第109話:女神の座標と王太子の決断と約束する漢
燃え盛る王都を背に、俺とセリーナは荒野の岩陰で短い夜を明かした。
翌朝、空が白む頃に王都の方角を見下ろすと、黒い煙はまだ燻っていたが、人間の放つ熱源反応は完全に消え失せていた。
「……完全に更地だな」
「ええ。もう人の気配は残っていないわ」
魔眼のセンサー出力を落とし、俺たちはアマテラスが位置するであろう方角、東の海を目指して歩き出した。道中、地図に載るような大きな街があれば、寄り道してでも物理的に消去していく予定だ。
荒野を歩き始めて数時間が経過した頃。
前方の土煙と共に、十騎ほどの騎馬がこちらへ向かって猛スピードで駆けてくるのが見えた。シンの軍装を纏った騎兵たちだ。
「あれ、もらうぞ。徒歩にも飽きてきたところだ」
「ええ、いいわよ」
馬を傷つけないよう、俺は騎兵たちの頭部の位置に極小の爆鳴気を座標指定した。
パンッ、というくぐもった破裂音が数回響き、先頭の数騎が首から上を吹き飛ばされて落馬する。混乱した残りの騎兵たちのもとへ、セリーナが低い姿勢で滑り込んだ。すれ違いざまに馬の脚を避け、騎兵だけを双剣で的確に攻撃していく。
数十秒後には、主を失った十頭の馬だけが、血の匂いに怯えていななきながらその場に残された。
「……なるほどな」
俺は転がっている死体を蹴り転がし、彼らの装備を確認した。
一般兵の手には、オリヴィア先生と豊和が開発したものと同等のボルトアクションライフル。そして指揮官と副官らしき男の腰には、薬莢式の回転式拳銃が提げられていた。
「ノキアの連発銃とほぼ同じ構造ね」
セリーナがリボルバーのシリンダーを弾きながら言う。
「ああ。だが、ハーンへ攻め込んだ三万の軍勢は、前時代的なマスケット銃すら持っていなかった。こいつらは伝令書みると王都から五十キロほど東にある『軍事基地』からの伝令だ」
まだ息がある、副官の頭を靴底で踏みつけ、簡単な尋問で情報を引き出した。
昨日、王城からの定時連絡が途絶えたことで、異常を察知した基地から派遣された偵察部隊らしい。
その基地には、シンの精鋭と呼ばれる『近衛戦闘団』と『第一戦闘団』が駐留している。アマテラス侵攻の要となる部隊で、戦力はおよそ一万。最新の銃器が配備されているだけでなく、新規装備の開発拠点も兼ねているという。シンの他の部隊はいまだマスケットや大筒が主力であり、その五万程度の戦力とは練度も装備も格絶しているとのことだった。
「一万の精鋭と、開発拠点か」
「皆殺しにするのは変わらないけど、先にその基地を潰しておくべきね。新しい兵器なんか作られて、アマテラスやノキアに持ち込まれたら厄介だわ」
セリーナの意見に俺も頷く。
「ただ、王城と同じように大型の障壁発生装置が配備されている可能性が高い。それに個別の隊単位でも障壁装置くらい持ってるだろう。遠距離から爆鳴気を撃ち込むだけじゃ、防がれて膠着状態になるな」
手に入れた馬に跨り、基地の方角へ馬首を向けながら俺たちは戦術を練った。
「まずは遠距離から不意打ちの砲撃をかまして、向こうに障壁を張らせる。そのまま一気に接近し、反撃のために向こうが障壁を解除した瞬間に叩くか……あるいは」
俺はセリーナを見た。
「セリーナ。お前も『座標指定』を覚えろ」
以前、俺が魔法の理屈を教えた時、セリーナはそれを感覚として掴むことができなかった。魔法は自分の肉体(マナの袋)を起点に発現するという常識が、彼女の中で固まっていたからだ。
だが、今は違う。
昨日から今日にかけて、俺が離れた空間に魔法を構築し、さらには障壁の『内側』にまで爆鳴気を発生させるのを、彼女は特等席で見続けてきた。
「……肉体から離れた場所に、魔力だけを飛ばして発現させる。理屈じゃないのよね」
「ああ。魔力を飛ばすんじゃない。そこに魔力が『在る』と定義するんだ。お前ならできる」
俺に対する絶対的な信頼と親愛。それが、彼女の中で強固な常識の壁を溶かしていた。
馬を走らせながらの特訓から数時間後。
「――燃えなさい」
セリーナが右手で剣を振るうことなく、視線だけで荒野に立つ枯れ木を見つめた。
次の瞬間、枯れ木の幹の中心から青白い炎が突然噴き出し、木は内側から燃え上がって灰になった。
「できた……!」
「……上出来だ。科学知識がイメージできない爆鳴気は無理でも、純粋な火魔法や風魔法を任意の場所に直接ぶち込めるだけで、戦術の幅は跳ね上がる」
「ええいっ!」
セリーナが楽しそうに視線を動かすと、今度は数十メートル先にある巨大なサボテンの幹の『内側』に風魔法の圧縮が発生し、内側から破裂して弾け飛んだ。
「ふふっ……これで、シンの奴らをどこからでも焼いてやれるわ」
獰猛で、それでいてひどく妖艶な笑みを浮かべるセリーナ。
(……能力値1でちまちま爆鳴気を連射してる俺と違って、火魔法10のセリーナが座標指定を使いこなしたら、普通にえげつない破壊力になるな)
母娘揃って、俺の努力を才能で超えるのを見せられ、少しの悲しさを感じながら、俺たちは一万の精鋭が待つ軍事基地へと速度を上げた。
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同じ頃、ニューヴェ大陸から遠く離れたノキア王国。
王城の執務室で、次期国王シャルムは重苦しい沈黙の中にいた。
彼の目の前には、妖精のスーが報告を終えて飛び回っている。シーナの治療は無事に一命を取り留める段階まで進み、他の妖精たちに後を任せてきたという。
「……ケントの奴、ノキアを巻き込まないために、国も伯爵位も捨てると言ったのですね」
シャルムは窓の外の空を見つめ、静かに呟いた。
その真意は痛いほど分かっていた。海を隔てたシン大陸という巨大国家に対し、ノキアの正規軍を動かせば全面戦争になる。それを避けるため、ケントはあくまで「個人の復讐」として、自ら退路を断ったのだ。
「ええ。だからアタシは、ザラと一緒にシン大陸へ向かうわ。ケントの馬鹿が死なないように、見張ってなきゃいけないからね」
スーが腕組みをして鼻を鳴らす。
その背後で、ノキアの筆頭貴族であるルミナス侯爵が、深いしわを刻んだ顔で静かに口を開いた。
「手配は済んでおります、殿下。ザラ殿と妖精殿には、アマテラス経由でシンの沿岸へ極秘裏に向かえるよう、高速船を用意いたしました」
「……侯爵、感謝します」
シャルムは振り向き、王としての冷徹な顔を作った。
「公式には、こう発表します。――『王太子に同行しながら勝手な軍事行動を起こしたとして、ヴォルガン伯爵ケントの貴族籍および領地を剥奪する』と」
「殿下……」
「我らがノキアは、前戦争の英雄個人の情よりも、これから築くヴェレツケール連合の法と利益を重んじる。この姿勢を内外に示すことで、マセックやウルへの連合参加の呼びかけはより強固なものとなるでしょう」
親友を切り捨てるという形をとりながら、その真意を汲み取り、さらには国家の大義名分へと昇華させる。ケントが残した政治的カードを最大限に活かす、冷徹な『王の決断』だった。
「ケント……死ぬなよ」
シャルムの微かな呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
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一方、ニューヴェ大陸のハーン王宮。
家宰であり軍のトップであるデックスは、新女王ルダの御前に進み出ていた。
「暇乞い、ですか」
ルダの声は低く、微かに震えていた。
「はい。私はこれより、かつての部下二十名と共に、ノキアのザラ殿と合流し、シン大陸へと向かいます」
デックスの言葉に、周囲の貴族や文官たちがどよめいた。
「将軍、馬鹿な! ノキア王国ですら、ケント殿を罪人として切り捨てたのですよ! 我々ハーンが公に動けば、外交問題に――」
「公式には動きません。あくまで、私個人の武者修行という名目です」
デックスは静かに、しかし断固として反論した。
「ノキアのシャルム殿下がケント殿を切り捨てたのは、苦悩の末の政治的判断です。ですが、我々ハーン国が今日あるのは、ケント殿とザラ殿のおかげ。その恩を返すのは今しかありません。……それに、非公式であっても我々が救出に動けば、将来シャルム殿下が真に王となった時、ノキアとハーンの絆はより強固なものとなるはずです」
情と理。その両方を兼ね備えたデックスの主張に、反論できる者は誰もいなかった。
玉座に座るルダは、震える唇を噛み締め、威厳ある女王としての顔を無理に作ってデックスを見下ろした。
「……よろしい。将軍デックスに、一年間の暇を与えます。存分に修行してきなさい」
ルダは立ち上がり、一歩前に出た。
「ただし、必ず生きて報告に戻ることが条件です。……よいですね?」
「ははっ」
深く頭を下げていたデックスたちが顔を上げた時。
ルダの威厳ある顔からは、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「なんだ? 目にゴミでも入ったか」
女王の涙など見えなかったかのように、デックスは立ち上がり、ルダの傍らに歩み寄った。そして、自分の粗い指でその頬の涙をそっと拭い、耳元で小さく囁いた。
「俺は死なねえ。必ず戻ってくるから、待ってろ」
周囲の貴族や文官たちは、全員が突然天井の装飾や床の模様に興味を持ち始め、必死に見ないふりをしていた。
公式には何も語らず、だが確かな想いを胸に秘めて。
デックスたち二十名の精鋭は、砂漠の王宮を後にし、血と硝煙が待つシン大陸へと旅立っていった。




