30.サクラサク。ありきたりだけど、これからの春は全部きみと過ごしたい
俺、山田尚也が、後輩だった秋谷奈月と付き合い始めて一か月ほどが経った。
四月の頭の今日は、奈月と花見をしようと地元の神社に来ていた。
春風に揺れる参道沿いの桜並木を眺めながら、奈月は最近のことをあれこれ話していた。
「いやー、新入社員若いんですよ。あのハツラツとした感じについていけなくて」
奈月は四月から新人研修の補佐もしていて、俺としては、大事な彼女が若い男に囲まれるのは正直気が気じゃない。でも、本人が頑張っているところに水を差したくはなかった。
だから、できるだけ不満を顔に出さないようにして話を聞いていた。
「俺からすれば奈月も若いけど」
「そうかもですけど。先輩のほうは、新入社員入りました?」
「入ったけど、しばらくは合同研修だから、うちの部署に来るのは半年後だね。それに俺は中途入社だし、当分は新入社員と直接関わることもないよ」
「そうですか。ならよかった」
奈月は奈月で心配してくれるけど、俺が今まで生きてきた中で、好意を寄せてくれた女の子は奈月だけだから、気にしなくていいと思う。
ひらひらと舞った桜の花びらが、奈月の柔らかな髪に引っかかった。
思わずスマホで写真を撮ってから、指先でそっと花びらを払った。
「そういえば、ゴールデンウィークはどうしようか」
「う」
俺が何気なく口にしたら、奈月が急に渋い顔になった。
旅行もしたかったけど、三月の時点でゴールデンウィークの宿はどこも一杯で取れなかった。だから、せめてデートはどこにしようか、そのくらいのつもりで聞いただけだった。
「どうした?」
奈月はスマホを桜の木へ向けたまま、どこか気まずそうに目を逸らした。しばらく黙り込んだあと、奈月は小さく唸るように声を漏らして俺を見上げた。
「……親から、実家に顔を出せって言われてるんです。その、正月にすぐ帰っちゃったから」
「ああ、そうだったね」
俺もだけど。
でも、こっちは男だし、兄夫婦には子どももいる。だから、ゴールデンウィークについては何も言われていなかった。
まあ、言われても顔を出す気はないけど。
「……あの、もし、ですよ。もし私が」
奈月が困ったように眉を寄せた。俺は小さく笑って、彼女の髪を指で梳いた。
「いいよ、つきあう」
「えっ、私まだ」
「俺じゃ、だめ?」
意地悪な聞き方をしたら奈月は顔を赤くして、首を横に振った。
奈月の家のことは、まだ詳しくは聞いていない。ただ、親御さんが奈月の結婚を急かしているんだろうということだけは、なんとなく察していた。
それなら、それを俺が外堀を埋めるきっかけに使わせてもらってもいいと思う。
我ながら、性格が悪い。
なのに奈月は、ほっとしたように微笑んで俺を見上げていた。
「ダメなんてこと、ないです。でも、ご迷惑じゃないですか?」
「迷惑なわけないだろ」
思ったより強い口調になってしまって、奈月が目を丸くした。
「俺は、奈月の親御さんに、ちゃんとそういうつもりで紹介してもらいたい」
「……はわ」
奈月は目を丸くしたまま、みるみる頬を赤くして目を逸らした。きっとまたバカなことを考えているんだろう。
でも、ここを譲るわけにはいかなかった。
「奈月、俺のこと、親御さんには紹介できない?」
「そ、そんなこと……! ただその、うちの母、押しが強くて……きっと尚也先輩に結婚を急かすようなこと、しつこく言っちゃうので。嫌な思いをさせてしまうから」
「大丈夫。……あー、じゃあさ」
俺はスマホをコートのポケットにしまって、空いた手で奈月の髪をゆっくり撫でた。
「ついでに俺の方にも顔出してもらっていい?」
「あの、私でよければ……」
「奈月じゃなきゃ嫌だ。俺は奈月以外の女性を、親に紹介する気はないよ。……俺の方も、嫌な思いをさせるかもしれないけど。親だけじゃなくて、兄嫁さんもいるから悪いんだけど」
正月に兄嫁から言われたことを掻い摘んで説明すると、奈月は露骨に顔をしかめた。
「なんですか、それ」
俺は言われても仕方ない部分もあるし、兄嫁には兄嫁の言い分があると思うけど、それでも奈月が俺のために怒ってくれるのは嬉しい。
ただ、親や兄嫁が奈月に子どものことを急かさないよう、そこはちゃんと釘を刺しておいたほうがよさそうだった。
「ねえ、奈月」
「はい」
「一緒に、がんばろう」
「はい。よろしくお願いします」
春の風が吹いて、奈月の髪がふわりと広がった。
俺は彼女の手を引いて、参道をゆっくりと進む。
***
ゴールデンウィークは、奈月の希望で先に彼女の実家へ顔を出した。
彼女の母親は確かに強烈な人で、「挨拶が遅い」「式はいつだ」「夫の実家への同居は禁止だ」と、息つく間もなくまくし立ててきた。
奈月の足が、実家から遠のくわけだ。
「申し訳ありません。私の転職活動のせいで、奈月さんをお待たせしてしまいました。奈月さんは職場でもとても頼りにされている方なので、そちらとの兼ね合いも見ながら時期を検討しています。ご心配をおかけしますが、温かく見守っていただけたらありがたいです」
そう頭を下げると、ひとまずは納得してもらえた。
実家についても兄がいることは伝えたから、たぶんその辺りも大丈夫だろう。
奈月の実家を出て駅前へ来るまで、彼女はげんなりした顔のまま、一言も口をきかなかった。
駅前のカフェで向かい合って腰を下ろした途端、奈月は押し殺した声で謝った。
「ごめんなさい」
「確かに強烈な人だったけど、大丈夫だよ」
……まあ、強烈な人ではあったけど。
でも、奈月が気にするほどじゃない。
奈月が眉を下げて、しょんぼりした顔で俺を見た。
「……好き」
「俺も奈月のこと好きだよ。……午後はよろしくお願いします」
そう言うと奈月はスッと背筋を伸ばした。
「お任せください。事務ですけど、営業について回ることもありますから、外面はばっちりです」
「ふふ、頼もしい」
そのままカフェで軽く昼を済ませて、次は俺の実家へ向かった。
実家には親しかいないと聞いていたのに、なぜか兄が出迎えてきて、開けたばかりの扉を閉めたくなった。
「よお。尚也が彼女連れてくるって聞いたから、見に来ちゃった。すげー、本物? サクラとかじゃなくて?」
「失礼すぎるだろ。ごめん、愚兄が」
「いえいえ、尚也さんとお付き合いさせていただいております。秋谷奈月と申します」
奈月はにこやかに微笑んで、綺麗に頭を下げた。
正直、かなり驚いた。
そりゃ、高校で出会ってから十年も経てば、彼女だって立派な社会人だ。新卒からずっと営業事務だとも聞いている。
それにしたって、さっきまでのふにゃっとした笑顔とはまるで違う、隙のない営業スマイルだった。
兄も呆気に取られたのか、ぽかんとした顔で奈月を見つめていた。
「とりあえず上がらせてくれ」
俺がそう言うと、兄は「あ、ああ。悪い……」と慌てたように頷いて道を開けた。
「ただいま」
リビングへ向かうと、両親と甥を抱えた兄嫁が待ち構えていた。
奈月を紹介すると、先ほどと同じように卒のない挨拶をした。
両親はそれだけで奈月を気に入ったらしく、機嫌よさそうに椅子やお茶、お菓子を勧めていた。
兄嫁は、遅れて入ってきた兄にひそひそと奈月のことを聞いていた。
……兄夫婦は、悪い意味でよく似た夫婦らしかった。
しばらくして兄嫁が奈月の近くの椅子に座った。
「尚也さんに、こんな可愛らしい彼女さんがいたなんて知りませんでした」
いつもより妙に高い声音に、何が言いたいのかわからず、俺はつい顔を引きつらせてしまった。でも、奈月は相変わらずにこやかに応じていた。
「お付き合い自体は最近なんです。でも私、十年以上ずっと尚也さんに片思いしていたので、お付き合いできて本当に幸せなんですよ」
「あ、そ、そうなんだ……」
「はい。だから、尚也さんのことは不安に思わなくて大丈夫ですよ。お子さんが小さいと、いろいろ気になりますものね」
奈月は、俺が兄嫁に言われたことを相当根に持っていたらしい。にこにこしているのに、どこかどすの効いた声がちょっと怖かった。
兄嫁がびくっと肩を揺らして俺へ視線を向けたので、俺もにこやかに答えた。
「そうですね。正式に付き合い始めたのは最近ですけど、高校の頃からの知り合いなので、互いに気心は知れてるんです。それぞれの実家の様子も、細かく報告し合うくらいには」
「そ、そうなのね。あ、ごめんなさい、そろそろ離乳食の用意しないと」
兄嫁は引きつった笑顔のまま、逃げるように席を外した。
俺はきょとんとしている両親へ視線を向けた。
「なんかさ、俺が未婚なことをずいぶん心配してたみたいで。これで兄さんたちも安心してくれるといいんだけど」
「あら、そうなの? でも私たちも安心だわ。奈月さん、至らない息子ですが、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げる母に、奈月は困ったように笑った。
「尚也さんは、私にはもったいないくらい素敵な方です。こちらこそ不束者ですが、何卒よろしくお願いします」
無事に挨拶も済んだので、今日はこの辺りで切り上げることにした。これ以上、奈月に兄嫁を威嚇させたくなかったし。
実家を出てから、二人で散歩がてら母校まで足を伸ばした。
校門の前で二人で並んで校舎を見上げた。
「やっぱり校舎が小さく見えます」
「だなあ」
校庭のほうからは、運動部の掛け声が途切れず聞こえてきた。
空は夕暮れのオレンジ色に染まり、初夏のぬるい風が校門をそよそよと吹き抜けていた。
校門脇の桜はすっかり葉桜になって、青々とした葉を風に揺らしていた。
高校生だったころ、毎日見ていたはずの光景が、今はやけに小さくて、少し遠い。
「尚也さん」
「うん」
そして、あの頃からずっと好きだった女の子だけが、変わらず俺の隣に立っていた。
でも、あの頃とは違う。
「先輩の卒業式の日に告白できなかったことを、私は十年間後悔していました」
「……うん。俺も」
「でも、今はそれで良かったって思えるんです。尚也さんが、終電で私を見つけてくれましたから」
「そうだね。遠回りはしちゃったけど、きっとこれでよかったんだ。好きだよ、奈月。あの頃よりずっと、今の君が好きだ」
つないでいた手を、今度は指まで絡めて歩き出した。
高校のころは妄想することしかできなかった現実が、今はちゃんとここにあった。
ずっとずっと好きだった女の子がきれいな髪を風に揺らして、俺と並んで歩いている。
「初恋は、終電の先に」これにて完結です。
お付き合いいただきありがとうございました!
二人の高校時代の話を別所で少しずつ書いているので、そちらもそのうちぼちぼち投稿します。
***
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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