第16話:社畜の反省と、崩壊するギルド、そして胃痛の騎士団長
ノースギルドを後にして、ルミナスの大通りを歩きながら、俺は大きく深呼吸を繰り返していた。
頭に上っていた血がゆっくりと引いていき、冷静な思考が戻ってくる。前世で理不尽なクレーム対応の後に、非常階段で一人タバコを吸いながら気持ちを切り替えていた時と同じ感覚だ。
「……やりすぎたな。あれじゃ駄々っ子だよ」
誰に聞かれるでもなく、俺はポツリと呟いた。
ザラやノースギルドの冒険者たちを本気で殺そうとしたこと自体に、後悔や罪悪感は一ミリもない。あいつらは、間接的とはいえ確実に盗賊の被害者を増やした共犯者だ。あのアジトで無惨に殺されていた子供たちのことを思えば、あそこで全員の首を刎ねていても俺の心は微塵も痛まなかったろう。
でも、問題は『やり方』だ。
いくら相手がクズでも、真っ昼間のギルドの訓練場という公衆の面前で数十人を皆殺しにすれば、法的には俺がただの「狂った大量殺人鬼」として手配されるだろう。あの場には騎士団も来ていたしな。もしあのまま殺していれば、この街での平穏な生活は完全に終わり、追われる身になっていた。
(次にああいう手合いを始末する時は、事前にきっちり根回しをして相手が『完全な悪』になるように仕向けるか、あるいは人気のない場所で『正当防衛』の形をとって現行犯として処理しないとな。……うん、コンプライアンスは大事だ)
法とルールを利用して自分の身の安全を確保する。それが大人のやり方だ。感情に任せて動くのは二流の仕事である。
そしてもう一つの反省点。それはバルガスに対する態度だ。
あのおっさんが俺を騙して勝手に養子縁組の書類を作っていたのは万死に値するし、俺が怒るのは当然の権利だ。だが、一応あいつは俺にとって『特別報酬(一億円)』をくれたクライアントでもあるのだ。
(いくらムカついたからって、クライアントの顔に泥を塗るような暴言を吐いて、その場で職場放棄するのは社会人としてよろしくなかった……。せめて、今回の『ノースギルド登録及び視察』の依頼料と経費をきっちり請求して、金を受け取ってからドライに契約解除すべきだった)
ただキレて帰ってきてしまったため、今回のタダ働きが確定してしまった。それが一番悔しい。
俺は「次からはもっとビジネスライクにいこう」と固く心に誓いながら、拠点である『風見鶏の寝床』へと足を向けた。
一方その頃、ケントが去った後のノースギルドは、文字通りの『崩壊』を迎えていた。
「……荷物をまとめろ。アタシは今日限りでギルドを抜ける」
ギルドマスターの執務室。
首筋に当てられた冷たい刃の感触と、圧倒的な死の恐怖からようやく立ち直ったザラは、焦点の合わない目で幹部たちにそう告げた。
統括ギルドへ提出する退職願の羊皮紙には、すでに彼女の震えるサインが記されている。
「ザ、ザラさん!? アンタがいなくなったら、ノースはどうなるんでさ!」
「知るもんか。……アタシたちは、あの子供に『お前たちは盗賊そのものだ』と断罪された。そして、誰も言い返せなかった。誇りも正義も、最初からそんなものは無かったんだよ」
自嘲気味に笑うザラの左目からは、かつての覇気は完全に失われていた。
彼女の心が折れた理由は、ケントの圧倒的な魔法の力や殺気だけではない。自分たちが必死に守ろうとしていたギルドの自治が、結果的に弱者を食い物にしていたという『真実』を容赦なく突きつけられ、アイデンティティそのものを完全に粉砕されたからだ。
崩壊はザラだけにとどまらなかった。
あの訓練場でケントの『殺意』と『爆発』を直接浴び、さらに「人気のない所で会ったら死ぬと思え」と宣告された数十人の冒険者たち。彼らはギルドからそれぞれの寝床に戻るなり、真っ青な顔で慌てて荷物をまとめ始めていた。
「おい、急げ! 今日中にルミナスを出るぞ!」
「馬鹿野郎、街道でアイツに会ったらどうすんだ!? ほとぼりが冷めるまで隣町の宿に引きこもるしかねえ!!」
命の危険を感じた彼らは、蜘蛛の子を散らすように街から逃げ出す準備を始めた。
さらに、その異様な空気と「騎士団長の養子であるバケモノの子供に目をつけられた」という噂は瞬く間に広がり、直接関わっていない一部のギルド職員たちまでが「とばっちりで殺されるかもしれない」と恐怖し、次々と退職を申し出る事態に発展していた。
結果として、ルミナスの四大ギルドの一角であるノースギルドは、たった一人の十二歳の少年によって、物理的にも組織的にも、たった半日で実質的な解体状態へと追い込まれたのだった。
「……胃が、痛い……」
領主館の執務室。
騎士団長バルガスは、部下からの報告書を読みながら、顔をしかめて備え付けの強い胃薬を水で流し込んでいた。
報告書に書かれているのは、ノースギルドの機能停止と、ギルドマスター・ザラの辞任。そして多数の冒険者の逃亡。
当初の目的であった「ギルドへの楔打ち込み」どころの騒ぎではない。完全に一つの組織を物理的・精神的に消し飛ばしてしまったのだ。予想を遥かに超える特大の戦果と言えなくもないが、バルガスとしては全く喜べる状況ではなかった。
(あのバカげた破壊力の爆発魔法に、音もなく相手の意識を刈り取る未知の魔法。……そして何より、躊躇なく人間の首を刎ねようとする、あの凍りつくような殺意。本当にアレは、十二歳の子供なのか……?)
バルガスは額に滲んだ冷や汗を拭った。
問題は、この後の『領主への報告』と『他ギルドの動向』だ。
領主であるアルフレッド・フォン・ルミナス伯爵は、決して悪人ではない。領民を第一に考える「まともな貴族」である。だからこそ、腐敗したウェストギルドの排除には賛同したが、今回のノースギルド崩壊による「統括ギルドやイースト、サウスとの深刻な全面対立」までは望んでいないはずだ。
(統括ギルドの連中が黙っているはずがない。「ノースを壊滅させたバルガスの子息の身柄を引き渡せば、今後の協力体制を作る」と取引を持ちかけてくる可能性は極めて高い……)
もしそうなった場合、政治的なバランスを重んじるアルフレッド伯爵が、対立解消のためにケントを『トカゲの尻尾』として差し出す判断を下すかもしれない。
バルガスとて、騎士としての誇りはある。勝手に養子縁組という駒として使っておいて、問題が起きたらギルドに売り飛ばすなど、良心が激しく咎める。
だが、バルガスが本当に恐れているのは、自分の良心の呵責などではなかった。
(……もし、領主様がケントを切り捨てた場合。あの少年は間違いなく、領主と騎士団を『完全な敵』とみなすだろう)
バルガスの脳裏に、訓練場に穿たれた巨大なクレーターと、自分に向けられたドス黒い怒りの声が蘇る。
『おまえら、人気のない所で俺に会ったら死ぬと思えよ』
あれはノースの冒険者たちに向けられた言葉だったが、もし矛先がこちらに向いたなら。
あの少年は、ギルドだろうが領主軍だろうが、自分に牙を剥く者は全て平等に、そして合理的に「害虫」として処理するだろう。もしケントが本気でブチ切れてルミナスの街中で暴れ回れば、それこそ街の半分が焦土と化す。
「……あの少年を敵に回すことだけは、絶対に避けねばならん。なんとしても、領主様を説得してケントを庇いきらなければ……」
バルガスは再び強い胃の痛みに顔を歪めながら、統括ギルドとの絶望的な政治交渉と、味方(領主)への根回しのための書類作成に、泣きそうになりながら取り掛かるのだった。




