第48話:北の砦の戦女神たちと狂犬の帰還
ノキア王国、北の砦。
焦げた肉の匂いと、硝煙の入り混じった風が戦場を吹き抜けている。
パンッ! パンッ! という乾いた破裂音が、絶え間なく砦の防壁を叩いていた。
ウル帝国軍、およそ二万。彼らが陣地の最前線に据えた『魔法封じの魔道具』が展開する不可視の結界により、砦から放たれる魔法の多くが空中で霧散させられ、ノキアの防衛線は完全に押し込まれつつあった。
「怯むな! 結界の中に撃ち込む必要はない!」
弾雨の中、傷だらけの鎧をまとい最前線で指揮を執る、金髪の美しい魔導士セリーナが声を張り上げた。
彼女は帝国軍の陣地そのものではなく、敵の魔法封じの結界が及ぶ『ギリギリ手前の地面』に向けて、高火力の火魔法を放った。
ドゴォォォッ!!
魔法自体は敵に届かなくとも、地面で炸裂した爆発力は、大量の土砂や砕けた岩を巻き上げ、物理的な散弾となって結界の奥の帝国兵たちに降り注ぐ。
防ぐ手段のない物理的な投石と爆風に、前列の帝国兵たちが悲鳴を上げて後退した。
この数日間の絶望的な攻防の中で、セリーナが血を吐くような思いで見つけ出した、数少ない対抗策だった。
「シーナ! 今よ!」
「……座標固定。断熱圧縮」
セリーナの作り出した土煙と混乱の裏で、砦の奥に陣取っていた金髪の少女――シーナが静かに呟いた。
この魔道具の結界は、地中と壁には届かない。セリーナやシーナ達はその事実にいち早く気がついていた。だが、見えない地中深くを通して魔力を這わせ、敵の足元にピンポイントで魔法《爆鳴気》を構成するなどという魔力操作は、常識に囚われている普通のノキアの魔導師には絶対に不可能だった。
それができるのは、彼女のような王国の常識ではなく、ケントに常識を教えられ、素質も規格外の天才だけだ。
だが、そんなシーナでも、爆鳴気を戦術的兵器ではなく、武器レベルの使い方しか出来ていない。イメージが足りていないのだ。
ズドンッ!!
魔法を使われた形跡など一切ないにもかかわらず、突如として帝国軍の足元の地面が局所的に弾け飛び、陣地の要であった黒い魔道具が粉々に吹き飛んだ。
「結界が消えたぞ! 押し返せェ!!」
魔道具が破壊され、一時的に魔法が通るようになった区画へ、褐色の肌に赤髪を持つ美しくも隻眼の大剣使い・ザラを先頭にしたノキアの歩兵たちが一気に雪崩れ込む。ザラが持ち前の超人的な筋力で大剣を振るい、盾ごと両断していき、更に周囲を火魔法で吹き飛ばしていく。
結界の死角を突く天才的な感覚に、規格外の身体能力。
一般兵が手も足も出ない中、文字通り孤軍奮闘で前線を支え続ける彼女たち三人を、ノキアの兵たちは『三人の戦女神』と呼び、帝国軍は悪夢のように恐れていた。
だが、戦況は覆らない。
ドォンッ!!
「ぐああっ!?」
後退した帝国軍の中から、火薬を詰めた陶器――炮烙玉や擲弾が次々と投げ込まれ、ノキア兵の足元で炸裂した。
圧倒的な物量を持つ帝国軍は、魔道具を壊されてもすぐに次を補充してくる。砦の残存兵力は数千、対する敵は二万。いくら彼女たち三人が突出していても、休む間もなく押し寄せる火薬兵器と兵の波の前には、ジリ貧になるのは目に見えていた。
「はぁっ、はぁっ……クソッ、キリがないッ」
セリーナが弾かれたように敵の槍を斬り落とすが、その肩も激しく上下している。ザラも息を切らし、目隠しで精密な魔力操作を強いられ続けるシーナの魔力も限界に近づいていた。
その時だった。
ブォォォォォォ……ッ!
戦場に、これまでとは違う重苦しい角笛の音が響き渡った。
帝国軍の後方から、新たな巨大な土煙が上がる。見えたのは、煌びやかな装飾が施された無数の軍旗。第一皇子が率いる、精鋭の別働隊二万だ。
「なっ……増援、だと……?」
セリーナが絶望に目を見開いた。
合流した敵の総数は四万。
新たな魔道具が次々と運び込まれ、破壊された結界の穴が完全に塞がれていく。無数の銃口が、疲労困憊のノキア軍に向けられた。
砦を完全に包囲する必殺の陣形。
「……万事休す、か」
城壁の上のノキア兵たちが、次々と武器を取り落とし、その場にへたり込んだ。
これまでだ。誰もが死を覚悟した。
第一皇子の軍勢が剣を掲げ、全軍突撃の号令を下そうとした、まさにその時。
ズドドォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
砦の正面ではない。
はるか後方、合流したばかりの第一皇子軍の『最後尾』で、天地を裏返すような規格外の大爆発が起きた。
「なんだ!?」
「後ろだ! 後ろから攻撃を受けているぞ!!」
大地がめくれ上がり、第一皇子の本陣の一部が、数百の兵もろとも空高く吹き飛ぶ。
突如として背後から受けた奇襲。しかも、魔法が封じられているはずの結界の中で起きた大爆発に、四万の帝国軍は完全にパニックに陥った。
「あ、あれを見ろ!!」
見張り塔にいた兵士が、震える指で彼方を指差す。
炎と黒煙が立ち込める敵陣の最後尾。そこから、何かが飛んできた。
ヒュンッ! ヒュンッ!!
空気を切り裂く音と共に、音速まで加速された無数の『岩』が、魔道具の結界をすり抜けて帝国軍の頭上に降り注いだ。巨大な質量兵器による一方的な蹂躙。
真っ二つに割れた帝国軍の陣形の向こう側から、二騎の軍馬が、逃げ惑う敵兵を血祭りに上げながら一直線に砦へと向かってくるのが見えた。
地中からの誘爆。魔法を推進力にした質量攻撃。
その理不尽で容赦のない、見覚えのある戦術を見た瞬間、疲労困憊だったセリーナとザラの顔に、嬉しそうな笑みが浮かんだ。
「……遅いぞ、馬鹿」
最強の狂犬の帰還だった。




