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【戦国時代 ー人の難 衆の狂ー】  作者: ヒデキ


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【脱線十・ある主人と従者 ―経覚と吉阿―】

一四六〇年一月二日、大和。古市では、経覚が、毎年恒例のことを行なった。

『乞食三百余人來云々』(経覚私要鈔)

“乞食三百人余りが来た”

『餅一枚・用途二錢』

“餅一枚と銭二銭”

施すのである。経覚老人の人柄を慕い、毎年、多数の乞食が集まる。我の今は、我が果報で得られたものにあらず。そんな経覚への来客は、多士済々。成就院清賢が酒樽一双と鏡・白壁を持って、宗順法師が酒樽・久喜を持って。更に、上北面の賢秀父子四人、善性父子ら二人。経覚は、それぞれに酒や餅を進め、時に、扇を贈った。

 大和はじめ、世は多面性を増すばかりである。正業に就く者あれば、乞食として生きる者あり。経覚の近所には、裏の道を歩む者も。少なからずいた。

『道場北向有博奕、古市・長井以下□構云々』

“(近所の)道場の北では博打が行われている。古市・長井らが取り仕切る”

興福寺幹部として、良い顔はできない。とはいえ、世から消せるものでもなかった。


 他人事でもない。二月二日、曇り。風呂に入り、思案に耽る経覚に、報せが届いた。

『吉阿今度於京都博奕等令倍增、下進公物□ゝ取仕之由』

“従者吉阿が、京都で博打に染まり、公物に手を付けた”

従者吉阿は、経覚家人の問題児。一四五七年十一月、京で土一揆が起きた際には、騒ぎに乗じ、まんまと、土倉からの借金を少額返済で済ませている(【黒鼠牛腸を食らう】参照)。

『令聞之間、突鼻之樣令思案』

“このことを聞いて、わしも、「いらぬことを」と思っていた”

この日、その吉阿について急報があった。

『顧科条々難遁欤令逐電由内々聞了』

“罪に耐えかね、逐電してしまった、と内々に連絡があった”

吉阿とは十年の付き合いとなる。経覚の心に沸いたのは、怒気よりも、喪失感であった。

 三月五日曇り、経覚は上洛した。板輿に乗る経覚に、畑経胤(乗馬)・楠葉元次・立野元兼・弓阿が従う。酉下刻(十八~十九時)、経覚は嵯峨に到着し、教法院の玄刹と対面した。

七日、将軍足利義政の御台所・日野富子が、姑・日野重子の邸を訪ねたことを聞いた。


『九日、丙戊、吉阿脚氣以外之間、不及起居云々』

“九日、吉阿が脚気に倒れ重病である。起居もままならなくなってしまった”

逐電した筈の吉阿が何故か戻っており。しかも、脚気が重くなり倒れた、と経覚は記す。“応仁の乱頃の日本仏教界のドン・経覚老人”と“従者吉阿”の不思議な友情は、こののちも続く。どうした訳か、経覚は、他の家人よりも吉阿を気にした。

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