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返事の来ない夜に、僕は世界を救うことにした。  作者: 黒木明


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第8話 ラストカット

未練王が、空を覆った。


いや、空だけじゃない。


塔の床も、壁も、遠くで光る出口も、白い部屋の名残も、すべてが黒い影に飲み込まれていく。


影の中には、無数の画面が浮かんでいた。


未読。



既読。


保留。


入力中。


送信取消。


削除済み。


それらの文字が、波のように押し寄せる。


一つ一つは、ただの表示にすぎない。


でも、そこに貼りついた感情の重さが、息をするだけで胸を潰してくる。


返ってこなかった言葉。


届かなかった想い。


飲み込んだ本音。


終わらせられなかった時間。


それらすべてを背負った未練王は、もう人間の形をしていなかった。


黒いケーブルのような触手が、塔の天井から垂れ下がっている。


その中心に、巨大なスマホ画面があった。


画面には、七年前の日付。


最後の送信。


また、明日。



未読。



そして、その下に、僕の名前とユイの名前。


ハルくん、


この前のことなんだけど――


ごめ――


さらに、その下にリノの未送信。


ごめん。


まだ、待ってる。


でも、私も進む。


すべての未返信が、未練王の身体の一部になっていた。


リノが横で息を呑む。


「大きすぎる」


「倒せる?」


「普通は無理」


「普通じゃないなら?」


リノは白い羽根の剣を構えた。


少しだけ笑う。


「やってみる価値はある」


その言葉に、僕も再生線の剣を握り直した。


前よりはっきりした形をしている。


でも、未練王の大きさに比べれば、あまりにも小さい。


カッターナイフで夜を切ろうとしているみたいだった。


未練王の声が響く。


「小さな刃だ」


塔全体が揺れる。


「そんなもので、七年を切れると思うか」


その言葉は、僕に向けられているようで、未練王自身に向けられているようでもあった。


リノが一歩前へ出る。


「切るのは七年じゃない」


未練王の画面が、リノを見る。


リノは続けた。


「七年待ったことを、なかったことにはしない。忘れろとも言わない。あなたがどれだけ苦しかったかなんて、私たちには全部わからない」


白い羽根の剣が淡く光る。


「でも、その七年で他の人まで止める権利はない」


未練王の影が膨れ上がった。


「止めているのではない。守っている」


「違う」


リノは言った。


「あなたは、自分が止まっている場所を世界にしようとしてるだけ」


その瞬間、黒い触手がリノへ向かって落ちてきた。


僕は横から飛び出す。


再生線の剣で触手を切る。


硬い。


斬った感触は、肉でも金属でもなかった。


古い履歴を無理やり削除しようとした時のような、重く粘る感覚。


刃が押し返される。


「っ……!」


腕が痺れる。


触手に表示されている文字が目に入った。


また、明日。



また、明日。



また、明日。



同じ言葉が何度も繰り返されている。


未練王が七年間、心の中で再生し続けた言葉。


たった一文なのに、重すぎる。


リノが白い羽根の剣を振るう。


触手の一部が裂けた。


中から、黒い雨のように未読通知がこぼれる。


「ハル、正面から全部切ろうとしないで!」


「じゃあどうする!」


「根っこを探す!」


根っこ。


本当は何を待っていたのか。


少年の時と同じだ。


でも、未練王の根っこは深すぎる。


七年分の未読。


七年分の期待。


七年分の後悔。


その奥に、何がある?


未練王が叫ぶ。


「私は、返事を待っていた!」


無数の画面が一斉に光る。


「彼女の言葉を! 彼女の理由を! 彼女の明日を!」


画面には、さまざまな返信の幻が映る。


ごめん。


会いに行けなくて。


本当は、あなたに会いたかった。


もう一度だけ、話したかった。


未練王の身体が震える。


「それさえ来れば、私は進めた!」


その声は、怒りではなく悲鳴だった。


僕の胸が痛む。


それさえ来れば。


その気持ちはわかる。


ユイからの返信さえ来れば。


待たせてごめんと言われれば。


考えていたと言われれば。


好きでも、好きじゃなくても、ちゃんと向き合ってくれれば。


僕は進めた。


そう思っていた。


でも、保留蛇も、返信塔も、最終返信室も通ってきて、少しだけわかったことがある。


返事が来れば進める。


それは半分、本当だ。


でも、半分は違う。


返事が来ても、それを受け取る自分が立っていなければ、また誰かの答えに沈む。


僕は剣を握りしめた。


「違う」


声は小さかった。


でも、未練王の動きが止まった。


「返事が来れば進めるって、思うよな」


僕は自分に言い聞かせるように言った。


「僕もそう思ってた。今でも少し思ってる。ユイの返事を読めば、自分の時間が動く気がしてる」


未練王の画面に、白乃ユイの名前が大きく表示される。


ハルくん、


ごめんね、待たせて。


ずっと考えてた。


僕の心臓が跳ねる。


でも、剣は下ろさない。


「でも、本当は違うんだと思う」


僕は一歩前に出る。


黒い影が足元に絡む。


リノが横で影を切り払う。


「返事が来たら進めるんじゃない」


言葉を切るように、僕は剣を構えた。


「進もうとしている人間だけが、返事を受け取れるんだ」



未練王の画面が揺れた。


リノも一瞬、こちらを見る。


僕は続ける。


「止まったまま返事を読んだら、その返事に全部決められる。OKなら救われて、NGなら壊れる。返事が優しければ進めて、冷たければ沈む。そんな状態じゃ、相手の言葉をちゃんと受け取れない」


それは、自分への言葉だった。


ユイの返事を読む前に、僕が立たなければならない理由。


「だから僕は、今ここでは読まない」


未練王が吠えた。


「強がりだ!」


黒い触手が無数に降ってくる。


リノと僕は左右に飛ぶ。


床が割れ、そこから過去のメッセージが噴き上がる。


待ってる。


まだ?


どうして?


返して。


見て。


選んで。


愛して。


その言葉たちが、矢のように飛んでくる。


リノが羽根の剣を振る。


白い羽根が舞い、言葉の矢を受け止める。


「全部は無理!」


「僕もやる!」


僕は再生線の剣を横に振る。


カット。


飛んできた言葉のいくつかが切れる。


でも、切っても切っても終わらない。


未練王の中には、未返信世界中の言葉がある。


僕たち二人の刃では、量が違いすぎる。


リノが叫ぶ。


「ハル、塔の出口!」


視線を向ける。


遠くに見えていた朝のような光が、少しずつ狭まっている。


未練王の影が出口を塞ごうとしていた。


「このままだと閉じる!」


「突破するしかないか」


「その前に、核を切らないと無理!」


「核はどこだ!」


リノは未練王の胸を指差した。


巨大なスマホ画面。


そこに表示された、たった一文。


また、明日。



未読。



「たぶん、あれ」


リノが言う。


「あの一文が、未練王の中心」


「でも、切ったら……」


言葉が止まる。


あれを切るということは、未練王が七年守り続けた最後の言葉を切ることだ。


それは本当に救いなのか。


それとも、ただの破壊なのか。


未練王はそれを察したように笑った。


「切れるものなら切ってみろ」


画面の中で、また、明日の文字が淡く光る。


「この一文だけが、私と彼女を繋いでいる」


リノが歯を食いしばる。


「ハル」


「わかってる」


でも、身体が動かない。


僕も同じだ。


ユイとの最後のやり取り。


返事は急がなくていい。


お大事に。


大丈夫?


そういう言葉を、何度も読み返した。


たとえ苦しくても、その履歴だけが、僕とユイの繋がりに見えていた。


それを切れと言われたら、怖い。


未練王にとっての、また、明日。


それは呪いであり、宝物でもある。


僕は、どうすればいい?


その時、足元に小さな光が灯った。


見ると、少年のメモ帳が浮かんでいた。


父親を待っていた、あの少年のメモ帳。


そこに文字が浮かぶ。


見てほしかった。でも、僕はちゃんと走った。


続いて、保留蛇の白い紙片が舞う。


答えがなくても、今日を始めていい。


そして、リノの未送信が白い羽根になって降る。


あなたに届かなくても、私には届いた。


それらの言葉が、僕の再生線の剣に吸い込まれていく。


剣が少しずつ形を変える。


細い刃から、一本の白い編集ラインへ。


長く、まっすぐな線。


映像の終わりに引く、最後の区切り。


リノが息を呑んだ。


「それ……」


僕の頭の中に、名前が浮かぶ。


ラストカット。



終わらせるための刃ではない。


消すための刃でもない。


物語に、ひとまずの終点を置くための刃。


僕は未練王を見る。


「切るんじゃない」


未練王の影が止まる。


「何?」


「その言葉を、なかったことにはしない」


僕はゆっくり歩き出す。


黒い影が足元に絡む。


リノが横で切り払ってくれる。


「また、明日。その言葉は、たぶん大事だったんだろ。七年経っても捨てられないくらい」


未練王が唸る。


「ならば触れるな」


「でも、その一文の後ろに、七年分の人生を全部繋げる必要はない」


僕は剣を構える。


「その言葉は、あなたの全部じゃない」


未練王の画面が激しく点滅した。


「黙れ!」


触手が一斉に迫る。


リノが前に出る。


「ハル、行って!」


「リノ!」


「少しだけなら背負っていいって言ったでしょ!」


リノの羽根の剣が、白い光を放つ。


無数の羽根が広がり、触手を受け止める。


彼女の身体が押し込まれる。


「長くは持たない!」


「十分!」


僕は走った。


未練王の中心へ。


巨大な画面が迫る。


また、明日。



未読。



その文字が僕を睨む。


未練王の声が響く。


「お前に何がわかる!」


「わからない!」


僕は叫んだ。


「七年待った気持ちなんて、僕にはわからない!」


画面まであと少し。


「でも、待った時間を理由に、これ以上自分を閉じ込めてほしくないことだけはわかる!」


僕はラストカットの刃を振り上げる。


未練王の画面に、七年前の光景が映った。


雨の中、スマホを握る男。


また、明日。



送信済み。


未読。



翌日も、その翌日も、何も来ない。


働く。


食べる。


眠る。


でも心はずっと、未読の横に座っている。


一年。


三年。


五年。


七年。


男の顔から表情が消えていく。


やがて彼は、未返信世界に飲まれる。


そこにいたのは、王なんかじゃなかった。


ただ、返事を待ち続けた一人の人間だった。


僕の刃が、一瞬だけ鈍る。


未練王が囁く。


「切れるのか」


その声は、もう敵の声ではなかった。


「これを切ったら、私は彼女を失う」


僕は歯を食いしばった。


「失わない」


「嘘だ」


「失わない。あなたがその人を大切に思ったことは、切れない」


ラストカットの光が、静かに強くなる。


「切るのは、その先に進めなくなった時間だけだ」



僕は刃を振り下ろした。


白い線が、画面の『また、明日』の下に引かれる。


文字を壊すのではなく、その下に区切りを入れる。


また、明日。



未読。



――ここまで。



その瞬間、未練王の身体が大きく震えた。


「っ……!」


黒い触手がほどける。


画面に映っていた未読の文字が、消えたわけではない。


ただ、その下に白い線が引かれていた。


終わりではない。


消去でもない。


一区切り。



未練王の影の中から、無数の人影が浮かび上がる。


待合室にいた人たち。


駅のホームの人たち。


ファミレスで水を前にしていた人たち。


スマホを握ったまま動けなかった人たち。


彼らの足元にも、白い線が引かれていく。


未練王が叫ぶ。


「やめろ! 終わらせるな!」


「終わらせない!」


僕は叫び返す。


「でも、止め続けもしない!」


リノが触手を弾きながら、僕の隣へ来る。


白い羽根の剣を未練王へ向ける。


「私も、終わらせない」


彼女の声は震えていた。


でも、はっきりしていた。


「会いたかった気持ちは、終わらせない。待ってた自分も、なかったことにしない」


リノの剣から、白い羽根が舞う。


「でも、あの日の改札に、もう自分を置いていかない」


羽根が未練王の画面に触れる。


彼の中に取り込まれていたリノの未送信が、白い光になって離れていく。


ごめん。


まだ、待ってる。


でも、私も進む。


あなたに届かなくても、私には届いた。


その言葉が、リノの胸へ戻っていく。


未練王の身体から、さらに影が剥がれる。


「なぜだ……」


彼の声が、小さくなる。


「なぜ、返事を捨てられる」


僕は首を振った。


「捨ててない」


白乃ユイの途中のメッセージが、僕の前に浮かぶ。


ハルくん、


この前のことなんだけど――


ごめ――


僕はその画面を見る。


読みたい。


今でも、読みたい。


でも、今は違う。


僕はその文字の下に、白い線を引いた。


読まないためではなく、現実で読むために。


「これは、ここでは受け取らない」


画面が揺れる。


「本物なら、朝に読む」


その言葉と同時に、ユイの画面が白い光になって僕の胸ではなく、ポケットのあたりへ収まった。


現実に戻すように。


この世界ではなく、僕の部屋のスマホへ返すように。


未練王が膝をついた。


巨大な影が縮んでいく。


黒いケーブルがほどけ、触手が消え、画面が小さくなっていく。


やがてそこに残ったのは、黒いコートを着た一人の男だった。


顔はまだ影に覆われている。


でも、さっきまでの巨大な圧はなかった。


彼は胸のスマホを見る。


また、明日。



未読。



その下に、白い線。


ここまで。


未練王は、長い沈黙のあとで笑った。


「……残酷だな」


僕は何も言えなかった。


「返事は来ない。未読も消えない。だが、進めと言う」


「うん」


「それは、慰めよりずっと残酷だ」


「そうかもしれない」


未練王はゆっくり顔を上げた。


影の奥に、疲れ切った目が見えた気がした。


「だが」


彼は白い線を指でなぞる。


「少しだけ、静かだ」


その一言で、塔全体から通知音が遠ざかっていった。


ピコン。


ピコン。


ピ……。


やがて、静寂が降りる。


未練王の背後に、朝の光が広がっていく。


出口だ。


リノが僕を見る。


「終わったの?」


「たぶん」


未練王は立ち上がる。


「私は、まだ待つのだろうな」


その声には、自嘲が混じっていた。


リノが言う。


「待ってもいいと思う」


未練王が彼女を見る。


リノは白い羽根の剣を下ろした。


「でも、そこから一歩も動かないのは、もうやめた方がいい」


未練王はしばらく黙った。


やがて、ほんの少しだけ頷いた。


「……難しいな」


「難しいよ」


僕は言った。


「僕もまだできてない」


未練王は、初めて少しだけ笑ったように見えた。


「ならば、偉そうに言うな」


「すみません」


リノが小さく笑う。


その笑いで、張り詰めていた空気が少しだけほどけた。


朝の光が強くなる。


塔の壁に貼り付いていたスマホ画面が、一つずつ消えていく。


未読。



既読。


保留。


入力中。


送信取消。


削除済み。


それらの文字は、消滅するのではなく、どこかへ戻っていくようだった。


現実へ。


それぞれの人の手元へ。


それぞれの朝へ。


未練王の身体も、少しずつ薄くなっていく。


「消えるのか」


僕が聞くと、彼は首を振った。


「王は消える。だが、私は戻るのだろう」


「現実に?」


「たぶんな」


彼は胸のスマホを見る。


「七年前の未読が残ったままの現実へ」


その声は寂しかった。


でも、さっきより少しだけ、人間の声だった。


「少年」


未練王が僕を見る。


「彼女の返事を読む時、覚えておけ」


「何を」


「どんな返事でも、お前の三十日は消えない」



胸の奥に、その言葉が落ちた。


未練王は続ける。


「嬉しい返事でも、悲しい返事でも、返事がなかったとしても、お前が待った時間はお前のものだ。相手の一文で、価値が決まるものではない」


僕は黙って頷いた。


その言葉は、たぶん彼自身が一番聞きたかった言葉だった。


リノにも、未練王は目を向ける。


「君もだ」


リノは何も言わない。


ただ、少しだけ顎を引いた。


未練王は朝の光に溶けていく。


最後に、彼は胸のスマホを見た。


また、明日。



未読。



ここまで。


彼はその白い線を、そっと指で撫でた。


「また、明日」



今度のその言葉は、誰かへの送信ではなかった。


自分自身へ向けた、静かな約束のように聞こえた。


未練王は消えた。


塔が、大きく揺れる。


足元が崩れ始める。


リノが叫ぶ。


「ハル、出口!」


朝の光が、塔の向こうで開いている。


僕たちは走った。


崩れていく階段。


割れていく画面。


空へ舞い上がる未返信の欠片。


その中を、二人で走る。


ポケットの中で、スマホが震えた気がした。


今度は見なかった。


見る場所は、ここじゃない。


読む時間は、今じゃない。


朝の光が近づく。


リノが隣で走っている。


でも、彼女の身体が少しずつ透け始めていた。


「リノ?」


「大丈夫」


「大丈夫じゃないだろ!」


「大丈夫。たぶん、私も戻るんだと思う」


「現実に?」


リノは少し笑った。


「どこかの朝に」


その言い方が曖昧で、胸がざわついた。


「また会えるのか」


リノは走りながらこちらを見る。


「さあ」


「さあって」


「返事を待つ話で、そこ即答するのも変でしょ」


こんな時まで、彼女は彼女だった。


僕は少しだけ笑ってしまう。


「確かに」


出口の光が目の前に迫る。


リノは最後に言った。


「ハル」


「何」


「ちゃんと朝を見て」


その言葉を聞いた瞬間、光が僕たちを飲み込んだ。


視界が白く染まる。


通知音はもう聞こえなかった。


代わりに、遠くで鳥の声がした。


朝の音だった。

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