第116話:狂女神の涙と、神の裁きの光
中部地方の要衝、ノクテス要塞都市。
元々は王都防衛の要として築かれたこの強固な城塞は、大型障壁装置の実用化に伴い、兵站と新兵訓練を担う後方基地へと役割を変えていた。兵士二万、市民二万が暮らすその都市は、今や近隣から逃げ込んできた三万の避難民を飲み込み、計七万人を抱える巨大な密室と化していた。
防衛司令官であるタノック中将は、司令部の屋上から要塞を囲む『二重の大型障壁』を見つめ、静かに葉巻の煙を吐き出した。
「……タノック閣下。各砲兵陣地、および魔導小隊、配置完了いたしました。避難民の地下シェルターへの誘導も終えております」
「ご苦労」
副官の報告に短く応えながら、タノックは双眼鏡を手に取った。
数日前、西部の第89機密開発基地から逃げてきたという兵士たちが、近隣の街に狂気じみた警告を触れ回った。一万人の精鋭が、たった一夜で、たった二人の悪魔によって灰にされた、と。
他の将官たちは「敗残兵の妄言だ」と一笑に付した。だが、タノックは違った。彼はかつて第89基地の司令を務めており、そこに配備された近衛兵たち、特にモーザブ大尉の優秀さを誰よりも熟知していた。
あのモーザブの旗下の兵が、誇りを捨てて逃げ出すはずがない。報告は真実だ。
「敵は障壁の内部に爆発を起こす魔法と、遠距離からの攻撃手段を持っている……だったな」
「はい。ですが、我がノクテス要塞の二重障壁ならば問題ありません。内壁の障壁は常時展開し、外壁の障壁は我が軍の砲撃のタイミングに合わせてのみ解除する。敵に付け入る隙は与えません」
「油断するな。発生源である大型魔力炉は、地下深くの施設に隠蔽できているな?」
「もちろんです。敵の魔法がどれほどの射程を持っていようと、発生炉の座標を外部から特定することは不可能です」
タノックは頷き、城壁にずらりと並べられた砲身に目を細めた。
配備されているのは、迫撃砲、ロケットランチャー、そして対陣地用の大口径砲。その弾頭にはすべて『粘着榴弾』が装填されている。
障壁という魔道具は、徹甲弾などの物理的な貫通は弾くが、表面で爆発した際の『衝撃波』は内部へと透過してしまう。それを逆手に取り、シン帝国は対障壁戦術として粘着榴弾を標準装備させていた。
「敵がどれほど強力な障壁を張ろうと、この弾幕を浴びせ続ければ、内部の人間は衝撃波で内臓を潰される。……来い、悪魔ども。このノクテス要塞が、貴様らの墓場だ」
七万人の命を背負うタノックの目には、軍人としての確かな覚悟と知略が宿っていた。
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ノクテス要塞から約二キロ離れた、見晴らしの良い小高い丘。
俺は魔眼に魔力を通し、セリーナは基地から失敬した軍用双眼鏡を覗き込みながら、眼下に広がる巨大な円形の都市を観察していた。
「……難しいな。あの要塞、かなりよく考えられてるぞ」
俺が思わず感嘆の声を漏らすと、隣で双眼鏡を覗いていたセリーナが首を傾げた。
「そう? 障壁と門さえ吹き飛ばしてくれたら、私が一気に走り込むわよ。あんな大砲なんて当たらないし、銃弾も障壁と土魔法で防ぎながら、斬って斬って燃やし尽くしてあげるわ」
「内部に入ってしまえば蹂躙できるだろうが、そこに辿り着くまでが危ないんだ。機銃の配置も嫌らしいし、何よりあの砲やランチャーの弾頭……『粘着榴弾』だ。障壁で弾いても衝撃波は通る。あれだけの数を一斉に撃ち込まれたら、俺やお前でも危険だ」
俺の言葉に、セリーナは不満そうに唇を尖らせた。
「じゃあ、どうするの?」
「遠距離からの攻撃になるな。……でも、王都の時と違って、街全体が障壁に覆われてる。しかも、魔力の発生源が見えない」
「見えない?」
「ああ。地下深くか、あるいはシンの軍隊には珍しく魔力の隠蔽を徹底してるのか……とにかく、外から発生装置をピンポイントで壊すのは無理だ」
俺はため息をつき、空を見上げた。
「そこで、俺に考えはあるんだが……」
「考え?」
「……さすがの俺も、どうかと思っててな。本当に狂ってると、自分でも思うさ」
俺は視線を下げ、眼下にある巨大な街――七万人の人間が息づいている街を見つめた。
「でも、俺はお前が死ぬ可能性があるなら、あそこにいる何万の人間を殺しても後悔はない。……ここに来て、やっぱり俺はそんな人間だったんだと、思い知ったよ」
自己嫌悪と、揺るぎないエゴイズム。俺は堪り兼ねて、セリーナから目を逸らした。
だが。
頬に、ひんやりとした白魚のような両手が添えられ、強引に顔を向けさせられた。
「今更ね」
セリーナは、至近距離で俺の目を見つめていた。その美しい瞳からは、大粒の涙がポロポロと溢れ落ちている。
「私もそうよ。……シーナが、娘が危篤かもしれないのに。急いで帰らなきゃいけないのに、敵を追いかける方を選んだ。そして、貴方と一緒に敵を殺すことに、喜びと快楽を感じている」
彼女は泣きながら、狂気に染まった妖艶な笑みを浮かべた。
「私は、貴方と生きて、一緒に死ぬわ。何処までも……地獄でも」
「セリーナ……」
俺は彼女の細い身体を、強く抱きしめた。
娘や婚約者よりも復讐を優先し、殺戮に酔いしれる自分たちの罪。それを自覚しながらも、止まる気は一切ない。
「……あいしてる」
俺の言葉に、セリーナは腕の中で力強く頷いた。
最悪で、純粋な共犯者の誓いだった。
「さあ、やろうか」
俺はセリーナから身体を離し、再びノクテス要塞を見据えた。
「これが、俺の爆鳴気の本気だ」
俺はまず、丘の斜面の地中に上向きに爆鳴気を発動させた。
ドンッ、と地面が吹き飛び、深さ八メートルほどの縦穴――通称『タコツボ』が形成される。俺たちはその穴の底へと飛び降りた。
そして、俺は地上から二メートルほどだけ頭が出るように土台を調整し、俺とセリーナを覆うように、直径十メートルの強固な防衛用障壁を展開した。
準備は整った。
俺は今では魔力一万となった全魔力と、一秒に十回復する異常なチート速度をフル稼働させ、空へと意識を集中させた。
狙うは、要塞の上空五百メートル。
そこに、極限まで圧縮した『爆鳴気』を、一つ、十個、百個、千個……と、凄まじい速度で配置していく。
ただ配置するのではない。それは底に穴の空いた巨大な円錐形――『漏斗状』になるように、一万数千個の爆鳴気を精密に組み上げていくのだ。
時間にして、約五分。
「完成だ」
そして俺は一瞬の躊躇の後に点火した。
――ズガァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
上空で、一万数千個の圧縮爆鳴気が一斉に起爆した。
巨大なすり鉢状の陣形によって、爆発の莫大なエネルギーは逃げ場を失い、中心の一点へと強制的に収束される。それはモンロー効果の極致。
二千八百度の爆鳴気の熱は、限界まで圧縮されることで数万度レベルの『超高熱プラズマ』へと変貌し、直径十数メートルの『光の槍』となって真下へ射出された。
バンカーバスターなど比較にならない、神の裁き。
光の槍は、ノクテス要塞を覆う二重の絶対障壁に激突した。
魔力切れを起こす暇すらない。あまりのエネルギーの飽和攻撃に、障壁は接触した部分だけが完全に蒸発し、200m以上にわたって『完全な光の穴』が穿たれた。針で風船を貫くように、鋭利に、無慈悲に。
そして、光の杭は要塞の中心部、地表深くへと一直線に突き刺さった。
カッ……!!!!
音よりも先に、世界が真っ白に染まった。
突き刺さった光の杭が、地中深くでその莫大なエネルギーを一気に拡散させたのだ。
これが、この作戦の真骨頂。
外からの物理攻撃を弾くはずの『絶対障壁』は、今や二キロ四方の空気を閉じ込める『逃げ場のない密閉空間』として機能していた。
プラズマが持ち込んだ莫大な熱と運動エネルギーにより、障壁内部の空気は一瞬にして数千度まで加熱され、爆発的に膨張する。
行き場を失った超高圧・超高温の空気とプラズマが、障壁の内壁すべてに襲いかかる。
いくら障壁が強くても、『内側からの指数関数的な膨張圧力』に対しては、ただの風船にすぎない。
要塞全体が一瞬、限界まで膨れ上がったように見えた。
次の瞬間。
ピシッ、というガラスが割れるような音の直後、内部からの極光を放ちながら、二重障壁が数百万の光の破片となって四方八方に吹き飛んだ。
ゴボァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!
遅れて届いたのは、鼓膜が破れそうなほどの爆音と、世界を終わらせるかのような衝撃波。
二キロ離れた特等席――タコツボの障壁内にいる俺たちにも、その余波が襲いかかる。
強烈な閃光と太陽のような熱線は、俺の張った障壁が完全に遮断してくれた。
そして、音速を超えて迫る凄まじい爆風の大部分は、俺たちの頭上を通り過ぎていく。地上に突き出ている二メートル部分だけが強烈な風圧を受けたが、深さ八メートルの穴に支えられているため、障壁ごと吹き飛ばされることはない。
ガガガガガガガガガッ!!!
直後、要塞の破片や瓦礫が、散弾銃のように雨あられと俺たちの障壁に直撃し、激しい音を立てた。
ドドドドドド……ッ!
さらに、プラズマが地殻を穿ったことで、マグニチュード7クラスの人工地震が発生する。穴が激しく揺れ、周囲の土砂が崩れ落ち、俺たちの障壁を完全に土の中へと埋め尽くした。
「……ケント」
真っ暗になった土の『カプセル』の中で、セリーナが俺の腕に抱きついてくる。
「大丈夫だ。もう終わった」
俺は彼女の背中を撫でながら、激しい地響きが収まるのを待った。
数分後。
揺れが完全に収まったことを確認した俺は、爆鳴気を使って頭上の土砂を吹き飛ばし、タコツボから地上へと這い出た。
「……見事ね」
隣に立ったセリーナが、感嘆の息を漏らす。
そこにあったのは、先程まで七万人の人間が息づき、強固な防壁に守られていた要塞都市ではなかった。
ただ、巨大なすり鉢状の『クレーター』が、黒焦げの煙を上げながら広がっているだけだ。
建物も、防衛兵器も、タノック中将も、七万人の兵士と市民たちも。すべてが数千度の熱と圧力によって跡形もなく粉砕され、蒸発し、焼却されていた。
「完璧だな……」
俺はクレーターを見下ろしながら、感情のない声で呟いた。
「さて、次は港……と言いたいところだが。この先の平野で、マスケットや旧式の大筒を並べた『五万』の軍勢が、俺たちを待ち構えてるらしいぞ」
要塞に来る前に捕まえたシン兵の情報だ。
それを聞いたセリーナは、スッと双剣を抜き放ち、返り血を求めるように妖艶に微笑んだ。
「ふふっ。一瞬で終わらせるのもいいけれど、やっぱり自分の手で斬って、燃やして、命が消えるのを感じる方が好きだわ」
「そう言うと思ったよ。俺も、少し運動したい気分だしな」
俺たちは巨大なクレーターを背に、ゆっくりと歩みを進めた。
待ち構える五万の命を、文字通り『物理的に蹂躙』するために。




