21.私とあなたの間に、たとえ親でも挟ませる気はない。断固として。
さて、年末だ。
社会人にクリスマスなどない。
別に忙しいからではなく、今年のクリスマスが平日だったってだけだけど。
お客様とのトラブルは、上役になんとか現場に必要なシステムをご理解いただき、必要な金額も納得いただいた上で、弊社は撤退させてもらった。
私たちもエンジニアたちも、あれだけ罵倒してきた相手とは仕事できないから。かなり粘られたけど、磯山先輩とエンジニア側のリーダーで断固としてお断りした。
そういうわけで、年末はわりと落ち着いて仕事してた。
終電も週に一回くらいで済むようになったし、そういうときは山田先輩が一緒に帰ってくれる。
週末も先輩とごはんを食べに行ったり、本屋を覗いたりして、のんびり過ごせるようになった。
なので、クリスマスの後の週末は山田先輩と二人で忘年会をした。
「秋谷は年末は帰省する?」
先輩が湯気の立つお茶を飲みながら言った。
寒いからビールはいらないと言って、今日は最初からお茶を飲んでいる。もちろん私はビール。
「大晦日と一日くらいは顔を出すと思います。先輩も帰省します?」
「俺もそれくらいかな……あのさ」
先輩が渋い顔で黙り込んだ。
私はジョッキを空けてから、先輩の顔を覗き込む。
「どうされましたか?」
「……初詣に誘ってもいい?」
「もちろんです。でも、なんでそんなに嫌そうなんですか?」
先輩はまた黙り込んでしまった。
私としては先輩と初詣に行くのは吝かじゃない。全然ない。
なのに先輩は、めちゃくちゃ渋い顔で手元のお茶を見ていた。
私は日本酒を頼んで、お通しの筑前煮をつまみつつ、追加で天ぷらの盛り合わせと湯豆腐を頼む。
それらが机に並んだころ、先輩がやっと顔を上げた。
「秋谷と初詣に行くのはいいんだ。楽しみにしてる。けど、誘う理由がちょっと申し訳ないというか」
「はあ」
「……帰省すると、たぶん親がうるさい」
「あー」
わかりますよ。私もそうだもの。母にあれこれ言われるんだろうし。
「うちもそうですよ」
「そう?」
「ええ。だからしんどくなったら頼らせてください」
そう言うと先輩は顔を上げて、私をじとっと睨んだ。でも、それが怒ってるわけじゃないことくらい、わかってる。
天ぷらの盛り合わせからキスの天ぷらをつまんで、先輩の唇に押し付けた。
先輩は目を白黒させてから、吹き出してそのまま天ぷらを食べた。
「秋谷は相変わらず、俺を甘やかすのがうまい」
「私のことめちゃくちゃ甘やかしてくれる先輩がいるから、見習ってるんです」
私もかぼちゃの天ぷらに手を伸ばした。
***
先輩にはああ言ったけど、まさかここまでとは思わなかった。
何がって、母だ。
「奈月、いい人はいないの?」
大晦日に実家に顔を出したら、リビングでお茶を出された瞬間にそう言われた。
「いません」
きっぱりと言っておく。
一瞬山田先輩のことが浮かんだけど、おくびに出そうものなら、やれ「今すぐ連れてこい」「式はいつだ」だの言い出すから、黙っておくのが吉だ。
「あなた来年には三十になるのよ? お母さんのときにはクリスマスケーキなんて言われてて」
「昭和のことなんか知らないよ」
「あなたねえ。あなたの同級生だった美香ちゃん、今二人目妊娠中だそうよ」
つい言い返したら、思いっきり睨まれた上にさらに追撃された。
でも代わりに、同じく帰省してた妹が割って入ってくれた。
「お母さん、お姉ちゃんと美香ちゃんが中学でクラス離れたときに『あの子ませてて気に入らなかったから、友達止めてくれて助かったわあ』って言ってたじゃん」
……そういえば、そんなこと言ってたっけ。
白い目で母を見たら、しれっと
「あら、そんなこと言ったっけ?」
なんて言って去っていった。
妹はため息をついて、私の隣に腰を下ろした。
「ほんと、頭の中が昭和で止まってて嫌になっちゃう。だいたい私やお姉ちゃんが高校に入ったときも『彼氏ができたら必ずお父さんに紹介しなさい』なんてヒステリックに言ってたのに、忘れてるのかな」
「忘れたんでしょ」
私は肩をすくめて見せた。
「ところでお父さんは?」
「裏のおばあちゃんのお墓に行ってる」
「ああ、だからお母さんカリカリしてるんだ」
母と父方の祖母は本当に仲が悪かった。母は、それはそれはわかりやすい嫁いびりをされてたけど、父は完全に祖母の味方で、
「老い先短い母さんにあんまりきつく当たってやるなよ」
と口癖のように言っていた。それは完全にこっちのセリフだけど、父も父で頭が昭和だから、娘の言うことなんて歯牙にもかけなかった。
……ということを、夕飯の席で嫌ってほど思い出させられた。
母からは姉妹そろって結婚どころか彼氏すらいないことを責められ、父からは実家のすぐそばの霊園にある祖母の墓参りに行かなかったことを詰められた。
夕食後、私は自室で山田先輩に一言だけメッセージを送った。
「先輩、助けて」
すぐに電話がかかってきた。
『助けに行く。今どこ』
「実家です。えっと、学校の校門待ち合わせでいいですか?」
『遠くない?』
「大丈夫です。三十分かからないくらいで着きます」
電話を切って、妹の部屋に向かった。
妹もちょうど上着を羽織ったところだった。
「あ、お姉ちゃん。今から呼びに行こうと思ってた。彼氏とこっちの友達と二年参り行くけど、お姉ちゃんもどう?」
「ありがと。私も知り合いと出かけてくる。……このまま戻らなくていいかな」
「私はそのつもりだけど」
まあでも、正月の挨拶くらいはしてから部屋に戻ろうか。
私も急いで身支度を整えて、妹と実家を出た。
それぞれ男女交えた地元の友達と出かけると言ったら、
「いい人がいたら連れていらっしゃいよ」
と快く見送ってくれた。わかりやすくて助かる。
***
駅前で妹と別れて、私は通ってた高校へ向かった。
大晦日だからか、街中にはけっこう人が出ていた。
でも高校のあたりまで来ると、さすがに人も少ないし、街灯も減って風も冷たい。
やっぱり駅前で待ち合わせにすればよかったかと後悔しかけたとき、校門が見えて、先輩が手を振ってくれていた。
「先輩! こんばんは」
「こんばんは。どうした?」
駆け寄ると、先輩も笑顔でこっちに向かって歩いてきた。
「んー……たぶん、先輩が言われたようなことを、散々親に言われて嫌になっちゃいました」
「そっか。俺もうんざりして秋谷に助けてもらおうと思ってたところだから、助かった」
「ふふ、良かった。ねえ先輩、二年参り行きましょうよ」
「そうしよう。どこがいいかな」
二人でスマホを覗き込んで、行き先を決めた。
嫌になっちゃったから、混んでて、ごちゃごちゃしてて、人混みでもみくちゃになるようなところにした。
歩き出す前に、振り返って真っ暗な校舎を見上げた。
「なんか、学校が小さく見えます」
「そうだなあ。たぶん、大人になったから」
「……そうでしょうか」
先輩は返事をせずに歩き出した。
私も並んで駅に向かった。
駅前からして混んでいて、電車の中はさらにぎゅうぎゅうだった。
「大人でよかった」
先輩がもみくちゃにされながら言った。コートはくちゃくちゃだし、眼鏡は曇ってるし、こんな状況で言うことじゃないと思う。
「なんでですか?」
「高校生のときだったら、たぶん秋谷がつぶされてても、俺はなにもできなかったから」
そう言って、先輩は私をかばってさらに押しつぶされた。
私はそれに、なんて言えばいいんだろう。
「先輩、私、お参りのときに、先輩にお守り買いますね」
「なんの?」
「健康長寿」
「なんでだよ」
先輩が笑った。私は人混みに押されたふりをして、先輩の胸に耳を付けた。
心臓の音まで優しくて、涙が出そうになる。
結局、お参りを終えて実家に戻るまで、私は母に言われたことを先輩には言えなかったし、先輩が実家で何を言われたかも聞けなかった。
でも代わりに、先輩も帰省をさっさと切り上げて帰るって言うので、私もそれにご一緒させてもらうことにした。
奈月母の「あの子ませてて気に入らなかったから、友達止めてくれて助かったわあ」という台詞は、私が小学二年生の時に実母に言われた台詞です。
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