第119話:炎の龍と、傲慢への手向け
東へ向かう街道には、どこまでも続く難民の列がうねっていた。
その群れの中に、俺とセリーナはごく自然な足取りで紛れ込んでいる。装備はすべてオリヴィア特製の腕輪の収納空間に収め、顔の下半分を簡素な布で覆い隠した出で立ち。周囲を歩く疲れ切ったシン国民の誰一人として、隣を歩くこの若い男女が、つい何日か前に首都や軍事基地と五万の正規軍、さらにノクテスを挽肉に変え、地上から消した張本人だとは気づいていない。
二人はこのまま難民に紛れて、大きな集団になったところで、まとめて『喰う』つもりで歩いているのだ。
「お若いの、君たちもバルゲンに向かうのかい?」
道すがら、数千人規模の難民が足を止めている野営地に着いた時のこと。
人の良さそうな白髪の高齢男性が、ふらりと俺たちに声をかけてきた。
「ええ、まあ。そんなところです」
「そうかそうか。大変だったろう。こっちでスープの炊き出しをやっているんだ、冷える前に飲みなさい」
男は優しげに目を細め、俺とセリーナに温かいスープが入った木の実の器と、少し硬くなったパンを手渡してくれた。
俺とセリーナは顔を見合わせる。
まさか、国を一つ消し飛ばす道中で、その国の民から炊き出しのスープを勧められるとは思ってもみなかったのだ。
「ありがとうございます。奥さん、大変でしたねぇ、さあ座って」
周囲の婦人たちも、セリーナを労りながら粗末な木箱の椅子を勧めてくる。彼女もまた「ええ、本当に……」などと、か弱い妻の演技をしながらパンを受け取っていた。
とても、いい人たちに見える。
困っている同胞を見過ごせず、なけなしの食料を分け与える優しさを持った、平穏を愛する真っ当な市民の姿。
だが、俺たちが彼らを皆殺しにするのに、躊躇する理由などは、いまだ欠片も存在しなかった。
「今はどんな状況なんです? どこか安全な場所に集まっていたりするんでしょうか」
立ったままスープを口に運びながら、俺は周囲の人間たちに探りを入れる。
「いやはや、まったく酷い話だよ。どうやら今回は、ハーンと関係国の野蛮な連中が起こした大規模なテロらしいじゃないか」
男の一人が、忌々しそうに地面に唾を吐き捨てた。
「まったくだ。我々は被害者だというのに。こんな目にあう謂れはない」
「いつも通り、向こうの大陸の小競り合いを新聞で読んで楽しんでいればよかったんだ。政府の連中が余計な欲を出すから、こっちにまで野蛮人が入り込んでくる」
次々と口にされるのは、口汚い罵詈雑言と、見事なまでの他責思考。
誰もが自分たちを悲劇の被害者だと信じて疑わない。シン帝国の人間が、転移装置を使って他国を侵略し、他人の命を弄び、それを毎朝のコーヒーのお供として『新聞の娯楽』に消費していたことに対する罪悪感など、彼らの脳内には一ミリも存在していないのだ。
自分たちは絶対の安全圏から他人の死を楽しむ権利があるが、自分たちが傷つけられることなど絶対に許されない。それが、この国の人間が何千年もかけて育て上げた、純粋で悪意のない傲慢の正体。
ふう、と息を吐き、俺は最後の一滴までスープを飲み干した。
「……美味しかったです。ごちそうさま」
空になった器を、高齢の男性に手渡す。
「そうかい、それは良かった。さあ、君たちも少し休んで――」
「さて。スープの礼だから、一番楽に殺してやるよ」
俺の静かな宣告に、男性が「え?」と間抜けな声を漏らした瞬間。
眼があったセリーナを抱き寄せ、俺を中心とした絶対障壁が展開されると同時に、前方に群れる数千人の難民たちへ向けて、極大に圧縮した『爆鳴気』を生成する。通常なら全方位に広がる爆発を、障壁と風魔法による圧力で『前方へのみ』向かう指向性爆薬へと作り変えた、一撃必殺の空間兵器。
指を、鳴らす。
音すらも置き去りにする、純白の閃光。
凄まじい衝撃波が前方の空間を薙ぎ払い、土煙が晴れた直後、そこに広がっていたのは、見事なまでに何もない更地だった。
悲鳴を上げる間もなく、血の一滴すら残さず、老若男女の区別なく、数千の命という命が超高温と衝撃によって瞬時に蒸発したのだ。
苦痛を感じる暇すら与えずに消し飛ばす。それが、俺なりの彼らへの手向けである。
「……さて、行くかセリーナ」
「次はザニータって街だったわね。すごく大きくて、難民も沢山集まってるみたい。そこまでの道中は私に任せて貰っていい?」
「ああ。じゃあ、ザニータに着いたら、セリーナに新しい火魔法の使い方を教えるよ」
「本当!? 楽しみだわ!」
無邪気に笑うセリーナの手を引き、俺たちは再び歩き出す。
その道行きは、まさに血みどろの散歩だった。街道を埋め尽くす難民の群れに追いつくたび、セリーナが双剣と炎を放ち、泣き叫ぶ人々を次々と細切れの肉片や消し炭に変えていく。絶望に満ちた断末魔が、血の匂いと共に延々と続いていく。
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数日後。
俺たちは、ザニータの街を約三キロほど離れた小高い丘の上から見下ろしていた。
街道が交わる交通の要衝であるこの街は、本来は軍事拠点ではない。だが、たまたま俺たちが潰した正規軍へ配備される予定だった物資が置かれていたため、各地から逃げ延びてきた脱走兵や敗残兵が武装し、およそ三万の即席軍団を形成している。
さらに、「ここなら奴隷にならずに済むかもしれない」とすがりついてきた難民たちが十万人以上も街とその周辺に溢れかえり、一種の巨大なスラム要塞と化していた。
眼下に広がるその巨大な命の群れを、俺は静かに見つめる。
その視線は、憎しみでも怒りでもなく、いっそ優しいと言えるほどの温度を持っていた。
「ねえケント、新しい火魔法って?」
待ちきれないというように袖を引くセリーナに、俺は街の中央を指差す。
「双眼鏡であの街の真ん中見ながら、そこに座標指定して、セリーナの能力値10の火魔法を全力で撃ち込んでみて」
「わかったわ!」
セリーナが双眼鏡見ながら、片手を前に突き出すと、数キロ先の街の中央部に、直径百メートルを超える巨大な火柱がド派手に燃え上がった。
突然の劫火に、豆粒のような人々がパニックを起こして逃げ惑うのがここからでも見える。
「いい炎だ。じゃあ次、あの炎に向かって、風魔法で風を送ってみて」
「こうかしら!」
セリーナが風魔法を放つと、台風のような凄まじい強風が吹き荒れ、せっかくの巨大な炎が煽られて小さくなってしまう。
「……あら? 消えちゃいそう」
「強すぎるのさ」
俺は苦笑し、セリーナの肩に優しく手を置く。
「風を送る強さは、旗がパタパタとはためくくらいでいい。それを、歌を一曲歌い終わるくらいの長さで、ゆっくりと絶え間なく炎に送り続けてみて」
「旗がはためくくらいで、歌一曲……わかったわ」
セリーナが繊細な魔力コントロールで、指示通りの一定の風を送り始める。そして俺とシーナが子供の頃によく唄ってくれた子守唄を優しく歌う、街の人間を寝かしつけるように。
すると、街の中央で燃える巨大な炎の様子が、劇的に変化し始めた。
供給され続ける適度な酸素と、周囲の建物を舐め尽くす圧倒的な熱量。それらが複雑に絡み合い、炎は自ら巨大な上昇気流を生み出していく。
ゴォォォォォォォッ!! という地鳴りのような轟音が、三キロ離れたこの丘にまで響き渡る。
周囲の空気を強烈な勢いで吸い込みながら、炎は渦を巻き、天高くそびえ立つ『紅蓮の竜巻』へとその姿を変貌させたのだ。
「……すごい。あれ、何?」
自らが生み出したあまりにも巨大な破壊の現象に、セリーナが目を丸くする。
「火災旋風っていうのさ」
俺は、天を焦がす炎の龍を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「前に話した俺の前世の世界じゃ、これでいくつもの都市が滅んだよ。俺の故郷の国でも、この現象のせいで、たった一晩で何万という人が焼き殺されてる」
魔法の火力だけに頼るのではない。自然の物理法則と気象条件を意図的に組み合わせることで生み出される、人為的な大災害。それが、俺の前世の知識とセリーナの規格外の魔力が融合して生まれた、最悪の処刑装置。
「さあ、あと三本作ろうか」
「ええ、行くわ」
セリーナは街の東西南北を取り囲むように、さらに三つの火災旋風を作った。
四本の巨大な火災旋風に囲まれたザニータの街は、もはや一つの巨大な溶鉱炉である。
竜巻の中心部へ向かって街中の酸素が凄まじい勢いで吸い込まれ、酸欠に陥った十三万の人々は、逃げることも息をすることも叶わず、次々と炎の渦の中へと吸い込まれて灰に変わっていく。
どんな阿鼻叫喚の地獄が広がっているのか、ここからは見えない。人々の絶望の悲鳴も、炎が空気を切り裂く轟音に掻き消されて届くことはない。
俺はただ無言で、街を焼き尽くしながら暴れ回る炎の龍たちの狂宴を眺め続ける。
その横でセリーナは、とてもやさしい声で子守唄を歌っていた
翌朝。
十三万の命を飲み込み、まだ黒煙と赤い残り火を燻らせるザニータの残骸を背にして、俺たちは歩き出す。
次に向かうは、最終目的地である要塞港湾都市バルゲン。
すべての難民が押し寄せ、残された希望を賭けてすがりつくその港の先で、俺たちを待っているのは復讐を遂げた歓喜か、それとも虚無という名の後悔か。
俺は一度だけ燃える街を振り返り、再び前を向いて歩き始めた。




