【おおまか経済五 室町時代の日本の防諜システム】
一四七一年、申叔舟が記した『海東諸国紀』。そこでは、日本各地の生産(いわばGDP)が調べられている。応仁の乱の最中であった時代背景を踏まえると、「あわよくば東軍・西軍に分断された日本に兵を出す可能性もある」と考えたのではないだろうか。
例えば、京のある山城は、次のように把握された。
『水田一万一千一百二十二町』(海東諸国紀)
“水田が1万1,122町(1町=3600歩=3600×約3.3㎡)である”
この調子で、各地の田地面積が調査された。北は奥羽から南は薩摩まで。全国に及ぶ。
ここまで来ると、恐い。何故なら、“日本側は、李氏朝鮮に対し、こんな物を作成していないから”である。十五世紀、日本の立場は、複雑であった。
そこで、『慶長郷帳石高』(1604~1610年の検地帳)をもとに、「李氏朝鮮がどの程度日本の生産を把握できたのか」を検証してみた。検証の仕方は、次である。
<摂津国の場合>
●まず、『慶長郷帳石高』で「山城国の石高を“1”とし、各地の石高と比較する」
→摂津29万902石÷山城21万6070石=1.346(約135%)→“摂津は山城の1.35倍”
●それを、『海東諸国紀』でも行う。
→摂津1,126町÷山城11,122町=0.101(約10%)→“摂津は山城の0.10倍”
●当然、江戸幕府が行った『慶長郷帳石高』の方が、精度が上だから、“それとの乖離具合で『海東諸国紀』(李氏朝鮮の調査)の精度を検証する”
→つまり、「あれー。『慶長郷帳石高』では摂津は“山城の135%の生産”なのに、李氏朝鮮の調査『海東諸国紀』だと摂津は“山城の10%の生産”となっている」という話である。
→『慶長郷帳石高の135%』÷『海東諸国紀の10%』=13.3
⇒つまり、「“細川領摂津”は、李氏朝鮮の調査に対する防諜が完璧で。偽の数字しか掴ませなかった。指数にすれば、“13.3”だった」と検証できるのである。
以上の検証法を用い、「室町時代の日本全国の防諜力」を検証した。結果は次である。
①指数0.8~1.2の国(ほぼ生産が把握されてしまった国):22ヶ国(33%)
②指数0.3超~0.6以下、1.5以上~3未満の国(実態を掴ませなかった国):24ヶ国(36%)
③指数0.3以下、3以上の国(変な数字を掴ませた国):9ヶ国(14%)
④その他(どちらでもない国):11ヶ国(17%)
⇒②と③が33ヶ国であり、「日本は33ヶ国について、実態を掴ませなかった」のである。
防諜が良い国は、「島津・大友・少弐・対馬宗の領国」、「堺のある和泉」、「忍びの伊賀」、「海賊の多い志摩・肥前・阿波」、「京背後の穀物地である丹波」、「幕府の穀物地である北陸諸国(越中・加賀・越後)」、「雑賀・根来のいる紀伊」、「細川・斯波領国」であった。
「大内・山名・今川・武田領国」、「戦乱の河内・遠江」「筑後・丹後」は防諜が甘かった。
【この段が、ややこしい話になったので、論理的に“天下統一”を考える】
この段が、ややこしい話になったので、ここでは「覇権主義」というのが、「世界の現状からは、夢想に過ぎないことを、論理的に考えたい」と思います。
国家主義を突きつめるとこうなります。
●「我が国は良い国」⇒「我が国は素晴らしい」⇒「我が国以外はどうでも良い」⇒「我が国が正しくて、それに反する国は悪い国」⇒「我が国が世界支配すれば良い」(覇権主義)
健全な国家主義は、「我が国は素晴らしい」くらいまでだ、と思います。
覇権主義を考えます。覇権主義とは「一国が世界を征服すること」又は、「一国が世界に対して圧倒的に優位な体制を築くこと」です。日本の歴史に当てはめるなら、「天下統一」ということでしょう。天下統一と聞いて浮かぶのは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康。そのうち、「本能寺で討つしかない」と多数に決意させた織田信長の天下統一法こそが、最も「覇権主義的」だと想定してみます。本能寺の変直前、織田信長は“日本のGDPをどの程度掌握していたのでしょうか”。本段でも出た『慶長郷帳石高』を参考に計算すると。
●織田領国:畿内(紀伊以外)+北陸(越中まで)+中部・東海+中国地方(備中まで)
⇒「日本のGDPの45.7%程度」です。
(内訳は、織田一族23.6%+柴田8.6%+羽柴7.9%+徳川3.5%+滝川2.1%)
※明智光秀は、丹波ほか畿内の領国を織田一族に没収されている、という計算で
これを踏まえると、「世界GDPの45%程度」を掌握する国が登場すれば、「覇権主義を実現できる国家が登場した」と言えます
【それではどうなるか???という話】
本作、「人の難 衆の狂」の諸大名達に聞いてみましょう。
①管領・細川勝元に聞こう
質問:「細川家はすごいですね。大大名だし管領だし。他の三管領の斯波・畠山もボロボロです。天下は取らないのですか???」
回答:「無理です。他に山名や大内がいます。御所様(足利義政)は、あれで鋭いですし。朝廷や寺社だって応援してくれないでしょう」
質問:「あれれ???弱気ですね。では、細川家はこれからどうするのですか???」
回答:「・・・、どうするって、御所様を支えるしかないでしょう。今は、斯波や畠山が傾くのを横目に、領国と家臣団を纏めるしかありません」
質問:「管領さんは嘘つきですね。じゃあ細川屋敷には、どうして比丘尼のような、訳のわからない人達が出入りしているんですか。管領さんも、変なお寺を作ったり(龍安寺の変な石の庭園とか)。一休さんと仲良くなったり。妙に、変な人達や寺社勢力と仲良くされてるじゃないですか!斯波や畠山の没落も不自然ですよ、京の人達は『管領の策謀だ』と噂しています。」
回答:「!!!噂に過ぎません。斯波や畠山の没落については、当家も被害者です。舅・山名宗全を止められるのも、私だけとなってしまいました」
質問:「とか何とか言って。『御所様が、あと少しで細川家のものになる』シメシメとお考えでは?」
回答:・・・。
質問:おや?管領殿は、どこかに行ってしまいました。おーい、どこですかあ???
②山名宗全に聞こう
質問:「京政界への復帰おめでとうございます。やっぱり、天下は『赤入道』なしでは動きませんね?」
回答:「・・・。ふう。皆、そういうのですけど」
質問:「アレ、顔色が優れませんね。お疲れですか」
回答:「ハハ、、、御所様に、やれ『あの連中を懲らしめろ』『この連中と戦え』と」
質問:「ハハーン。軍資金がいくらあっても足りない、と。『何だか、義政殿にいいように働かされているだけのようだ』と。そういえば、侍所頭人の地位も、息子さんらではなく、一色家に奪われましたね」
回答:「ムス、、、。御所様は分かっておられぬ」
質問:「わっはっは。公家達に『先例ではなく、現実を見て動け』と放言したツケが。いよいよ回ってきましたね。どうするんですか?全部倒すんですか???」
回答:「おい、これは質問コーナーではないのか?ワシはいたぶられているのか?」
質問:「ということは。諦めてはいない、と。赤入道も大変ですね。ありがとうございました」
③将軍足利義政に聞こう
質問:「なんか、、、。御所様は、段が進むほど『何を企んでいるのか、分からない人になりますね』」
回答:「ハハ。何のことですか?私は、御所の庭園工事の監督で忙しいのです」
質問:「それ!庭園工事とかいって、やたら文化人が集まり始めましたね。庭師に絵師に茶人に商人。ホント、何を企んでいるのですかあ?」
回答:「・・・。ふむ、私は、はかない世の中にあって、のちの世に残る文化を育てたいのです」
質問:「嘘つき。集めているのは、『武家出身の文化人。河原者出身の庭師。下賤な商人』世間では、土一揆の人達が下剋上をしていると言ってますが。私には『御所様のほうが、意図的に、下剋上を進めている』風にしか見えないのですけど」
回答:「(庭園の石の設置作業を見ながら)いや、、、その方が、お金がかからないだけです。政所(伊勢貞親)からも、『これ以上、五山に負担はかけられませぬ』と日々叱られていましてな」
質問:「また嘘を付いた。貴方が声を掛けると、『商人らがホイホイとお金を出すではありませんか』。世間では、御所様からのお下がりと言って、唐物の絵や器が高値で取引される始末。貴方、何にもわかってないふりして。政治と経済と文化の中枢を完全に握っているではないですか?」
回答:「いや、それは御台(日野富子)が、、、」
質問:「どこまでも嘘付きですね。日野家だけで、あーも、人が動く筈がない。・・・もういいです、ありがとうございました」
⇒さて、では三者の話を纏めましょう。
すなわち、「覇権とは言わぬまでも長年の超大国」「覇権を握ろうとする超大国」「権威や仲裁によって世界全体を左右できる国際力重視の存在(国際機関、外交大国)」。
”それぞれが、バラバラに、やりたいことをやっていますね”
これが、「覇権国家なき世界の姿」です。
すなわち、細川と山名の実力争いは、双方独力では相手を圧倒できない。
だから、御所様や公家衆にすがる場面が多い。
御所様や公家衆(国際機関)の存在がクローズアップされる場面が増える。
たまにそれを逸脱する力技を行おうとすると、
六割成功か五割成功のような、なんだか成功したのかどうかよくわからない結果になる、と。
「延々と、僅かな利鞘を稼ぐための、つばぜり合いが続き。ひたすら、取引が続く」、と。
場合によっては、細川家では三好家や松永家のような困った連中が出てきたり。
山名は山名で、尼子家に圧迫されたり。
足利将軍家は足利将軍家で、少しの調停はできるが、長持ちしなかったり、と。
ひたすら締まりのない状況が続くのです。
そうすると、それ以外の国は、「それぞれの役割を踏まえたことに専心せざるをえない」というのが、今後三十年間の世界各国の宿命ということになります。
●赤松家「うちは、管領細川殿についていくしかない」
●大内家「うちは、京政界からは一歩退いて、貿易をしているしかない」
●山内上杉家「うちは、反逆者の古河公方と”ほどほどに”戦いながら。足利学校でもやってるしかない」
●扇谷上杉家「うちは、武蔵の激戦区だから、有能な家臣(太田道灌)の登場を待つしかない」
●武田家「うちは、当主が変わって弱体化してるから。関東にも、京にも、巻き込まれないように凌ぐしかない」
●今川家「うちも武田のようにしたかったが、、、なんか御所様のこちらを伺う様子が、、、怖い」
●伊勢家「もちろん。御所様大事。財務が全て!!!」
●公家衆「武家のことは武家のこと。商人や地方大名らと仲良くするほうが賢い」
●比叡山「うちは、京のガードマンですから。そのまま。金融の元締めであることも変わりません」
だいたい、この人達のような行動パターンの『いずれかを行うしかない』のです。
人の世は、いつになっても、基本は変わらない。
こののち三十年間。色んな人達が、あがくでしょうが。
だいたい、「3歩進んで2歩下がる。下手をすれば、2歩進んで2歩下がる(進んですらいない)」が基本となるでしょう。
(具体例:大内家の領土は、ずーーーーと戦争をしているわりに、ずっと「周防・長門・豊前」)
そうすると、残るのはこういうタイプ。
①二十二世紀・二十三世紀には覇権をとる国(徳川家)
②領国を維持した人達(相良家・島津家)
③それなりに上手くやれた人達(伊達家)
いずれも、「①戦乱がいよいよ深まるまで、足元を固めることに気を付け②国際機関・経済の中央とはめったなことでは喧嘩をしなかった連中。逆らわなかった連中③高望みは、よほどのことがない限り、しなかった連中」ですね。
特徴的なのは、二十一世紀のような状況下では、「破滅的な戦は、極めて実施しにくい」ということです。戦国時代の大半の合戦は、「怪我人、たったの数十人。死者???、、、数人でした」ですから。
「外交>>>軍事」で、”当面は”推移します。
(えっ、、、その段階が過ぎた後???そりゃ、信長が『比叡山(メガバンクの元締め)丸ごと焼いたり』『大量の鉄砲を撃ちまくったり』『これまでの歴史からは”あり得なかった連中(南蛮人)”と手を組んだり』ですよね。注目すべきは、その頃には、細川も山名も、『別の形』になっていたことです)
さてさて、そろそろ、世界の新しい状況を受け入れて。慣れましょう。




