第29話:平和な部活と新たな爵位、そして波乱の転校生
あの血生臭い決闘騒動から、およそ一年が経過した。
結論から言えば、俺の学園生活は想定していたよりも遥かに順調で、そして平穏だった。
俺とオリヴィア先生が率いる『生活魔法研究会』は、あの「洗濯機」を皮切りに、次々と画期的な生活魔法具を開発していった。
当然、莫大な利権の匂いを嗅ぎつけた一部の貴族や商人たちが横槍を入れてこようとした。だが、そこは食えない大貴族であるルミナス侯爵が完璧に立ち回ってくれた。
市民の生活環境向上に直結する有用な魔法具を「王立魔法学院」が開発したという事実に王家は大変喜び、侯爵はそれらの権利を素早く王家へと献上したのだ。
結果として、俺たちは王家と宰相の強力な保護下に入り、利権を狙うハイエナ共は手を出せなくなった。
相変わらず俺自身がクラスで腫れ物扱いなのは変わらない。だが、これだけ国を挙げての注目を浴びれば、名声のおこぼれを狙う生徒たちでクラブ員は爆発的に増えた。
元々、侯爵から「国の未来のため、その魔法理論を広め、王国の礎となれ」と指示されていた俺の役目も、この『生活魔法具の普及』という形で、図らずも達成されつつあった。
そして先日。
これらの多大な功績が称えられ、俺とオリヴィア先生は王家から「男爵位」を授与されてしまった。
将来的にバルガス伯爵家を継承するまでの間、俺は個人として『ケント・フォン・ヴォルガン男爵』という立派な貴族になってしまったのである。
一方、プライベートの同居生活もすこぶる順調だった。
特待生クロエの実家は、バルガス領で始めた『水飴事業』が大成功。その勢いはルミナス領にまで拡大し、順調に利益を上げている。
クロエも俺たちにすっかり打ち解け、相変わらず何もない所で転んでは白日の下に下着を晒す不憫エロ可愛い属性は健在だ。
最近はザラやレナといった大人の女性陣と、何やらコソコソときゃいきゃいと密談しているのが少し気になっているが。
ともあれ、俺の地位と居場所は完全に確立された。
これからはヴォルガン男爵として、悠々自適な引きこもり部活ライフを満喫するだけだ。
――そんな風に、完全に油断しきっていたのだ。
◆
「えー、皆に紹介する。今日からこのクラスに入る転校生だ」
俺が14歳になった年の、新学期。
担任の言葉と共に教室に入ってきた少女の姿を見た瞬間、俺は自分の目を疑った。
(……は? なんでシーナがここに?)
金糸のように艶やかな金髪に、王立魔法学院の制服を完璧に着こなした凛とした佇まい。
一年前とは比べ物にならないほど洗練された「完璧な貴族の令嬢」の空気を纏っているが、その顔立ちは間違いなく、俺の義理の妹だった少女だ。
ざわめく教室。男子生徒たちがその美貌に息を呑む中、彼女は教卓の前に立ち、優雅にカーテシー(淑女の礼)をして微笑んだ。
「お初にお目にかかります。私の名前は、シーナ・バロッサ。――そちらにいる、ヴォルガン男爵の『フィアンセ』ですわ」
ピシッ、と。
教室の空気が、文字通り凍りついた。
(……フィアンセ?)
俺がポカンと口を開けていると、斜め前の席に座っていたクロエが「ええっ!?」と素っ頓狂な声を上げて勢いよく立ち上がった。
そして案の定というべきか、自席の椅子の脚に見事に躓き、盛大にバランスを崩して俺の方へと倒れ込んでくる。
「っと、危ねえ!」
俺は素早く魔力を巡らせ、彼女を支えようと手を伸ばした。
だが、その瞬間。俺の手がなぜか滑り、さらに足元ももつれ――。
「きゃあっ!?」
「うおわっ!?」
宇宙の法則が働いたとしか思えない見事な軌道で、俺とクロエは床に折り重なるように倒れ込んだ。
そして気がついた時、俺の顔面はクロエのスカートの中にすっぽりと入り込み、あろうことかクロエ自身が俺の顔の上に座り込む形になっていた。
「いっ、てて……ちょっとケント! キャーッ、あんたはいつもいつも!」
「ちがっ、俺のせいじゃないだろ! どけ!」
顔面に押し付けられるクロエの温もりと香りに悶絶しながら、俺たちがいつものようにドタバタとじゃれ合っていた、その時。
『――ふーん。いつも、なんだ……』
背筋が凍るような、絶対零度の声が頭上から降ってきた。
見上げると、教卓からいつの間にか移動してきていたシーナが、見下ろすような視線で俺たちを――正確には、俺の顔に座っているクロエを、黒い笑顔で見つめていた。
一切の火属性を感じさせないのに、なぜか彼女の背後に青白い炎の幻覚が見えるほどの、凄まじい殺気。
「ひぃっ!?」
クロエもその異常なプレッシャーを感じ取ったのか、ビクッと肩を震わせた。
だが、ここ最近ザラやレナの薫陶を受けて謎の強かさを身につけていた特待生は、ただ怯えるだけではなかった。
「あ、あら……」
クロエは俺の顔からどくどころか、シーナを真っ向から見据え、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「『 一緒に”暮らしている』けど、婚約者のことなんて聞いてないわよ?」
「……ッ!」
まさかの、強烈な同居マウント。
シーナの眉間がピキリと鳴り、教室内の温度が一気に5度ほど下がった気がした。
(親父ィィィッ!! これ一体どういう事だよォォォッ!!)
二人の美少女の間で火花が散り、俺が内心で義理の父親に血の涙を流しながら助けを求めていた頃。
◆
「うーん、美味い! やっぱりニナ殿の焼く手作りパイは最高だな!」
「ふふっ、ありがとうございます。おかわり、まだたくさんありますよ」
王都から遠く離れたバルガス領では。
すべての元凶であるギデオンが、ニナの焼いたパイを頬張りながら、平和すぎるティータイムを満喫していたのだった。




