第99話:砂漠の伏兵と、たかが三万
赤茶けた荒野を、俺たち使節団は粛々と進んでいた。
空は高く、乾いた風が吹き抜けていく。巨大な騎獣の蹄が岩を砕く音だけが、単調に響き渡っていた。
ヒュッ、という鋭い風切り音。
遥か上空の岩山の頂から、俺の心臓を一直線に狙って射出された一本の凶矢。恐るべき速度と貫通力を伴った暗殺の一撃だ。
「あ?」
俺が騎獣の上で身を躱そうとした、まさにその時。
「随分と、無作法な挨拶じゃない」
隣を進んでいたセリーナが、声と共に動いた。
馬の鞍から流れるような動作で身を乗り出すと、引き抜かれた剣が銀色の弧を描く。キンッ、という甲高い金属音と共に、俺の首筋に到達するはずだった凶矢は真っ二つに両断され、無力な木片となって地面に落ちた。
息を呑む間すらなかった。
セリーナは矢を切り落とした体勢のまま、空いている左手を岩山の頂へ向けた。そして小さな声で呟いた。
「ワタシの男にふざけた真似しやがって」
紡がれたのは、極大の火魔法。
大気中の魔力が一瞬にして圧縮され、太陽が落ちてきたかのような目も眩む灼熱の火球が射出された。
ズドォォォォォォンッ!!
轟音と共に、岩山の上部が跡形もなく吹き飛んだ。刺客が隠れていたであろう岩陰はドロドロのマグマと化し、悲鳴を上げる暇すら与えずにすべてを灰燼に帰す。
「ひぃっ!?」
ハーン国の文官たちが、そのあまりの威力に悲鳴を上げて首をすくめた。
「……ふーん、小賢しいねえ」
だが、岩山が吹き飛んだ直後、周囲の荒野の景色がゆらりと歪んだ。
幻影の魔導具でも使っていたのか、あるいは砂に潜んでいたのか。土煙が晴れた後、俺たち使節団を半包囲するように、赤茶けた岩陰や砂丘の裏から、武装した巨大な騎兵の軍勢が次々と姿を現したのだ。
その数、優に三千は超えている。たった百五十人の俺たちに対し、圧倒的な戦力差だ。
軍勢の中央、一際大きな騎獣に乗った筋骨隆々の男が進み出て、ドヤ顔で俺たちを見下ろした。
その肌は浅黒く、ハーン国の民とはまた違う、独特な呪術的な刺青が顔に刻まれている。
「貴様ら、ヴェレツケールの末裔どもめ! この『ニューヴェ』の真の覇者が誰であるか、思い知るがいい!」
敵の指揮官は、勝利を確信したように高らかに宣言した。
「我らギークが、弱り切ったハーン国ごと、貴様らよそ者をこの大陸から根絶やしにしてくれるわ!!」
三千の軍勢が一斉に武器を掲げ、雄叫びを上げる。
圧倒的な殺意と暴力の波。普通ならば、絶望して膝を折る場面だろう。
――ドヤ顔で演説を終えた敵将が、俺たちを蹂躙しようと手を振り下ろそうとした、次の瞬間だった。
「お兄様に手ぇ出すなああぁぁっ!!」
俺の背後から飛び出したシーナが、両手を構え爆鳴気を練る。
そして前方を広範囲に吹き飛ばす。
「ぎゃああぁぁっ!?」
轟音と共に、敵の右翼に陣取っていた騎兵たちが、バラバラになり、宙に舞い、岩壁に叩きつけられてミンチに変わった。
「ワタシの男を狙うなんて、本当にいい度胸ねぇ……」
間髪入れず、セリーナの右手が再び振るわれた。
今度は、無数の紅蓮の炎槍が上空に出現し、敵の左翼へと文字通りの流星雨となって降り注ぐ。
「熱いっ! 焼け、るぅぅぅっ!!」
千人の騎兵が、一瞬にして逃げ場のない炎の地獄に飲み込まれ、黒焦げの炭へと姿を変えていく。
右翼、消滅。左翼、消滅。
たった数秒。ほんの二度の攻撃で、三千いたはずの軍勢は、中央に残された千人ぽっちになってしまった。
「あ?」
ドヤ顔のまま固まっていた敵の指揮官が、間抜けな声を漏らした。
「……ん、なんで?!」
彼が左右を振り返り、自軍の三分の二が一瞬で蒸発したという現実を理解できずに混乱していると。
「よっと」
馬上で優雅に微笑んだシャルムが、指先を軽く弾いた。
ただそれだけで、指向性の爆鳴気により、敵本陣の周囲を固めていた五百人の兵士たちを吹き飛ばし、血の海へと変えた。
「……さて」
シャルムは、残された五百人ほどの残兵と、腰を抜かして震えている敵将を一瞥し、自らの背後に控えるノキアの兵士たちへと涼しい顔で命じた。
「我が親衛隊、並びに疾風隊(道場生部隊)よ。残敵を掃討し、そこの偉そうな将校を生け捕りにしろ。尋問に使う」
「「「はっ!!」」」
シャルムの命令を受け、アマテラス式インナーバフを発動させた五十人の親衛隊と、同じく鍛え上げられた五十人の武士たちが、歓喜の雄叫びを上げて残敵へと雪崩れ込んでいく。完全に一方的な蹂躙劇だった。
その地獄絵図を、ノキアの後方部隊として安全な位置にいたハーン国特命大使のガゼブと文官たちは、ただ見つめていた。
(……やっぱ、ノキアってヤバい……!!)
ガゼブは、ハーン国を更地にした暴君と女帝の姿を思い出しながら、絶望的な気分で震えていた。
(あの可愛い子も、あんなに優しそうな美人の奥様も……信じられないほどえげつない化け物じゃないか! しかも、あの上品な王子様まで平然と魔法で部隊を半壊させるって、どうなってるんだこの国は!?)
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数分後。
拘束され、血まみれになった敵将が俺たちの前に引きずり出された。
「さあ、吐け。お前たちは何者だ。目的は何だ?」
シャルムが冷たく見下ろすが、敵将は歯を食いしばり、忌々しげに俺たちを睨みつけていた。
「ふんっ! 誰が貴様らヴェレツケールの奴隷などに話すものか! 殺せ!」
「……強情な奴だ。拷問官を呼べ」
「いや、シャル。急いでるんだ、俺がやる」
シャルムを制止し、俺は敵将の前にしゃがみ込んだ。
「なぁ、お前。『フェザースティック』って知ってるか? 俺の故郷じゃ、キャンプの焚き火なんかでよく作るんだがな」
「な、何を訳の分からんことを……!」
「木の枝をな、切り落とさないように、こう、薄ぅぅく、薄ぅぅく刃を入れて削いでいくんだよ。そうすると、鳥の羽みたいに薄い削りカスが、枝にくっついたまま何層も重なっていく。火がつきやすくて便利なんだ」
俺は敵将の腕を掴み、その太い腕に、指先をそっと当てた。
「これを『人間』でやるとどうなると思う? 肉を切り落とさず、神経をギリギリ残したまま、皮膚と筋肉を紙切れみたいに薄く削いで、花びらみたいに捲り上げていくんだよ。安心しろ。俺は手先が器用だから、すぐには死なせない。お前の全身が綺麗なフェザースティックになるまで、まだまだ『木(肉)』はたっぷりあるからな」
「……は?」
「じゃ、一本目いくぞ」
スッ、と。
俺が指先からのごく細い水流を出し、薄く、本当に薄く皮膚を削ぎ、捲り上げた瞬間。
「ぎ……ぎぃやああああああぁぁぁぁぁッッ!!?」
敵将の絶叫が、荒野にこだました。
血が噴き出す痛みとは違う、神経を直接薄く削り取られるような未曾有の激痛と、自分の肉が羽毛のように捲り上がっていく視覚的な恐怖。
「ああああっ! 言う! 言うから! やめ、やめてくれえぇぇぇっ!!」
たった一削りで、敵将は涙と鼻水を撒き散らしながら完全に心が折れ、全てをゲロり始めた。
彼が語った情報は、ハーン国の成り立ちに関わる歴史の裏側だった。
この大陸の名前は『ニューヴェ』。彼らギーク人は、ヴェレツケールから病魔を逃れてハーンの民が転移してくる前からの、正真正銘の『先住民』だったのだ。
かつて、ヴェレツケールから来た人々と溶け合い、上手くやっていく道を選んだ先住民もいた。だが、ギーク人たちは「ここは自分たちの土地だ。ヴェレツケール人は奴隷民としてしか認めない」と強く反発し、戦争になった。
しかし結果は、強大な魔導具と魔法知識を持つハーン国の圧勝。敗れたギーク人は砂漠の彼方へと追放され、そこで長い時間をかけて国を作り、いつかニューヴェを取り戻す機会を伺っていたのだという。
「……そこに、ハーンの都が大王ごと謎の勢力に叩き潰され、弱体化したという情報が入った。それで、ギークは周辺の部族や国々と同盟を結び、一気に攻め寄せてきたというわけか」
俺が指先の水流をしまいながらまとめると、敵将はガクガクと震えながら頷いた。
「そ、そうだ……! 俺たちは、転移の遺跡の噂を聞き、遺跡の動きを断つために派遣された分遣部隊だ! 本隊はすでに、三万の軍勢でハーンの王都へ進軍している! 今頃、王都は火の海になっているはずだ……っ!」
「さ、三万だと!?」
それを聞いたガゼブが、顔面を蒼白にして叫んだ。
「お、終わりだ……! 今の王都には、先の戦いで残った防衛隊と、デックス将軍の直属部隊しか残っていないはず! 三万の軍勢に囲まれれば、ひとたまりもない……!!」
パニックに陥るガゼブ。
だが、ノキアの次期王たるシャルムは、完璧に落ち着き払っていた。
彼はまるで、午後の紅茶の味を評価するような、ひどく冷徹で平坦な声で言い放った。
「なんだ。たかが三万か」
「……は?」
ガゼブが、頭のネジが飛んだ者を見るような目でシャルムを見た。
シャルムは俺へと向き直った。
「ヴォルガン卿。ヴォルガン伯爵騎士団を率いて先行し、ハーン軍と共同でその本隊とやらを『潰せ』。私は文官と残りの部隊を連れて、後から進む」
「御意」
俺が頷くと、シャルムは俺の隣に立つ厳つい騎士団長へと視線を向けた。
「ギデオン。ヴォルガンがやりすぎないように頼むぞ。婚約者も義母もケントに甘いからな。ストッパーは貴殿しかおらん」
「……はっ。承知いたしました、殿下」
ギデオンは深く一礼し、それから俺の方を見て、大きく、とても大きくため息をついた。
「ケント。聞こえたか?」
ギデオンは、まるでやんちゃな息子を窘める父親のような、厳格だがどこか温かみのある声で俺に言った。
「いいか。イラッとしたからといって、見境なしに殴り飛ばしたり殺したりするなよ。それに、情報を持っていそうな将校まで勢い余って全部殺しちまうような真似はするな。我々は正規の騎士団として先行するのだから、体面というものを保て。分かったな?」
「分かってるって、親父さん」
俺は 頭を掻きながら、少し口角が上がっているのを感じた。
「無駄に殺さないし、ちゃんと捕虜も残すよ。俺も大人だよ?」
「……その一言が一番信用ならんのだがな」
ギデオンは苦笑しながら、三十名の騎士たちに向かって号令をかけた。
「これより、ヴォルガン伯爵騎士団はハーン王都の救援へと向かう! ……ヴォルガン卿、遅れるなよ!」
「おう!」
こうして、俺とセリーナ、シーナ、そして親父代わりのギデオン率いる三十名の精鋭部隊は、三万の敵軍が押し寄せているというハーンの王都へと、出発したのだった。




