第111話:鋼の密室と老いた意地、あるいは嗤う死神
「……そういやさ」
冷たい夜風が吹き抜ける岩山の頂で、眼下に広がる巨大な要塞を見下ろしながら、俺はふと根本的な矛盾に気がついた。
「見張りを倒すまではいいとしてさ。障壁の発生炉を爆破で壊したら、その時点で爆音鳴り響いて、こっそりなんて入れないよなあ……」
俺の呟きに、隣で伏せていたセリーナが、ゆっくりとこちらを向いた。
その美しい瞳が、呆れ果てたようなジト目に変わっている。
「……何か、深い考えがあるから言ってるんだとばかり思ってたんだけど」
「いや、完全にノリだった。ごめん」
俺が素直に謝ると、セリーナは小さくため息をついた。
俺たちは暗殺者やスパイではなく、本質的に正面から物理で叩き潰すことしかしてこなかった人間だ。今更「隠密潜入」なんて器用な真似ができるはずもなかった。
「うーん、作戦変更だ! 八つある区画のうち、まずは研究棟の障壁発生炉を座標指定でぶっ壊そう」
俺は眼下の施設を指差して、堂々と泥棒作戦の再構築を始めた。
「区画規模の大型障壁がなくなったら、俺が堂々と研究棟に入って、色々と機密を強奪してくる。研究室ごとに小型の障壁があるとは思うけど、中に入ってる奴らの周囲の空気を弄って窒息させて殺せば、魔力が切れて障壁はなくなるし、大事な施設も壊れないからな」
「……なるほど。私はどうすればいい?」
「セリーナは、他の区画の障壁に適当に火魔法を撃ち込んで牽制しててくれ。相手がビビって引き籠もってるならそのまま放っておいて、俺と合流してから叩けばいい。もし相手が研究棟を守るために区画障壁を解いて出てきたら、そのまま火魔法で焼いてやってくれ」
俺は、先ほど確認した敵のドクトリンを思い出しながら付け加えた。
「分隊ごとの小型障壁を出して防衛陣形を組んできたら、外から座標指定で人をこんがり焼いてもいいし、障壁の中で可燃物を燃やして周囲の酸素を奪うだけで、中は『酸欠』状態になって窒息して死ぬからさ。……ただ、相手が一斉射撃してきたときと、見張り塔の重機関銃には絶対に気をつけてね。見張り塔は外を攻撃するために今は障壁を張ってないから、この隙に焼いておきたいところだけど」
俺の提案を聞き終え、セリーナは呆れたようにクスクスと笑い声を漏らした。
「ふふっ……隠密作戦なんて言っておきながら、結局私たちはいつもこんな感じねぇ」
「まあ、ザラ含めて俺たち『脳筋トリオ』だしなw」
「違いないわね。ふふっ、いつでもいいわよケント。合わせて、あそこと北の見張り塔は焼くわね」
セリーナが立ち上がり、両手に鮮やかな紅蓮の炎を顕現させる。
俺もまた、研究棟の地下深く、巨大な魔力炉の座標へと意識を集中させた。
「じゃあ行こうか。1、2、3……吹っ飛べ!」
俺の合図と共に、夜の静寂を切り裂く絶雷の如き轟音が、軍事基地のど真ん中で炸裂した。
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一方、シンの防衛隊。
近衛戦闘団第2大隊第4中隊の指揮官であるモーザブ大尉は、地響きと共に腹の底を揺らすような爆発音でベッドから跳ね起きた。
「敵襲ゥゥッ!!」
外から響く金切り声のような警報。モーザブは即座に従卒に総員起こしを命じ、壁に掛けてあった軍服と装具、そして愛用のトップブレイク式拳銃を素早く身につけた。
兵舎を飛び出し、中隊司令部のテントで歴戦の古参であるカリ曹長と合流する。
「状況は!」
「大尉殿! 何者かの襲撃です。北と東の見張り塔が一瞬で火柱に包まれました。さらに……第3区画、研究棟を覆っていた大型障壁の発生炉が爆破され、障壁が消失しております!」
「なんだと!?」
モーザブは顔面を蒼白にした。
大型障壁は、外部からのあらゆる物理攻撃と魔法を遮断する絶対の盾だ。それが何の前触れもなく、内側から破壊されたというのか。
「敵の規模と位置は!」
「不明です! しかし、研究棟に侵入した形跡ありとのこと!」
「……くそっ。研究棟には各部屋ごとに小型障壁が配備されているとはいえ、研究員たちに反撃の戦力はない。ただ閉じ籠もって耐えるしかできんぞ」
モーザブはギリッと奥歯を噛み締めた。
攻撃を仕掛けてきた相手がどんな手段を使っているのかは分からないが、強固な大型障壁の発生炉をピンポイントで無効化するような化け物だ。小型障壁だけでいつまでも防ぎきれる保証はどこにもない。
「中隊、出撃準備! 大隊長経由で、連隊長に出撃の具申を行え! 今すぐ研究棟に支援の戦力を向かわせるべきだ!」
モーザブが叫んだ、その時だった。
ゴォォォォォォォッ!!!
夜空が真昼のように明るく染まり、彼らの頭上を覆う大型障壁に、凄まじい質量の火魔法の雨が降り注いだ。
障壁の表面で業火が弾け、防がれているとはいえ、その恐るべき熱量と衝撃波に基地全体が大きく揺さぶられる。
『連隊本部より各隊へ! 敵の魔法攻撃が激しい! 研究棟の支援は後回しだ! 自陣の障壁維持と防御を最優先とせよ! 決して障壁から出るな!』
通信兵が、連隊長からの命令を怒鳴るように復唱した。
「……ッ、馬鹿な! このままでは研究棟の機密がすべて奪われるぞ!!」
モーザブは血を吐くような声で壁を殴りつけた。
だが、軍規は絶対だ。空から降り注ぐ非常識な規模の火の雨を前に、連隊長が自陣の防御を優先した判断も軍事的には間違っていない。
モーザブは忸怩たる思いで拳を震わせながら、いつでも出撃できるように部下たちに銃の装填を命じ、ただ暗い障壁の中で待機するしかなかった。
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そして、襲撃の標的となった研究棟の内部。
その日、当直を任されていた若き研究員デサルは、開発中の戦闘用覚醒剤をマウスへ投与し、二十四時間の経過を記録する退屈な作業の最中だった。
眠気を覚ますために淹れたばかりのコーヒーに口をつけようとした瞬間、足元から突き上げるような爆発音と共に、研究棟全体が激しく揺さぶられた。
「うわっ!?」
コーヒーがこぼれ、ビーカーが床に落ちて割れる。
直後、天井の魔導ランプが赤く点滅し、鼓膜を劈くようなアラームが鳴り響いた。
『緊急事態。大型障壁消失。外部より侵入者あり』
「ば、馬鹿な……ここが襲撃されたのか!?」
デサルは慌てて立ち上がり、保管庫から各研究室に配備されている『小型障壁発生装置』を引っ張り出した。起動スイッチに手をかけた時、廊下から荒い足音と共に、呼吸用の酸素ボンベを引いた老齢の研究者が部屋に転がり込んできた。
「早く! 障壁を張れ!」
老研究員の血相を変えた叫びに、デサルは慌ててスイッチを押し込んだ。
ブゥン、という低い稼働音と共に、研究室をすっぽりと覆う琥珀色の結界が展開される。
「はぁっ、はぁっ……。何があったんですか、教授!」
デサルが問いかけると、老研究員は酸素マスクを外し、ガタガタと震える手で壁を指差した。
「よく分からんが……入り口側から、誰かが侵入してきた。そして……そいつが移動している場所から順番に、警備兵や研究員たちの『気配』が消えているんだ」
「気配が消える……? 銃声や、戦う音は?」
「しない。……一切しないんだよ」
老研究員の顔は、恐怖で完全に土気色に染まっていた。
「逃げてくるときに、ラボの防弾ガラス越しに見たんだ。通路にいた警備兵たちが……突然、首を掻き毟って苦しみだし、そのまま白目を剥いて倒れてそれっきりだ。外傷は一つもない。ただ、息絶えたんだ」
デサルは背筋に氷をねじ込まれたような悪寒を覚えた。
防弾ガラスの向こう側で、音もなく人が死んでいく。未知の毒ガスか、それとも魔法か。
「そこに、黒い仮面をつけた男が現れた。そいつは倒れた兵士を一瞥もせず、部屋の中にある試作兵器や図面を、持っていた腕輪に次々と吸い込んでいった。……おそらく、この施設にあるすべての研究機密を持ち帰るつもりだろう」
「そんな……! では、渡さないように、我々の手で研究結果を自爆か何かで破棄しなければ!」
デサルが叫ぶと、老研究員は自嘲気味に首を振った。
「どうやってだ? 我々には爆破する機材もない。それに、時間もない。……あの男は、間もなくここに来る」
「ですが、障壁があります! 援軍が来るまで耐えれば……!」
「無駄だ。あの男は、ガラス越しに私と目が合った時……嗤ったんだよ」
老研究員の瞳に、深い絶望が宿る。
「焦る素振りも、私を始末しようとする素振りもなかった。どうせ我々を皆殺しにするからと、あえて恐怖を味わわせるために、余裕で見逃したんだ。……あの男にとって、この障壁など紙切れほどの意味もないのだろう」
「そんな……」
デサルがその場にへたり込みそうになった時、少し先の廊下から、ドォン! と重い扉が吹き飛ぶ音が聞こえた。
死神の足音が、すぐそこまで迫っている。
「……あの男の思い通りに、させるか」
老研究員はギリッと奥歯を噛み締め、室内を鋭い視線で見回した。
彼の目に止まったのは、部屋の隅に設置されている巨大な『防火水槽』だった。この研究室の隣には可燃性の危険な薬品が多く保管されているため、初期消火用の大型水槽が常備されているのだ。
「デサル。お前も手伝え」
老研究員はデサルを急かし、二人で防火水槽を部屋の死角となる壁際へと力任せに移動させた。さらに、周囲に機材の入ったダンボールや機材ラックを積み上げ、水槽の存在をカモフラージュする。
「教授、一体何を……」
「これを持って、水槽の中に隠れていろ」
老研究員は、自分が引いていた呼吸用の酸素ボンベをデサルに強引に押し付けた。
「あの男は間もなくここに来る。私がこちらへ逃げ込んだのは、奴も見ているはずだ。どちらにしても、あの男と対決せねば私は死ぬ。……私が障壁を外した瞬間に、この銃で撃つ。私にできるのは、それしかない」
老研究員は、白衣のポケットから護身用のリボルバーを取り出し、震える手で撃鉄を起こした。
「だが、私が死んだ後、奴は証拠隠滅のためにさっきのように部屋ごと爆破するかもしれない。だからお前はそこに隠れていろ。水槽の底なら、爆発の衝撃も熱も伝わらん。爆破後は酸欠になるかもしれないから、そのボンベを上手く使って生き延びろ」
「私だけ助かるなんて……! 教授も一緒に隠れましょう!」
「馬鹿を言え。私は顔を見られているから、死体がないと確実に探される。それに……」
老研究員は、震える口元に無理やり笑みを作った。
「まあ、お前が生き延びて逃げられたら、私の勝ちってことでいいだろ」
ドンッ。
廊下のすぐ外で、足音が止まった。
「……隠れろ」
デサルは押し込まれるようにして水槽の冷たい水の中へと沈み、酸素ボンベのマスクを口に当てて、物陰から息を潜めた。
直後、研究室の分厚い扉が、音もなくスライドして開かれた。
そこに立っていたのは、右顔面を漆黒の仮面で覆った、黒髪の死神だった。
ケントは部屋の中央に立つ老研究員を一瞥すると、展開されている琥珀色の小型障壁の前まで歩み寄った。
コンコン、と。
義手の指先で、障壁の表面を軽く叩く。
そして仮面の奥の瞳が、老研究員の恐怖に引き攣った顔を捉え、ニィッと三日月のように嗤った。
(今だッ!!)
ケントが魔法を発動しようとしたその瞬間、老研究員は自らの手で障壁発生装置のスイッチを切り、無防備になったケントの胸元に向けて、リボルバーの引き金を引いた。
ダァァァンッ!!
銃口から火柱が上がり、音速の鉛玉が放たれる。
「……っ!?」
ケントは目を見開き、反射的に体を横へと捻って床を転がった。
鉛玉はケントの脇腹の衣服を掠め、背後の壁に深く突き刺さる。
回避した勢いのまま、ケントはインナーバフによる神速の踏み込みで老研究員の懐へと飛び込み、『収納』から取り出したミスリルの剣を下から上へと一閃した。
ズバァッ。
老研究員の胸部から肩にかけて、深い斬撃が刻まれる。
「が、はっ……」
リボルバーが床に落ち、老研究員は大量の血を吹き出しながら、その場に崩れ落ちた。
「……フフッ、届かんかったのう」
血塗れの剣を握ったまま、ケントが低く唸る。
その声には、怒りよりもむしろ、純粋な感嘆の色が混じっていた。
「いや、まさか反撃してくるとは思っておりませんでした。ご老師の意地を見せていただきましたな。お見事でした」
ケントのその言葉を聞き、老研究員は口の端から血の泡を吹きながら、微かに満足げな笑みを浮かべた。
「……へへっ、どうだ……」
そのまま、老研究員の瞳から光が失われ、動かなくなった。
ケントは少しの間、無言でその骸を見下ろしていた。
やがて、彼は剣を収納に戻し、老研究員の遺体を仰向けに整えて床に寝かせた。
そして、土魔法で抽出した細かい金属粉末を遺体の上に振りかけると、その中心に極小の『指向性爆鳴気』を生成して着火した。
カッ!!
テルミット反応による三千度を超える超高温の閃光が、遺体を優しく、しかし一瞬にして包み込む。骨一つ残さず、老いた研究者の亡骸は綺麗な白い灰へと変わっていった。
ケントは灰の前に立ち、目を閉じて静かに黙祷を捧げた。それは、敵でありながらも最後まで意地を見せた男に対する、彼なりの最大限の敬意だった。
黙祷を終え、ケントは部屋の中の機密書類や試作部品を次々と『収納』へと回収していく。
すべての回収を終え、部屋を立ち去ろうと踵を返した時。
ケントの視線が、チラッと、部屋の隅にあるカモフラージュされた『防火水槽』の方へと向けられた。
水槽の底で息を潜めるデサルの心臓が、恐怖で早鐘のように打ち鳴らされる。
(見つかった……! 殺される!)
だが。
ケントは水槽の方を見つめたまま、フッと微かに口元を緩めると、そのまま何も言わずに部屋を後にした。
重い足音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなる。
残されたのは、燃え尽きた灰の静かな匂いと、水槽の中でガタガタと震えながら生き延びたデサルの、荒い呼吸音だけだった。




