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返事の来ない夜に、僕は世界を救うことにした。  作者: 黒木明


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第2話 未返信世界

夜の街は、静かすぎた。


風の音がない。

車の音もない。

人の声もない。


それなのに、通知音だけが鳴っていた。


ピコン。


ピコン。


ピコン。


どこから鳴っているのかわからない。


空から降ってくるようでもあり、足元から響いているようでもあった。

あるいは、僕の胸の奥で鳴っているのかもしれなかった。


僕は息を飲んで、周囲を見回した。


そこは、見覚えのあるようで、まったく知らない街だった。


駅前のロータリーに似ている。


でも、駅舎は黒いガラスで覆われていて、改札の上には電光掲示板の代わりに巨大なスマホ画面が並んでいた。


画面には、誰かのメッセージが流れている。


――ごめん、今忙しい。


――また連絡するね。


――落ち着いたら話そう。


――考えさせて。


――既読。


――未読。


――未読。


――未読。


その文字たちは、表示されたそばから液体みたいに溶けて、黒い雨になって地面へ落ちていく。


アスファルトは濡れていた。


でも、水の匂いはしない。


代わりに、焦げた充電器みたいな、どこか金属っぽい匂いがした。


空を見上げる。


月はなかった。


その代わり、巨大な通知マークが浮かんでいた。

赤い丸の中に、白い数字。


数字は、絶えず増え続けている。


一万二千三百四十一。


一万二千三百四十二。


一万二千三百四十三。


それが誰かの未読数なのか。

この世界に溜まった未返信の数なのか。

それとも、僕が見ないふりをしてきた感情の数なのか。


わからなかった。


わからないものだらけだった。


「……ここ、どこなんだよ」


僕の声は、自分でも驚くほど小さかった。


前に立つ少女――リノは、光の刃を片手に、黒い犬のような怪物を睨んでいた。


銀色に近い短い髪。

黒いパーカー。

細い手に握られた、白い光の刃。


年齢は十七か十八くらいに見える。

でも、目だけが妙に大人びていた。


優しいのに、どこか諦めているような目。


その視線は、僕ではなく怪物に向いている。


黒い犬のような怪物。


顔はない。


額にスマホ画面が埋め込まれていて、そこに赤く点滅する文字が浮かんでいる。


未読。


「未返信世界」


リノは短く言った。


「だから、それが何なんだよ」


「返ってこなかった言葉が流れ着く場所」


リノは怪物から目を離さない。


「言えなかった本音とか、待ち続けた時間とか、捨てられなかった期待とか。そういうものが沈んでる世界」


「意味がわからない」


「だよね。私も最初はそうだった」


リノは少しだけ笑った。


でも、その笑顔は今の状況に似合わないくらい寂しかった。


未読獣が、低く唸る。


その声の中に、また僕の声が混ざった。


――まだ見てないだけかもしれない。


――忙しいだけかもしれない。


――嫌いなら、ちゃんと断るはずだ。


――でも、本当に大切なら、ひと言くらいくれるはずだ。


言葉が、刃物みたいに耳に刺さった。


僕は思わず後ずさる。


「やめろ……」


「やめてくれって言っても、やめないよ」


リノが言った。


「あれは、あなたがずっと頭の中で再生してきた言葉だから」


未読獣が地面を蹴った。


速かった。


黒い影が、まっすぐ僕へ向かってくる。


逃げないといけない。


そう思うのに、身体が動かない。


画面の中の未読という文字が、目の前まで迫った。


その瞬間、リノが割り込んだ。


光の刃が、未読獣の爪を受け止める。


火花の代わりに、文字が散った。


『待ってる』


『大丈夫?』


『無理しないで』


『返事はいらないから』


白い文字が、砕けたガラスみたいに夜の中へ飛び散る。


リノの細い腕が、少しだけ震えていた。


「っ……重いな」


「重い?」


「この未返信、かなり重い。あなた、どれだけ溜め込んでたの」


「知らないよ、そんなの」


「知らないふりしてただけでしょ」


その一言に、胸が詰まった。


リノは未読獣を弾き飛ばす。


怪物は駅前の街灯にぶつかった。


街灯が割れる。


中から電球ではなく、小さなスマホが何十個もこぼれ落ちた。


どの画面にも、同じ文字が表示されている。


返事待ち。


僕は吐き気に似たものを覚えた。


「何なんだよ、これ……」


「言ったでしょ。返ってこなかった想いが流れ着く場所だって」


「僕だけのせいなのか?」


「全部があなたのせいじゃない」


リノは、未読獣から目を離さずに言った。


「でも、あれはあなたから生まれたもの」


未読獣が再び立ち上がった。


額の画面に、今度は違う文字が浮かぶ。


――優しくしたのに。


僕は呼吸を忘れた。


その言葉は、考えないようにしていた言葉だった。


言ってはいけないと思っていた言葉だった。


相手は大変なんだから。

責めちゃいけない。

見返りを求めちゃいけない。

好きなら、待てるはずだ。


そうやって押し込めていた、醜い本音。


――優しくしたのに。


――気遣ったのに。


――待っているのに。


――どうして、何も返してくれないんだ。


未読獣の身体が膨れ上がる。


黒い毛の間から、いくつものスマホ画面が浮き出てきた。


どの画面にも、僕の本音が映っている。


見たくなかった。


僕は目をそらした。


「見て」


リノが言った。


「嫌だ」


「見ないと、ずっと追いかけてくる」


「嫌だって言ってるだろ!」


思わず声を荒げた。


自分でも驚いた。


リノは一瞬だけ黙った。


それから、静かに言った。


「その怒りも、あなたのものだよ」


未読獣が吠えた。


今度はリノではなく、周囲の街そのものが震えた。


駅前のビルの窓に、ユイとのトーク画面が映る。


一つだけじゃない。


右のビルにも。

左の看板にも。

足元の水たまりにも。


何度も読み返したメッセージ。

何度も書き直した言葉。

送るか迷って消した文章。


全部が、街中に映し出されていた。


僕の逃げ場はなかった。


「やめろ……」


声が震えた。


未読獣が近づいてくる。


そのたびに、画面の文字が増えていく。


――嫌われたくない。


――重いと思われたくない。


――でも、忘れられたくない。


――返事が欲しい。


――僕を選んでほしい。


最後の言葉を見た瞬間、膝から力が抜けた。


僕は、その場に座り込んでいた。


リノが未読獣を押し返しながら叫ぶ。


「ハル、立って!」


「無理だ」


「無理じゃない」


「無理だよ! こんなの、どうしろって言うんだよ!」


僕は地面に手をついた。


濡れたアスファルトに、指先が沈む。


水ではない。


黒いインクのようなものが、指に絡みついた。


その中から、小さな文字が浮かんでくる。


――大丈夫ですか。


僕が送った言葉だった。


――無理しないでください。


――お大事にしてください。


――返事は急がなくていいです。


優しい言葉のはずだった。


相手を気遣った言葉のはずだった。


でも、黒いインクの中で見るそれは、ひどく弱々しかった。


まるで、相手を気遣うふりをして、自分が捨てられないように差し出した祈りみたいだった。


僕は唇を噛んだ。


「僕は……」


言葉が出ない。


リノの刃が弾かれる。


未読獣の爪が、リノの肩をかすめた。


黒いパーカーが裂ける。


「リノ!」


「こっち見てる暇があるなら、自分の言葉を拾って!」


「拾う?」


「この世界では、返ってこなかった言葉が武器になる」


「武器って……」


「あなたが本気で送った言葉なら、形になる」


リノは未読獣の攻撃を避けながら叫ぶ。


「でも、嘘は駄目。格好つけた言葉も、相手に合わせただけの言葉も弱い。ちゃんと、自分の奥から出た言葉じゃないと」


自分の奥から出た言葉。


そんなものが、僕にあるのか。


僕はずっと、相手に嫌われない言葉ばかり選んできた。


重くならないように。

負担にならないように。

優しい人間でいられるように。


でも、その奥には何があった?


僕は本当は、何を言いたかった?


未読獣が、リノを押し倒す。


光の刃が地面を滑った。


「っ……!」


リノの顔が歪む。


未読獣が大きく口を開いた。


その口の奥には、無数のトーク画面が並んでいる。


全部、未読だった。


このままだと、食われる。


そう思った瞬間、胸の奥で何かが切れた。


怖いとか、恥ずかしいとか、重いとか、そういうことを考える前に、声が出ていた。


「返事が欲しかった!」


街が、一瞬だけ静まり返った。


通知音が止まる。


未読獣の動きも止まった。


僕は立ち上がっていた。


足は震えている。

手も震えている。


でも、言葉だけは止まらなかった。


「優しくしたから返してほしいとか、そんな自分を見たくなかった! 大切にしたいって思ったのも本当だし、負担になりたくなかったのも本当だ!」


喉が痛い。


胸が熱い。


でも、初めて本当のことを言っている気がした。


「でも、それでも……僕は、返事が欲しかったんだ!」


足元の黒いインクが、白く光った。


そこに浮かんでいた文字が、形を変えていく。


――返事が欲しかった。


その言葉が、細い光の線になった。


線は伸び、重なり、僕の右手の中に集まっていく。


やがて、それは一本の刃になった。


剣と呼ぶには、少し不格好だった。

光でできたカッターナイフみたいな、細くて頼りない刃。


でも、確かにそこにあった。


リノが目を見開く。


「……出た」


「これが?」


「未返信編集」


その言葉を聞いた瞬間、頭の中に意味が流れ込んできた。


未返信編集アンリプライ・エディット


返ってこなかった言葉を、切り、繋ぎ、形にする力。


僕の仕事で毎日触っているタイムラインみたいに。


映像をカットし、並べ替え、余計なノイズを消して、一つの意味にしていくみたいに。


僕は、右手の刃を握りしめた。


未読獣が再び動き出す。


額の画面には、今度はこう表示されていた。


――それを言ったら、嫌われる。


僕は息を吸った。


確かに怖い。


嫌われたくない。

重いと思われたくない。

情けないと思われたくない。


でも、もう見ないふりはできなかった。


リノが叫ぶ。


「ハル、切って!」


「何を!」


「その言葉にくっついてる余計な嘘!」


余計な嘘。


僕は刃を構える。


未読獣が飛びかかってくる。


遅く見えた。


恐怖が消えたわけじゃない。


でも、ほんの少しだけ、何を見ればいいのかわかった気がした。


僕は刃を振った。


光が、未読獣の額の画面を切り裂いた。


『嫌われる』という文字が割れる。


その奥から、別の文字が現れた。


――本当の気持ちを知られるのが怖い。


僕はもう一度、刃を振った。


「カット」


言葉が自然に出た。


映像編集で、いらない部分を切り落とすみたいに。


怪物の身体から、黒いノイズが剥がれ落ちる。


未読獣が悲鳴を上げた。


その声は、やっぱり僕の声だった。


でもさっきより、少しだけ遠く聞こえた。


リノが立ち上がり、僕の横に並ぶ。


「初めてにしては上出来」


「全然、わけわかんないんだけど」


「わからなくていいよ。最初から全部わかる人なんていない」


未読獣は、よろめきながら後退する。


額の画面の未読という文字が、薄くなっていた。


リノは言った。


「あれはまだ消えてない。あなたが完全に向き合ったわけじゃないから」


「完全にって……」


「返事が欲しかった。そこまでは認めた。でも、その先がある」


「その先?」


リノは、僕を見た。


「返事が来たら、本当に救われるのかってこと」


僕は言葉を失った。


未読獣が、闇の中へ溶けるように消えていく。


倒した、という感じではなかった。


一時的に追い払っただけ。


夜の街に、通知音が戻ってくる。


ピコン。


ピコン。


ピコン。


空の巨大な通知マークの数字は、まだ増え続けていた。


僕の手の中の光の刃は、ふっと消えた。


途端に、膝から力が抜ける。


今度は座り込む前に、リノが腕を掴んだ。


「倒れるのはまだ早い」


「……まだ、何かあるのか」


「ここに来たばかりでしょ」


リノは駅前の向こうを指差した。


黒いビルが並ぶ通り。


その奥に、巨大な塔のようなものが見えた。


塔の表面には、無数のトーク画面が貼り付いている。


既読。

未読。

保留。

削除済み。

入力中。

送信取消。


それらが、脈打つように点滅していた。


「あれは?」


「返信塔」


「返信塔……?」


「この世界の中心。未返信が集まる場所。あそこが完全に黒く染まると、現実にも影響が出る」


「現実に?」


「待っている人が、現実に戻れなくなる」


リノの声が、少しだけ低くなった。


「自分の人生を進められなくなる。ずっと、誰かの返事だけを待つ存在になる」


背筋が冷えた。


それは、少し前の僕そのものだった。


いや。


今の僕も、まだそうなのかもしれない。


リノは歩き出した。


「行くよ」


「どこに」


「返信塔。あなたの未返信を止める」


「止めるって、どうやって」


リノは振り返らなかった。


「自分で答えを出すの」


通知音が鳴る。


ピコン。


その音に、僕はまた少しだけ反応してしまう。


ユイからかもしれない。


そんなはずはないのに、思ってしまう。


リノがそれに気づいたのか、少しだけ足を止めた。


「まだ待ってるんだね」


責める言い方ではなかった。


だから余計に、胸が痛かった。


僕は小さく答えた。


「……待ってるよ」


認めたら、少しだけ楽になると思った。


でも実際は、そんなに簡単じゃなかった。


リノは頷いた。


「いいよ。待ってても」


意外な言葉だった。


僕は顔を上げる。


リノは、夜の街の向こうを見たまま言った。


「待つこと自体が悪いんじゃない。誰かを大切に思うことも、返事を望むことも、悪いことじゃない」


それから、少しだけ声を低くした。


「でも、待つだけの人間は、いつか怪物になる」


その言葉は、夜よりも静かに僕の中へ沈んだ。


待つだけの人間。


それは、僕のことだった。


リノは再び歩き出す。


僕も、遅れてその後を追った。


足元のアスファルトに、水たまりがある。


そこに映っていたのは、僕の顔ではなかった。


スマホを握りしめ、暗い部屋で通知を待ち続ける僕だった。


その僕の後ろに、黒い影が立っている。


額には、未読の文字。


僕は目をそらした。


でも、今度は立ち止まらなかった。


未返信世界の夜は、まだ始まったばかりだった。


そして遠くの返信塔で、白乃ユイの名前が一瞬だけ光った。

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