第101話:優しい拷問と、砂の向こうの影
群衆の面前で見せつけられた新女王と王配の熱烈なキスから数十分後。
俺たちはハーン王城の奥深く、限られた者しか入室を許されない豪奢な応接室に通されていた。
先ほどの騒ぎですっかり冷静さを取り戻した(そして盛大に赤面した)ルダとデックスを前に、俺はふかふかのソファに腰を下ろした。隣にはすっかり寛いだ様子のセリーナとシーナが座り、背後には護衛としてギデオンが腕を組んで控えている。俺は出された温かい茶で喉を潤してから、今回の旅の本来の目的について口を開いた。
「まあ、外の掃除はだいたい終わったから、本題に入ろうか。ノキアからシャルム王太子が、大所帯を引き連れてこっちに向かってる」
「……王太子殿下が、自らですか。それはまた、随分と異例な……」
デックスが怪訝そうに眉を寄せる。
「ああ。ノキアでは今、壮大な計画が持ち上がっててな。かつて存在した『ヴェレツケール』という国を起源とする三国で、『ヴェレツケール連合』を作ろうって構想だ」
「ヴェレツケール連合……っ」
その言葉を聞いた瞬間、ルダとデックスが弾かれたように息を呑んだ。
「おれたちの国に滞在しているガゼブ王子も、ハーン国としてこの連合に参加したいと強く希望してくれた。だからこそ、ノキアの次期王であるシャルムが正使として赴き、正式にハーン国を連合の発起国に連なってもらえるよう打診に来る。俺たちはその先遣隊ってわけだ」
俺の説明に、ハーンのトップ二人は顔を見合わせた。
先の大王の暴走と、俺たちによる王都の半壊。そして今しがた起きた三万の軍勢による包囲。国力が底をつきかけ、まさに滅亡の危機に瀕していた彼らにとって、ノキアという強大な武力と経済力を持つ国との対等な同盟は、喉から手が出るほど欲しい蜘蛛の糸だろう。
「……感謝いたします、ケント殿。ハーン国として、これ以上ない救いの手です」
デックスが深く頭を下げる。ルダもまた、真剣な表情で頷いていた。
「礼なら後でシャルに言ってやってくれ。それよりも、だ」
俺は茶器をテーブルに置き、表情を引き締めた。
「さっき外で暴れてた連中……ギーク人って言ったか。あいつら、以前からここまで好戦的だったのか? いきなり三万もの大軍で押し寄せてくるなんて、尋常じゃないぞ」
俺の問いに、デックスは重い首を横に振った。
「いえ。彼らとは、我々の先祖がこのニューヴェ大陸に降り立って以降、何度か大きな衝突はありましたが……敗れた彼らが砂漠の奥地へ退いてからは、もう何百年も目立った交流はありません。お互いに不可侵、不干渉を貫いてきたはずでした。それがいきなり、周辺の部族まで取りまとめて攻め寄せてくるとは……正直、我々も全く予想していなかったのです」
「なるほどな。……急に攻め込んできた理由。それを吐かせる必要があるな」
俺は立ち上がり、背後のギデオンに視線を向けた。
「親父さん、捕虜の尋問の準備は?」
「とうに終わっておる。地下の牢に、一番偉そうな将校を縛り付けとるわい」
「よし、行こう」
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冷たい石造りの地下牢。
そこには、先ほどの戦場でドヤ顔で演説をぶちかましていた敵の指揮官が、頑丈な椅子に縛り付けられていた。
俺たちが牢に入っていくと、将校は血走った目で俺たちを睨みつけた。
「ふんっ! 殺せ! 我らギークの誇り高き戦士が、貴様らヴェレツケールの奴隷の尋問などに屈すると思うなよ!」
強がりを叫ぶ将校。
俺がいつものようにサバイバルナイフを取り出して「人間フェザースティック」を作ってやろうかと一歩前に出た、その時だった。
「ケント君。ここは、私に任せてくれないかしら?」
セリーナが、ふんわりと花が咲くような笑みを浮かべて前に出た。
「え、セリーナさん?」
「先ほどの戦い、少し物足りなくてね。こういう強情な殿方とお話しするのは、嫌いじゃないの」
彼女はそう言うと、櫻師範直伝の『インナーバフ』を両手に発動させながら、優雅な足取りで将校に近づいた。
「な、なんだ女。下がれ! 貴様のような――」
「あらあら、随分と強張ったお顔。少し、体をほぐして差し上げましょうね」
セリーナは極めて優しく、慈愛に満ちた声で囁きながら、将校の右手の人差し指の『指先』をそっと摘まんだ。
パキッ。
乾いた小枝を折るような音が響き、将校の指の第一関節が、ありえない方向へと曲がった。
「んぐっ!?」
「次は、ここね」
セリーナは微笑みを崩さず、そのまま指の根元の関節を、メキョリ、と折り砕く。
「がっ、あ……っ」
「手の甲も、随分と強張っているわ」
ミシミシッ、バキィッ!
万力のような握力で手の甲の骨が粉砕され、そのまま手首の関節が捻り潰される。
「ぎ、ぎぎぎっ……!」
「手首から繋がる、尺骨。これも大事な骨よね」
セリーナの白魚のような指が前腕を滑り、骨の急所を的確に圧迫して、バキィンッ! とへし折る。
「ひぃぃぃっ!!」
「そして、肘の関節。最後に、上腕の骨ね。ほーら、力抜いて」
メキョバキィィィィンッ!!
「ぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁッッ!!?」
地下牢に、将校の絶叫が響き渡った。
指先、指の関節、手の甲、手首、尺骨、肘、そして上腕。
セリーナは一切の表情を変えず、ただ優しく語りかけながら、将校の右腕の骨という骨、関節という関節を『順番に折り砕いて』いったのだ。
ただ力任せに折るのではない。解剖学を熟知しているかのように、最も激痛が走るポイントを、最も痛みが長引くように、じっくりと、丁寧に、粉砕していく。
「さて、左腕もほぐしましょうか? それとも、足の指先からにする?」
セリーナが首を傾げて小首を傾げる。その瞳には、一切の感情がなかった。
「いっ、言う! 全部言う! 言うから許してくれえぇぇぇっ!!」
拷問開始からわずか一分。
ギーク人の誇り高き戦士は、涙と鼻水と涎を撒き散らしながら、完全に心を砕かれて泣き叫んだ。
俺もデックスもギデオンも、全員が顔を引き攣らせて壁際まで後ずさっていた。この美魔女だけは、絶対に敵に回してはいけない。
「あら、素直でいい子ね。お話ししてちょうだい?」
セリーナの優しい声に促され、将校はガタガタと震えながら事の経緯を自白し始めた。
「……俺たちの元に、情報が持ち込まれたんだ……! 『勝手にニューヴェ大陸に入植し、我らの土地を奪った憎きハーン国が、遠方から来た国に攻め込まれて多くの兵を失った。国王も交代し、国力が著しく低下している。今こそ、先祖の土地を取り戻す絶好の好機だ』と……っ!」
「情報が持ち込まれた? 誰からだ?」
「ふ、伏せられてたが、族長や長老は知ってるはずだ。相手はハーンの内部の情勢や、王都の防衛の薄さを正確に把握していた! それで、軍部が主導となって近隣の部族にも声をかけ、一気にこの王都を目指して攻め寄せてきたんだ……っ!」
情報を聞き出した俺は、腕を組んで思案に暮れた。
「……おい、デックス。ちょっと引っ掛かるぞ」
「と、言いますと?」
セリーナの拷問から目を逸らしていたデックスが、ハッと我に返って俺を見る。
「こいつにもたらされた『遠方の国に攻められて国力が落ちている』という情報。そして国王が交代したという事実。これは紛れもなく正確で、最新の内部情報だ」
俺は牢の中をゆっくりと歩き回りながら、頭の中でパズルのピースを組み上げていった。
「だがな、一番重要な情報がすっぽりと抜け落ちてる。……『元々ハーン国の先祖たちがいた、ヴェレツケールの末裔である俺たちノキアがハーンを叩いた』という部分だ」
「あっ……!」
デックスが気づいたように声を上げた。
「ギーク人たちは、自分たちを不毛の荒野へ追いやった『ヴェレツケール人』そのものに憎しみや不満を持っている。だとしたら、ハーン国(ヴェレツケール人)にダメージを与えたのが、同じヴェレツケールの末裔であるノキアだと知ったらどうなる?」
「……同士討ちをしていると嘲笑い、両者が共倒れになるまで様子を見るはずです。少なくとも、ノキアという未知のヴェレツケールの軍勢がハーンに残っているかもしれない状況で、急いで三万もの軍を動かすような無謀な真似はしないでしょう」
デックスの言葉に、俺は深く頷いた。
「その通りだ。それに、ギークたちが情報の裏取りを一切していないことにも違和感がある。国王交代の件や、ノキアとの国交について自分たちで少しでも探りを入れていれば、ノキアという国が援軍としてくる可能性に気づき、警戒したはずだ」
俺は将校を見下ろした。
「こいつらは、まるで無条件で『もたらされた情報』を信用しきって、盲目的に突っ走ってきた。つまり……誰かがわざと、交戦後にハーンとノキアが有効関係を築いたことは伏せた上で、『ハーンに攻めても援軍はいないし、国力が低下しているから絶対に勝てる』と吹き込み、ギークにハーンを襲わせたってことだ」
地下牢に、冷たい沈黙が落ちた。
「……目的は何だ? もし俺たちノキアが事態に気づかなければ、そのままギークに王都を襲わせて、ハーンを完全に滅ぼしても良し。今回のように俺たちが援軍として出てきて、ギークが撃退されても良し。そんな風に、盤面の上で駒を弄ぶようにハーンとギークをけしかけた『誰か』がいる。それもギークの首脳陣から、情報の裏どりもいらないくらいの信を得ている奴だ…」
俺の推理を聞き、デックスの顔色が悪くなった。
「そんな……一体誰が、何のためにそんな真似を。他国の介入を誘うような真似をして、誰に利益があると言うのです。私には全く見当がつきません……」
強大な外敵よりも恐ろしい、見えない『黒幕』の存在。
沈鬱な空気が漂う中、それまで黙って話を聞いていたルダが、ひどく青ざめた顔でポツリと口を開いた。
「……実は」
「ルダ?」
俺が振り返ると、ルダは自らの腕を抱きしめるようにして震えていた。
「実は……我がハーン王家には古い伝承があるのです」
ルダの言葉に、デックスすらも驚いたように目を見開く。
「伝承……ですか?」
「ええ。我々の先祖がヴェレツケールよりこの地に降り立った時……つまり、ハーン国を建国するまさにその時のことです。王族の内部で激しい争いがあり……敗れた、あるいは袂を分かった一派がいたと」
ルダは、震える声でその先を紡いだ。
「その一派は、国造りに参加することなく……ギーク人たちと同じ、過酷な砂の向こうへと姿を消した、と言い伝えられているのです」
砂の向こうに向かった、もう一つの王族。
その言葉が意味する底知れぬ闇の深さに、俺はゆっくりと息を吐き出した。




