閑話:帰雲の末裔と、俺たちの帰る場所
紅屋の商隊と共に港町『海府』へ出発する前日。
俺はシャルを宿に残し、一人で街の中を歩き回っていた。
この『アマテラス』という国には、以前から妙な違和感があった。
瓦屋根の建物、漢数字や算木による計算、そして帯刀している武士のような護衛たち。どう見ても日本の文化だが、近代の日本ではない。明らかに『刀を差す時代』の文化水準で独自の進化を遂げている。
何か、確信を持てるものはないか。
そう思って街外れまで足を延ばした時、俺の目の前に見覚えのある建造物が現れた。
――鳥居だ。
木造の古びた鳥居の奥に、こぢんまりとした社殿が建っていた。
手水舎で手を清め、俺は吸い寄せられるように本殿の前に立つ。鈴を鳴らし、深く二度お辞儀をし、二度手を叩き、そしてもう一度、深くお辞儀をした。
「……二礼二拍手一礼」
無意識に出た作法だった。
顔を上げると、社殿の脇から初老の男がこちらを驚いたような顔で見つめていた。白い狩衣を着た、神主だ。
「おや。お主……ずいぶんと古いしきたりを知っておるのだな」
神主が目を丸くして尋ねてくる。
俺は少し迷った後、冗談めかして肩をすくめた。
「俺は、知らない世界の夢をよく見るんですよ。その夢の中じゃ、ここは『日の本』っていう国で、天照大神は最高神で、女神でした」
その言葉を聞いた瞬間、神主の顔色が変わった。
「……お主、社務所へ参られよ」
通された薄暗い部屋で、神主は温かい茶を差し出しながら、静かに問いかけてきた。
「お主、『帰雲城』を知っておるか?」
「帰雲城……」
歴史の授業や、テレビのオカルト特集で聞いたことがある。
三百以上前の戦国時代、天正の大地震によって山が崩れ、城も城下町もすべてが一瞬にして土砂に飲み込まれて消滅したという、飛騨の幻の城だ。
「ああ。大地震で消えたっていう城だろ?」
「消えたのではない。……我々は、あの時にこの世界へ流れ着いた、帰雲の領民の末裔なのだ」
神主の口から語られたのは、途方もない歴史の真実だった。
あの大地震の日、城にいた領主は、夢枕に立った天照大神から『災いが来る』というお告げを聞いた。領主は領民を避難させようと城下町へ声をかけに走り……その直後、大地が割れた。
気がつくと、彼らは見たこともない深い山脈のただ中にいた。城も、街も、領民たちも、無傷のままこの世界へと転移していたのだという。
「先祖たちは苦労をして森を開拓し、近隣の集落と戦い、あるいは向こうから帰順してきて、いつしか一つの国になった。当時の国主は、日の本を生涯忘れぬように、そして我々を救ってくださった神への感謝を込めて、この国を『アマテラス』と名付けたのだ」
神主は熱を帯びた瞳で俺を見つめた。
俺が転移してくる何百年も前に、日本の戦国時代の人間が、集団でこの異世界に飛ばされていた。このアマテラスという国は、日本の歴史のイフであり、失われた帰雲城の生き残りたちの国だったのだ。
「どうか、お主の夢の中の話を聞かせてはくれまいか。その後の日の本が、どうなったのかを」
俺は、前世の記憶を頼りに語った。
徳川の時代が長く続いたこと。明治維新で国が開かれたこと。そして、世界を巻き込む悲惨な大戦争があったこと。
戦争の話を聞き、神主や、いつの間にか集まっていた禰宜、巫女たちは、苦悩に満ちた顔で顔を伏せた。だが、俺は最後にこう付け加えた。
「でも、今は平和な国になった。今でも天皇陛下はいらっしゃって、国民から深く慕われる『日本の象徴』として、国を見守っているよ」
その瞬間だった。
「おお……御上は……今でもおわすのか……ッ」
神主がボロボロと大粒の涙をこぼし、畳に手をついて泣き崩れた。周りの巫女たちも、声を上げて泣いていた。
何百年という時が経ち、世界が変わっても、彼らの魂の根底には『日の本の民』としてのアイデンティティが生き続けていたのだ。
夕暮れ時。
鳥居の下まで見送りに来た神主が、俺に向かって深く頭を下げた。
「お主が望むなら、この国に残らんか? お主の知識と作法があれば、すぐにでも重用されるはずだ」
故郷の文化。故郷の匂い。
ここにいれば、前世の日本に近い平穏な暮らしができるかもしれない。
だが、俺は茜色に染まる空を見上げ、小さく笑って首を振った。
「ありがたいけど……ここは俺にとって、懐かしい思い出に立ち寄るための場所だ」
「居場所ではない、と?」
「ええ。俺の居場所は、ここじゃない。――俺は、ノキア王国のケントだよ」
自分の口から出た言葉に、俺自身が少し驚いていた。
俺はもう、現代日本のくたびれたサラリーマンじゃない。異世界で血まみれになりながら、理不尽と戦い、悪態をつきながら生き抜いている『ノキアの狂犬』なのだ。
珍しくセンチメンタルな感傷に浸りながら歩き出した、その時。
「あーっ! ケント遅いよー!」
通りの向こうから、金髪の第一王子がブンブンと手を振りながら走ってきた。
「どこ行ってたのさ! お腹空いたから、早くご飯いこうよ!」
「……お前なぁ。人がせっかく黄昏てたってのに」
能天気に笑うシャルの顔を見ていると、さっきまでの感傷が嘘のように吹き飛び、なんだか無性におかしくなってきた。
俺は笑い出し、シャルの肩にガシッと腕を回した。
「そうだな! 飯食って、さっさと俺たちのノキアに帰ろうぜ!」
ここは、少しだけ懐かしい立ち寄り所だ。
俺には、この放し飼いのバカ王子と一緒に、帰らなければならない国があるのだから。




