第96話:帰還、そして修羅の国の日常
新女王ルダの戴冠と、デックスの王配就任という怒涛の事後処理を終えた数日後。
俺たちは王都を離れ、再びあの赤茶けた荒野の大渓谷――俺たちが最初に飛ばされてきた遺跡へと向かっていた。
巨大な騎獣に乗って荒野を進む一行は、それなりの大所帯となっていた。
俺とザラ、そして肩に乗る妖精のスー。その後ろには、ヤーマン族などに捕らえられていたが『ヴェレツケール(ノキア)へ帰りたい』と望んだ数十匹の妖精たちが、籠に入って揺られている。
さらに、今後のノキアとの国交を担う特命大使として自ら赴任を志願した第4王子ガゼブと、その補佐をする文官たち。彼らを護衛し、遺跡周辺の恒久的な防衛線を構築するためのハーン国守備隊の精鋭たちだ。
「……オラァッ!」
道中、遺跡の利権を諦めきれないヤーマンの残党や、ヴェレツケールとの融和に反対する過激派の連中が何度か奇襲を仕掛けてきたが、俺とザラにとってはただの退屈しのぎに過ぎなかった。
土の腕輪を銃のように構えたザラが、遠距離から次々と過激派の頭部を撃ち抜き、接近してくる残党は俺が騎獣移動からの爆鳴気で文字通り粉砕する。
血の雨を降らせながら突き進む俺たちを見て、同行しているガゼブや文官たちは、ただ青ざめた顔で随伴するしかなかった。
やがて、見覚えのある崖下の遺跡へと到着した。
ガゼブの指揮のもと、ハーン国の守備隊が迅速に遺跡周辺の警戒網を敷き、岩陰に陣地を構築して周囲を完全に掌握する。
「よし、終わったな」
俺は守備隊の配置が完了したのを確認し、遺跡の奥深く、あの金属の扉の前へと立った。
スーが俺の肩から飛び立ち、扉の横にある幾何学的な紋様の一部を指差した。
「ケント、そこの窪みよ。そこに鍵を差し込んで、魔力を少しだけ流してみて」
「ああ」
俺は大王から奪い取った『渡りの鍵』を取り出し、金属の窪みへと押し込んだ。
カチリ、と硬い音が鳴る。
俺がインナーバフの魔力を指先から流し込んだ瞬間。
キィィィィンッ!!
鼓膜を震わせるような巨大な電子音が遺跡内部に響き渡り、壁面の幾何学模様が目も眩むような青白い光を放ち始めた。
浮遊感が全身を包み込む。だが、以前のような不快な落下感はない。座標がしっかりと固定された、安定した転移の感覚。
光の渦が視界を埋め尽くし、やがてふっと霧散した。
「……」
冷たく、湿った空気。
赤茶けた荒野の乾燥した風とは違う、ノキアの地下迷宮特有の匂いが鼻を突いた。
だが、そこは俺たちが知る『ただのダンジョンの小部屋』ではなかった。
視界が晴れた先、遺跡の扉の向こう側に広がっていたのは、物々しい軍事拠点だった。
松明と魔導ランタンの光が煌々と通路を照らし、王家の紋章を掲げた近衛兵たちと、ルミナス侯爵軍の精鋭たちが、いつでも扉の向こうへ雪崩れ込めるように完全武装で陣形を組んで待機していた。俺たちが飛ばされた後、シャルや侯爵たちが軍を動員し、ダンジョン内に強引な『進撃路』を構築していたのだ。
そして、その物々しい兵士たちの最前列。
野営用の机に広げられた無数の資料に埋もれ、ボサボサの髪をさらに爆発させたオリヴィア先生が、遺跡の魔力波長を徹夜で解析し続けていた。
その隣には。
目の下に大きな隈を作り、今にも倒れそうなほど憔悴しきったセリーナ、シーナ、クロエの三人。さらに、彼女たちに温かいスープを配りながら、気丈に振る舞い世話を焼いているレナの姿があった。
「あ……」
突如として開いた扉と、そこから現れた俺たちを見て、彼女たちの動きが完全に停止した。
信じられないものを見るような目。手からこぼれ落ちたスープの器が、石の床で乾いた音を立てて割れる。
「……ほら、旦那」
背中を、ザラが優しく押し出してくれた。
俺は一歩前へ踏み出し、小さく息を吸い込んだ。
「………ただいま」
その言葉が静寂に落ちた瞬間。
「お兄ちゃあああああんッ!!」
一番最初に限界を迎えたのは、シーナだった。
彼女は弾かれたように床を蹴り、俺の胸に猛烈な勢いで飛び込んできた。俺の服をちぎれんばかりに握りしめ、ボロボロと大粒の涙を流しながら子供のように声を上げて泣きじゃくる。
「か、帰ってくると思ってたし……っ! あんな罠くらいで、ケントが死ぬわけないって……っ、ぐすっ、うわああぁぁん!」
クロエが強がりながらも、決壊した涙を拭おうともせずに俺の背中にしがみついてきた。
「ケント君っったら、ホントにもう、もうもうもう……! 心配、かけたんだからね……っ!」
大人の余裕を完全になくしたセリーナが、俺の首に腕を回して顔を埋め、声を震わせて泣き崩れる。
不眠不休で待ち続けてくれた彼女たちの細い身体は、痛ましいほどに震えていた。
俺は愛する家族の温もりを噛み締めるように、シーナの頭を撫で、クロエとセリーナを力強く抱きしめ返した。
背後では、ザラが「世話を焼かせたねぇ」とオリヴィア先生や近衛兵たちに笑いかけ、軍の陣地は爆発的な歓声と安堵の吐息に包まれていた。
ひとしきり皆の涙を受け止め、彼女たちの嗚咽が少しだけ落ち着いてきた頃。
ふと、少し離れた場所でスープの器の欠片を片付けていたレナと目が合った。彼女もまた、目元を真っ赤に腫らしている。
「レナ。心配かけたな。……ただいま」
俺がもう一度そう微笑みかけると、レナはゆっくりと立ち上がり、無言のまま俺の元へと歩み寄ってきた。
そして、シーナたちの隙間を縫うようにして俺の首に両腕を絡めると。
ちゅっ、と。
周囲の兵士たちの目も、家族の目も一切気にすることなく、俺の唇を塞いだ。
単なる挨拶のキスではない。舌を絡め、お互いの唾液の音まで聞こえてきそうなほどに生々しく、明らかに青少年には見せられないような、ひどく濃厚で貪欲な口づけだった。
「んむ……ちゅ……っ」
「れ、レナ……!?」
突然の暴挙に、泣いていたセリーナたちもあっけに取られて言葉を失う。
長い、長ーいキスを終え、銀色の糸を引きながら唇を離したレナの目は、完全に据わっていた。
ポンコツムッツリな彼女の、溜まりに溜まった性欲と独占欲のストッパーが、極限の不安から解放されたことで完全に消し飛んでいたのだ。
「おかえりなさい」
レナは俺の耳元で甘く、そしてひどくネットリとした声で囁いた。
「さあケント様……異国でザラさんだけでは、到底足りなかったでしょう? ずっと溜まっていたその『疲れ』を、私がお部屋で何日でも、ドロドロになるまで抜いて差し上げ――」
レナがいつものムッツリ発言をかまそうとした、その時だった。
彼女の据わった視線が、俺の後ろで苦笑いをしているザラの姿を捉えて、ピタリと止まった。
「……」
レナの顔から、ムッツリとした熱がスッと引いていくのが分かった。
「……ザラさん?」
レナの声が、不自然なほど低く、冷たく響いた。
「その……異常に仕上がった肌艶は、一体どうしたのかしらあ?」
「……え?」
ザラがビクッと肩を跳ねさせる。
温泉での休息、そして妖精スーの超高位の治癒魔法による新陳代謝の爆発的な促進。それらが合わさった結果、現在のザラは三十代の美魔女から、二十代半ばの全盛期をも凌駕するほどの、ピカピカに輝く絶世の美肌とプロポーションを手に入れてしまっていたのだ。
「あれ?」
クロエが鼻をスンスンと鳴らし、ザラの首元を指差した。
「……なんか、お揃いのピアスとかしてない?」
「…………」
セリーナが、ゆっくりと、本当にゆっくりとした動作で、俺の左耳とザラの左耳にある『翻訳ピアス』を交互に見比べた。
そして、能面のように感情の消え失せた笑顔を浮かべた。
「……あれはどういう事かしら、ケント君? ザラ?」
「い、いや! セリーナ、これはだな! 向こうで言葉を通じさせるための魔導具でだな!?」
「そうだよ! 決してイチャイチャしてつけ合ってたわけじゃないんだよ! ほんとだよ!?」
俺とザラは、冷や汗を滝のように流しながら、ジリジリと後ずさった。
二万の軍勢を前にしても欠片も揺らがなかった俺たちの心臓が、今、猛烈な早鐘を打って警鐘を鳴らしている。
大剣を担いで嗤っていた災厄の女帝も、俺の背中に隠れるようにしてオロオロと目を泳がせている始末だ。
「……へぇ。言葉を通じさせるため、ねぇ」
セリーナの指先から、チリッ、と青白い火花が散った。
「じゃあ、そのピカピカの肌艶と、二人から漂う『どうしようもなく満たされた空気』についても、後でたっぷり、聞かせてもらおうかしら?」
「ひぃっ!?」
俺とザラが揃って悲鳴を上げたその光景を、ゲートの向こう側からノキアの大地へと足を踏み入れたばかりの、ハーン国特命大使たるガゼブ王子と文官たちは、ただ呆然と眺めていた。
(……この国は、ヤバいんじゃないか……?)
たった二人で大王の特殊部隊をミンチにし、二万の大軍を瞬きする間に塵に変え、ハーン国を恐怖のどん底に叩き落とした『理不尽な暴君と災厄の女帝』。
その化け物二人が、女性たちの静かな怒気の前でタジタジになって逃げ腰になっているのだ。
あの化け物たちを完全に尻に敷く女たちが、ゴロゴロと生息している国、ノキア。
ガゼブは、これから自分が大使として駐在しなければならないこの修羅の国の底知れなさに、ひっそりと胃を押さえて戦慄するのであった。




