第36話:暴走サイコと王族の流儀、そして魅惑の女将
白目を剥く御者の胸ぐらを片手で吊り上げながら、俺は口入屋から出てきた女へと冷たい視線を向けた。
上等な着物に身を包んだ、いかにも高貴そうな女だ。
「おい女。昨日乗ってたのがお前なら、こいつと同じようにしてやるからそこで待ってろ」
「なっ、無礼な! 姫様に向かって何という口の利き方を!」
女を庇うように前に出た護衛の男が、腰の刀に手をかけて強烈な殺気を放ってきた。
その瞬間、俺の中で冷たい怒りの炎に油が注がれた。
「……あれ? お前も死にたいのか?」
声が一段階低くなる。
前世の社畜時代からそうだった。俺は、一度理不尽な相手に口を開くと、自分の吐いた言葉でどんどん自分自身がキレていってしまう悪癖がある。完全に暴走モードのスイッチが入ってしまった。
口入屋の前の空気は、完全に凍りついていた。
御者は俺に掴まれたまま失禁して泡を吹き、姫と呼ばれた女は腰を抜かしてへたり込んでいる。護衛の男は俺から放たれる異様な圧力に滝のような冷や汗を流し、周囲の野次馬は誰一人として口を開けない。
「おい、右か左か早く答えろ。……決められないなら、俺が決めてやる」
ブチッ。
嫌な湿った音と共に、俺は掴んでいた御者の左耳を素手でむしり取った。
「ぎゃあああああああああっ!?」
御者の絶叫が響き渡る。飛び散った血の匂いが鼻を突く。
俺は血まみれの耳をポイと投げ捨て、もう片方の手で極細の超高圧水流を生成した。これで一思いに首を落としてやる。
「はいはい、そこまでだよー」
俺が水刃を振り下ろそうとした、その時。
後ろから肩をポンと叩かれ、完全に気の抜けた声が降ってきた。
「晩御飯の前にそういうのやめてよ、ケント。飯が不味くなるだろ」
シャルだった。地獄絵図のど真ん中で、これ以上ないほど能天気に笑っている。
そのあまりの緊張感のなさに、俺の中で高まっていた殺意がシュンと音を立てて萎んでしまった。
「……お前なぁ。人がせっかく落とし前つけさせようとしてるのに」
「もう十分ビビってるって。ほら、手ェ放してやりな」
俺はチッと舌打ちをし、水刃を消して御者を地面に放り投げた。
御者は耳を押さえてのたうち回っている。俺はそれに構わず、へたり込んでいる姫とその隣にいる侍女へ向き直った。
「おい。さっきも聞いたが、昨日乗ってたのはお前か?」
「き、貴様! まだそのような無礼を――」
吠える護衛を完全に無視し、俺は怯えきっている侍女に顔を近づけた。
「お前も昨日乗ってたなら、なんであんなふざけた真似をしたのか言え。恩人を砂漠に置き去りにするなんて、よっぽどの理由があるんだろ?」
「ひぃっ! あ、あれは、家老の……」
「バカ! それ以上しゃべるな!!」
侍女が口を滑らせかけた瞬間、姫が血相を変えて叫んだ。
俺はシャルと顔を見合わせ、その場にしゃがみ込んでヒソヒソと話し合いを始めた。
「なあシャル。どうやらお家騒動とか権力争い絡みらしいけど、上手く立ち回ったらノキアに帰る手がかりになると思うか?」
「うーん……権力争いのど真ん中にいた身としては、あまりおすすめしないかな。もし片方の陣営に味方して手柄あげても、用が済んだら口封じに殺されるのはよくある話だからなあ」
「マジか。お前ら王族って、平気でそんなことしてたの!?」
「いやあ、えへへっ」
「……照れるな。全然褒めてねえからな?」
異世界の泥沼の権力闘争について、実体験を元にドス黒い推測を立てる箱入り王子。
俺たちが周囲を完全に置き去りにして男二人でキャイキャイ話していると、背後から金切り声が飛んできた。
「き、聞こえておらんのかー!」
振り返ると、姫と呼ばれた女が顔を真っ赤にして、涙目でゼイゼイと肩を揺らしていた。完全に無視されたのが相当悔しかったらしい。
シャルが立ち上がり、ニコッと爽やかな笑顔を向けた。
「あー、ごめんごめん。今、俺たちの中で協議した結果、もういいから帰っていいよってことになったから。ほら、帰って?」
しっしっ、と犬でも追い払うように手で促すシャル。
姫はワナワナと全身を震わせていたが、俺が「まだ何か用か?」と凄むと、護衛に抱えられるようにして逃げるように去っていった。
「さて、本題に行こうぜ」
「だな」
俺たちは踵を返し、目の前の口入屋へと足を踏み入れた。
「い、いらっしゃいま……ひぃっ!?」
カウンターの奥にいた看板娘が、外の騒ぎをバッチリ見ていたのか、子鹿のようにプルプルと震えて後ずさった。
シャルがやれやれと肩をすくめる。
「ほらー、ケントがムチャやるから怯えちゃったじゃないか。……ごめんね、ちょっと依頼を出したいんだけど。ノキアっていう国の位置や、そこへの行き方の情報が欲しいんだ」
シャルができるだけ優しく尋ねた、その時だった。
「――ノキア? あんた達、訳ありかい?」
店の奥から、紫煙を燻らせながら一人の女が現れた。
胸元が大きく開いた着物をだらしなく着崩した、婀娜っぽい雰囲気を漂わせる熟女。
気怠げな視線が、俺とシャルを値踏みするように舐め回す。
……なんか、この女ザラ思い出すなぁ
全く未知の国で、俺たちの故郷の名に反応した謎の女。
この艶やかな熟女は、果たして敵か、味方か。
当初のプロットを変えたために0話を変更しました。
書いては有ったのですが、多少ネタバレになるので今まで変更してませんでした。ご迷惑おかけしますが、再度0話を読んでいただけるとありがたいです




