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【戦国時代 ー人の難 衆の狂ー】  作者: ヒデキ


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【蓮如1】

 一四五七年六月、蓮如が父存如の死で、本願寺住持となった。母は、父の召使いであったという。父存如は、将軍直臣の海老名氏から妻を迎えた。安位持経覚(九条家、興福寺別当・大乗院前門跡、つまり摂関家の宗教指導者、大和有力者、親古市・反筒井)と親しく、経覚は一向衆を『亡母の里』(経覚私要鈔)と記した。両者は姻戚関係にあった。

 先祖の覚如が『本願寺三世』(親鸞の直系)を名乗ったのは、一三三一年。それから百二十年。本願寺は京政界への接近に成功していた。蓮如も、二十代後半(一三四〇年前後)で、伊勢貞房(政所執事・伊勢家の分家)の娘を妻とした。蓮如は、早くから本願寺の後継者と目され、経覚に師事し、父のもとで経験を積んだ。のち、蓮如の子の順如・実如は、将軍足利義政の妻日野富子の兄勝光の猶子(簡単な養子)となる。娘の妙秀は、義政の殿中に仕え、妾になったと伝わる。また、奉公衆(将軍親衛隊)松任上野守は本願寺に帰依した。

 

 それにしても用心深い。開祖親鸞は日野(藤原一族)だから、日野と親しむのは分かる。だが、興福寺の指導者と仲良くするのは政治である。蓮如らは、念仏の威力を弁えていた。この威力は、敵をいくらでも生む。室町時代初期(一三三八~一三四二年)、副将軍足利直義と五山(禅宗)を整えた夢窓疎石は、念仏を論じている。既に眼を付けていたのである。

『大乗を修行すとも、悟証あるべからず。然れば、先づ念仏の行を修して、浄土に生まれて後、大乗に入るべし。或は云はく、上代末世を論ぜず、諸宗の中には、念仏の法門最上なり』(夢中問答)

“大乗仏教で凡人は悟れぬ、念仏で往生してから学べば良い。念仏が最上と言ってるが”

『大乗を行ずべからず。ただ念仏に行を修すべしと、説かれたる大乗経はすべてなし』

“(末世に)大乗は駄目、ただ念仏を唱えよなどと説いた経典は、一つもございませぬ”

『念仏の法門も大乗なりといふ人あり』

“いや、念仏も立派な大乗仏教だという人がいるではないか”

『もし至極大乗ならば、何ぞ往生の後、別の大乗の法理を聞きて、始めて菩提心を発す』

“念仏が大乗なら、「往生した後、また大乗を学べば悟れる」と経典にあるのは変な話です”

『大乗の宿薫なき人を引導して、先づ浄土に往生せしめて、後に大乗を悟らしめむため』

“あくまで、大乗で悟れぬ人を導くため。まず往生させて、大乗を学ばせるためです”

だから、最上ではないのです。疎石は、少し意地悪に直義に答えた。


『禅師の中にも念仏をほめられたる人多し。何ぞ念仏を軽しむべきや』

“えらい禅僧の中にも、念仏を褒める人が多いではないか。念仏を軽んずるのはどうか”

疎石は、確かに『涅槃経』に、一切が「最上究極に帰す」とありますなと答えた。まして「南無阿弥陀仏」と仏の名を唱えるのです。決まった修業の形のない禅宗が『名号を唱へ奉らむこと、何の妨げかあらむや』。直義は、国師がまた困ったことを言い出したと思った。念仏の柔軟性は、室町幕府初期から、副将軍の重視するところであった。

これを書いた後、一休宗純と蓮如の関係を記録する史料を探したのですが、見つけられませんでした。2人の仲良しな関係は、江戸時代の創作なのでしょうかね。

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