表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

02.思い出と割り切ることもできないで、スマホの名前をそっと見つめる

 まあ、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。

 土曜の昼過ぎに目が覚めたとき、私はちゃんと山田先輩に会ったことを覚えていた。


「えーん、忘れさせてよ……」


 ベッドの中でしばらく頭を抱えて悶えたあと、ため息まじりにスマホを充電器から外した。

 ニャインのアイコンをタップすると、一番上に「なおや」と先輩の名前が表示されていた。


「マジか、夢じゃなかった……夢なのに、夢じゃなかったか……」


 目を閉じた。

 三十秒数えてからもう一度目を開き、スマホの電源を切った。


 ベッドから起きて顔を洗って歯を磨いて、そのまま無心で洗濯機を回した。

 カーテンを開けて窓も開けると、ベランダから春のやわらかい匂いを含んだ風が、ふわっと部屋に流れ込んできた。

 どこからか子どもがはしゃぐ声が聞こえてきて、空には白い雲がのんびりと流れている。


 ……先輩も、この景色見てるのかな。そう思って、スマホの電源を入れ直して、空の写真を一枚撮った。

 ニャインを開くと、トーク画面の一番上には、やっぱり「なおや」と名前が表示されていた。

 アイコンは本の写真だ。

 ……高校のとき、先輩がお気に入りだって言ってたSF小説の文庫版。もちろん私も買って何度も読んだし、最近は手に取ってなかったけど、まだ本棚にそのまま入ってる。


 どうしよう。

 いや、どうもこうもないんだけどさ。

 ベッドの横に立ち尽くしたまま、私はスマホをじっと見つめていた。

 カーテンはまだ風に揺れて、ふわりと広がっている。

 先輩の名前に触れると、トーク画面には昨晩送られてきたスタンプがひとつだけ、ぽつんと表示されていた。


「私、返事してなかったな」


 どうしよう、何か返したほうがいいかな。

 いや、今さらかなって気もする。

 でも、今何か送ったら先輩は気付いてくれるだろうか。

 ……返事、くれたりするのかな。


「……っ」


 洗濯機が鳴った。

 びくっとしてスマホを放り出し、そのまま洗濯物を干しに行く。

 ひとまず保留しよう。

 そうやってあの頃も何もできずに終わった気がするけど、とにかく今は全部、棚上げすることにした。



 洗濯と掃除を終えて、買い物に出た。

 三月の終わりは、なんとなく空気が浮かれていて、街全体がふわっと春めいている。

 平日は早朝か深夜にしか出歩かないから、こうして太陽が出ているうちに歩くのはやっぱり気分がいい。


 あちこちで桜並木がひらひらと花びらを踊らせているし、花壇にはチューリップやたんぽぽ、それに名前のわからない花まで、色とりどりに咲いていた。

 近くで老夫婦が写真を撮っていて、なんとなくつられて私も何枚か撮ってみた。

 気づけば写真フォルダが春色に染まっていた。……卒業式の日に先輩と撮ってもらった写真は、どこにいったんだろう。

 高校の図書室で撮ったから、春もなにもないはずなんだけど。


 せっかくだし駅ビルまで歩いて、新しいマニキュアと口紅を衝動買いして、夜ごはんと朝ごはんを買って、そのまま家に帰った。

 洗濯物を片付けてカーテンを閉めていると、なんだかちゃんとした社会人になれたみたいな気がする。

 本当は十年前の失恋をまだ引きずって、好きな人の一人もできずにいる、湿っぽい女なのに。

 浴槽に温めのお湯を張った。お風呂が沸くまでのあいだに、買ってきた桜色のマニキュアを、はみ出さないようにそっと塗った。


 お風呂にゆっくり浸かるなんて、いつぶりだろう。

 我ながら浮かれている。

 別に、先輩にまた会うかもしれないから綺麗にしておこうとか、そういうつもりじゃない。

 断じて、ない。

 あれはきっと春の夢で、なんやかんやでなかったことになる。もしくは社交辞令。きっとそうだ。

 そうじゃなかったら……。

 体を、いつもの倍くらいの時間をかけて丁寧に洗った。

 湯船にぶくぶく沈みながら、スマホで全然面白くない恋愛ドラマをぼんやり眺めて、風呂から上がった。


 髪を乾かして買ってきた晩ごはんを食べて、それから本棚の奥底にしまってあった、先輩のアイコンになっている本を引っ張り出してきた。

 ベッドに寝転がって、ぱらぱらとページをめくる。

 書いてある内容なんて全然頭に入ってこなくて、先輩と過ごした十年前の、たった一年間の思い出ばかりが、走馬灯みたいに流れていくだけだった。



 翌朝、私はまたベッドに寝転がったまま、スマホをじっと睨んでいた。

 まだカーテンは開けていなくて、でも隙間から明るい日差しが細く部屋の中に差し込んでいた。


「返事……したほうがいいかな」


 でも、なんて?

 スタンプ一個に、なんて返せばいいの。

 先輩は、返事をくれるだろうか。

 一昨日の晩の「会いたかった」と「また」を、私は本気にしていいのかな。

 いやいやいや。

 たぶん、思い出を美化しすぎてるし、起きたことも都合よく考えすぎてるんだと思う。

 起き上がって身支度して、とりあえず外に出よう。



 また駅前まで歩いて昼ごはんを食べて、夜ごはんを買って、帰ってきた。

 ……途中で本屋さんに寄ったら、先輩のアイコンになってる本の続きを見つけてしまって、それもつい買ってきた。

 これをニャインのアイコンにしたいって一瞬思ったけど、さすがにキモすぎるからやめておく。

 スマホを見ると先輩のことばっかり考えちゃうから、電源を切って、ベッドに置きっぱなしにしていた本を開いた。



 何度も読んだ本だけど、久しぶりに読むとやっぱり面白くて、この本が好きだって言ってた先輩のことが、私はやっぱり好きだと思った。

 スマホの電源を切ったくらいで、先輩のことを忘れられるわけがない。

 諦めて、スマホの電源を入れ直した。

 先輩から送られてきたスタンプは、キャラクターが「やあ」と手を振っているものだ。

 今度はあんまり悩まずに、そのキャラクターの友達が「久しぶり」って言ってるスタンプを送り返した。

 よしよし、なるようになれ。


「え……っ?」


 すぐに、既読がついた。

 いやいやいや、早すぎでしょ!?

 一分も経ってないけど?

 驚きすぎて、スマホを落としそうになった。一人でわちゃわちゃお手玉していたら、スマホがブブッと震えた。


『金曜日、ちゃんと帰った?』


 たった一行のメッセージなのに、胸がじんわり熱くなる。


「え、えっと、帰りました……って、もう既読ついた」


『よかった。いつも遅いの?』


 早い早い! ちょっと心の準備をさせていただきたく!

 慌ててスマホに返事を打ち込む。


「週の半分くらい終電です」


 また一瞬で既読がついた。そして間髪入れずに返事が来た。


『俺もだよ』


「……どうしよう」


 また会いたいとか、会いたかったとか、そういうこと、言ってもいいのかな。

 悩んでたら、またスマホが震えて、今度は着信が来た。


「は、はい……!」


『今少しだけ話せる?』


 電話越しに聞こえた声に、思わず泣きたくなった。

 金曜日の夜と同じ……十年前と同じ、低くて優しい声だった。


「だいじょぶです」


『秋谷、いつも七号車に乗ってる?』


「え? たぶん……あんまり意識してませんでしたけど」


『わかった。じゃあ、今度から俺も終電に乗るときは七号車に乗る。ごめん、出先なんだ。どうしても聞きたかったから電話しちゃった。また終電で』


「は、はい、また……」


 気づいたときには通話が終わっていた。

 えー……?

 今の、何だったのさ……。

 手元のスマホを、ぽかんと眺めていた。

 それから、机の上に置きっぱなしだった買ってきた本に目をやった。

 先輩は、私に会いたいって思ってるってことでいいのかなあ。

 私が先輩に会いたすぎて、そう聞こえてるだけかもしれない。


 のろのろとスマホを持ち上げて、机の上の本を写真に撮った。

 ニャインのアイコンを、会社で使っているハサミの写真から、今撮った本の写真に変えておいた。

 我ながらキモいけど、なんていうか、先輩にどう主張すればいいのか分からなかった。

 わからないなりにでも、今度こそ何かは主張しておきたかった。


 窓の外は暮れなずんでいて、部屋の中もオレンジの光にやわらかく染まっていた。

 スマホで空の写真を一枚撮る。

 先輩は外にいるって言ってたから、きっとこのオレンジ色を見ているんだろう。


 私はまた、先輩と同じ景色を見られるのが、嬉しくて仕方なかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

楽しんで頂けたらブクマ・評価・感想などで応援いただけると大変嬉しいです。

感想欄はログインなしでも書けるようになっています。

評価は↓の☆☆☆☆☆を押して、お好きな数だけ★★★★★に変えてください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ