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閑話:ベルンハイトの清算と、恋する乙女の誕生

 ケントが王都へ旅立つ、少し前のこと。

 ルミナス侯爵領の隣、ベルンハイト子爵領の領主の館では、一方的で圧倒的な交渉が行われていた。


「――以上の条件で、我がバルガス家はニナ殿の身柄を引き取る。また、セリーヌ殿とシーナ殿についても、ガルドとの離縁をこの場で認めていただきたい。ルミナス侯爵閣下も、この件は早急な解決を望んでおられる」


 応接室のソファに深く腰掛け、威圧感たっぷりに言い放つ男性。特例で伯爵へと昇爵したばかりの、ギデオン・フォン・バルガスである。


「は、はいっ! もちろんでございます、バルガス伯爵閣下!」


 冷や汗を滝のように流しながら平身低頭で同意するのは、この地を治めるベルンハイト子爵だ。

 無理もない。つい数ヶ月前まで同じ子爵だった男が、今や自分より上の『伯爵』となり、さらに上司である寄り親のルミナス家も『侯爵』へと格上がりしているのだ。

 格上の伯爵が、さらに格上の侯爵の威光を背負って直談判にきている。地方の子爵に、反論の余地など一ミリも存在しなかった。


「ま、待ってください! ニナは俺の妻だ! それにセリーヌまで離縁だなんて……ッ!」


 部屋の隅で床に這いつくばっていた男――ケントの元・父親であるガルドが、血走った目で叫んだ。

 だが、ギデオンは虫ケラを見るような冷ややかな視線を向けただけだった。


「黙れ。貴様がニナ殿やケントにしてきた非道、すでに調べはついている。……これ以上喚くなら、我がバルガス軍をもって、貴様の家ごと物理的に『清算』しても構わんのだぞ?」

「ひぃッ……!」


 歴戦の武人であるギデオンの本気の殺気に当てられ、ガルドは情けなく泡を吹いて気絶した。

 こうして、ベルンハイト子爵の全面的な協力(という名の完全降伏)により、一切の邪魔が入ることもなく、ニナ、そしてセリーヌとシーナの母娘は、クズ男との縁を完全に断ち切ることに成功したのだった。




 ――数日後。ルミナス領にある教会の奥室。


 ニナのたっての希望により、神父立ち会いの元で『血縁鑑定の儀式』が行われていた。

 魔道具の水晶に、ニナとケント、そして事前に採取させておいたガルドの血を一滴ずつ垂らす。


「……出ましたな。ニナ様とケント様は、間違いなく親子でございます。しかし――ガルド氏とケント様の間には、一切の血縁関係が認められません」


 神父の厳かな宣言に、ニナはその場にへたり込み、両手で顔を覆った。


「ああ……っ、よかった……本当に、よかった……っ」


 ポロポロと、大粒の涙が彼女の指の隙間からこぼれ落ちる。

 ケントはガルドの子種ではなく、ニナが過去に別の男性との間に身籠っていた子供だったのだ。あの忌まわしく最低な男の血が、愛する息子の体に一滴も流れていない。

 その事実が公的に証明されたことは、ニナの心に長年巻き付いていた呪いの鎖が、完全に砕け散ったことを意味していた。




 ――そして、ケントが王都へ出発する数日前。

 バルガス家にて、ニナが到着し挨拶のためにケントと二人、応接室で待っていた時のことだ。


「おおケント!王都に持って行く馬車の手配は出来たぞ! そちらがニナ殿か。私がギデオン・フォン・バルガスである」

「は、初めまして。ケント様にはいつも大変お世話になっております……」


 扉を開けて入ってきたギデオンに、ニナは深く頭を下げた。

 長い苦労から解放され、憑き物が落ちたように穏やかで美しい微笑みを浮かべるニナ。

 その薄幸で儚げな姿、そして芯の強さを感じさせる微笑みを見た瞬間――ギデオンの息が止まった。


(……っ! いや、違う。彼女は……)


 ギデオンの脳裏に、かつてルミナス家を巡る貴族の陰謀に巻き込まれ、理不尽に命を奪われた亡き妻子の姿がフラッシュバックする。

 あの日から、彼の時間は止まっていた。嫡男がいなくとも、侯爵は過去の負い目から何も言えなかった。親族の有象無象が利権に群がる中、強くて絶対に死ななそうなケントを養子に選んだのは、もう二度と家族を失う絶望を味わいたくなかったからだ。


 そして今、目の前にいるニナは、亡き妻の雰囲気にひどく似ていた。

 一目で、心が強烈に惹きつけられた。だが、同時に『また失うかもしれない』という気持ちが、ギデオンの胸を締め付ける。


(この気持ちを、軽々しく口にしてはならない。私にできることは……)


 ギデオンは震える拳を強く握り込み、まるで騎士が主君に忠誠を誓うような、ひどく真剣で、どこか悲壮な表情で告げた。


「ニナ殿。貴女がこれまでどれほどの苦労をされてきたか、ケントから聞いております。……このギデオン・フォン・バルガス、貴女を我が家で、生涯をかけて必ず『お守りする』と誓おう」


 それは不器用な男の、己のトラウマとの戦いであり、精一杯の誠意だった。


「えっ……あ、はい。ありがとうございます……?」


 突然の重すぎる宣言にニナは戸惑い、曖昧に首を傾げる。

 だが、隣で見ているケントは目を丸くしていた。


(なんだ……親父殿、いつもの脳筋の顔じゃない。あの目、本気だ。それに、何か深い過去の傷を堪えるような……)


 ただの脳筋の親バカだと思っていた義父の、違う一面を垣間見た気がして、ケントは静かに息を呑んだ。


 一方その頃。

 絶縁の手続きのために呼び出されて、ルミナス領の別の屋敷で保護されていた、セリーヌとシーナの母娘。

 教会の『血縁鑑定の結果』を聞かされた十三歳のシーナは、雷に打たれたように目を丸くしていた。


「お兄ちゃんと私……血が、繋がってない……?」

「ええ、そうよシーナ。ケント君は、あの男の子供じゃなかったの」


 セリーヌが安堵の笑みを浮かべて頷くと、シーナはワナワナと肩を震わせ、そして――バンッ! と両手で机を叩いて立ち上がった。


「ってことは! 私、お兄ちゃんのお嫁さんになれるってことじゃない!!」

「えっ? ちょ、ちょっとシーナ!?」


 これまで『大好きなお兄ちゃん』としてケントを慕っていたブラコン妹の心に、凄まじい業火が灯った瞬間だった。


「血が繋がってないなら、ただの同い年の男の子と女の子だもん! しかも今のお兄ちゃんは伯爵家の跡取りで超エリート! 王都になんて行ったら、絶対に悪い虫(女)が寄り付くに決まってるわ!!」


 十三歳の少女の瞳が、獲物を狙う肉食獣のようにギラリと光る。

「待っててねお兄ちゃん! 私が絶対に、正妻の座を勝ち取ってあげるんだから!!」


 かくして。

 王都で年上のお姉さん二人に囲い込まれているケントの知らないところで、同い年の義妹は『恋する乙女』へと鮮やかなクラスチェンジを果たし、猛烈なヒロインレースへの参戦を誓うのだった。

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