第23話:半年間のデスマーチと、戦友の甘い罠
「……なんで俺、異世界に転生してまでベンチャー企業の立ち上げみたいな事やってるんだろ」
ルミナス領の新たな物流と治安の要、『ノースウェスト・ギルド』のマスター執務室。
天井まで届きそうな書類の山に埋もれながら、俺は擦り切れた羽ペンを握りしめて血の涙を流していた。
新しいギルドの立派な建物が完成したのは、数ヶ月前のことだ。
だが、前世でサラリーマンをやっていた俺は知っている。「ハコ(建物)」を作っただけでは、組織は絶対に回らないということを。
旧ウェストギルドが野盗と結託していたせいで、領民や商人たちのギルドに対する信用は完全に地に落ちていた。
まずはそのマイナスをゼロに戻すための、泥臭い『ドブ板営業(PR活動)』からすべては始まった。
『新生ノースウェスト・ギルドは、領主軍と連携したクリーンな組織です! 護衛依頼も魔物駆除も、適正価格で安全・確実にお引き受けします!』
俺とザラは、ルミナスの商店や近隣の村を一件一件訪ね歩き、時には土下座に近い勢いで頭を下げて依頼を取ってきた。
だが、依頼を取ってきたら今度は『品質管理(QC)』の壁が立ちはだかる。
冒険者たちが以前のように適当な仕事をしたり、報酬をごまかしたりしないよう、俺は前世の経験を活かして分厚い『業務マニュアル』と『監査システム』を構築した。完了報告のフォーマットを作り、依頼主からの評価アンケートを導入し、不正発覚時のペナルティを徹底的に周知させる。
さらに、机上の空論にならないよう、街道の安全度チェックという名の『実地調査』も行った。
俺とザラで実際に森や街道へ出向き、魔物の分布状況の更新や、盗賊が潜みそうなポイントの洗い出し、パトロールルートの策定を徹夜でこなす。
「おいケント! 第三区画の魔物分布図、最新版に書き直したぞ! あと、Bランクパーティからの完了報告書にハンコ頼む!」
「了解です! あ、ザラ、明日の商隊護衛のシフト表、前衛が一人足りません! すぐ手配を!」
まさに不眠不休。血を吐くようなデスマーチ。
だが、二人三脚で泥にまみれ、時には反発する旧世代の冒険者を俺の『奥の手』で(合法的に)ねじ伏せながら駆け抜けたこの半年間は、確実に実を結んでいた。
――そして、新生ギルドが本格稼働を始め、全ての業務がようやく『通常通り』に回り始めた、ある日の夜。
「……終わった。マジで、全部の書類が終わった……っ」
俺は執務室の机に突っ伏し、深い、深い安堵の息を吐き出した。
目の前には、綺麗に処理され、完璧にファイリングされた書類の山。明日からの業務は、マニュアルに沿って職員たちが回してくれる。俺たちのベンチャー立ち上げは、ついに成功したのだ。
「がははははっ! やったなケント! アタシたちの勝利だ!!」
ドンッ! と机に置かれたのは、樽いっぱいのエール(麦酒)と、山盛りの肉料理だった。
今日の執務室は、俺とザラ、二人だけの打ち上げ会場だ。
ザラはすでに出来上がっているのか、顔を赤くしてジョッキを煽っている。俺のグラスには、エールではなく高級な果実水が注がれていた。
「お疲れ様です、ザラ。……本当に、死ぬかと思いましたよ」
「違いない! けどよ、お前がいてくれなきゃ、絶対にここまで来れなかった。アタシ一人じゃ、ただの荒くれ者の集まりのままだったさ」
ザラはご機嫌な様子で俺の隣に座り込み、その筋肉質でしなやかな腕で、俺の首にガシッと腕を回してきた。
「お前は本当に十二歳かってくらい頭が良くて、頼りになる戦友だよ! ありがとな、ケント!」
「ちょっ、ザラ、酒臭いですよ! それに苦しい!」
頭をグリグリと撫で回されながら、俺は文句を言う。
だが、その声はどこか弾んでいた。この半年間、ただのビジネスパートナーという枠を超え、背中を預け合って戦い抜いた確かな絆が俺たちにはあった。
「んふふ〜……今日は飲むぞぉ……アタシたちの、最高で最強のギルドに、乾杯……」
「はいはい、乾杯……って、おい、ザラ?」
ジョッキを合わせた直後、ザラは俺の肩にもたれかかったまま、スヤァ……と寝息を立て始めた。
半年間の極度の疲労と、プレッシャーから解放された安心感が、酒の勢いで一気に押し寄せてきたのだろう。
「……全く。ギルドマスターがこんな所で寝落ちしてどうするんですか」
俺はやれやれとため息をつき、ザラを担ぎ上げて、執務室の奥にある仮眠室(彼女のプライベートスペース)のベッドへと運んだ。
毛布をかけ、俺も帰ろうとした――のだが。
(……ダメだ、体が鉛みたいに重い。俺ももう、限界か……)
魔力は無尽蔵でも、十二歳の肉体疲労はごまかせない。
俺は、部屋の隅での床で、そのまま抗いがたい睡魔の底へと引きずり込まれていった。
――チュン、チュン。
翌朝。小鳥のさえずりと、窓から差し込む朝陽の眩しさで、俺はゆっくりと意識を浮上させた。
(……ん、朝か。よく寝たな……って、なんかすごく柔らかくて良い匂いがする……?)
俺の顔は、何かに深く埋もれていた。
信じられないほど柔らかく、そして温かい、極上の感触。
それに、俺の体全体が、何かにガッチリとホールドされている。まるで、巨大な抱き枕にでもされているかのような――。
「んぁ……んん……」
頭上から、甘く、少しハスキーな寝息が聞こえた。
俺は恐る恐る目を開け、自分の顔が埋まっている『それ』の正体を確認した。
「――――ッ!?」
そこにあったのは、大きくはだけたシャツの胸元。
そして、その隙間からこぼれんばかりに主張している、豊満で柔らかな『双丘の谷間』だった。
俺の顔は、三十歳前後の鍛え抜かれた美魔女の、その最も無防備で暴力的な胸の谷間に、隙間なくピッタリと埋まっていたのだ。
「おわっ!? な、なんで俺、ベッドの上に!?」
俺がパニックを起こしてジタバタと暴れると、俺を抱きしめていた腕の持ち主――ザラが、うっすらと赤い左目を開けた。
「ふぁぁ……よく寝たぁ。……ん? ああ、おはよ、ケント」
「お、おはようございますじゃないですよ! 離して! というか服!」
俺が顔を真っ赤にして叫ぶと、ザラは自分がシャツのボタンを開け放ち、俺を抱き枕にしている状況に気づいたらしい。
だが、彼女は全く動じる様子もなく、むしろ「わははははっ!」と豪快に笑い飛ばした。
「悪い悪い! 夜中に目が覚めたら、お前が床で丸まって寝てるからよ。風邪引くと思ってベッドに引っ張り上げたんだが……お前、小柄であったかいから、つい抱き枕にしちまった。潰してなかったか?」
「つ、潰れてません! ていうか、そういう問題じゃ……ッ」
ザラは「気にすんなって、戦友だろ!」と笑いながら俺の頭をポンポンと叩き、伸びをしてベッドから降りていった。
十二歳の子供、あるいはただの戦友。
彼女にとって、俺とのスキンシップは少し大きなぬいぐるみと一緒に寝た程度の認識なのだろう。
――だが。
ベッドの上に一人残された俺は、自分の顔を両手で覆い、爆発しそうな心臓の鼓動を必死に押さえつけていた。
(……やっば。めちゃくちゃ、良い匂いした)
前世の四十三歳の記憶。
おっさんの魂に、先ほどの強烈な柔らかさと大人の色香は、あまりにも刺激が強すぎた。
元冒険者の引き締まった筋肉質な肢体に、アンバランスなほど豊満な胸。
眼帯をした野性味あふれる三十路の美魔女。
(……ダメだ。完全に、俺のストライクゾーンど真ん中だわ……)
今まで「頼れる仕事のパートナー」としてしか見ていなかった。
だが、あの無防備な寝顔と、包み込まれるような感触を知ってしまった今、俺のザラを見る目は確実に変わってしまっていた。
有能な頭脳と冷徹な判断力で無双してきた元社畜が、年上のお姉さんの色香にドギマギし始める。
ルミナス領での新たな生活は、どうやら別の意味でも前途多難になりそうだった。




