【脱線四・周鳳の茶話】
相国寺僧録の周鳳は、一三九二年堺の伴氏に生まれた。父は山名の下級被官であったが、応永の乱で戦死し、京で僧籍に入った。一四五三年二月、周鳳のもとを雲章が訪ねた。
『泉州太守臣、有曰久枝者、先是為泉州副守、力辞之、剃髪為僧、渡唐』(臥雲日件録抜尤)
“和泉守護細川常有の家臣の久枝が、副太守を辞めて出家し、明に渡ったようです”
『泉守嗣位之初、諫主令不受州中寺社之賀銭者、四百餘貫』
“和泉守護の子持久が位を貰った時、寺社が約四百貫(4000〜8000万円の価値、中央値6000万円)を祝いに贈ったが、常有に受け取らないよう諫めてのことのようです”
(久枝某は)賢者ですな、と周鳳は応じた。
『伝聞、今月七日、当職射狗会、自丹波貢狗、无狗者出銭三百五十』
“今月七日、管領(細川勝元)が犬追物した際、丹波から犬が貢がれ、三百五十貫(3500〜7000万円、中央値5250万円)掛かったというが”
久枝某のようなものが管領の近くにいれば、と周鳳は嘆息を禁じ得なかった。
周鳳は夢想派に属する。開祖・夢窓疎石は、かつて足利尊氏を諫めた。小笠原は「天下祈祷のため」としますが、犬追物は生を苦しめるだけです。周鳳も好きになれなかった。
『今月府君、自射狗会帰来曰く』
“今月、将軍(足利義政)が犬追物をされた際、帰ってきて言いました”
『射狗太騒』
“犬を射るのは騒々し過ぎる”
将軍義政の感性は、管領ではなく、周鳳に近かったようだ。
一五四五年三月十五日、聖寿寺の坊主が来た。
『京中盗賊、古今无比類』
“京中の盗賊、古今無類です”
数日前、夜に店屋数軒が盗賊にあったという。
『凡店屋逢盗賊、自古未之有也』
“京の店屋が盗賊にあうなど、いまだ嘗てあったことがない”
『不入此黨者殆希矣、上出七貫、中五貫、下三貫、初入賊黨之謁贄也云々』
“賊党に入らないものは稀で。上は七貫、中は五貫、下は三貫(つまり30〜140万円程度)が、入党のみかじめ料という”
一四五五年一月五日、豊後満寿寺の曇芳が来た。去る冬、都に戻り、六十七歳となる。
『旦那大友、國中之政、有可称道者』
“万寿寺を庇護する大友親繁(豊後・筑後半国守護)のまつりごと、善政でございます”
明から帰国した貿易船に対し、商人への課税(10%)を三割削減(7%)したという。諸国がみな大友のようなら、四海治まり、万民楽しみますのになあ、と周鳳は漏らした。
この辺の、羽振りの良い人達(寺社・細川・京商人・大友)の話を聞いていると、
「第十一回遣明使の利益は、多分、ここに登場している人達の間で分配されたのだろうな」と邪推したくなる次第です。




