【鹿苑寺の光景】
一四六二年三月五日、京で真如寺(京都十刹第三位の寺)が炎上した。
『書立之大館兵庫殿白之』(蔭凉軒日録)
“十五日、大館兵庫殿(教之、持氏次男、義政御供衆)が文書にし、公方様に報告した”
鹿苑寺蔭凉軒主・季瓊真蘂から報告を受けた、将軍足利義政は、対応を命じた。
二十二日、義政が普広院に足を運んだ。まず、昭堂で焼香をおこない、御斉。扇子二十柄、高壇帋十帖が献じられる。続いて、越中国・長福寺祖林首座、信濃国・開善寺景傅西堂、讃岐国・長興寺晃紀首座。公帖に判がなされた。将軍の仕事、諸国寺院の人事である。
『南禪寺大雲庵菊澗西堂。今月廿日夜被殺害』
“南禪寺大雲庵の菊澗西堂。今月二十日夜、殺害されましてございます”
寺院の変事。寺領の問題。それらは、このように義政の耳に入った。なお、興福寺や延暦寺といった大寺院には、未だ本格介入できていない。義政の父義教は、将軍になる前、延暦寺で座主を。伯父の俊円は、興福寺東北院で首座をした。大寺院に対しては一族を送る、室町幕府寺社政策の現状であった。幕府寺社政策の中心は、あくまで五山ら禅宗である。
『諸五山施餓鬼可勤之』
“五山に、京の飢民への施しをさせよ”
雨と、天下太平の祈祷もな。
その後、恵雲院尾張領が話題となり。熱田神宮の関と揉めぬよう指示された。
『管領以舊例雖可被參。依歡樂俄不被參也』
“管領(細川勝元)も参加すべきなのだが。歓楽により、にわかに参られなかった”
あの人は分からない。前にも、諸大名が参列する仏事を、虫気で休んだ。
七月十三日、夏の暴雨のなか、義政が来た。讃岐国・道福寺首座、越後国・普済寺令誉首座。判を終えた義政と季瓊真蘂の間で、管領の話題が出た。
『今明日管領不可参』
“今日と明日は、管領が来ぬ”
『蓋請暇之意』
“どうも、暇を請うているようだ”
元来、赤松出身の季瓊真蘂は、細川に親近感が強い。管領にも困ったものだった。十四日も暴雨。義政の御成りは続き。十五日、雨が止んだ。義政が、諸大名を連れ、姿を見せた。この日、義政は機嫌が良く、季瓊真蘂と談笑した。季瓊真蘂は言った。
『風夏中有暴雨則必有三日之雨也。世俗常之語也』
“風夏。暴雨来れば、必ず三日の雨となる。世間ではそう申しますが”
十三日と十四日が雨。しかし、今日は、雨降らず。俗語も当てはまらぬものですな。
『昔梁武帝於金山調施食設燭。若有寄特自天可點火云。忽然而燭點火之事』
“昔、梁の武帝が金山に燭を設けたところ。天から火が降り、灯りが付いたそうな”
『三日之雨違俗語也。然則燭點火之事。又不定』
“俗語に反する、三日続かぬ雨も。いきなり灯りが付くのも。どちらも「不定」ですな”
『公方又御一笑』
“(それを聞いて、)公方様は、一笑された”
管領の様子がどうもおかしい。そんな中、仕事を滞りなく行い、季瓊真蘂と茶話に興じる義政に、お付きの大名らは安心した。ここらが、将来を約束されて育った叔父義持や、万事を厳格に臨んでしくじった父義教との違いである。義政は、常に周囲に気を配った。
十月十五日、義政が鹿苑寺に来た。
『管領御相伴被參。以被參侍乎御經之故。蓋舊例也』
“管領(細川勝元)もお付きで来た。読経の際は、古例により、参侍するのである”
事前に打ち合わせていたのか、季瓊真蘂は、この席で、「鹿苑寺の津国安威庄の年貢二十石を細川家臣の安威新衛門が納めない件」と寺の風呂の材木が興福寺の両関に押さえられた件を報告している。勝元は、間接的に義政に叱られたわけで。勝元は、義政と季瓊真蘂と寺奉行・飯尾左衛門大夫らの遣り取りに、居住まいを正す他なかった。
寺社関連の政務が一段落した後、義政は外に出た。
『泉水御遊覧天氣快晴』
“公方様は庭の泉水を見て回られた。天気は快晴であった”
管領を宥めたうえ、ちくりと叱責することに成功した義政は、上機嫌であった。
『御談笑刻移也』
“公方様と談笑をするうち、刻が移ろった”
十七日、珍しい人が、鹿苑寺を訪れた。
『鹿苑寺大上様爲紅葉一覽有御出俄依被申』
“大上様(義政母・日野重子)が、紅葉を見るため、寺を訪れた。にわかに言い出された”
義政も、慌てて姿を見せた。
―これは。先日の管領叱責の件が、大上様の耳に届いたか―
義政は、『至深更』(それなりの時間)、重子と何事かを話し。両者は帰って行った。察するに、管領殿を粗略にするなと母が釘を刺し。予想していた息子は、宥めてくれと頼んだか。
十九日、近江金剛寺から唐納豆二合が届いた。鹿苑寺には、季節ごとに諸寺から贈物が届く。秋頃は、大方松茸が届くが、金剛寺は何故か納豆を送ってくる。
二十日、義政が、結城勘解由左衛門を鹿苑寺によこした。
『雲頂卵塔後檜樹之間。可栽二丈計之楓樹』
“雲頂院の塔の後ろにある檜なのだが。二丈ばかり、切ってくれんか”
『楓樹大小其紅色深淺。註而可伺之』
“木の大きさ、紅葉の深さ。詳しく聞いてくれ”
庭園用だろうか。季瓊真蘂は雲頂院に命じた。それにしても、我が道をいく公方様である。
雲頂院の楓は、十一月二十八日に移された。寺の長老たちが、公方様に目を掛けていただき、お喜び申し上げますと、披露している。これも、ある意味、寺社政策ですな。
【フェルミのパラドックス】
何でも、宇宙全体でみると、生命が存在するのは、地球だけかもしれない可能性があり。それでありながら、確率論的には、宇宙には数十億の生命生存可能惑星があるそうです。
だったら、何故、「地球人は宇宙人と出くわさないのだろう?」というのが、フェルミのパラドックス(矛盾)です。①単に宇宙が広過ぎるから?②宇宙人も進化中なんだよ?③見て見ぬふりをしてくれてるのでは?④いや、恐竜くらいで進化がストップした星がほとんどなんだよ?というのが、論理的な“仮説”です。
逆手にとれば、「人類が宇宙で好き勝手しても、まあ大丈夫なんじゃないか?」という確率論の宇宙にも見えます。
⑤宇宙はそもそも人類用に都合良くできてるんだよ(宇宙論の一つ)
この考えでいくと、ロケット→大丈夫!宇宙旅行→大丈夫!火星開発→大丈夫!となるわけで、「まあ、宇宙で好きに遊んでくれ」というのが、二十一世紀以降の人類に許されたことなのかもしれません(神様とか創世主がくれた、人類への夏休みのような時代)。ほぼ、何でもありな時代です。
ネックは、例えば「環境問題」「資源ゴミ」「核廃棄物」ですが。冷静に考えれば、「人類が地球に巣篭もりして、わざわざ地球に捨てている」から(自爆プレイ?)なわけで。何でもありのゲーム論の世界なら、「宇宙に捨てに行けば良いのでは?」「太陽に向かって、核廃棄物を飛ばせば、勝手に安全に燃えてくれるに決まっているだろう。飛ばすコストは数兆円掛かるにしろ、一万年以上も地上に放置しているくらいなら、いっそ、宇宙に捨てれば、地球の空気は綺麗なままなのでは?」「宇宙は使いよう多くて便利だな^_^」
地球の使い道と宇宙の使い道を分けて考えるようになるのが、二十一世紀以降の経済・平和・産業界の“効率的な発想になるのではないかと思います。本段は、京や鹿苑寺で「巣篭もり将軍」をする足利義政の日常でした。
たまには、地方に出掛けてはどうですか?義政公?とツッコミを入れて読める人は、「現代人」です。あるいは、「戦国大名」側の発想でしょうか。




