25・騎士のボロフィ
両手は動かないが、足は動いた。特にどこかに繋がれているということはない。
ただし、腕は背中にまわされている。実に動きづらかった。
ボロフィは立ち上がり、目を凝らす。ここがどこか把握しないことにはどうしようもないのだ。だが彼を取り囲む闇は深く、目が慣れていくことはなかった。
彼は手探りで、足探りで、周囲を知ろうと動き回る。そうするうちに、彼がいるのはわずかな狭い空間であるとわかる。何か、部屋だ。周囲の殆どは石のように硬い素材で覆われている壁。格子のようなものはない。
しかし、一部に木材と思しき手触りがある。ここが恐らく扉だと考えられた。
もう少し詳しく調べる必要があると考えたボロフィは、扉らしき部分に耳をつけて物音が聞こえないか探る。結果、何か怪しげな会話が聞こえてきた。
「……毒の王、彼をどうするつもりですか」
「このまま捨て置いてもいいことにはならない、すぐに処分する」
女らしき高い声に続いて、練れた太い声が聞こえる。
何者かが会話をしているのだ。もっと情報を集めようと、ボロフィは必死に聴覚を研ぎ澄ませる。
「日が昇ったら沼に投げ入れておけ」
「では、そのように」
そのようなやりとりが聞こえた後、立ち去る足音が聞こえた。足音が二人分だ。
どうやら自分の様子を見に来たが、脱走した様子もないので立ち去ったということだろう。
彼はそう考えて、ひとまず安堵した。それから、じっくりと考えを練る。
それにしても、聞き捨てならない言葉が飛び出したものだ。毒の王。追い求めて止まなかった仇敵だ。ブンゴルを葬った張本人である。彼を放置してれば、犠牲者が増えるばかりとなる。どうあっても、ここで彼を殺さなければならない。
ボロフィは自分の頭を整理する必要性を感じた。
息を整えて、意識を覚ます。冷静になるべきだと念じて、落ち着かせる努力をする。呼吸が整ったことを確認してから、考えをまとめる。
状況を把握すべきだった。まず、これは夢ではない。両手が縛られて封じられていることは間違いなく、この場所が暗いことも間違いではない。つい先ほどまで、集落の中で鍛錬をしていたはずだ。それなのに、気がついたらこの有様である。
意識を失っている間に、毒の王に捕らえられたのだろうか。そうだとしたら、ここは毒の王の城ということになるのかもしれない。
沼に投げ入れておけ、というのは毒の沼のことだろう。そこから発生する蒸気でさえ猛毒であるのだから、沼に入れられたらまずもって命が失われる。実質、処刑されるということだ。
薬師のレドにもらった薬を飲んだのが原因かもしれない。あれは副作用をもたらす可能性があると言っていた。
どうやらあれには眠気をもたらす作用があったらしい。自分も逆らえないほどの。そうして、倒れた自分を毒の王の手下が見つけたのか。その結果、毒の王の城へ招待された。そう考えるのが自然だ。
ボロフィはそのように考えを進めて、整理した。そして後悔する。
毒の王の城にもっとも近い集落だ。なぜ、毒の王の息がかかっていないと楽観的に考えてしまったのだろうか。薬師のレドも、もしかしたら毒の王の一味であるのかもしれない。その護衛だというあの女もだ。
さらにいえば、毒の王暗殺を考える人間は自分のほかにも二人いたはずである。レドからそう聞いたとき、彼らを頼ることを考えなかったのもこうした事態を招いた要因の一つだ。そうしていれば、自分が倒れたときもそうやすやすと拉致されるようなことはなかった。
今更言っても仕方がない、ということは十分わかっていたが。
ともあれ、このままここで寝転がっていていいとは思われなかった。脱出するべきだ。まずはこの腕の拘束を断ち切らなければ。幸いにしてボロフィの服はそのままで、奪われた装備は剣だけだ。愛用の剣がないのはつらいところだが、それでも自らの強靭な肉体がある。
まずは力任せに拘束を引きちぎろうと努力してみる。歯を食いしばって両腕に力を込めてみるが、そう簡単には千切れない。背中に回されているというのが大きい。今の状態でも縄はボロフィの筋力に耐えかねてミリミリと悲鳴を上げている。
敵はどうやら、ボロフィの力を甘く見ているのだろう。昔の彼を知る者が見れば、猛獣を細引きで繋ぐに等しいおろかな行為だと笑うに違いない。
石の壁に縄をこすりつけ、それから再度力を込める。ぶちぶちと縄が少しずつ切れていく。
そうしてわずかな間に、彼の両腕を結んでいた縄は引きちぎられてしまった。つまり、猛獣は解き放たれたということになる。
「レド」
メーガンはわずかな物音を聞きつけて、目をやった。
名を呼ばれた毒の王は頷き、玉座に向かう。そこが彼の定位置だからだ。暗殺者を迎えるときの。
「わかっている。お前こそ、自分の役目をやってくれるだろうな」
「やむなくだ。こんなことは契約に入っていない。しかしお前が万一倒れたら私としても困るから、困るからするんだ。わかってるだろうな」
何気ない一言に、メーガンは思わぬ食いつきを見せる。レドは大して気にもしてないような態度で、軽く手を払った。
「ああ、わかっていると言っただろう。ありがたいとも思っている」
「本当にわかっているのか。疑わしい」
「ぼくは毒の王だぞ。信用しろ」
どの口がそんなことを言うのか!
メーガンは怒りを通り越してあきれた。しかしながらそれでも目の前にいるのは間違いなく自分を負かし、暗殺者から護衛に引き摺り下ろした毒の王レドなのだ。イライラさせられるが、それでも自分が守るべき男である。
放置して温泉に入っていようとも思い、実際にそうしかけたが全く落ち着けなかった。万一レドの計画が破綻してしまえば、自分はどこにも行き場所がなくなってしまう。そうしたことは避けたかったし、自分がすべきことは存在した。
よって、メーガンはこうしているのだ。あまり自信はなかったが、レドがそうしろというのだ。せねばならない。
こいつがそれをどれほどありがたいと思っているのかは実際よくわからないが、義務感はある。
メーガンは二度ほどため息を吐いてから、レドを追い払った。
「もういい、さっさと行ってくれ」
毒の王は頷いて、その部屋を後にした。メーガンは薄暗い部屋の中央に座り、それを見送る。
ボロフィがその部屋にたどり着いたのは、それから間もなくのことである。
両手を自由とした剣士は、苦もなく部屋を脱出していた。
暗がりの中でも彼はドアのカギをこじ開けるくらいのことができたのだ。そして彼は、そこが石造りの城の内部であることを知った。彼に与えられた情報から考えれば、そこは毒の王の居城だ。
ここに踏み込んで、生きて戻ったものはないとされるほどの場所だ。そこに自分がいるのだ。
ボロフィは不思議な高揚を感じている。
ほぼ敵の罠に落ちてしまったも同然だが、そこから抜け出したことを敵は知らないだろう。逆転のチャンスだった。
毒の王を殺す、絶好の機会である。敵は自分を侮り、その場で殺さずにわざわざ居城に連れ帰ってきた。案内をしてくれたのだ。武器を奪われたことはそれと引き換えても得をしたといえるほどだ。
懸案事項だった、毒の影響下をいかにして抜けるとかという問題が解決されている。どうやって運ばれたのか、帰るときはどうしたらいいのかという問題はあったがそのようなことは瑣末なことだ。目的を達成してから考えればよい。帰り道のことなどより、毒の王を殺すことが先決。
その高揚のためか、頭の動きが鈍っているということに自分では気がつかない。
ボロフィは毒の王か、もしくは自分の武器を探して城内を歩いた。さすがにできるだけ気配を殺すというところまでは忘れなかったが、洞察力は落ちている。しかしそれでも彼は一流の剣士だった。ゆえに、くまなく探索を行い、そこにたどり着いた。
下におりる階段。彼はそれを見つけて、降りた。
湿り気のある空間、しかも温度が高い。一体何のための部屋がこの先にあるのだろうか、と。彼は考えた。
しかし結論がでなかったので、そこはただ下り進む。先にあったのは、粗末な扉だ。カギがかかっている。
ボロフィにしてみれば、このようなものは障害にもならない。押し破ることもできるし、こじ開けることも可能だ。実際に暗がりの中でさえもこれと同じようなものを、つい先ほども開いているのだ。
彼は物音を立てないように気をつけながら、その扉を開いた。音を立てないようにこじ開けるのは技術が必要だったが、彼にしてみれば造作もない。それほどの苦労はなかったといえる。
部屋の中は蒸し暑く、ボロフィのこめかみから汗が流れ落ちた。
そしてその部屋の中には、女が倒れていたのである。彼女は両腕を拘束されて、床に転がされていた。
「お嬢さん」
騎士道精神からも、彼本来の優しさからも、ボロフィはそれを捨て置けない。すぐに、女を救助にかかった。
そうしながら、思い出す。薬師のレドは確か、「最近毒の王を殺しに行った者が一人帰還していない」と言っていた。この女が、その暗殺者。そうだろう。
この予想が当たっている可能性は、高かった。彼は少なくとも疑っていない。
女は無防備に転がっていて、意識を失っているように見えた。しかし、ボロフィが近づくと目を開く。
彼女はどこかぼんやりとしたような表情で、こちらを見る。
「大丈夫か」
ボロフィは声をかけて、拘束を解こうとした。だが、その拘束はかなりきつくされており、はずれない。仕方がなかった。
「はずれん。何かないか」
「腰の下」
女が何か言った。そこを探せというのだろうか。
ボロフィは言われたとおりのところをまさぐった。いやらしい意味など何もない。そこからは、小さなナイフがでてくる。これなら、拘束を切れるだろう。
彼は慣れた手つきでナイフを握り、女を束縛する縄を切断した。たやすい作業だ。
女がこちらを見る。不思議と、ボロフィはその顔を以前どこかで見たような気がした。だが、思考能力は低下したままであり、考えても結局ぼんやりとして思い出せない。
そもそも、あまり悠長にしていてよい状況ではなかった。
「助かった。私はメーガン。あなたは」
どこか淡々とした調子で、女が名乗る。ボロフィも自らの名を告げて、情報を交換を求めた。彼女はそれに応じ、しばらくの間ボロフィはそこに留まる。
結果、やはりこの女は毒の王を暗殺に出向いた女であることがわかった。レドの言っていた、未だ戻らない暗殺者の一人だ。
考えることはかなりつらかったが、なんとかメーガンには自分のしてきたことを伝えることができた。
「そう。ボロフィ、あなたはどうやらかなり沼の毒にやられているようだ」
「やはりそうか。だがかまわん。毒の王に一撃でも浴びせるまで生きていられればいい」
「なるほど、私も同じ考えでいる。だが、毒の王は真に強い。私もいいようにやられてしまった。一人ではとても勝てない」
メーガンが言葉を重ねるが、ボロフィはそれに答えられるほど思考力を残していない。
今彼を支えているのは、ただ毒の王に挑むというその目的意識だけだ。他の一切は邪魔ごとであり、メーガンを助けたのは彼の騎士道精神がそうさせたにすぎない。
そうしたことはメーガンにもわかっているので、彼女はボロフィを引き止める。
「ボロフィ、少し落ち着け。城の中は沼の影響をほとんど受けない安全地帯だ。少し休んでから毒の王に挑んだほうがいい。そうするべきだ」
「いや、私はもう長くあるまい。休んでしまっては、そのまま倒れて動けなくなる」
頑固な剣士は、メーガンを振り切って歩き出す。どこに毒の王がいるのかもはっきりわからないというのに、ひたすら歩き出してしまった。
そして彼は、ほどなくして玉座の間にたどり着いた。そこには当然にして、毒の王が待ち構えている。
毒の王は玉座に腰掛けたままで、来訪者を意外そうな目で見つめた。
「ほう、これはこれは」
その顔はどこかで見たようなものだったが、ボロフィにはすでに彼の顔を判別する能力が残されていない。
ゆえに、憎き仇敵『毒の王』としてのみ、彼を認識した。それ以外にはどうしようもなかった。




