↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/30

23.待って、待って、その後に泣きそうな顔の先輩がやってきたから、私は

 先輩とのごはんの約束がキャンセルになって二日後、土曜日の夜。

 マニキュアを塗りなおして乾かしていたら、スマホが震えた。


 山田先輩からメッセージが来て、


『今、電話していい?』


 というものだった。


「大丈夫です」


 と返すと、すぐに電話がかかってくる。


「ちょっとヤバイことになっててさ」


 通話を開始した途端、挨拶もなく先輩はそう言った。

 それくらい、ヤバイんだろう。

 私は聞き返さずに、相槌を打つだけにしておく。


 塗ったばかりのマニキュアが、左手の親指だけちょっとよれていた。


「明日からまた客先に行かなきゃいけなくて、えっと一週間で戻れると思う」


「わかりました。待ってます」


 ほぼ反射で答えていた。

 だって、先輩もお正月に「秋谷のことならいくらでも待つ」って言ってくれてたし。

 私だって、先輩が待っていてほしいって言うなら、待つ。待ちたい。


「戻ったらごはん行こう。一緒に飲もう。んで、飲んでベロベロに甘えさせて」


「……約束ですよ」


「うん、約束」


 そして電話は切れた。


 物分かりのいい女を演じたことを、少しだけ後悔した。

 もう少し寂しそうにしたほうがよかったかな。でもここで我慢したら、飲んでベロベロになった先輩が甘えてくれるのかと思ったら、ちょっとやそっとのことは我慢してもいいって思えたのだ。

 私はもう大人だから、高校生のときみたいに泣いて縋ったりしたくない。

 先輩を困らせたくないんだ。


 ……大人だから。


 スマホを置いて、よれたマニキュアを塗りなおそうとして、一度拭った。

 ちょっと迷ってから、ピンクがかった茶色に塗り直す。

 先輩の左手の親指のマニキュアはとっくに剝がれてしまっていたし、塗りなおしてもいなかったけど、なんとなく真似しておきたかった。


 マニキュアが乾いてから、そういえば先輩が帰ってくる頃はバレンタインだと気づいた。

 せっかくだし、チョコレートを買って待ってようか。

 スマホを手に取って、会社の近くで買えそうなチョコレートを検索した。


***


 結論から言えば、先輩にチョコレートを渡すことはできなかった。

 なぜなら先輩から、一週間どころか二週間経っても連絡がなかったからだ。


 バレンタインは過ぎて、二月も後半、私は相変わらず毎日遅くまで仕事をしていた。

 あと一時間で終電。そんな時間に、磯山先輩が私を覗き込んだ。


「秋谷、顔色悪いけど大丈夫?」


「だいじぶです」


「答えが大丈夫じゃねえよ。彼氏に甘えて……あー、あっちも今忙しいんだっけか」


「彼氏とかいないです」


 ついそう言ったら、磯山先輩はきょとんとした顔をして、首をかしげた。


「山田さんと別れた?」


「そもそも付き合ってないです」


「は?」


「そもそも付き合ってないです」


「いや、二回言わなくていいけど……はあ?」


 そっちも二回言わなくていいです、と返す元気はないので、黙って手元の入力を進めた。

 磯山先輩は立ち上がって去っていき、すぐに戻ってきて、私の席に缶コーヒーを置いた。


「ちょっとお兄さんがおごってあげるから、話を聞かせなさいよ」


「いえ、聞かせるほどの話もないですけど。でもコーヒーはありがとうございます。いただきます」


 顔を上げて、コーヒーを受け取った。

 指先があったかくなって、いつの間にかすっかり身体が冷えていたことに気づく。

 ぼけっとコーヒーをすすっていたら、磯山先輩も隣に座って、コーヒー缶を両手で握っていた。


「付き合ってないのに、あんな時間に迎えに来てくれたのか?」


「……先輩も、仕事忙しかったから」


「そうかもだけどさ。でも一緒にビアガーデン行ったとき、山田さんは秋谷のことめっちゃ大事にしてるように見えたけどな」


「そうでしょうか」


「うん」


 磯山先輩は短く答えた。

 私はコーヒーを飲み干した。

 ……知ってるけどさ。山田先輩が私を大事にしてくれていたことくらい。


「付き合わんの?」


 その質問に答えられなかった。


 そりゃ、付き合いたいよ。十年前からそう思ってる。……思ってるだけだ。


 カバンからスマホを取り出した。

 なんの通知も来ていない。

 ニャインを開いて、先輩とのトーク画面を開く。

 二週間前の通話記録が最後だ。


「向こう、かなり大変みたいだけど」


「そうなんですか? っていうか、なんで磯山先輩は知ってるんですか?」


「ゆうちゃん……花沢さんに聞いたから」


 スマホから目を離して磯山先輩をまじまじと見つめた。

 そうか。磯山先輩は花沢さんと付き合っているのか。

 彼氏だったら、彼女に様子を聞けるんだよなあ。

 私は、先輩にとってなんでもないから、先輩がどうしているかを聞くことすらできないのだ。



 その週の週末、朝起きてすぐに自宅の冷蔵庫を開けた。

 そこには、山田先輩に渡そうと思っていたチョコレートが、かわいくラッピングされたまま置かれている。

 手に取って裏返すと、賞味期限は半年後だった。

 そうか、半年はいけるんだ。

 なぜか無性にほっとした。

 チョコレートを冷蔵庫に戻して、顔を洗って洗濯を回した。

 朝ごはんを済ませて、寒かったから洗濯物を浴室に干す。なんとなくベランダに出たら、遠くに桜の木が見えた。

 スマホで写真を撮って、ニャインを開く。

 山田先輩とのトーク画面は、相変わらず二週間前から更新がない。

 吹いた風が冷たくて、ぼけっとしていると手がかじかんできた。

 部屋に戻ってマニキュアを塗り直す。左手の親指は、特に丁寧に塗り直した。

 つやつやの爪を見ながら、唇を噛む。

 まだ、大丈夫。まだ、今は。


***


 山田先輩からの連絡が途絶えて三週間目に突入した。

 ものすごく忙しいらしいというのは、花沢さんと磯山先輩経由で聞いている。

 というか磯山先輩がこまめに教えてくれた。

 災害対策用のシステムを遠隔地に作っていたら、テストがうまくいかなくて、山田先輩とあと何人かで、この二週間、データセンターに引きこもり状態らしい。

 花沢さんはこちらにあるシステムの構築とテストをしていて、遠隔地とのやり取りもしているそうだ。

 でも花沢さんもかなり忙しくて、磯山先輩もあまり会えていないとぼやいていた。


「まあ、しゃあねえけどさ」


「そうですねえ」


「仕方ねえのはわかるんだけどさ」


 磯山先輩のそんな愚痴を聞きながら、私も同じような相槌を延々と繰り返していた。

 山田先輩と花沢さんはエンジニアで、私と磯山先輩は営業だ。

 職種は違うけど、弊社はエンジニアにシステムを構築してもらったり、保守してもらうサービスを提供する会社なので、私にも磯山先輩にもエンジニアの忙しさは理解できるし、山田先輩と花沢さんの今の状況のヤバさも理解できる。その分、構ってほしがるようなことを直接言えない。


 ……だって、大人だもの。

 私が忙しかったとき、山田先輩は不満の一つも言わずに寄り添って慰めてくれた。だったら私も、先輩に無理を言いたくはなかった。

 泣きたいくらい、寂しいけど。




 そうして、さらに一週間が過ぎようとしていた金曜日の昼休み。

 営業部で並んでコンビニ弁当を食べていた磯山先輩が、突然飛び上がった。


「秋谷、おい、秋谷!」


「なんですか、いきなり」


「帰って来るって」


「なにがです?」


 磯山先輩が慌てすぎて、なんにもわからない。

 私は空になった弁当箱に割りばしとお手拭きを詰めて、コンビニ袋に入れた。


「今さ、ゆうちゃんから連絡あってさ」


 そう言って、磯山先輩が見せてくれたスマホの画面には


『やっっっと、テスト成功! 山田くんたちも今日の午後には引き上げてくるってさ』


 と表示されていた。

 私は、やっぱりなんの反応もできなかった。

 見せられた画面をまじまじと見つめて、上から下まで三回読んだ。


「……なるほど」


 なんて言っていいかわからなくて、結局とんちんかんな相槌を打ってしまった。

 磯山先輩はそわそわと、スマホと私とを見比べている。


「秋谷?」


「はい」


「嬉しくねえの?」


「……そういうわけじゃないんですけど」


 ほんと、嬉しくないわけじゃないんだけど。


 山田先輩から「待ってて」と言われて、二週間半。

 先輩からの連絡はなく、私からも連絡をしなかった。

 送ろうかどうしようか迷って迷って、でもたくさんの送れない理由を重ねて、結局送らなかった。

 そんな言い訳ばかりの私が、先輩の帰りを喜んでいいのだろうか。

 高校生のときから先輩の不在を嘆くだけの私は、なんにも成長していない。


「いやお前、考え過ぎだろ」


 こっちはめちゃくちゃ深刻に悩んでるのに、磯山先輩はスマホを引っ込めながら、からから笑った。

 ムッとして磯山先輩を睨んだら、笑顔で見返された。


「飯行く約束したんだろ?」


「……はい」


「じゃあ、『おっせーよ! 飯行こうぜ!』って迎えに行けばいいじゃん」


「いいですかね」


 つい聞いたら、磯山先輩は太陽みたいに笑った。


「いいに決まってんだろ。仕事が終わってへろへろになってるときに、山田さんが迎えに来たら、お前どうだったの」


「……泣きそうでした」


「いいじゃん、泣かせてやれよ」


 私は馬鹿だ。

 ほんとに、馬鹿だ。

 もう大人になったのに、高校のときの失敗を繰り返すところだった。


 息を吸って吐く。

 パソコンを立ち上げて、今日の仕事を確認した。

 磯山先輩は私の分のゴミも一緒に捨てに行ってくれた。戻ってから、また花沢さんとやり取りをしていて、山田先輩のだいたいの上がり時間も教えてくれた。

 普通に終電間際だったから、私もそれまで仕事をした。

 磯山先輩も花沢さんを迎えに行くと言って一緒に残ってくれた。

 そのまま磯山先輩と二人で会社を出て駅に向かう。

 山田先輩たちの会社の最寄り駅に着くと、磯山先輩は迎えに行くからとホームから降りていった。




 私はホームのベンチに腰を下ろした。

 ホームにはまだまばらに人がいた。

 週末だから酔っ払ってご機嫌の人も多いし、もうすぐ三月だからか空気はひんやりしているけどどこか穏やかだ。


 それで、ふと気がついた。

 山田先輩に再会してから、そろそろ一年が経つ。

 私が先輩と高校で過ごした期間と同じくらいだ。

 あのときより、先輩は私に思っていることを口にするようになった。

 高校のときは私が隙あらば先輩にじゃれついていたけれど、先輩から私に声をかけたり連絡をすることなんて全くなかった。

 そんな先輩が、「戻ったら」と言ったんだ。


 なのに、待たなくてどうする。

 でも、私はもう待つだけは嫌だった。

 泣いてすがるだけの後輩はもうおしまい。

 私は今度こそ、あなたに思いを伝えないといけないのだ。


 ホームに強い風が吹き込んだ。

 終電の一つ前の電車が走り去る。

 冷たい風に髪を揺らしながら、立ち上がった。

 今ホームにいるのは私と、エスカレーターから上がってきて、泣きそうな顔でこちらを見ている山田先輩の二人きりだった。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

楽しんで頂けたらブクマ・評価・感想などで応援いただけると大変嬉しいです。

感想欄はログインなしでも書けるようになっています。

評価は↓の☆☆☆☆☆を押して、お好きな数だけ★★★★★に変えてください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。