第110話:鋼鉄の脅威と、戦女神の誓い
王都であった瓦礫の山から東へ約五十キロ。
荒涼とした岩山を登りきった俺たちは、冷たい夜風に吹かれながら、眼下に広がる巨大な軍事施設を見下ろしていた。
仮面に埋め込んだ『魔眼』に魔力を通し、望遠と熱源探知の機能を全開にする。
暗闇の向こう側に浮かび上がったのは、野営の陣地などという生易しいものではなかった。
四方を高いコンクリートの壁で囲まれ、規則正しく配置された兵舎。巨大な工場のような研究施設。そして、それらを重層的に守るための警戒態勢。
「……なるほどな。こいつは厄介だ」
俺は魔眼の視界に映る情報を処理しながら、低く唸った。
「どうしたの、ケント? なにかマズいものでも見えた?」
隣に伏せているセリーナが、不思議そうに首を傾げる。
「ああ。兵の数はおよそ一万ってところだが……装備が、王都の近衛兵なんかとは次元が違う。全員がボルトアクションの五連発ライフルを持ってるし、指揮官クラスの腰には中折れ式のリボルバーだ。それに、各兵士の装備に手榴弾までぶら下がってる」
前世の知識で言えば、第一次世界大戦初期の歩兵装備とほぼ同等だ。
俺は視線をさらに施設の要所へと移す。
「それだけじゃない。見張り塔や検問所には水冷式の重機関銃が据え付けられてるし、分隊ごとに軽機関銃まで配備されてる。おまけに、迫撃砲や山砲の陣地まであるぞ」
「機関銃……それに山砲? それって、ノキアの兵が使っていた連発銃よりも凄いの?」
セリーナが怪訝な顔をする。ノキアの技術もオリヴィア先生と豊和のコンビで劇的に進歩したが、目の前の光景はそれをさらに一歩、いや二歩は先を行っている。
「弾幕の密度が違う。それに、一番ヤバいのはあそこだ」
俺が指差した先。巨大なガレージのような建物の前に、分厚い装甲板で覆われた鉄の車両が何台も停まっていた。前世のオースチン装甲車に似た、いかついフォルムの車両だ。
そして、その後方には物資輸送用のトラックが何十台も並んでいる。
「鉄の車……? 馬もいないのに、どうやって動かすのよ」
「内燃機関だ。……シン大陸の奴ら、魔法に頼らない自立動力まで完成させてやがったんだ」
俺の背筋を、冷たい汗が伝い落ちた。
セリーナはまだピンと来ていないようだったが、前世の歴史を知る俺からすれば、これは王都を吹き飛ばしたこと以上に戦慄すべき事実だった。
「セリーナ。あれはただの『硬い車』じゃない。あのエンジンという動力が存在するということは、弾薬を作るプレス機や、武器を削る旋盤といった工業機械も、魔法や人力に頼らずに動かせるってことだ。……つまり、兵器も生活物資も『無限に大量生産できる』工業力があるってことなんだよ」
「大量生産……」
「そうだ。今はまだ海軍の船が帆船止まりだからアマテラスは侵攻を防げているんだろうが、あの内燃機関の技術が海軍に回って鋼鉄の軍艦が作られるようになったら……アマテラスどころか、ノキアを含めた三国連合だってひとたまりもない。いずれ圧倒的な技術差と物量差で押し潰されて負ける」
俺の切実な声に、セリーナの顔からもスッと血の気が引いた。
個人の暴力でどれだけ無双しようが、国という巨大なシステムが工業力の差で敗北すれば、愛する家族の居場所は守れない。
「でも、防衛もかなり堅そうだわ」
セリーナが視線を細める。ケントも頷いて
「魔力探知で見たが、あの基地、八つの区画に分かれて巨大な『障壁』が張られている。それに、分隊規模の小さな障壁も持っているだろうな」
「王都が私たちに潰されて連絡が取れないから、警戒態勢に入ってるんでしょうね」
電信線らしきものは王都の方角へ伸びているが、その王都は俺たちが更地にしてしまった。オリヴィア先生でも無線は魔力ノイズのせいで実用化されていないこの世界において、あの基地は現在、外界から完全に孤立した『密室』となっている。
壁内での訓練を見ると、敵のドクトリンは明白だった。
四分隊で一つの戦闘単位を作り、一つの分隊が障壁を解除して一斉射撃を行い、反撃される前に障壁を張る。その間に別の分隊が攻撃を仕掛けるという、障壁防御と銃器の弾幕を組み合わせた隙のないローテーション。
「従来の魔法や物理攻撃が相手なら、まさに鉄壁の要塞だな」
俺はセリーナに言う。
「だが、俺やお前の『座標指定』とは絶望的に相性が悪い。障壁の中に直接火をつけたり、爆鳴気を発生させたりできる俺たちからすれば、あの密閉された障壁はただの『ガス室』や『自爆用の棺桶』でしかない。叩き潰すだけなら、外から順番に炙っていくだけで割と簡単だ」
俺の言葉に、セリーナも「ふふっ」と好戦的な笑みを浮かべた。
だが、俺はすぐに表情を引き締め、首を横に振った。
「しかし、ここを更地にしても、シンの他の基地や海軍が技術情報や現物を持っていたら、同じような兵器をまた作ってくる。ノキアの優位性を保ち、将来の国を守るためには……どうしても、あそこにある内燃機関の現物や図面、機関銃の機密を『腕輪』に根こそぎ回収して帰りたい」
それが意味することは、一つだ。
遠距離から安全に絨毯爆撃をするのではなく、一万人の完全武装した兵士が待ち受ける敵地のど真ん中へ、研究施設を壊さないように直接潜入しなければならない。
「危険はある」
俺は、隣に伏せているセリーナの目を見つめた。
「近接戦闘になる。一歩間違えれば、死ぬかもしれない。」
俺は少しだけ言葉を切り、彼女の白い頬にそっと手を伸ばした。
冷たい夜風の中で、彼女の肌の温もりが心地よく指先に伝わってくる。
「……でも、俺は、お前と戦いたい」
「ケント……」
「俺は普段の、優しくて落ち着いたセリーナさんも好きだ。でも……戦場で、誰よりも苛烈に炎を纏って戦うお前は、凄く綺麗で、見惚れるくらい美しいんだよ」
俺の真っ直ぐな言葉に、セリーナの瞳が大きく見開かれ、やがて夜の闇の中でも分かるほどに頬が朱色に染まっていった。
熟女好きの狂犬の本音。命のやり取りをする戦場だからこそ、一切の誤魔化しなど必要なかった。
「……一緒に行ってくれるか?」
俺の問いかけに、セリーナは愛おしそうに目を伏せ、俺の手に自身の手を重ねた。
「……嬉しいわ」
艶やかな、だが確かな芯のある声だった。
彼女はゆっくりと顔を上げ、俺の義眼と、火傷の痕が残る右顔面を、どこまでも優しい瞳で見つめ返してきた。
「私は、貴方の剣で、盾で、炎よ。……どんな地獄でも、いつも一緒だわ」
その言葉と共に、セリーナの方から俺の首に腕が回された。
引き寄せられるようにして、俺たちの唇が重なる。
冷たい岩山の頂で、互いの体温だけを確かめ合うような、深く、熱い口づけ。
舌が絡み合い、吐息が混ざり合う。彼女の甘い香りと、戦いの前に高まるアドレナリンが、俺の脳を激しく痺れさせた。
服越しに伝わる、彼女の豊満で柔らかな身体の感触。
俺は彼女の背中を強く抱き寄せ、冷たい岩肌に彼女をそっと押し倒した。
セリーナも拒むことなく、むしろ俺を迎え入れるように、その美しい足を俺の腰に絡めてくる。
「はぁ……っ、ケント……」
「セリーナ……」
死地に赴く前の、極限の緊張感。
だからこそ、互いの命がここにあることを、これ以上ないほど濃厚な接触で確かめ合う必要があった。
荒涼とした岩山で、月明かりだけが二人を照らす中、俺たちは声にならない吐息を漏らしながら、互いの熱を貪り合うように肌を重ねた。
これから始まる一万人規模の殺戮と機密強奪。その狂気の世界へ足を踏み入れるための、二人の共犯者による、甘く静かな儀式だった。
――数時間後。
乱れた衣服を整え、戦士の顔を取り戻した俺たちは、再び眼下の要塞を見下ろした。
「じゃあ、行くか」
「ええ。まずは、どうするの?」
俺は魔眼の視界を頼りに、最も警戒が厳重な中央の研究棟を指差した。
「夜陰に乗じて、まずはあそこの『開発棟』と『障壁の発生炉』に張り付く。機密を奪うまでは、絶対に音を立てるな」
「了解よ。見張りはどうするの?」
「俺が視線だけで、気管と脳内に直接魔法をぶち込んで始末する。お前は俺の死角をカバーしてくれ」
俺たちは無言で頷き合い、インナーバフの魔力を極限まで絞り込んだ。
音もなく、影のように岩山を駆け下りる。
一万人の兵士が眠り、あるいは警戒の目を光らせる巨大な密室の要塞。
その懐深くへ、二つの理不尽な死神が、ゆっくりと牙を剥いて忍び寄っていった。




