第106話:修羅の道行き、血塗られた転移
熱風が巻き上げる砂塵の向こう。陽炎でぐにゃりと歪む視界の先に、岩山をくり抜いて作られた要塞都市の輪郭が浮かび上がった。
ニューヴェ大陸に取り残された、シンの残党たちの拠点。高い城壁の内側には、武装した兵士たちの姿だけでなく、大勢の非戦闘員の姿があった。市場らしき場所で立ち話をする女たち、路地裏を駆け回る子供たち、荷車を引く老人。
本国からの支援を受けながら、この閉鎖された空間で彼らなりの日常を営んでいる。その光景を岩陰から見下ろしながら、ケントは無意識に奥歯を噛み締めた。
口の中に広がるのは、ひどく乾いた砂の味と、微かな鉄の匂い。シーナの血の匂いが、未だに鼻腔にこびりついて離れない。
隣に這いつくばるセリーナが、微かに眉をひそめていた。
彼女の視線の先にも、明らかに戦闘とは無縁の民間人たちが映っている。このまま拠点に攻め込めば、確実に彼らを巻き込む。
だが、ケントの横顔に、躊躇いや迷いといった感情は微塵も存在しなかった。
冷たいわけではない。ただ、命の価値を完全に天秤にかけ、すでに取り返しのつかない覚悟を決めた男の、一切のブレがない瞳。
「無理に巻き込む気はないけど、気を遣う気も無い」
ケントは、眼下の街を淡々と見下ろしながら低く告げた。
「シーナやお前たちの命と、知らない人間十万人なら、俺はお前らの方が大事だから。……そこは、二度と迷わん」
その言葉に、セリーナは短く息を吐き、双剣の柄を強く握り直した。
「ええ。アタシもよ」
「こいつらは撤退してからゲート壊す算段だったなら、いきなり攻撃したからってすぐにゲートは壊さないだろ。俺がゲートの反対側で爆発おこすから、その隙にゲート押さえて転移しようぜ。そして転移したら、向こうからゲート爆破しちまおう」
「この街の人たちは、ここはほっといていいの?」
「ああ。こんな砂漠の奥で、ゲート無くなってシン本国からの補給が無くなりゃ、黙ってても干からびて死ぬか、ハーンの軍に叩かれて終わりだろ。……まあ、銃もあるかもしれんし、陽動の時に衛兵隊とかそれらしい施設は吹き飛ばしておくさ」
ケントは右目に意識を集中させ、魔眼を起動した。
ズン、と。眼球の奥が熱を持ち、視界が特殊な色を帯びて切り替わる。石造りの街並みを透過し、地脈と魔力の流れが可視化される。街の奥、左手にそびえる巨大な岩山の内部に、異常なまでの高密度な魔力溜まりを視認した。
「左の岩山だ。ビンゴだな」
ターゲットは、ゲートが隠された左の岩山とは対角線上にある、右側の城壁。その上に設置された巨大な衛兵の詰め所。
座標指定で詰め所の上に爆鳴気を収束させ、起爆する。
ドゴォォォォォォンッ!!!
空気を引き裂くような爆音が轟き、強烈な衝撃波がケントとセリーナの頬を打った。
衛兵の詰め所が巨大な火柱と共に粉々に吹き飛び、石の破片が雨のように降り注ぐ。一瞬の静寂の後、街中から悲鳴が上がり、パニックに陥った群衆が逃げ惑う姿が見えた。警鐘が乱打され、武装した兵士たちが爆発音のした右側の城壁へと殺到していく。
ケントはさらに多発的に城壁の各所へと魔法を放ち、砂煙と混乱を街全体へと蔓延させた。
「行くわよ」
立ち込める粉塵の隙を突き、セリーナが黒い影となって城壁を越え、街の左側へと侵入する。
ゲートへと向かう道すがら、彼女は一切の音を立てなかった。混乱のさなか、偶然彼女の姿を目撃してしまった者がいれば、それが武装した衛兵であろうと、逃げ惑う非戦闘員の市民であろうと関係ない。
悲鳴を上げる隙すら与えない。すれ違いざまに首の動脈を絶ち、あるいは心臓を的確に貫いた。刃から伝わる生温かい肉の感触。血だまりの中に崩れ落ちる骸を一瞥することもなく、復讐の母親はただ冷酷に、ゲートへと続く死の道筋を築いていく。
一方、陽動を引き受けたケントは、正面から堂々と街の通りを歩いていた。
兵舎、武器庫、見張りの塔。軍事施設と見れば片っ端から爆弾を投げ込むように爆鳴気を叩き込み、街の機能を物理的に破壊していく。
爆発の熱波と、建材が焦げる匂い。舞い散る灰が喉にへばりつく。
その最中、爆発の余波で倒壊した建物の前を通りかかった。
瓦礫の山。その下敷きになって下半身を潰され、すでに息絶えている小さな女の子。そして、その亡骸を抱き抱え、獣のように泣き叫んでいるケントと同年代の男性がいた。
質の良い軍服を着たその男は、近づくケントの足音に気づいて顔を上げ、涙と泥で汚れ、血走った目を向けた。
「貴様……お前の仕業かぁっ!!」
「ああ」
男が憎悪に満ちた絶叫と共に剣を抜き、ケントへと斬りかかってくる。
しかし、ケントは腰の剣を抜くことすらしなかった。
発動したのは『土魔法』。
男の脳内、生命維持を司る脳幹部分に直接、硬質な土塊を発生させたのだ。
ゴキッ、と。頭蓋の内側で、何かが致命的にへし折れる音が鳴った。
振り上げられた男の剣がピタリと止まり、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。鼻の穴からドス黒い血と泥水を垂れ流し、痙攣すらせず、一瞬での即死だった。
「……人の家族に手を掛けといて、何言ってんだコイツら。イラっとしたわ」
ケントは、男の亡骸と潰れた少女を見下ろす。
シーナの腹に大穴を開けられ、自分の手が真っ赤に染まった時の、あの内臓を素手で掴み出されるような絶望と痛みに比べれば、目の前の悲劇などただの風景でしかない。
苛立ちに任せて靴底の血糊を地面で擦り落とし、ケントは足早にゲートのある岩山へと向かった。
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「遅かったじゃない」
岩山の内部、巨大な転移ゲートが設置された空間の入り口。返り血を浴びて頬を赤く染めたセリーナが、双剣を下げて待っていた。
「ちょっと道草食ってた。……一応どうなるかわかんないから、ここから先は派手な魔法はナシで、剣と拳でやろう。ゲート壊しちまったら元も子もないからな。あと、ゲートの所にいる軍人っぽくない奴等は何人か生け捕りにするぞ」
「わかったわ」
二人が重い石の扉を蹴り開けて歩みを進めると、ゲート室を警護していた精鋭の兵士たちが一斉に武器を構えた。
だが、それは戦闘と呼べるような代物ではなかった。圧倒的な暴力による、一方的な蹂躙。
ゲートを破損させないよう、ケントとセリーナは外部への物理破壊を伴う魔法を封印した。しかし、それは彼らが弱体化することを意味しない。インナーバフによる超人的な身体強化に加え、二人が用いたのは「対象の体内」に直接干渉するえげつない魔法だった。
「がっ……ごぼぇっ!?」
斬りかかってきた兵士の胸にケントの掌が触れた瞬間、その心臓の内部に直接、高圧の水が送り込まれる。破裂した心臓を押さえ、兵士が血を吐きながらのたうち回る。別の兵士は肺を水で満たされ、陸に上がりながら溺死の苦しみを味わって絶命した。
セリーナの双剣は文字通り敵を縦に、横に解体していく。肉を断つ鈍い音と、血の飛沫が石の壁を赤く染め上げていく。
ゲートの制御盤にしがみついていた魔導士風の担当者の一人が、恐怖に顔を引き攣らせて逃げ出そうとした。
ケントが冷たい視線を向けた瞬間、その担当者の頭の中で土が異常増殖する。
メキメキと不気味な音を立てて頭蓋骨が内側から膨張し、次の瞬間、パーンと弾け飛んだ。目や耳、鼻の穴からドロドロの土と脳漿を溢れさせて死んだ男を見て、残された数人の担当者たちは恐怖のあまり腰を抜かし、固く目を瞑ってガタガタと震え出した。
「おい、動かせる奴は誰だ。ゲートを開け」
ケントが血に濡れた手で首根っこを掴んで命じても、彼らは首を横に振り、口を真一文字に結んで目を瞑ったままだ。
ため息をついたケントの横から、セリーナが静かに進み出る。彼女は一番手前にいた男の髪を掴んで無理やり引き仰け反らせると、冷たい刃をその顔面へと滑らせた。
「ぎゃあああああああっ!!?」
男の絶叫がゲート室に響き渡る。
セリーナは、目を瞑って現実逃避しようとした男の両目の『瞼』を、刃で綺麗に切り取ったのだ。
血まみれになり、物理的に剥き出しになった眼球をひん剥いて泣き叫ぶ男。
セリーナは血の滴る刃を、今度は口を固く結んでいる別の男の唇へとゆっくりと押し当てた。
「さあ……目を開けたんだから、次は口も同じように『斬って開けて』あげようかしら?」
「ひぃぃっ! や、やります! やりますからぁっ!!」
凄惨極まる拷問と目の前の地獄絵図に、担当者たちは完全に心を折られ、泣き叫びながら制御盤へと縋り付いた。
魔力が注ぎ込まれ、巨大なゲートが青白い光の渦を形成し始める。オゾンのような独特の匂いが室内に満ちた。
「よし。転移するときはお前らも一緒だからな。くれぐれも変な気はおこすなよ」
ケントは担当者たちの首根っこを掴み、セリーナと共に光の渦へと足を踏み入れた。
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視界が歪み、胃袋がひっくり返るような浮遊感の後。
二人の足は、硬質な石造りの床へと降り立っていた。
空気の匂いが違う。湿度も、温度も違う。ニューヴェ大陸の乾いた熱気とは全く異なる、海を隔てたシン大陸の本国。
転移直後、待ち受けていたのは豪奢な鎧に身を包んだ大量の衛兵たちだった。通告なしのゲート起動に、彼らは一様に槍や、見たこともない形状の銃を構えて警戒している。
「敵しゅ――っ」
一緒に転移してきたゲート担当者の一人が、ここぞとばかりに叫ぼうとした瞬間。
ケントの刃が一閃し、その首がゴトリと床に転がった。
「なっ……!?」
いきなりの同士討ち(に見える光景)に衛兵たちが驚愕し、動きを止める。
その一瞬の隙を見逃すセリーナではない。影のように衛兵たちの懐に潜り込み、双剣の乱舞が次々と彼らの首を刎ね飛ばしていく。
血の雨が降る中、ゲート室を抜け出した二人の視界が開けた。
そこは、巨大な首都の外れだった。
発達した石造りの市街地。そして、その遥か向こう、都市の中心部にそびえ立つ、威圧的な王城。吹き抜ける風が、ケントの前髪を揺らす。
「よし。ここからは派手に行こうぜ」
ケントが王城を見据えてニヤリと笑う。
「慎重に行かなくて良いの?」
「シンは銃もあって、しかもノキアで使ってるのより強力そうだ。ここは相手のホームだし、体制調えられてじっくり来られたら、味方も補給も無い俺達は負ける。……だから、相手を混乱させつつ、速攻で王城落として勝ち逃げしようぜ」
ケントの無茶苦茶な、だが理にかなった戦術ロジック。
それを聞いたセリーナは、呆れたように、けれど心底楽しそうに笑みをこぼした。
「……まあ、正直もうめんどくさいから、とにかく王様殺しちゃいたいなとは思ってたわ」
「ハハッ、やっぱりセリーナ最高だわ! ……死ぬなよ」
「ふふ、ケントもね」
敵の首都のど真ん中。四方八方から警報が鳴り響き、軍隊が押し寄せてくる絶望的な死地において。
二人は顔を見合わせると、血と砂に塗れた顔のまま、笑い合って短くキスを交わした。
唇から伝わる、鉄の味とアドレナリンの熱。
直後、セリーナの全身から規格外の魔力が膨れ上がった。
「吹き飛びなさい!!」
ゲート周辺に殺到してきたシンの軍勢に向けて、彼女は巨大な火魔法を連発する。業火の嵐が敵兵を飲み込み、肉の焦げる異臭が辺り一面に立ち込めた。
その炎の壁の向こう側、王城へと続く一直線の道。
ケントは自身の魔力を練り上げた。
「道を開けろォォッ!!」
指向性を持たせた『爆鳴気』が、一直線に並べられ、一斉に起爆する。
鼓膜を破らんばかりの、大地を砕く絶雷の如き轟音。
王城に至るまでの数百メートル。立ち並んでいた強固な石造りの建物も、配備されていた防衛陣地も、人々も、すべてが超高温の爆発と衝撃波によって物理的に消し飛ばされた。
後に残ったのは、文字通り『更地』となった一本の巨大な道だけ。
爆鳴気によって発生した高熱の水蒸気が立ち込め、その道の周囲からは、吹き飛ばされた人間たちの悲鳴と助けを呼ぶくぐもった声が響き渡っている。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
その真ん中、熱を持った泥濘のような地面の上を、二人は悠然と歩き出した。
「かわいそうになぁ」
ケントが、足元のひしゃげた瓦礫を蹴り飛ばしながら呟く。
「……ケント、後悔してるの?」
「あ? いや。こんなバカな王様のせいで、かわいそうになって事」
「ふふっ。じゃあ、代わりに王様の首獲ってあげないとね」
「違いないな。よっし、行こうぜ!」
立ち込める血と硝煙と水蒸気の向こう側。
二人は並んで地を蹴ると、この国で一番偉い男の首を物理的にもぎ取るため、狂乱の王城へと向かって真っ直ぐに駆け出した。




