17話
最後の朝を迎える博康。
変な時間に起こされた割には頭がすっきりしている。
時間を見るために携帯を取り出す、時間はまだ早い時間を表示していた。
何気なく昨日の夜の着信が何時頃にあったのかを確認する博康。
「あれ?なんでだ……確かに昨日の夜、民雄さんから電話があったはずなのに……」
確認した携帯には着信の記録はなく、その事を博康は不思議に感じた。
まるでそれは夢の出来事だったかのように博康は思えた。
「もしかしたら夢だったんだろうか……」
そう感じた博康だが、今日、民雄に会えば昨日電話したかどうかもはっきりする、そう博康は思い直した。
窓から差し込む日差しは、まだそれほど日が昇っていないというのに、もうかなり強烈に夏の一日をアピールしている。
窓から見える景色を横目に、博康はチェックアウトの準備を行う。
そして最後の一晩を過ごした部屋を後にする。
ホテルを出て昨日降りたバス停に向かう博康。
通りは昨日とは違い人が多く、それぞれの人がその役割を演じるかのように働き、慌しく動く。
その人達の間をすり抜けるようにバス停に歩く博康。
バス停に着き時刻表でバスの時間を確認する、そして携帯で今の時間を確認すると、バスは後数分後に着くようだ。
田舎のバスなのでそう遅れることもないだろと思っていると予想通り少し早い位の時間で到着するバス。
それに乗り込み席に座り、そして走り出したバスに揺られ、目的地に向けバスは走る。
しばらく海沿いの道を走る、午前中の海はまだ人も少ない。
そんな海を眺めながら博康はバスを降りたくなりバスを降り、海沿いの道を歩き出す。
午前中というのに日差しは強く、少し歩くたびに汗が噴き出す。
それでも博康は歩き続ける、その姿は罪びとが罪を償うかのように重く、遅々として進まない。
その歩みは一歩一歩が博康の生きる時間を削り取る。
バスを降りてどれくらい歩いただろうか、いくつかの小さな集落を超えた時には太陽は中天に差し掛かる。
黒く舗装されたアスファルトは太陽の熱を吸収し、熱を空気中に放熱する、その温度差で道路と空気の間は陽炎のように揺らめく。
そしてその熱は更に博康の体力を奪う、しかしそれでも博康は歩き続ける。
いくつかの集落を過ぎ、博康は目的の場所に到着する。
景色を見た博康の呼吸は一瞬止まった。
その景色は自然の生み出した芸術としか言いようのない景色だった。
海から二つの岩が天に向かって聳え立つ、その岩と岩の間には長い間に風が削りだしたのだろう小さな岩が挟まり、絶妙なバランスを保って、落下せずに二つの岩に挟まっている。
真ん中に挟まっている岩には、神社などに飾られているようなしめ縄の一種のようなものが飾られており、恐らくこの辺りに住む人達の信仰の対象になっているのだろう。
確かにその岩にはその信仰の対象になりそうなほどの力を感じる。
そこに神がいると言われれば容易く信じてしまいそうになるほどだ。
岩の後ろには美しく輝く海、海からの反射光で輝き岩のシルエットは更に幻想的な雰囲気を醸し出す。
この景色は恐らく、今この季節、この時間帯でしか見れないものなのだろう。
その事を博康は理解した、そして今この季節の、この時間帯、この場所に居れる事を博康は神に感謝しても良いとさえ思った。
そして自分が今この瞬間に生きている事にも。
博康はそこで見える景色や彩り一つ一つ総てを感じ、そしてその場所を形作る光、水、大地、空そればかりではなく風や、空気そんなものを博康の記憶の中に留めようとするかのように、その景色に集中していた。
景色に気持ちを奪われている博康に誰かが声を掛ける。
「遅かったな、もう少し遅くなったら今のこの瞬間の景色はもう見る事は出来なかった。よかった間に合って」
その声は何処か懐かしく、そして暖かさを音にしたような、そんな安らぎに満ちた声だった。
「民雄さん」
そう言って振り返る博康。
博康の顔を見て更に言葉を続ける民雄。
「ここの景色はどうだ?」
この景色を表す言葉を探す博康。
「……わかりません、この景色を僕にはまだ言葉にすることができません」
博康の言葉だけを聞いて民雄はすべてを理解したかのように微笑み、一言呟くように語りかける。
「そうか」
二人はしばらくの間その景色をただ茫然と眺める。
そしてゆっくりと話しかける民雄。
「もう大丈夫か?」
その言葉の意味が分からずに聞き返す博康。
「何がですか?」
「いや、なんでもない」
そう言ってまた少しの間、二人を静寂が包む。
そして民雄はまた静かに語りかける。
「博康、俺はもうお前に会うことはないだろう、この先ずっと」
またもや博康にとって理解の出来ない言葉が民雄の口からこぼれる。
民雄の言葉に反論するように話す博康。
「何を言っているんですか?またどこかで会いますよきっと!だってこの何日間かほぼ毎日のように会っていたんですよ?」
「いや、もう会うことはないんだ。もうお前は大丈夫だから」
民雄の言葉は、博康の中で溶け始めた氷を更に溶かすように博康の中に響いた。
「悲しいですよ……」
「それが旅ってもんだ」
「……そうかもしれませんね」
民雄は徐に立ち上がり最後の言葉を博康に掛ける。
「博康、これからも元気でな」
民雄の言葉に博康は本当に最後なのだろうと思い、心からの言葉を民雄に掛ける。
「はい、ありがとうございます。民雄さんもお元気で」
博康は民雄に手を差し出す、それに答えるように民雄も手を差し出す。
そして別れを惜しむように固く手を握る。
「じゃあ、そろそろ俺は行く事にするよ」
民雄はそう言うとこの場所を去ろうとする、そして何かを忘れていたのか更に話しかける。
「そうそう、博康に会わせたい人がいるのを忘れてた、まあでも、もうそろそろ着くころだろう、だから博康はもう少しここにいてくれ」
「わかりました、その人に何か伝える事はありますか?」
博康にそう言われて少し考え込む民雄。
「そうだな……じゃあ、ありがとうとだけ伝えておいてくれ」
「わかりました、そう伝えておきます」
「じゃあな博康」
そう言ってその場所を離れようとする民雄、その背中に向かって博康は言葉を掛ける。
「民雄さん、ありがとうございます」
博康の言葉を背中で受けながらも、民雄は振り返らずにその場所を去っていく。
民雄の姿を見送る博康、少し離れたところでその姿は何の前触れもなくふっと消えてしまった、まるで幻のように突然に……
そしてその民雄の消えた方を茫然としながら眺め続けているとその方向から一人の人が歩いてくる姿が見えた。
恐らくそれが民雄の言っていた合わせたい人物だろう、そう思い博康はその人が近づいてくるのをその場で眺め続けている。




