第112話:武士の情けと、死を彩る狂女神の舞
研究棟の制圧と機密の回収は、思いのほかあっさりと終わった。
開発中だった内燃機関の設計図、改良型の手榴弾のサンプル、さらには連発銃の製造に関する各種データ。さらに実物の装備や車両。それらすべてを「空間収納の腕輪」に根こそぎ詰め込み、俺は悠然と研究棟の正面扉から外へと出た。
外では、他の区画への牽制を終えたセリーナが、双剣の血糊を払いながら待っていた。
「遅かったわね。機密は全部手に入ったの?」
「ああ、完璧だ。これでノキアの技術力はさらに跳ね上がるぞ。……ただ、少しだけ面白いものを見ちまってな」
「面白いもの?」
俺は、先ほどの研究室での出来事を思い出しながら、短く肩をすくめた。
「シンにも『漢』がいたって話さ」
絶望的な状況下で、隠した若者を逃がすため、そして自身の矜持を守るために、無意味と知りながらも俺に向かって銃の引き金を引いた老研究員。彼が見せた意地は、非戦闘員でありながらも確かに本物の覚悟だった。
その話を聞いたセリーナは、感心するどころか、スッと冷ややかに目を細めた。
「……その隠されていた研究員を、見逃して良かったの?」
「ああ。あの老人が命を懸けて隠したんだ。前世の言葉で言えば『武士の情け』ってやつだな」
「甘いわね。もしその若い研究員が生き残って、ノキアを脅かすような新たな兵器を作ったらどうするつもり?」
セリーナの懸念はもっともだ。彼女は母として、そして俺の隣に立つ戦士として、一切の不安要素を残すことを良しとしない。
だが、俺はククッと喉の奥で笑い声を漏らした。
「情けをかけたのはあの『老研究員』の覚悟に対してであって、生き残ったあいつのためじゃない。後でのこのこ出てきて俺たちに牙を剥くなら、その時は一秒で殺す」
俺は夜風に吹かれながら、研究棟を振り返った。
「それにさ。あいつは確かに生き延びたけど、あの中にはもう、武器も車両も、研究の成果もデータも何一つ残ってない。食料庫もついでに全部焼いてきたからな」
「……え?」
「これから俺たちがこの基地を完全に殲滅する。俺たちがいなくなった後、あいつが這い出してきて目にするのは、文字通り仲間の一万の『屍』だけだ。俺が爆鳴気で吹き飛ばそうが、お前が火魔法で焼こうが、死体はいずれ腐って凄まじい悪臭を放つ」
俺は、暗闇に紛れた基地の奥を見据えながら、極めて冷徹な事実を口にした。
「食料もなく、移動用の車両もなく、ただ果てしない一万の腐乱死体の海に取り残されるんだ。砂漠のど真ん中にあるこんな基地から、徒歩で逃げ切れるわけがない。……あいつは、同僚の死体を漁ってまで生き延びようとするかね?」
「…………」
「一応、あの老研究員のリボルバー拳銃は、床に分かりやすく置いてきてやったよ。……そいつが、その銃口をいつか俺たちに向ける執念を持つか、それとも絶望して『自分の頭』に向けるか。見ものだな」
俺の仕掛けた、純度百パーセントの悪意と絶望のプレゼント。
それを理解したセリーナは、一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くした後、ふふっ、と肩を揺らした。
やがてその笑いは、ひどく艶やかで、そして背筋が凍るほどに凄絶な嗤いへと変わった。
「……そう。それは確かに、見ものね」
セリーナは唇を吊り上げ、氷のような瞳で俺を見つめ返した。
「さあ。それじゃあ、首を引っ込めてる残りの奴等を狩りに行こうか」
「ええ。でも……全部魔法で焼いたり吹き飛ばしたりするのは簡単でいいんだけど、なんというか、少し『手ごたえ』が欲しいと言うか……」
セリーナが、双剣の柄を指先で愛おしそうになぞりながら不満を漏らす。
「じゃあ、室内に引き籠もってる奴等は、障壁を解除したらお前が斬っていくか?」
「ええ! そうしましょう!」
パァッと顔を輝かせるセリーナ。とても一万人の軍隊を解体しに行く前のやり取りとは思えない。
「まったく(笑)。さっきの俺みたいに、反撃されて油断するなよ?」
「あら、心配してくれるの? 嬉しいわ」
俺たちは談笑しながら、闇に包まれた次の区画へと歩を進めた。
魔眼の視界を切り替え、広大な軍事基地のエネルギーの流れを俯瞰する。
基地を八分割している大型障壁の、次の発生炉の座標を特定した。
地中深くに埋設された魔力炉の中心。そこに『指向性爆鳴気』を展開し、一気に起爆する。
ズゥゥゥンッ! という地響きと共に、夜空を覆っていた分厚い琥珀色の結界が、ステンドグラスが割れるようにパリンと音を立てて消滅した。
「よし、開いたぞ」
障壁がなくなった区画へ、俺たちは正面から堂々と足を踏み入れた。
俺は視線を向けるだけで爆鳴気を連発し、セリーナは極大の爆炎魔法を放ち、周囲の兵舎や倉庫、邪魔な見張り塔などを次々と物理的に破壊していく。
瓦礫と土煙が舞う中、広場に残されたのは、ドクトリン通りに分隊ごとに固まり、小型の障壁を展開してその中でガタガタと震えている帝国兵たちの集団だった。
本来のシンの戦術であれば、四つの分隊が連携し、一つの分隊が障壁を解除して一斉射撃を行い、反撃される前に再び障壁を張るはずだ。だが、突然の襲撃と圧倒的な破壊を前に指揮系統が完全に崩壊しており、彼らはただ亀のように殻に閉じこもる事しかできなくなっていた。
「こうやるんだよ」
俺は、十人ほどの兵士が密集している小型障壁の前に歩み寄り、笑いながらミスリルの剣の柄でコンコンと障壁の表面を叩いた。
「ひぃっ……!」
障壁の内側で、ボルトアクションライフルを構えた兵士たちが怯えたように後ずさる。
「ほら、あそこの真ん中に、ちょっと偉そうな軍服を着てるのがいるだろ? あいつが怪しい」
俺が指差した先には、中折れ式のリボルバーを握りしめ、顔面を蒼白にしている小隊長らしき男がいた。
俺は障壁の『内側』、その男の頭部の座標をピンポイントで指定し、極小の爆鳴気を発現させた。
――パンッ。
男の頭部が、内側から弾け飛んだ。
周囲の兵士たちに血と脳漿が降り注ぎ、男の首なし死体が崩れ落ちる。それと同時に、魔力供給源であった術者が死んだことで、彼らを守っていた琥珀色の障壁がフッと音を立てて消滅した。
「当たりだな。さあ、どうぞ」
俺が半歩後ろに下がって手で促すと、セリーナは双剣を抜き放ち、妖艶な口角を吊り上げながら前に出た。
「ヒッ……撃て! 撃てェッ!!」
障壁を失った兵士たちが、我に返って一斉にボルトアクションライフルを構え、引き金を引こうとする。
だが、遅すぎる。
セリーナの身体には、すでに櫻師範直伝の『インナーバフ』が極限まで巡っていた。
彼女の身体が、揺らめく陽炎のようにブレた。
十メートルという距離は、強化された魔法剣士にとっては完全に『間合いの内側』だ。
先頭に立っていた兵士が銃口を向け、引き金に指をかけた瞬間。
シュッ、と。
セリーナの右の剣が、下から上へと流れるように閃いた。
「あ……?」
兵士の右腕が、銃を握ったまま肩から綺麗に斬り飛ばされ、宙を舞った。
激痛が脳に到達し、男が絶叫を上げようと口を大きく開いた、まさにその直前。
今度は左の剣が、芸術的なまでの水平の軌道を描いて男の首筋を薙ぎ払った。
声にならない空気の漏れる音と共に、男の頭部が胴体から滑り落ちる。
「次」
セリーナの足は止まらない。流れるようなステップで、彼女は兵士たちの密集陣形の中へと滑り込んでいく。
右へ、左へ。舞を踊るような滑らかな旋回。
返り血が彼女の白い肌と金糸の髪に点々と飛び散り、燃え盛る周囲の炎に照らされて、まるで凄惨な血の化粧を施したかのように妖しく輝いている。
残された兵士の一人が、その光景を見て完全に魅入られていた。
死の恐怖よりも先に、目の前で踊る『死神』のあまりの美しさに、銃のボルトを引くことすら忘れてしまっていたのだ。
気づいた時には、彼の視界はグルンと縦に回転していた。
セリーナの双剣が、すでに彼の首を刎ね飛ばしていたのだ。
宙を舞い、ゆっくりと落ちていく男の頭部。
その視界の中で、男はセリーナとばっちりと目が合った。
返り血を浴びたセリーナは、自分が首を刎ねた男の顔を見て、酷く優しく、そしてこの世のものとは思えないほどに美しく、ふわりと微笑みかけたのだ。
(ああ……なんて、綺麗なんだろう……)
男の脳裏に浮かんだのは、恐怖でも絶望でもなく、ただ純粋な恍惚感だけだった。
彼は自分が死んだことすら正しく認識できないまま、その美しい微笑みを最後の記憶として網膜に焼き付け、血溜まりの中へと落ちていった。
なす術のない一方的な殺戮。
ほんの数十秒で、分隊の兵士たちは全員が首を落とされ、物言わぬ肉塊へと変わった。
だが、その間も、他の場所で小型障壁を展開している部隊からは、一切の援護射撃が来なかった。
彼らはただ、自分たちの障壁の中でガタガタと震え、隣の部隊が切り刻まれていくのを黙って見殺しにしていたのだ。障壁を解除すれば、自分たちも殺されると分かっているから。
「…………」
俺は、その惨めな光景を眺めながら、不快感に眉間を寄せた。
「おい、てめえら」
俺は周囲の残存部隊に向かって、吐き捨てるように呟いた。
「あっちの研究棟には、非戦闘員でありながら意地を見せた『漢』がいたぞ。……なのに、実戦部隊のてめえらは、仲間が見殺しにされてるのに殻に引き籠もってるだけか。一体何なんだ、お前らは」
誰も答えない。ただ、障壁の中から怯えた視線が向けられるだけだ。
「……まあいいや。死ねよ」
俺は魔力を全開にし、視界に入る限りのすべての『小型障壁の内部』に、同時に座標を指定した。
それを、一斉に起爆する。
バババババババババッ!!!
広場のあちこちで、連続した破裂音が響き渡った。
爆鳴気は、密閉された琥珀色の障壁の内部で、逃げ場のない状態で炸裂した。
ある者は至近距離の爆発で肉体が四散し、障壁の内側を真っ赤に塗りつぶした。ある者は、狭い空間内で反射した強烈な衝撃波によって内臓を潰され、七孔から血を噴き出して絶命した。
運良く人や物が盾になって爆風を逃れた者も、爆鳴気の燃焼によって障壁内の酸素が一瞬で奪い尽くされ、酸欠状態に陥り、喉を掻き毟りながら窒息して死んでいった。
魔力供給が途絶え、次々とパリン、パリンと音を立てて消滅していく障壁。
後に残されたのは、悲鳴すら上げられずにミンチとなった、数百人の兵士たちの残骸だけだった。
「ちょっとケント! それじゃあ私が斬る相手が、いなくなっちゃうじゃない!」
血塗れの双剣を下げたセリーナが、頬を膨らませて文句を言ってきた。
「スマン。だがなぁ、あんな引き籠もってるだけの奴ら、わざわざ斬りに行くのも馬鹿らしいだろ」
俺は肩をすくめ、まだ障壁を張ったまま震えている、少し離れた場所にいる残りの部隊を顎でしゃくった。
「障壁を出したままの奴らは、俺が魔法でプチプチ潰して殺す。……向かってきた奴らだけ、お前が斬るってことでどうだ?」
「……仕方ないわねぇ」
セリーナはため息をつき、双剣の刃をチャキッと鳴らして、次の部隊が展開している障壁の目の前へと歩み寄った。
そして、障壁の中で肩を寄せ合って震えている兵士たちに向かって、ニコリと、これ以上ないほど愛らしい笑顔を向けた。
「ねえ、あなたたち。これから出ないと、私が焼くわよ?」
「ひぃっ……!」
「焼かれて死ぬのは、息もできないし熱いし、きっとすごく苦しいわ。……でも、今すぐ障壁を解いて出てくるなら、一瞬で、楽に首を落としてあげるわよ?」
慈悲の仮面を被った、純度百パーセントの悪魔の脅迫。
だが、兵士たちは恐怖で完全に腰を抜かしており、誰も障壁を解こうとはしなかった。ただ首を横に振り、ガチガチと歯の根を鳴らしている。
「……残念。時間切れよ、燃えなさい」
セリーナの笑顔がスッと消え、絶対零度の冷酷な瞳に変わった。
彼女は左手を前に突き出し、障壁の『内側』の座標を指定して、極大の火魔法を発動させた。
ゴォォォォォォォォッ!!!
「ぎゃあああああああああっ!!?」
障壁の内部が、一瞬にして紅蓮の業火に包まれた。
俺の爆鳴気が一瞬の圧力と酸欠による死だとするなら、セリーナの魔法は、生きたまま肉が炭化していく地獄の苦しみだ。
炎の熱と酸欠に耐えきれなくなった兵士の一人が、ついに魔道具のスイッチを切り、障壁を解除して外へと転がり出てきた。
「あ、あぢぃぃっ! たすけ、たすけてぇぇっ!」
酸素を求めて這い出てきたものの、高位の魔力によって生み出された炎は、少し空気に触れた程度では消えない。
全身を火だるまにして転げ回る兵士。
セリーナは無表情のまま歩み寄り、もがき苦しむ男の胴体を、念入りに双剣で突き刺してトドメを刺した。
その光景は、俺の爆鳴気よりも遥かに視覚的で、凄惨なものだった。
――そして。
そのあまりの地獄絵図に、ついに精神が崩壊したいくつかの分隊が、「どうせ死ぬなら!」と自暴自棄になって障壁を解除し、銃撃を加えつつ銃剣を構えて突撃してきた。
「うおおおおおっ! 殺してやるぅぅっ!」
連携も何もない、ただの烏合の衆の突撃。
「ふふっ。やっと出てきてくれたのね」
セリーナは嬉々とした声を上げ、炎に照らされた戦場を再び舞い始めた。
構えを見て狙いを躱し、突き出される銃剣を双剣で弾き返し、そのまま敵の懐へと潜り込んで手足と首を正確に切断していく。彼女が通った後には、血の雨と、バラバラになった肉のパーツだけが残されていった。
燃え盛る炎と、舞い散る鮮血。
悲鳴と爆音が入り交じる、完全な密室の要塞。
狂犬と、狂った戦女神は、一万人の兵士が待つ各区画を、一切の情けも躊躇いもなく、ただの一人の生存者も残さずに、徹底的に蹂躙し尽くしていくのだった。




