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【戦国時代 ー人の難 衆の狂ー】  作者: ヒデキ


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【脱線五・周鳳の茶話2】

一四五五年一月六日、相国寺の周鳳を笠雲が訪れた。茶話となり、天下政事に及んだ。

『世有三魔之説、俗所謂落書者也』(臥雲日件録抜尤)

“世に「三魔」の説がある。都に現れた落書のことである”

『畫三人形、立之路頭、盖政出於三魔也、御今・有馬・烏丸』

“三つの人型が描かれ、「政事は三魔より出づ。お今・有馬・烏丸」と書かれている”

今参局(大館満冬の娘)。「新参者の女官」を意味する呼称だが、将軍足利義政の乳母。伯父大館満信、従兄弟持房・持員が義政側近。義政幼少期から、幕政に介入する。

『当室室町殿ヲ守立申ハ此局なり』

“室町殿を守りたてるのは、今参局である”

大乗院の尋尊の言である。一四五一年、尾張守護代を織田敏広から郷広に戻し、義政の生母・日野重子の勘気を蒙って御所を追放されたが、まもなく復帰した。だが、八月、義政は権大納言日野勝光の妹富子を正室に迎えた。これが、今参局の運命を分けた。

烏丸資任。三十八歳。日野重子の従兄弟。誕生した義政を邸で育て、官位昇進を遂げた。一四五三年、従二位権大納言で官を辞した(父豊光は権中納言が極官)。有馬持家。有馬郡領主。赤松満祐の孫ながら、口八丁の義政御伴衆。義政の側近政治は、とかく評判が悪かった。


一四五六年三月十六日、清原業忠が来た。周鳳は業忠を炉間に迎え入れ、仏教儒教の話をした。業忠の所領がある丹波氷所には、冬の氷を夏に貯蔵する「氷室」が置かれる(氷室神社・幡日佐神社)。上古(奈良平安時代)には、元日に氷が太極殿に運ばれ、氷の厚さで天下の作物の豊凶が予測されたという。氷所の西隣の村は日置であり、周鳳の先祖の所領である。周鳳はこの話をどこか懐かしい想いで聞いた。

『近年自大明曰諸史會要者來』(臥雲日件録抜尤)

“近年、明から「諸史会要」(陶宗儀作、元代までの書家四百人を収録した書物)が届いた”

『中載日本伊路葉』

“(第八巻に)日本については「いろは文字(仮名文字)」が掲載されている”

そのほか、ランツァ文字ネパール・チベット・ウイグル文字・アラビア文字が載る。世界は広い。件の書は、東福寺の僧が取得したという。

『又曰、府君右大將拝賀、當在今年七月』

“また曰く、将軍足利義政公が右大将を拝命し、今年七月就任するという”

関東は乱れても、京の義政は、名実ともに武家の棟梁へと昇進していた。


 一四五七年十二月、等持寺の笑雲がやってきた。笑雲は明から帰国後、優遇されていた。

『先是自大明得六万貫、就中五万貫、盖大刀之報也、一万貫毉黄之報也』

“明からは六万貫(60~120億円)を得ましてな。うち五万貫は太刀、一万貫は硫黄です”

相変わらず”精確な数字を教えてもらっていない”、のんきな笑雲であった。

では、正月なので、

【正月企画 大人の三国志2 -曹操のタイムロス―】

『将欲縮之、必固張之。将欲弱之、必固強之。将欲廃之、必固興之。将欲奪之、必固与之』(老子)

”相手をちぢめたいなら、しばらくは伸ばさせておけ。相手を弱めたければ、しばらくは強がらせておけ。相手を廃墟にしたいなら、しばらくは盛大にさせておけ。奪いたいなら、しばらくは与えておけ”

などと、おっかないことを老子は言いました。だが、2020年の世界は、昔よりもはるかに繋がっているので、相手がちぢまったり、弱ったり、廃墟になったり、奪われると、「こちらもそうなる」。だから、2020年の世界では、相手に忠告し、増長をたしなめ、油断を指摘することこそが最大の親切でしょう。


 というわけで、お題は”曹操はどうして天下を統一できなかった”のか。考えてみれば非常に不思議な問題である。曹操は「官渡の戦い」で数倍の袁紹軍を破った。青州兵100万を持った。荀彧・荀攸・程昱・司馬懿・張遼らを従えた。しかも、『孫子』の注釈書まで著した。現在我々が読む『孫子』は曹操の注釈書である。なのに、何故天下を統一できなかったのだろうか。『正史 三国志 魏書』によると、その原因は、徐州にある。

『興平元年春、太祖は徐州から帰還した。そのむかし、太祖の父の曹嵩は官を離れたのち譙に帰っていたが、董卓の乱が起きたときにロウヤへ避難し、陶謙によって殺害された。そのため太祖は復讐を志して東へ討伐へ赴いたのである』(正史 三国志 魏書・ちくま学芸文庫「正史三国志Ⅰ」陳寿、今鷹真・井波律子訳・二十八~二十九頁)

一九四年、曹操は父を殺害された敵討ちのため、徐州・陶謙を攻めた。だが、復讐が度を過ぎていた。

『進んで襄ホンを攻略した。通過した地域では多数の者を虐殺した』

すなわち、陶謙・劉備の兵ばかりか、徐州そのものを攻撃したのである。『正史 三国志』を読んだ孫盛曰く。

『そもそも罪ある者を討ち人民をいたわるのは、古代のよき規範である。責任は陶謙にあるのに、その支配する地域まで破壊したのは間違っている』

その通りであった。この徐州での変事を機に、曹操への反発は一挙に高まった。張邈・陳宮が呂布を迎え入れて曹操に反逆したのを皮切りに、曹操は自らの怨念晴らしの返り血を浴びる結果となり、結局、呂布・陳宮を討ち終わったのは、一九八年のこととなった。その間、北方の袁紹は、公孫瓚を倒して四州(青州・冀州・幽州・并州)を併合している。強大となった袁紹父子の討伐に、二〇五年まで時間が掛かった。かくして、後世から見て、こう思うわけである。

―徐州で余計なことをしなければ、公孫瓚と組んで袁紹父子を挟み撃ちできたのに。一体、曹操は何年の時間をロスしたのだろうか-

この数年のロスは高くついた。その間、南では劉表・孫策が地盤を固め、曹操は南の赤壁で敗れる。徐州の民の恨みと南に広がった曹操の悪評は深く、曹操は生涯徐州(の余計なことをした地域)よりも南に、満足に勢力を扶植できなかった。そして、二二〇年寿命を使い切った。六十六歳。当時としては長命なのだから、「徐州のタイムロス」がなければ、十分に天下を統一する時間はあったと思うのです。


曹操が注釈した『孫子』は現代のビジネスマンに広く読まれるので、それ風に言えば「曹操部長!社長になりたいなら、周りの部長や部下の課長と無駄に争っては駄目ですよ。ある程度以上の年功を積んだ後は”●●とだけは競争する。他とは仲良くする”でないと、あっという間に定年ですよ」という話である。曹操が注釈した『孫子』に曰く。

『彼を知りて己を知るものは百戦して殆うからず』(孫子)

”敵をよく分析し、自分をよく分析していれば、百回戦っても難なく勝つことができる”

だが、冷静に考えれば「百回も戦をすれば、一体何年の時間がロスされるのだろうか」と思うのである。曹操は『孫子』の他に『老子』を好んだので、老子の知恵を借りるとしよう。

『曲則全、枉則直』(老子)

”無理してまっすぐでいるよりも、自然に楽な状態で立っているほうが長生きできる。本質を考えると、楽な姿勢でかがんでいるほうが、人間のあるべき姿なのだ”

『夫唯不爭、故天下莫能與之爭』

”争いを未然に防ぐ者は、そもそも敵対者が存在しないのだから「無敵」なのだ”

こちらの方が「タイムロス」を考えた時、合理的である。だから、「敵を知り己を知る者は、それを他との協調に適用することができるならば、全ての争いを避けて協力者を無限に増やすことができるので、世界一強力な無敵である」と気付けば、曹操は天下を統一できたと思います(劉備や関羽・張飛も、一時期は、曹操のもとにいましたしね)。


2020年以降の世界は、この「タイムロス」の怖さを知る者が、文字通り時を制し、経済を味方につけ、天下を味方につけると思う次第です。


さて、「人の難 衆の狂」は、まもなく第一章を終え、「第二章応仁の乱」編に突入していきます。

戦国時代に入っていくわけですが。

その中でも、武田信玄の『孫子』好きは有名ですが。実のところ、上杉謙信も織田信長も『孫子』好きです。そのことは、彼らが乱世で行なった外交や戦略をみると明らかで、時折、「あれ?『孫子』に書いていたような外交を、そのまま行っている?」という実例が多々見られます(具体例:織田信長の「対武田信玄外交」とか)。あるいは、関ヶ原以降の徳川家康の対豊臣外交を見ていると、『六韜』そのままの外交が出てきて驚いたりします(ということは、対豊臣の”意地悪な外交”の考案者は、家康ではなく、ブレーンの天海・金地院崇伝・林羅山だったのだろうな、と思います)。それらから言えることは、中国の兵法書のうち『孫子』『六韜』らへんは、どの国どの時代でも通用するのだろうなということです。このあたり、「東洋の英知はフリー素材にすると便利!」という話だと思います。


さて、本作の目的は「歴史をフリー素材に!!!」であります。

なぜそうするかは、上記の「東洋の兵法書のような効果」があると思うからです。

歴史をフリー素材にすれば、数々の混乱や揉め事を事前に回避する、とてつもない道具になる、と思うのです。


『夫唯不爭、故天下莫能與之爭』(老子)

”争いを未然に防ぐ者は、そもそも敵対者が存在しないのだから「無敵」なのだ”

さてさて、私は、人類全員が「無敵」になって、一刻も早く宇宙の果てまで旅行をすればいいのだ、と思うばかりです。では、引き続き、十五世紀~十六世紀の世界がどんな感じであったかを、本年も見ていきましょう。


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