第105話:赤く染まった砂、剥き出しの殺意
鼓膜を劈くような轟音が、連続して熱砂の平野を揺らした。
ケントとシーナが放つ『爆鳴気』が、地中に潜む火薬ごと岩盤を吹き飛ばしていく。もう何度目になるかわからない熱波と爆風が通り過ぎた後、シーナは舞い散る砂埃を小さな手で払いながら、隣を歩くケントを見上げて花が咲いたように笑った。
「あははっ、お兄ちゃん、次あっち! あっちの岩の影も怪しいよ!」
「おう、任せろ。この調子で罠ごと更地にしてやる。足元気をつけて歩けよ、シーナ」
「うんっ!」
魔力探知にかからない地雷を突破するための、地形ごと削り取る強引な進軍。
過酷で血生臭い戦場にあって、二人が歩くその周囲だけが、切り取られたように穏やかな空気に包まれていた。
頭上からは、ニューヴェ大陸の容赦ない太陽がジリジリと肌を焼き、遠くの岩山が陽炎でぐにゃりと歪んで見える。額に浮かぶ汗を拭いながら、ケントは順調に前線を押し上げていることに微かな安堵を覚えていた。
その時。
遥か彼方、敵拠点の最も高い岩山の頂。陽炎の中に潜む極小の点が、太陽の光を反射して『キラッ』と不自然に瞬いた。
「え……?」
笑っていたシーナの視線が、ふとケントの肩越し、後方の虚空へと引き寄せられた。
そこに魔力の気配など一切ない。殺気すらも届かない距離だ。
だが、彼女の瞳だけが、この灼熱の砂漠の中で生じた、ほんのわずかな『違和感』を捉えていた。
自然の光ではない。あれは、何か冷たいガラスのような無機質なレンズの反射。
次の瞬間、シーナは理屈よりも先に動いていた。
「お兄ちゃんっ!!」
彼女の小さな両手が、ケントの胸板を思い切り突き飛ばした。
「わっ!? なんだシー――」
不意を突かれたケントが体勢を崩し、無防備に倒れ込む。
直後だった。
――グチュッ。
それは、重く湿った肉の破裂音。
銃声よりも早く、音速を超えて飛来した『魔力を持たない物理の鉛玉』が、無防備な少女の肉体を乱暴に穿つ音だった。
仰向けに倒れ込んだケントの視界の中で。
自分を庇うように前に出た妹分の細い身体が、見えない巨大な鉄槌で殴り飛ばされたかのように、不自然なほど大きく後ろへと弾け飛んだ。
真っ赤な飛沫が、スローモーションのように空中に散る。
ケントの頬に、生温かい液体が斑点のようにこびりついた。
パァァァァァァンッ!!!!
乾いた銃声が、一拍遅れて砂漠に木霊した。
「……は?」
ケントの思考が、完全に停止する。
ドサリ、と。糸の切れた人形のように崩れ落ちたシーナの身体から、瞬く間に大量の血が溢れ出し、乾いた砂をどす黒く染め上げていく。
右の腹部が、大きく抉り取られていた。
「シーナ……っ!?」
ケントは弾かれたように跳ね起き、血だまりの中に倒れる少女を抱き起した。
その身体は驚くほど軽く、そして、急速に熱を失い始めていた。指の隙間から、ドクドクと絶望的な量の血がこぼれ落ちていく。
「敵襲ゥゥッ!! 狙撃だ、岩陰に身を隠せぇっ!!」
後方からデックスの悲痛な叫び声が響き渡り、ハーンの兵士たちがパニックを起こしながら散開する。
「シーナ!!…ケント、伏せなさい! まだ次が来るわ!」
セリーナが走りこみつつ、障壁を展開し声を張り上げる。
その間も障壁に弾丸が当たるが、貫くところまでは行かない。
だが、攻撃されている間は障壁を解除できず移動ができない。
「シーナ……おい、嘘だろ……なんで、お前が」
「おにぃ……ちゃん、無事、で……よかっ……」
シーナの焦点の合わない瞳がケントを捉え、微かに唇が動いた直後、その瞼が力なく閉じられた。脱力した小さな手が、砂の上にポトリと落ちる。
「シーナ!! シーナぁぁぁっ!!」
ケントの絶叫と同時に、彼の懐からまばゆい緑色の光を放ちながらスーが飛び出してきた。
妖精であるスーの表情はかつてないほどに引き攣り、その小さな両手をシーナの抉れた腹部へと突き出した。
「死なせない……っ! 絶対に死なせないっ!!」
周囲の空間が歪むほどの、規格外の治癒魔法。スーの命そのものを削るような魔力の奔流が、千切れた血管を繋ぎ、砕けた内臓を強制的に再生させていく。
だが、火薬によって射出された大口径の鉛玉がもたらした物理的な破壊の規模は、あまりにも大きすぎた。細胞の再生が、破壊の速度に追いつかない。
そんなシーナを見ているケントを叱る声が響く。
「しっかりしなさいケント!!まだ攻撃されてるのよ!」
セリーナはシーナの容態が気になりながらも、障壁を張りながら狙撃手を探している。
ハッとしたケントは、スーが懸命に治療しているシーナの身体をそっと砂の上に横たえ、右目の魔眼と右耳を使い、弾丸が来たと思われる方角を見回す。
……見つけた。
肉眼では見えない偽装のうえ、魔法遮断の迷彩もされている。
しかし魔眼サーマルスコープと集音で隠れ場所の特定ができた。
700メートルほど離れた岩山に、狙撃拠点があるようだ。
「吹き飛べ…」
前方700メートルに指向性爆鳴気を作成し、1000発の爆鳴気をガトリングの様に打ち込む
「キィィィン!」「ドシャァァン!」
爆鳴気の爆発が収まった後には風が吹き込み、戦場から水蒸気と砂塵を吹き飛ばしていく。
そこにはもう岩山は無く、ただ荒野が広がっているだけだった。
俺は、一つ一つの爆鳴気の威力はシャルやシーナ以下だ。
しかし能力値1で一つ一つは威力劣っても、運用を工夫し連射できる魔力があればこの位の事はできる。
……なのになぜ、なぜ俺はシーナを守れなかったのだろう
「……はぁっ!血は、止まった……。傷も、塞いだけど……っ」
数分の後。己の魔力を極限まで使い果たしてふらつくスーが、血に染まった小さな顔で、しゃくり上げるように泣いた。
「意識が戻らない! 破壊された肉体のショックが大きすぎるの! このままじゃ命が持たない……早く、早く安全な場所で安静にさせないと、シーナが、死んじゃうっ……!」
スーの悲痛な声が、砂漠の乾いた風に吸い込まれていく。
両手を見つめる。シーナの血で、真っ赤に染まっていた。
自分を守るために流された、目の中に入れても痛くないほど可愛がってきた、大切な妹であり婚約者の血。
「……ケント殿」
岩陰から這うように歩み寄ってきたデックスが、蒼白な顔で言葉を絞り出した。
「すぐに撤退しましょう。この拠点は危険すぎます。魔力探知にかからない超遠距離からの狙撃……こんなもの、歩兵ではどうにもならない。一度王都に戻り、軍を再編して総力戦で奴らを――」
「駄目だ」
ケントの声は、ひどく静かだった。
怒鳴り散らすわけでも、取り乱すわけでもない。
振り返ったケントの瞳は、いっそ澄んでいるようだ。
しかし、歴戦の将軍であるデックスでさえ、その瞳に見つめられた瞬間、背筋に強烈な悪寒が走り、思わず一歩後ずさった。そこにいたのは、ノキアの英雄でも、豪快で気のいい青年でもなく、ただ敵を惨殺することだけを目的とする『化け物』だった。
「デックス。お前はハーンの兵を連れて、スーとシーナを安全な場所まで運んでくれ」
「なっ……貴方はどうするおつもりですか!? 相手は未知の兵器を――」
「ハーンの軍を再編して総力戦?……その間に奴らが本国に逃げ帰ったらどうする。別の国まで追っかけて、大軍で戦争でも仕掛けるのか?」
ケントの言葉に、デックスは息を詰まらせた。
敵の本国は、海を隔てたシン大陸だ。ハーン国にそこまでの遠征を行う余力などあるはずがない。となれば、頼るべきは強大な軍事力を持つ同盟国、ノキア王国ということになる。
だが。
「ノキアの軍は出せねぇんだよ」
ケントは、血だらけの手で自分の顔を乱暴に拭った。
「今のノキアは、帝国との戦争の傷も癒えきっちゃいねぇ。それに、シャルムの奴は今、ヴェレツケール連合っていう新しい国のあり方を模索し始めたばっかりだ。……あいつは馬鹿だから、俺が頭を下げりゃ、どんな無理をしてでもノキアの軍を動かそうとするだろうさ。でも、海を隔てた別大陸の国相手に、俺個人の怨恨で戦争なんか仕掛けたら、あいつが築こうとしてる未来が、全部ぶっ壊れちまう」
怒りで真っ赤に染まり、今すぐシンを消し飛ばしてやりたい衝動に駆られながらも、ケントの頭の片隅だけは、冷静だった。
ここでシーナを理由にシンと戦争を起せば、ノキアという国がどうなるか。
親友であるシャル、それにルミナス侯爵や義父殿にどれほどの重荷を背負わせることになるか。
「だから、俺はここでノキアの貴族籍を捨てる。国も、伯爵の地位もいらねぇ」
「ケント殿……っ、貴方という人は……!」
「勘違いすんな。かっこつけてるわけじゃねぇ。ただの、個人的な喧嘩だ。あいつらの息の根を全部止めるまで、俺は止まれねぇからな。……スー、シーナを頼む。ルミナス侯爵かザラのところへ運んでくれ」
「……わかった。ケントも、絶対に死なないでよ」
涙を拭い、スーがシーナの身体に治癒の光を当て続ける。
ケントが視線を前方の拠点――狙撃手が潜む岩山の最深部へと向けた、その時。
彼の隣に、一人の女性が歩み出てきた。
セリーナだった。
「セリーナさん。貴方も戻ってシーナについてやっていてくれ。これは俺の問題だ」
ケントが視線を向けずにそう言うと、次の瞬間。
セリーナの両手が、ケントの胸倉を力任せに掴み上げた。
「……ふざけんじゃないわよ」
地を這うような、震える声だった。
ケントが目を見開く。セリーナの瞳は血走っており、その目尻からは、凄まじい怒りと悲しみが入り混じった涙が止めどなく溢れ落ちていた。
いつも余裕に満ちて、大人ぶっていた彼女の面影はどこにもない。そこにあるのは、自らの腹を痛めて産んだ最愛の娘を理不尽に傷つけられ、狂乱の淵に立つ一人の『母親』の顔だった。
「あんただけの問題? 寝言は死んでから言いなさい。……あれは、アタシの実の娘よ! あんたにとっても、目の中に入れても痛くないくらい大事な妹でしょうが!!」
セリーナの爪が、ケントの服を破るほどに強く食い込む。
「アタシが、帝国で銃の恐ろしさを知っていながら……もっと強く警戒させていれば……っ! あんな鉛玉で、あの子の小さな身体に風穴を開けられることなんてなかった……!!」
後悔と、殺意。
セリーナは唇から血が滲むほど強く歯を食い縛り、胸倉から手を離すと、ケントの血に染まった頬を両手で強く挟み込んだ。
「アタシも行く。ノキアの事情なんて知ったことじゃない。地位だの爵位だの、最初からそんなものに興味はないわ」
セリーナは、至近距離でケントの真っ暗な瞳を覗き込む。
「アタシの可愛い娘をあんな目に遭わせた奴らを、一匹残らず肉塊に変えてやるわ。……一人で行かせると思ったら大間違いよ、ケント」
その瞳に宿る、自分と同じ絶対零度の殺意。
もはや、大人の女と若い青年という関係ではない。共に血に塗れ、共に同じ地獄へ落ちる覚悟を決めた、対等な『共犯者』の目だった。
「……馬鹿野郎が。二度と帰ってこられないかもしれないぞ」
「上等よ。地獄の底まで付き合ってあげるわ」
二人の間に、それ以上の言葉は不要だった。
デックスたちがシーナを乗せた急造の担架を運び出し、涙を呑んで後方へと撤退していくのを見届けた後。
残された二人は、弾かれたように地を蹴った。
地位も、名誉も、退路すらもすべて捨て去った『個』となった男女は、無数の罠と銃弾が待ち受ける死の地へと、ただ真っ直ぐに突進していった。




