!!」
失われた右腕の幻肢痛に顔を歪めながら、狂気に塗れた哄笑が、炎に包まれる王都の空に不気味に響き渡っていた。




