第114話:狂った女神の慈悲と、死を運ぶ風
夜闇を切り裂く銃声が、乾いた岩肌に何度もこだました。
シンの近衛戦闘団第2大隊第4中隊長・モーザブ大尉の指示を受け、川の土手という天然の塹壕に陣取った二個小隊は、セオリー通りの十字砲火を形成していた。
目標は、基地の区画障壁を破壊し、ただ二人で侵攻してくる悪魔たち。
だが、放たれる無数の鉛玉は、瓦礫の陰から正確に飛来する魔法の爆発と炎によって、ことごとく無力化されていた。それどころか、射撃位置を悟られた分隊から順に、防ぐ手立てのない『空間の内部での爆発』によって一人、また一人と確実に挽肉へと変えられていく。
「……やはり、遠距離からでは埒が明かんか」
モーザブは血の滲むような思いで奥歯を噛み締めた。
彼は隣に伏せるカリ曹長と視線を交わし、覚悟を決めたように立ち上がった。手には、銃剣を装着した小銃。
彼らは掩体から身を乗り出し、瓦礫の向こうの影に向けて、あえて肉声で叫んだ。
「我はシン帝国軍・近衛大隊所属モーザブ大尉である! 貴様らの強さ、見事である! 遠目からの撃ち合いなど無粋、どうか我らと『一騎打ち』の誉れを交えん!!」
近代化されたシンの軍隊ではとうの昔に廃れた、古臭い武人の名乗り。
だが、その肉声に応えるように、瓦礫の陰から黒い仮面の男――ケントと、返り血に染まった双剣を下げるセリーナが、ゆっくりと姿を現した。
「……へえ。いいぜ、かかってこいよ」
ケントが、まるで散歩にでも出たかのような軽いトーンで承諾する。
モーザブは心の中で安堵の息を吐いた。カリの推測通り、この化け物どもは「武人の誇り」には反応する。奴らは自分たちの強さに驕り、確実に誘いに乗った。
モーザブとカリが、じりじりと間合いを詰める。
――そして、ケントたちの意識が完全に自分たちに向いたと確信した、その瞬間。
「今だッ!!」
モーザブの号令は、一騎打ちの開始ではなく、死角に潜ませていた『臨時狙撃小隊』と『重装備部隊』への攻撃の合図だった。
隠蔽された拠点からの一斉狙撃に土手からの射撃。更には、ロケットランチャーから放たれた榴弾が、ケントとセリーナの立つ空間へと殺到する。
だが、ケントの仮面の奥の『魔眼』は、最初から瓦礫の裏に伏せる伏兵たちの体温を完璧に捕捉していた。騙し討ちなど、完全に百も承知で乗ってやっていたのだ。
「甘いな」
ケントが指を鳴らした瞬間、彼らの足元の地中で極小の『爆鳴気』が炸裂した。
ドドォン! という音と共に、意図的に巻き上げられた分厚い土煙が、彼らの姿をすっぽりと覆い隠した。
「やったか!? 撃ち続けろ! 粉砕しろ!!」
モーザブが叫び、ランチャーの爆発と機関銃の弾幕が、土煙の中心を容赦なく削り取っていく。
莫大な火薬が消費され、硝煙が夜風に流されていく。
いかに強固な障壁の魔道具であっても、遮蔽のないここならば、ランチャーの衝撃は中に通るだろう。障壁も消える。そこに、これだけの銃弾を叩き込めば、人間ならば倒せるはずだ。
モーザブが撃ち方を止めさせ、土煙の向こうを凝視する。
煙がゆっくりと晴れた後に見えたのは岩と泥の塊で、敵の死体など、どこにもなかった。
そして大きな音がして塊は吹き飛び、人影が見えた。
そこには、猛獣のように極端に低い姿勢で身を沈め、口元を三日月のように歪めて嗤うセリーナの姿。
そして。
狙撃部隊が潜む岩陰の方角に向け、無造作に右手の『人差し指』を突き出しているケントの姿だった。
ケントは内部に岩と泥で遮蔽を作り、衝撃波を無効化していた。
奇妙なほど静まり返る戦場。
ケントの口が、小さく動いた。
「――ばん」
その声は聞こえなかったかもしれない。だが、次の瞬間。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
狙撃小隊が潜んでいた巨大な瓦礫の山が、根元から丸ごと空高く吹き飛んだ。
音速を超えた弾丸を撃ち出そうとしていた狙撃手たちが、悲鳴を上げる間すら与えられず、瓦礫ごと細切れの肉片となって血の雨を降らせる。
魔眼で捉えた座標に、あらかじめ『指向性爆鳴気』を展開し、指鉄砲の合図とともに起爆したのだ。
「な、あ……っ」
モーザブが絶望に顔を歪めた時、もう一人の悪魔はすでに動いていた。
セリーナの身体をインナーバフの極大の魔力が駆け巡る。彼女は音もなく地面を滑り、先ほどまで自分たちに榴弾を撃ち込んでいたロケットランチャー兵の懐へと、一瞬にして入り込んでいた。
「ひぃッ!?」
ランチャーの次弾を装填しようとしていた若い兵士が、目の前に突如現れた美貌に息を呑み、完全に硬直する。
セリーナは、恐怖で凍りついたその若い兵士の頬に、まるで母親のように優しく、そっと白魚のような手を添えた。
「貴方たち、よく頑張ったわね。えらいわ」
甘く、耳を蕩けさせるような声音。
兵士の瞳から、極度の恐怖と相反する安堵の涙が溢れ出した。
「ご褒美を、あげる」
セリーナは極上の微笑みを浮かべたまま、右手の剣を、若い兵士の腹部へと『ゆっくりと』突き立てた。
ズブ、ズブ、という肉を割る生々しい音が響く。
「あ……ぁ、かあ、さん……」
激痛と混乱の中、兵士は幼子のように泣きじゃくりながら、自分を殺そうとしている女の優しさに縋ろうとした。
だが、セリーナの笑顔が、スッと絶対零度のそれに変わった。
「……ゆっくり休みなさい。死ねよ」
彼女は容赦なく剣の柄を捻り、兵士の内臓をグチャグチャに破壊して引き抜いた。
ドサリと崩れ落ちる兵士の死体。返り血を頭から浴びたセリーナは、赤い血の化粧を施された妖艶な顔を上げ、周囲で硬直している重装部隊の兵士たちを見回した。
「さあ。ウチのシーナをイジメたツケは、高いわよ」
そこからは、戦闘ではなく、ただの『解体ショー』だった。
機関銃を構える暇もない。小銃のボルトを引く時間も与えられない。十メートルという圧倒的な致死圏内に侵入した魔法剣士の前では、近代火器などただの鉄パイプに過ぎない。
セリーナの双剣が閃くたびに、腕が飛び、脚が切断され、首が綺麗に宙を舞う。
ある兵士は、セリーナと目が合った。彼女はうっとりするほど美しく微笑みかけたのだ。
(ああ……なんて綺麗なひとなんだろう……)
兵士は、手足を切り離される激痛よりも、その美しさに魅了されながら、殺されたいと四肢のない体で願った
「殺してくれ」
セリーナは微笑んで言う
「いやよ、そこで何もできずに死ぬ自分を恥じなさい」
なす術のない一方的な殺戮。
ほんの数十秒で、分隊の兵士たちは全員が首や手足を落とされ、物言わぬ肉塊へと変わった。
だがその間も、川の土手で展開している部隊からは、一切の援護射撃が来なかった。
彼らはただ、自分たちの障壁の中でガタガタと震え、覚悟を決めたはずなのに動けないのだ。
モーザブは、自分たちが練り上げた策が、紙屑のように破り捨てられたことを悟った。
どんな戦術も、あれほどの圧倒的な理不尽の前では無意味だ。
「……しゃあねえ。やっぱ生きて勝とうなんて、虫が良すぎたわ」
モーザブが力なく笑うと、隣で銃剣を構えたままのカリが、顔を歪めてカラカラと笑い返した。
「ハハッ! あんなもんに生きて勝てるなら、龍にも勝てますわ」
「……龍なんているのか?」
「ええ。私がまだガキの冒険者だった頃、シンのギルドが軍に組み込まれる前に、キュリア山脈の辺りに出たって話がありましてね。狩りたかったんですが、いつの間にやら軍の歯車にされて……あんな龍よりおっかないバケモノとやる羽目になってるんですよ、我々は」
「うわあ。そりゃお気の毒だなあ」
死を前にして、不思議と二人の会話は軽口になっていた。
「……よしっ! 勝てねえまでも、せめて後ろに残った連中が逃げる時間くらいは稼ぐぞ」
「……スマンな」
「お供しますよ大尉、新任士官の頃から面倒見てきたから、オフクロの気分ですよ」
「俺のオフクロがお前みたいな髭面だったら、グレて軍になんて来なかったのになあ」
二人が最後に笑い合った、その時。
「もういいか?」
いつの間にか、十メートルほど先の瓦礫の上に、仮面の悪魔――ケントが座り込んでいた。
二人の最後の会話を、わざわざ待ってくれていたらしい。
「ああ、悪かったな」
モーザブは小銃を下げ、静かに問うた。
「というか、そこまで話が通じるなら、俺達が銃を捨てるから見逃すって取引は……」
「ないな」
ケントは首を横に振った。
「俺たちはこれから、シンの大きめの街は全部壊すし、皆殺しにするつもりだ。……わざわざ俺たちの国にケンカ売ってきたのは、お前らの方だろ?」
「……女子供もか?」
「だって、俺やアイツの大切な家族を撃った弾は、そいつらが工場で作ってるかもしれないだろ? ましてや、新聞読んで俺達の生き死にを娯楽にして楽しんでたんだ。……じゃあ今度は、俺達がそいつらで楽しむ番だろ」
極めて論理的で、底なしに冷酷な言葉。
「狂ってやがる……」
「ありがとう。俺は狂犬で、アイツは狂った女神だ。そりゃ最高の褒め言葉だよ。……さあ、そろそろ来なよ」
ケントが手招きする。
モーザブとカリは互いに目配せをし、銃を構えながら、じりじりと、死角をカバーし合いながらケントへと近づいていった。
少しでも隙を見せれば、撃つ。そして刺し違える。
そう覚悟を決めて踏み出した、次の瞬間だった。
ポンッ。
カリの足元の地中から、極小の爆鳴気が破裂する音がした。
「がっ……!?」
爆発そのものの威力は小さかった。だが、それはカリが軍服の下に巻き付けていた『自爆用の大量の爆薬』の信管を、寸分違わず正確に作動させるための『起爆剤』にすぎなかった。
――ドォォォォォォォンッ!!!
カリの身体が、自身が背負っていた莫大な火薬の連鎖爆発によって、一瞬にして四散した。血の雨と肉片が、隣にいたモーザブに降り注ぐ。
「カリィィィィィィッ!!」
モーザブは絶叫し、血走った目でケントを睨みつけた。
「いや、見え見えだろ。あんな厚着してたらな」
ケントは瓦礫の上から、呆れたように肩をすくめた。
「立場が逆なら、俺だって自爆攻撃くらいするわ。……頑張ったけどな、一手足りないよ。じゃあな」
ケントが、モーザブに向かってスッと右手をかざした。
死を悟ったモーザブは、思わず両手で顔を覆い、痛みに備えた。
……だが。
ドンッ。
身体にぶつかったのは、人が両手で軽く突いた程度の、生ぬるい風の塊だった。
ケントの能力値は『1』。魔力でブーストさせなければ、風魔法の威力など所詮この程度なのだ。
(……なんだ? なぜ殺さない?)
戸惑うモーザブに、再び風が当たる。
ドンッ。
ドンッ。
ドンドンッ。ドンドンドンッ! ドドン! ドドドドドンッ!!
「ぐ、おぉっ!?」
一つ一つの威力は弱いが、底なしの魔力を誇るケントの『無限の弾数』と『異常な発射速度』による風のお手玉。
絶え間なく全身を叩き続ける風の塊に、モーザブの足は地面から離れ、空中に浮き上がったまま、己の意志で身動き一つ取れなくなってしまった。
「クッ……何を、する気だっ!?」
手足をバタつかせても、虚空を蹴るだけだ。
そしてモーザブは気づいた。自分が空中で少しずつ、後方へと『運ばれている』ことに。
その先にあるのは、先ほどモーザブが出てきた川の土手の陣地だった。そこにはまだ、40人以上は居る。
ケントは、あえて一撃で殺さず、モーザブを空中で弄びながらそこへと運んでいるのだ。
「セリーナ! アイツが陣地に落ちたら、火魔法で周りの爆薬ごと点火してやれ!」
ケントが楽しそうに叫ぶ。
「味方と一緒に、楽に死ねるだろ?」
その外道極まりない言葉に、モーザブは空中でもがきながら血を吐くような声で怒鳴った。
「貴様ぁっ! それでも、武人かぁッ!!」
「……いえ。違いますけど?」
ケントは、心底どうでもよさそうに鼻で笑った。
「お前らシンを、皆殺しに来ただけだ」
さらにケントは、冷酷な言葉でモーザブの心を完全にへし折りにかかる。
「お前もさあ、武人とか言ってるなら、俺に運ばれて味方の死体を巻き添えにする前に、カリみたいに『自爆』したらどうだ? まあ、完全な犬死にだけどな?」
「クッ……ウワアアアアアアアアアッ!!」
自らの誇りも、死に様すらも、すべてを悪魔の手のひらの上で弄ばれる絶望。
モーザブは絶叫とともに、懐に忍ばせていた自爆用の手榴弾のピンを、自らの手で引き抜いた。
――ドォォォォォォン!!!
空中で花火のように弾け飛ぶ指揮官の肉体。
シン帝国・近衛戦闘団の誇り高き大尉は、敵に一矢報いるどころか、指一本触れることすら叶わず、狂犬のおもちゃとしてその命を散らした。
---
「じゃあ、残りの奴らも焼いちゃう?」
空から降ってくる血肉の雨を避けながら、セリーナが双剣を弄んで聞いてくる。
「いや、待ってくれないか」
ケントはそう言うと、いまだに遠くの区画で障壁の中に引き籠もり、銃を構えたままガタガタと震えている残存の4つの分隊へと歩み寄った。
「諸君! 勇敢で親愛なるシンの精鋭たちよ!」
ケントは、まるで舞台役者のように両手を広げ、よく通る声で宣言した。
「君たちの指揮官たちの、その素晴らしい勇気に免じて……私はここに、君たちが逃走することを許そう!」
「……ケント?」
セリーナが怪訝な顔をする。
ケントは、仮面の奥の瞳を三日月のように歪めて笑った。
「ただし。私達はこれから、シンの各街を叩き潰し、皆殺しにしていく予定だ。だから君たちは、同胞たちに『注意』しに行ってあげたまえ。ノキアから、狂犬と狂った女神がお前たちを殺しに来るぞ、と」
震える兵士たちの顔から、さらに血の気が引く。
「そして、こう言いたまえ。『すべてを捨ててアマテラスに行け。そこで我々の奴隷となるなら、生かしてやる』とね。……さあ行け! これから十数える。ここに残っている奴は、殺す」
「「「ヒィィィィッ!!」」」
その言葉を聞いた瞬間、残っていた数百人の兵士たちは、武器も装備もすべて放り出し、我先にと絶叫しながら暗闇の荒野へと逃げ出していった。
「……皆殺しにしないの?」
逃げゆく背中を見つめながら、セリーナが不満げに頬を膨らませた。
「いやな、どうしたって広い大陸じゃ『取りこぼし』ってのは出るだろ? 俺たちだって、小さな村なんかは探すのが面倒で素通りするしな」
「それで?」
「ああやって脅したものの、今の生活をすべて捨ててアマテラスで奴隷になるなんて、普通の人間にはなかなかに決断できないさ。そうなると、どうなる?」
ケントはニヤリと悪どい笑みを浮かべた。
「恐怖に駆られた連中は、どこかの大きな要塞都市に固まって俺たちを迎え撃とうとするか、あるいは国外へ逃げるために『港』に集中して集まる。……つまり、俺たちが狩りやすい場所に、勝手に集まってくれるってわけだ」
「あ……」
「本当に奴隷にしてくれとアマテラスに逃げた奴は見逃してやるさ。だが、それ以外は一網打尽だ」
慈悲に見せかけた、最も効率的な鏖殺のシステム。
合理性が、最悪の形で機能している。
セリーナは目を見開いた後、ケントの腕に抱きついた。
「ふふっ……なるほど。本当に、素敵ね」
「じゃあ、アイツらが噂を広めるまで、俺たちはゆっくりと行こうか」
ケントは『クリーン』の魔法を発動させ、セリーナの美しい顔や髪にこびりついた返り血や肉片を、優しく綺麗に洗い流してやった。
「ありがとう」
血の海と化した基地の真ん中で、見つめ合い、微笑み合う二人。
――パーンッ!!
その静寂を破るように、沈黙していたはずの研究棟の奥から、くぐもった銃声が一度だけ鳴り響いた。
「……チッ。せっかくご老体が生かしてくれたのに、バカ野郎が」
ケントが不快そうに舌打ちをする。
水槽の中で生き延びた若い研究員が、絶望の中で老研究員の遺した銃を『自分自身』に向けた音だ。
「なんだか、興覚めね。……もう一回、念入りに焼いてから行きましょう」
「そうだな」
セリーナが空に手を掲げると、空を覆うほどの極大の火魔法が展開された。
すべてを灰燼に帰す紅蓮の業火が、シンの最新鋭基地を包み込む。
こうして、一万人の精鋭が駐留していた軍事拠点は、狂犬と狂女神のたった一夜の戯れによって、文字通り灰となって砂漠の風に消え去ったのである。




