【富子と義政6―女丈夫―】
一四五一年、永昌坊で大館満信が亡くなった。七十一歳。満信は生前、自分と会わぬと約して幕府に再出仕した持房を怨み、所領四五村を横領した。弟持員の擁立までが策されている。持房の復帰を進めた、大館の老臣らは、これに憤った。
『雖曰大殿、安得自専哉』(大館持房行状)
“大殿といえど、勝手は許されませぬ”
老臣らにすれば、妙な考えを起こして持房の栄達を台無しにしたのは老父満信であり。大殿の怨みは、容認できるものではなかったのである。これを止めたのは、持房だった。
『我父老』
“父も老いたのだ”
そう言って動じぬ持房に、それ以上の追及ができなかったのである。
父の死に、持房は弟持員を邸に呼んだ。大館の家臣らは、固唾を飲んだ。だが、
『莫恐、悉以所奉父之邑、付之如故、与共友愛』
“そう恐がるな。父の所領は管理してある。そなたに譲るから、また兄弟仲良くしよう”
持房の言に、家臣らは、殿こそ天下の長者よ、と喜び合った。
七代将軍足利義勝が十歳で亡くなり、八代将軍足利義政の世となった。
『持房以老宗臣見待焉』
“持房は「老臣」として遇された”
持房は、公正権貴に屈せぬ人柄をもって、御所の人々に好かれた。
持房は、従兄妹の御今が「将軍乳母今参局」として権勢を振るう時も、近付かなかった。大館は、奉公衆第五番頭の家である。それ以上でもそれ以下でもなかった。
一四五九年一月九日、正室・日野富子が生んだ義政の男子が亡くなり、御今の呪詛とされた。十四日、義政は持房の諫言にもおさまらず、近江沖島への遠流を決めた。女だてらに義政の庇護者を任じた従兄妹が流されていく。程なく、御今は犬上郡甲良荘に至った。
『彼妬寵者、欲其速死』
“(義政の母・日野重子ら)日野家の者達は、早く御今を始末するよう望んだ”
義政は、これを容れた。
十九日、甲良荘の寺院で死を賜った御今は、最後の意地を見せた。
『我唯婦人、豈不能自殺乎、将辱我一門乎』
“私は婦人に過ぎぬ。だからといって、自害が出来ぬなどと思うな。大館の名は辱めぬ”
『右手執刀刺腹、以左手椓之』
“(御今は)右手で刀を握って腹を刺し、左手で、自らの腹を抉った”
女が切腹だと。役人らは、御今の覚悟に慄然とした。だが眼の前で、御今は呻き声を上げ、倒れ臥している。数刻後、御今は事切れた。役人らは涙を流し、「女丈夫だ」と漏らした。
というわけで、今参局の最後でした。
この事件は、義政前半生の転機となる事件であり、正室日野富子の地位が確立された出来事です。
幕府宿老衆の間で「細川・山名 対 畠山」が行われたように、
義政の後宮でも「日野重子(生母・日野家) 対 今参局(乳母・三条家と親しい大舘家)」が行われたわけで、事の本質は、日野家と三条家の将軍御台所を巡る争いです。
●「室町幕府将軍はどのくらい偉かったのか?」
ここで問題となるのは、結局「将軍はどのくらい偉かったのか」ということです。
義教も、公家衆と幕閣の関係に頭を痛めていたので整理しておきます。
まず、全体像はこうなります。
「院・帝(最上位)―公家衆・武家・寺社勢力」
つまり、院や帝を頂点に、公家衆と武家(幕府など)と寺社勢力が”並立”しています。
全体としては武家が優勢であるが、
「公家衆の日本全国(関東や陸奥・蝦夷地)に亘る、人脈・情報網」、「寺社勢力の財力(土倉など)・学問」には、武家は敵わないという状況でした。かくして、公家衆・武家・寺社勢力は、「(並立し、共存共栄はしているが)どの勢力が最も上か」を争いました。
その答えが出されたのが、義満・義持期で、
室町幕府将軍は、「No.2(執政を担当)」に位置付けられたわけです。
かくして、例えば、「日野家」と「三条家」が将軍御台所の地位を巡って争う情勢が生まれました(この辺を踏まえると、戦国時代になって、三条家の娘が甲斐・武田家に嫁いだりする背景が見えてきます)。
しからば、何故義教が苛立っているかといえば、「自分の近臣である大舘にちょっかいに反応したから、怒っています」。足利家臣団が分裂するではないかという怒りです。大舘満信は、”脇が甘かった”という話です。足利義政以降の、各将軍の婚姻政策も、この流れから見ていかねばなりません。
土一揆の「下剋上」と並行し、「各勢力の勢力争い」は熾烈を極めたという話です。
●さて、ここで肩の力を抜いて。
コロナの感染が世界に定着し、遠からず感染者数は1,000万となり、死者が100万に近付く情勢となったので、「各勢力が勢力争い」を行う、乱世を考えたいと思います。
つまるところ、どんな状況かというと、コロナは2~3年は続く可能性が高いのだから、この先、
「コロナが蔓延した状態で、大地震に見舞われる国が出現したり」
「コロナが蔓延した状態で、台風・ハリケーン・洪水に見舞われる国が出現したり」
「コロナが蔓延した状態で、干ばつに見舞われる国が出現したり」
最悪の場合は、
「コロナが蔓延して、大不況の状態で、戦争をやり始める中小国が出現する」ということなのでしょう。
死者・感染者数は、”「コロナの通常被害」×「その他の災害(動乱)」”となり、掛け算式に、膨らむということです。不謹慎な話ではありますが、現に、与太話を遥かに超越する不謹慎が現実に起こり続けているのだから、つまりは、そういうことなのでしょう。
”複合災害”ならぬ”複合パンデミック災害”とでもいうのでしょうか???
とすれば、優先順位は、「(勝つとか、打ち負かすとかそういう問題ではなく)生き残ること」となります。ですから、一人でも多くの人が死なないことを考えるのが、賢明ということになります。
というわけで、肩の力を抜いて、お題『戦国最強・武田信玄に学ぶ”負けない戦い方”』
とりあえず、アメリカや日本や中国などの大国が安定していれば、そんなに被害は出ないと思うので。
『甲陽軍鑑』より、
●『大人数、少人数に負、誤十五ヶ条の事』
”大国が、思わぬ出来事で負けないために行うべき、15ヶ条の心得”
『第一、敵の強きに付、其手柄の働、能つもりなき事』
”「敵」と認定するからには、まずその前に相手の国のことを、相手の国の国民よりも分析しつくそう。敵の「真価」(良いところ、見習うべきところ)も見抜かず、ヘイトを行うのは愚の骨頂である”
また、信玄は、別段でこうも言っています。
「敵をよくよく分析しつくせば、”敵”というのは実は二種類存在することが分かる。「破敵」と「随敵」である。「破敵」は、交渉の余地なく、ひたすら我が道を行く、どうしようもない敵であるが。「随敵」は上杉謙信や徳川家康や真田一族のように、交渉の余地があり、場合によっては頼もしい味方や家来にもすることができる敵である。」つまり、よく分析して相手のことを知りつくせば、相手と戦わなくても良いと気付いたり、戦うよりも利用したほうが賢いと気付くケースも多いという訳です。
『第二、国郡知行、三段あしきくばり様の事』
”乱世である。国内の人事は、実力本位でいけ。適材適所。平時の、家柄など気にするな”
つまり、コロナに対応できる人が偉い人。できない人は、ダメな人。封建時代の武田家ですら、非常時は、柔軟な人事を行ったわけですな(高坂昌信らの抜擢)。
『第三、計策なき事、出家町人地下人、口伝』
”政府だけでなく、広く民間の企業や文化人も総動員して、他国に向かい合おう。国民の全力の協力なしに、世界各国に対し、十分な情報戦が展開できるなどとは考えるな”
信玄は、東国の山国・甲斐に居ながらにして、遠く離れた(生涯、戦いに行くことすらなさそうな)九州大友家の名将戸次鑑連の武勇の話を掴み、「ぜひ会ってみたいものだな」と茶飲み話で、普通に話題にするほど、情報通でした(そういえば、三国志の孫権も、蜀の家臣よりも蜀の内情に詳しく。蜀に外交に行って帰還した家臣が「これはどういうことなのでしょうか?」と悩んでいると、「これは(蜀のこれまでの内情からすると)●●であるに違いない」とすぐ判断するほど、情報通でした)。
『第四、寒国、山川遠慮なき事』
”相手の国の地政学は理解しておけ。どの都市がどんな役割を果たし、どこが軍事要所かくらいは、掴んでおけ。つまり、どの都市を占領すれば、相手がどうなるかくらいは、分析して理解していて当然”
信玄は『人国記』という全国の情報を記した書物を、自らが普段使う扇に転写し、いつでも持ち歩いていました。暇さえあれば、読んでいたわけですな。現代で言えば、G20や隣国の重要・最新情報くらいはA4の紙一枚に纏めさせ、他国の外交使節に会う前には、一読してから臨んだわけです。
『第五、味方糧の運送、つもりなき事』
”他国に何かを仕掛けるときは、「経済への影響」や「自国の財政の余裕」くらいは把握してから仕掛けること”
一度の戦いに大勝ちしたぐらいで喜ぶのは、ダメな大名のすること。常に、次の次を考えて、無理なく戦い続けよ、ということですな。信玄は100%の勝利よりも、60%・70%の勝利をした後、相手国との条約を自国に(今までよりも)都合よく変更していくのを好みました。
『第六、見かたの諸勢、ひんふく、能沙汰なき事』
”国民の経済事情は常に把握しておくこと。国富の基である、国民の実情に合わせた経済対策が打てないならば、乱世の時代、明日はないと思え”
『第七、みかたの諸勢、善悪作法、大将御存知なき事』
”リーダーは、政府各省庁・産業各界の、優れたところとダメなところ、くらいは把握していなければ話にならない”
『第八、備押形儀、法度あしくて、能ならさる事』
”政府各省庁の組織編制、産業界の構造。これらは、常に、情勢に対応した最新最適のものであり続けなければ、非常時には、役にも立たない”
信玄は、他国に先駆けて、鉄砲の導入を推し進め、各部署の横のつながりを円滑にするために、連絡役を特に設けました。その組織の実用性は、徳川家康も舌を巻くほどであり、家康は江戸幕府を創る時に、武田遺臣団から組織設計のアドバイスを受けるほどでした。
『第九、陣取みたりにて、一むらかりに、ここかしこに、有之事』
”各部署への予算配分・人材配置は、最重要事項である。「去年はこうだったから」などと、必要もない予算配分をし続けるなど、もってのほかである”
無駄にしてよい金は一円もなく、無駄に遊ばせてよい人材など一人もいないということ。乱世に、そんな余裕などない。
『第十、敵をいやしみあなとり、油断四ヶ条は、
一、先衆に、捨篝なき事。
二、本かかりなき事。
三、はり番これなき事。
四、相言、これなき事。右の外二様は、甲前立物、或は三つまき、不穿鑿の事』
”相手国に何かを仕掛ける時、油断するなど問題外。相手に挑発を仕掛けて威力偵察をする工作の予算も、本命の政略を仕掛ける時の予算も十分に確保してから行うのが、基本である。相手に仕掛けている最中に、諜報の手を緩めるなど、あり得ない。また、相手に工作を進めるスタッフの「A国に工作・折衝する時は誰が頼りになるか。B国に工作・折衝する時は誰が頼りになるか」を明らかにしておくことと、「どの国が裏切らないか」を見抜いておくことも、大前提である”
『第十一、諸勢大軍になれは、主より御恩ぶんに過る故、身を持、武篇ふかせきの事。主君御負候はは、其身もかならすやぶれべきとは、大きに久しき家の衆は、十が九存さるもの也。かならすここのところを、能諸人大小上下共に分別すべし』
”大国が最も恐れなければならないのは、自国が大国であることである。「自分の国は大国だから大丈夫」と家来達が思い込んで、世間から見て、舐めているとしか言いようのない事を行い始めるようであれば、そんな国は亡びる。戦国の各大名家を見たところ、細川や大内や山内上杉は、それでダメになった。逆に、織田や徳川のような家を、諜報を使って分析していると、まずどの家臣も「国がしくじったら、自分も破滅する。少なくとも、コロナのような大災害をさばき損ねたら、二度と今までの生活は戻ってこない」という心構えで職務に励んでいる。織田や徳川が怖いのは、そういう思いが、家臣の下っ端に留まらず、国民全員の間で共有されていることだ”
大事なのは、国家や主君への、偽りのない忠節である。
『第十二、主君の御噂、あしくと申者多けれは、味かた力をおとし、敵へ聞へきおふて大悪事也。家老衆につづき、大将の御ため存る衆、能いさめ御聞きなきを、各寄合詫言相談いたすは、大将の御ためによき事也。是を大将御はらたちは、大きなるもつけの事』
”主君やリーダーに対して、根拠のないフェイクニュースを言い立てるような輩は、国家の力を弱らせ、敵に付け入る隙を与える、大悪行である。但し!主君やリーダーのために、身の危険を顧みず、あえて事実に基づく批判を行う者を止めてはならない。リーダーの現在の方針に反する者であっても、真面目に政策を研究したり、研究会を行う者たちに対して、怒りをぶつけるようでは、そんな奴はリーダー失格である”
『第十三、けいご、目あかし、横目とは、実検使の事なり。右三人の私有へき人を、越たまふも、大きなるあやまりなる事』
”政府や各省庁には、必ず、縦横無尽に活躍する監査役を置け。それも、その人選には、徹底的な考察を重ね。こいつならば、大事を託せるという、無欲な人物を監査役に任命しろ”
『第十四、敵城、攻様の人数わけ、手組、手分、攻様、軍の初段、二の軍、三の軍まて、これなきは、大きなるあやまりの事』
”他国に何かを仕掛ける時は、三段構えか、三か国以上で仕掛けよ。それが出来ていないならば、素人のちょっかいに過ぎない”
『第十五、軍に敵見定浮勢を以て、味方より使見さだむる、是は大人数の、三万よりして、十万までの儀なり、口伝多事』
”ほかの大国に対して、何かを仕掛けざるを得なくなったときは、挑発・偽情報・フェイクニュース・分裂工作、その他考えられる限りのありとあらゆる手段を使って、「敵大国の経済事情」「内部の不和」「国民の本音の感情」を丸裸にして、こちらが掴んでからにせよ。そうでなければ、大きな合戦など、、危険すぎて簡単に行えるものではない”
信玄の軍略・政略は、江戸幕府を開設した徳川家康が大いに学んだところであり。信玄の教えなくして、家康は(小牧長久手の戦い後)、豊臣秀吉との戦いを生き残ることができなかった。
信長でも秀吉でもなく、信玄の政略を現実に実践した家康が、最後に笑ったのである。
なお、「勝ちたい場合」。別段で、信玄曰く。
『敵のつよき、よわきの穿鑿あり。又は其国の、大河大坂、或は分限の模様、其家中、諸人の行儀作法、剛の武士、大身小身ともに多少の事、味方物頭衆に、よく其様子をしらせなさるる事』
”勝ちたいなら、一にも二にも、諜報戦だ。まず、敵国の産業の弱点を掴む。次に、どの都市や島を占領すれば、流通をガタガタにできるかを分析する。次に、国家財政に、表沙汰には出来ない弱みがないかを探る。更に、敵国の政府と財界要人の、素行と日常を徹底的に調べ上げて、「人事に変なところがないかを、焙り出す」。能力があるのに、冷や飯を食わされている奴が、誰と誰で、そんな奴がどのくらい存在するかが、分かった時の喜びといたら、これに勝るものはない。なぜなら、そんな「歪み」は、敵の弱さのパロメーターであり、分裂工作を仕掛けて裏切らせる格好の材料でしかないからな”
信玄公は、大変おっかないですね。
戦国最強なわけです。
さてさて、要するに、「イデオロギーではなく、諜報と現実把握に基づいて、常に動けということ」ですな。世界各国が、コロナに対して、情報・現実把握に基づいて、徹底対応を行うことを祈るばかりです。
それでは、次段以降は、朝倉孝景の長禄合戦の顛末と、将軍足利義政の反撃です。
(義政の反撃なんかを書く作品は、他になさそうではありますが)
乞うご期待!




