第120話:狂気の大義と、同類たちの帰結
シン帝国における惨劇の最終目的地、港湾都市バルゲン。
そこから半日ほど離れた海沿いに、クダーと呼ばれる小さな漁村がある。すでに一隻の漁船すら残されていなかったが、それでも地図の片隅にあるこの村の存在を知る数千人の難民たちが、藁にもすがる思いで押し寄せていた。
そこへ、沖合に停泊したスクーナー船から降ろされた数隻のカッターボートが、波を掻き分けて接岸する。
乗っていたのは、ザラやデックス率いるノキアの精鋭部隊だ。バルゲン周辺の海域は逃げ惑う船で大混乱に陥っており、直接港に乗り付けるのは困難と判断し、この寂れた漁村を上陸地点に選んだのである。
「おい、軍の船だぞ!」
「助けに来てくれたんだ! 乗せろ、俺たちを乗せてくれ!」
接岸と同時、カッターボートを見た難民たちが、血走った目で砂浜を埋め尽くすように殺到してきた。
自分たちを避難させてくれる軍船だと思い込んでいるらしい。怒号と悲鳴が入り混じる狂乱の波に対し、ザラはすぐさま不可視の障壁を展開して、押し寄せる群衆をブロックした。
「チッ、面倒なことになったね」
ザラは舌打ちをすると、威嚇のために頭上の空へ派手な炎の球を打ち上げた。
ドォン! という爆音と熱に、群衆が一瞬だけ怯む。
「落ち着きな! アタシ達はアンタらを助けに来たわけじゃない。アンタらが喧嘩を売ったノキアとハーンの軍だよ! お前らに用はない、とっとと散りな!」
ザラが声を張り上げるが、恐怖と疲労で極限状態にある難民たちに、その言葉は全く別の形で火をつけた。
「お前らのせいだろ! お前ら野蛮人が攻めてきたからこんな事になったんだ!」
「ふざけるな、船をよこせ! 私たちは被害者なんだぞ!」
群衆は散るどころか、さらに顔を真っ赤にして逆上し、見えない障壁をバンバンと叩きながら口汚く罵り始めた。
自分たちの国が何をしてきたかなど棚に上げ、すべての責任を他国に押し付けて喚き散らす姿は、あまりにも身勝手で醜悪である。
『みんな、落ち着いて! 争いに来たわけじゃないの!』
見かねた妖精のスーが前に出て宥めようとするが、群衆の耳には届かない。
「うるさい、さっさとその見えない壁を消せ!」
「こっちで勝手に殺し合ってればよかったんだ! こっちは迷惑してるんだよ!」
傲慢な物言いが次々とぶつけられる中、デックスたちは困惑に顔を見合わせた。しかし、それ以上にデックスを戦慄させたのは、先頭に立つザラの様子だった。
段々と、彼女の顔から表情が消え、絶対零度の殺意が漏れ出し始めていたのだ。
「……てめえら」
ザラの低い声が、波の音を断ち切った。
「てめえら、うるせんだよ!!」
次の瞬間、ザラは一切の容赦なく、障壁の前に群がっていた市民たちを極大の炎で薙ぎ払った。
「ぎゃあああああっ!?」
最前列にいた数十人が一瞬で黒焦げの炭と化し、砂浜に悲鳴が響き渡る。
ザラは炎の余韻もそのままに障壁を解除すると、背中の大剣を抜き放ち、冷酷に言い放った。
「まあいいや。アタシの邪魔をする奴は死ぬぞ。どけ」
ザラが砂を蹴って走り出す。逃げ遅れた者、立ち塞がる者。前にいる人間は、女だろうが子供だろうが、老人だろうがお構いなしに大剣で真っ二つに斬り伏せられていく。
「ザラ殿!?」
デックスが驚愕の声を上げるが、止まっている暇はない。ザラが斬り開いた血の道に、後ろから次々と群衆がなだれ込んでくるからだ。彼らはもはや理性を失い、ゾンビのような虚ろな目で殺到してくる。
「くそっ、迎撃しろ! 突破するぞ!」
デックスの号令に従い、隊員たちも剣を振るう。
元々個人の技量が極めて高く、ヤーマンの遺した魔法の腕輪や障壁の魔導具まで使いこなす彼らにとって、一般市民など相手にならない。
だが、武装した兵士ではなく、無抵抗に近い市民をただ屠り続けるという作業は、誇り高きハーンの精鋭たちの精神を確実に疲弊させていった。
血反吐を吐くような思いで難民の群れを突破したデックスたちは、一部の市民が避難用に使っていた馬を奪い取ると、血塗れのまま先行するザラの後を追って駆け出した。
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一方その頃。
バルゲンへと続く街道では、二人の男女が死の行軍を続けていた。
「ついに、バルゲンねえ」
難民の集団に追いつくたび、セリーナが炎の槍で人々を串刺しにしながら楽しそうに微笑む。
「ああ。あそこに逃げ込んだ連中をまとめて爆鳴気で吹き飛ばして、綺麗に焼き尽くしたら、ノキアに帰ろう。シーナの借りは、これで十分に返したしな」
俺は歩きながら、逃げ惑う人々の足元に爆鳴気を発生させ、彼らをバルゲンの方角へと追い立てるように起爆する。恐怖で狂ったように走る彼らを見て、俺は満足げに頷いた。
「そうね。目覚めた時に私たちがいないと、あの子、きっと寂しがるだろうし」
「あいつは甘えん坊だからなあ。それに、可愛い婚約者だし」
「フフッ、帰ったらすぐ結婚式かしら。ウェディングドレス、用意しなきゃね」
凄惨な血しぶきと断末魔の嵐の中で、俺とセリーナはどこにでもいる幸せな家族のように、愛する娘の未来について語り合っていた。
避難民を追い立て、時に挽肉に変えながら、俺たちの足取りはひどく軽快だった。
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バルゲンまで残り数キロという近郊の平野に差し掛かった時。
街道の向こうから、砂埃を上げて猛スピードで駆けてくる馬の集団が見えた。
「……やっと、見つけたよ」
先頭を走っていた馬が俺たちの前で立ち止まり、降り立ったのは見慣れた浅黒い肌の女剣士だった。
「ザラ!」
「二人とも、怪我はしてないようだね」
ザラは俺とセリーナを気遣うように視線を巡らせ、フッと安堵の笑みを漏らす。
「ああ、ありがとうザラ。心配かけたな」
「また顔が見れて嬉しいわ、ザラ」
俺とセリーナが笑い返すと、ザラの後ろからデックス率いる部隊も追いついてきた。彼らの鎧は、市民の返り血で酷く汚れている。
「お前らも来てくれたのか」
俺の言葉に、デックスは複雑そうな表情で息を吐いた。
「……少しは怪我くらいしているかと思って急いで来ましたけどね。無用の長物だったようです」
無事に身内との合流を果たし、俺は再び要塞港湾都市バルゲンの巨大な城壁へと視線を向けた。
「さあ、お喋りはこれくらいにして。これで、いよいよ仕上げだ」
俺とセリーナが再び歩き出そうとした時、ザラが静かな声で問いかけてきた。
「……もう、十分殺しただろ? まだ海を渡ってアマテラスに逃げて行ってる連中もいる。この港の奴らは、見逃してやれないのかい?」
その問いに、デックスたちも無言で俺を見つめている。
俺は立ち止まり、収納の腕輪から「ある物」を取り出した。それは、道中で手に入れた シン帝国の新聞だった。
俺はそれをザラに手渡し、デックスにも読めるように広げて見せる。
「『今日のニューヴェ大陸』って連載記事だ。読んでみろ」
そこには、シーナが狙撃された事件が、まるで娯楽小説の痛快なワンシーンのように脚色されて書かれていた。野蛮な王族の娘がシンの偉大な技術によって撃ち抜かれたという、悪意に満ちたエンターテイメント。
さらには同じ連載の中で、『ギークに討たれたハーン兵の手記』と題された記事もあった。ギークとの小競り合いで戦死したハーンの兵士が、残してきた家族に向けて書いた個人的な手紙を、名前付きでさらし上げ、「たかが荒野の地で死ぬとは野蛮で滑稽だ」と嘲笑っていたのだ。
「俺たちはこれを見て、決めたんだよ」
新聞から顔を上げたデックスたちに、俺は冷たく言い放つ。
「人の生き死にを娯楽にする国や人間は、例外なく皆殺しにするってな」
デックスが、痛ましそうな顔で反論する。
「しかし、この国にも子供はいる。こういった新聞の娯楽に反対していた良識ある人間もいたはずだ」
「そうだな。確実にいただろう」
俺はあっさりと肯定した。
「でも、数十万の人間の中から、どうやってその無実の人間を見分けるんだ? 額にでも書いてあるのか?」
「……それは」
「俺は、無実の人間がいるからと仇を見逃すくらいなら、無実の人間が混ざっていても全員殺す。そう決めたんだよ」
絶対的なゼロか百かの論理。
俺は無言で立ち尽くすザラを真っ直ぐに見つめた。
その重苦しい沈黙を破ったのは、ザラの肩に止まっていた妖精のスーだった。
『……ねえ、ケント。シーナの目が、覚めたんだ』
「えっ……」
その報告を聞いた瞬間。セリーナは両手で口元を覆い、ポロポロと大粒の涙を零して目を閉じた。
俺も、張り詰めていた肩の力が抜け、心底ホッとしたような安堵の溜め息をつく。生きててくれた。目を覚ましてくれた。それだけで、世界中の何よりも価値がある報せだった。
「良かった……。じゃあ、とっとと片づけて、帰ろうか」
『ケント!』
当然のように殺戮を継続しようとした俺に、スーが悲鳴のような声を上げる。
「スー。俺は、俺達は、このシンを潰すって決めたのさ」
俺がそう言うと、ザラが深々とため息をついて口を開いた。
「ケント。ここにはアタシ等しかいないんだから、本当のことを言ってくれないか? アンタがシンを潰すのって、個人的な恨みだけじゃないね? ……ひょっとして、ノキアのためかい?」
その鋭い指摘に、俺は少しだけ目を見開いた後、自嘲気味に笑った。
「……ああ、そうだ。シンの銃や近代装備は、ハッキリ言って異常だ。今は俺たちが奇襲をかけたから勝てたが、もし軍同士で正面からぶつかれば、ノキアだけじゃなく、ウルやマセックを合わせてもいずれは負ける。十年放っておいたら俺達だってやられるかもしれん」
俺の言葉に、デックスがハッとして息を呑む。
「だから、技術ごとすべて消したかった。それに……シンという大国を単独で消せる人間がノキア王国と深い関係にあれば、今後、旧ヴェレツケール連合の中でもノキアが強大な発言力を持てるかなと思ったのはある」
「なるほどねぇ。アンタらしい、エグい計算だ」
ザラが呆れたように笑う。
怒りや復讐という感情の裏で、俺は常にノキアの国家防衛と地政学的な戦略を計算していた。ノキアの未来の憂いを断つために、この国を滅ぼす。
「ただな」
俺は、隣で涙を拭うセリーナの肩を抱き寄せた。
「それでも、普通はここまでやらないし、できない。結局、俺達はこういう人間なんだろう」
愛する娘が目を覚まして、心の底から嬉しい。
だからこそ、すぐ帰ろうではなく、「じゃあすぐ殺してから帰ろう」という発想にしかならないのだ。
「なあ、セリーナ」
「ええ。私たちの愛する家族のために、全部燃やしましょう」
俺とセリーナが見つめ合って頷く姿は、紛れもなく、人間の皮を被ったバケモノのそれだった。
そんな俺たちの歪みきった愛の形を見届けて、ザラは自分の大剣を肩に担ぎ直した。
「わかった……。じゃあ、行こうかケント、セリーナ。とっととバルゲンを潰しちまおう」
「ざ、ザラ殿!?」
信じられない物でも見るかのように、デックスが声を震わせる。
しかし、ザラは振り返りもせずに鼻で笑った。
「デックス、言ったろ? アタシはコッチ側の人間だって。そこに旦那と親友がいるんだから、一緒に行くさ」
「ザラ……」
俺が名前を呼ぶと、ザラはニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「さあ、行くよ! デックス、アンタらはそこで、この顛末を最後まで見届けな!」
『待ってよザラ、私も行く!』
スーも慌ててザラの肩に飛び乗り、俺、セリーナ、ザラの三人、そして一匹の妖精は、逃げ場を失った数万の命がひしめく要塞港湾都市バルゲンへと向かって、駆け出していった。




