【明へ行こう2 ー大歓迎ー】
一四五三年“癸酉”四月、九艘の船団は洋上にあった。各船は七百〜千七百石船。
『二日、衆人みな酔う。我もまた酔う』(笑雲入明記)
“二日、みな船酔いしている。私も酔っている”
超大型船だが、揺れる。三日午前、風が吹かない。船衆らが黙祷を行った。笑雲瑞訴は空を見つめた。青鳩が飛来し、船を巡り行く。風だ。好風だ。
四日、鷹が飛来し、船上で羽を休めた。午後、海水が少し濁った。水夫が顔を輝かせた。
『すでに唐地に入る』
“すでに明に入りましたぞ”
大陸だ。明だ。五日、船から山が見え始めた。仏頭山というのか。船団は明に到達した。
七日、画船一艘が近付いてきた。
『什麽の船か、那裡より来たか』
“何の船だ。どこから来た“
一号船通詞(通訳)・趙文端が一行を代表して答えた。
『日本国の進貢船なり』
“日本国から明国皇帝への進物船でございます”
八日、今度は彩船が百艘あまり。何という数だ。浙東沿海将軍劉万戸の指揮する船団であった。船団から、龍眼と荔支が派される。九日、一行は馬大人から水一艘・劉大人から酒一槽を送られた。十二日、沈家門に進む。牛大人・馬大人・劉氏・楊氏・王氏ら諸官の船五十艘が、角を吹き、鼓を打ち、笑雲らの船を巡った。これが明か。
十七日、定海県の県令から米酒等の贈答を受け、二十日、暁に浙江を遡り寧波に着いた。
『大明景泰四年癸酉夏四月廿日』
“景泰帝四年四月二十日”
日本は「宝徳」だが、ここでは「景泰」。時の流れが違うのか。
『内官陳大人賓迎す』
“浙江市の役人・陳大人が歓迎してくれた”
笑雲は、正使(使節代表)東洋允澎・副使(副代表)如三芳貞らと共に、茶を振る舞われた後、轎子に乗り、宿舎の安遠駅に入った。宿舎の前に額が掲示されている。
『嘉賓』
笑雲は九号房に居した。二十一日陳大人は観光堂で、二十二日勤政堂で宴を行った。猪・羊・麺斤・笋乾・醤瓜・糟茄共に十六皿。猪・羊は食べられぬ。笑雲らは謝しつつも、器を交換してもらった。五月、各所を観光し、歓待を受ける中、遅れた船も寧波に着いた。三日、官人陳氏が八隻の来航を北京に告げに行った。七日、白衣寺・鏡清寺・延慶寺・寿昌寺・万寿寺・水月庵。十二日、琉球船の温州到来を知る。十四日、育王山を登った。




